2016年4月6日水曜日

ロシアも日本も自国通貨建て国債に依存している限り国家破綻はありえない

アベノミクスが剥がれ落ちてきそうなきょうこのごろ。タイトルを含む3つの予想についてきょうから検討していきます。3つとも、財政学や金融論で異論駁論の絶えない言説です。

Ⅰ.主権政府は、国内通貨の国債等に依存しているかぎり、倒産しない。

直感的には正しい。が、正しいにしても、

法定通貨=不換紙幣であることに加えて、固定相場制に組み込まれていない(少なくとも好きなときに離脱できる)ことが必要だと思います(例:ギリシャ2015においては、通貨ユーロをギリシャにとって自国通貨だが固定相場制から離脱できない不換紙幣だった)。

以下、直感を検証していきます。

倒産、破綻の定義について。

①債務不履行(弁済能力がない場合)
②債務不履行(弁済能力はあるが弁済意思がない場合(※))
③金融支援(私的整理)
④(債務不履行は起こしていないが)利払を含めた累積債務額が発散することにより実質破綻

を区別することは議論の精緻化のためには必要。この点、ロシア1998については、①または②に該当したのは何と自国通貨建て債務であった(※直感を信ずれば、①はありえないことになるので、②だったか???)キリエンコ首相(代行当時)に真意を聞く必要あり。

これらを踏まえても、財政ファイナンス(中央銀行による自国国債の買い切りオペ)が可能であれば、理論上、①は発生しないと考えられますが、②、③、④が発生しうるという点では外国通貨建て債務と同じ。

さて、財政赤字で『破綻』の恐れがある場合とない場合とをどこで線引するかでいくつかの伝統的な考え方があります。
(1)建設国債はOKだが特例国債はNG、
(2)市中消化はOKだが中央銀行消化はNG
(本論にあるように中央銀行消化(の選択肢を残しておくこと)こそが重要だという考え方も)
(3)徴税権(や「預金凍結」権や「外貨預金外貨送金制限」権)の及ぶ国内消化はOKだが外国債は(自国通貨建てでも)NG
(4)外国債でも自国通貨建てならOKだが外国通貨建てはNG
(5)発行代金の資金使途を問わず、国債の引き受け手を問わず、自国通貨建てかどうかを問わず、現役世代と将来世代の間の所得移転のパラメータが十分大きければ(コーナーソリューションが起きていなければ)OK=中立命題、



等です。このような百家争鳴の議論において、『破綻』が何を意味するのか?国際私法上の債務不履行の定義(definition)①∨②が問題となっているのか、格付機関ごときの同定義①∨②∨③それに限定(define)せず累積債務の発散をも含めているのか?取り決めが必要でしょう。

ここでは、財政赤字が発散しても、議論は収束させたいので 笑、
「①さえ回避できれば良い。そのためにも、発行代金の使途、引き受け手、は問題とならず、中央銀行による(無制限の)引受という選択肢と、自国通貨建て(に限る)発行ということが条件だ」という命題を検討することとします。

・・・確かにこれは十分条件のように思われます。ただし②③④を回避する必要条件ではありません。さらに、1998ロシアは①ではなくて②だったと言い切れるかどうか問題は残ります。

・・・では必要条件でしょうか?直感的にはそうなのですが、②③④の状態だが①の状態ではない国の通貨価値は限りなくゼロに近いかも知れないが正の値であってゼロではないのであれば、外国通貨建て債務を自国建て債務に借り換えさせるに十分な大きい(が無限大ではない)額の中央銀行引受が可能だということになります。つまり、財政ファイナンスが好きなだけできるという前提であれば、累積ソヴリン債務が自国通貨建てかどうかは五十歩百歩(五十歩一億歩かも知れないとしても)ということです。

2016年3月2日水曜日

【特別寄稿】ロンドン市場を牛耳った男がこっそり語る!?EU離脱のホンネとタテマエ

こんにちは。Win-invest Japan杉田勝です。

きょうは、アヴァトレード・ジャパンの丹羽さんから、イギリスのEU離脱問題について書いてくれと頼まれた。七転び八起きブログの読者のみなさんも気分転換のつもりでお付き合いください。

一匹狼でヘッジファンドのマネージャーをやっていたのがイギリス時代です。わたくし個人の力量と責任で現地のファンドから資産を預かって運用指示をしてその成績だけを頼りに報酬をもらっていた時代です。成績が良ければ報酬もいただけて、ファンドの資産も成長します。逆にいくと報酬ももらえない、資産も減る、出金も増えるという、ジリ貧の連鎖になります。

いまも助言の仕事にたずさわっていますが、当時は外国ということもあって、また食うか食われるかという環境だったので、いまよりも緊張を強いられていたかも知れません。

しかし、イギリスは金融こそメジャーリーグ、いやプレミアリーグという感じですけど、それ以外はのんびりしているんです。電車が1分遅れただけで車掌さんが「まことに申し訳ございません」と繰り返す東洋の島国とは大きく違います。あちらの島国は、10分、20分遅れは当たり前、そのうえ運行取りやめになってもお詫びなんて一切なく、運転中止が決まっても、待ちくたびれていたはずのホームのお客さんは不平不満なくその場を立ち去って行きます。

イギリスは一事が万事こんなです。電車だけじゃないんです。普通は古いアパートにしか住めないので、壁やら床やら配管やら、あちらこちらに不具合が出ます。それを直すのに職人さんを頼んでも時間どおり来てくれないのです。すっぽかしもあります。

まあ、電車が止まっていたからかも知れませんが・・・

しかし、、、、、、

東ヨーロッパから出稼ぎに来ている労働者や職人さんたちは、良く働くのです。日本人なみに時間にも正確で、てきぱき仕事をこなします。仕上がりもバツグンです。

これは、ポンドとユーロという通貨の違いこそあれ、東ヨーロッパ(わたくしがお世話になった配管工はポーランド人でした(^^ゞ)もイギリスもEUという枠組みで、ある程度(※)統合化されているからなのです。

でも、これって貿易摩擦とちょっと似てますよね?「安くて良く働く移民のせいで仕事を奪われた」と不満タラタラのアングロサクソン労働者がいっぱい居るわけです。

グローバル化の行き過ぎ(?)で失業したり生活水準が切り下がったりした先進国の国民からの得票を狙おうとう政治家が出てきます。イギリスでBREXIT旋風をいま巻き起こしているのは、なんと政権与党である保守党出身のロンドン市長であるボリス・ジョンソンなのです。野党は、労働党も、スコットランド国民党もEU残留を主張していますから、保守党党首で首相のデーヴィッド・キャメロンは、板挟みのなか、EU改革と国民投票を取り付けているということになります。


いままさにアメリカではスーパーチューズデイで、台風の目どころでないドナルド・トランプはいわずもがな、民主党はヒラリー・クリントンもバーニー・サンダースも、似たり寄ったりの内向きな政策を繰り返すようになりました。

もう、誰が米国大統領になっても、米国はTPPに参加しない、、、まるで第一次世界大戦後の国際連盟みたいに、枠組みを作っただけで自国は入らないという可笑しなことになりそうです。

イギリスの話に戻ると、イギリスはEUに入っていることで、EU政府に毎日(毎年じゃないですよ)55百万ユーロもの経費を支払わなくてはならないのです。これはもちろん、ドイツやフランスも払っているのですが、こうした経費が、南欧諸国など貧しい国々に移転されていると考えられていることなどから、国民の多くがEU残留反対という声を上げているらしいです。

「だから、、、、イギリスポンドはどうなるの???」あー、そうでした。わたくし杉田は、ポピュリズムによってEU離脱、つまりBREXITが決まる可能性濃厚と見ています。ただし、6月までの間に、EU改革での駆け引きやら、デーヴィッド・キャメロンとボリス・ジョンソンの妥協やら、いろいろな進展でポンド相場は振り回されるでしょう。《EU離脱が遠のくニュースで戻り売り》これを繰り返すのが手だと思っています。
(win-invest Japan取締役会長 杉田勝)

2016年2月24日水曜日

無人島の二人の男性は、その後どうなったのか???

>けんかはしないが、協力もしない。

と書きました。しかし、

>協力はしないが、餓死したり凍死したりするのを放ってはおかない。

という前提も加えて、その後もまだふたりともがんばって猟や漁にはげんでいることとしましょう。

>いっぽうの男Aがもういっぽうの男Bよりも仕事が早かった、かつまたは仕事をがんばった。そのために、男Bは男Aから家の軒先を貸してもらい、肉や魚をもわけてもらった。

とも書きました。厳しい大自然に、人間ひとりやふたりで戦っていく「社会」ですから、ジャン・ジャック・ルソーの「人間不平等起源論」や、ルイス・モーガンの「古代社会」、フリードリヒ・エンゲルスの「家族・私有財産・国家の起源」に描かれているような原始的で素朴な人間関係であったかとも思います。

困ったときは助け合うのが基本。

>家賃を払え。ツケでもいいが無銭飲食は許さん。さもなくば死ね。

というのは、もうちょっと人数(人口)が増えて、自然の脅威に対峙するための最低限のインフラが出来てきてから、だったのかも知れません。

そのインフラの起源としてひとつ考えられるのが、この無人島の例では、

>男Aが男Bよりも力持ちで、原生林を引っこ抜いたり、野獣と取っ組み合いして勝てることが多かった。

という、仕事の「量」の違いではなくて、

>男Aは、「急がば回れ」で、原生林を薙ぎ倒すまえにまずは鋸(ノコギリ)をこさえた。動物や魚を素手で掴まえるのではなく、まず槍(ヤリ)や銛(モリ)をこさえた。

男Bは、そうしなかった。そうする知恵がなかった。ということで、仕事の「質」の違いがあった。


川から砂鉄を集めて、森から木を集めて、火をふんだんに焚いて鋸や槍や銛の尖端部分を作るのはたいへんな労力と時間が必要なので、素手による伐採と狩猟(漁)とを並行しなければ餓死するでしょうから、このあたりは「協力しない男2人モデル」では無理があります。

「急がば回れ」の知恵を授かり、社会の仲間にその知恵を授け、分業をも提案し、インフラを作る。これができるひとがリーダーと呼ばれ、豪族、貴族、王族(しばしば宗教的指導者を兼ねる)として支配階級を形成していったのでしょう。

男Aが披露した超過生産力や道具は、男Bにとっては、レンタル料や家賃を払ってでも使いたくてたまらないものです。

レンタル料や家賃は、現代の経済社会でもそうですが、金利や利息と置き換えられます。ただし前者には減価償却費相当分や陳腐化リスクに対する保険料相当分のほか場合によってはメンテナンスに関する手間賃が含まれます。


というのが前回のお話でした。

✡✡✡✡✡✡

このような単純極まりないモデルであっても、経済学の学説史に名前を連ねる学者(???)の間で、
①価格とは何か?(食べ物や材木の取引条件)
②金利とは何か?(道具の取引条件)
③価値とは何か?(①②の数値の正当性の検証)
という根本的な問題に対する見解が異なっていたのです。

それをひとくちに、古典派経済学は労働価値説を採用しており、代表的な学者として、アダム・スミス、デビッド・リカード、カール・マルクス、、、、、、などと要約されてしまうと、かえって簡単な道理が複雑になってしまいます。

✡✡✡✡✡✡

先に(最初に)、鋸などを開発した男Aは、それを喉から手が出るほど欲しがる男Bに対して、好きなだけ金利相当分をふっかけることが出来たでしょう(ふっかけなかったかも知れず、それは男Aの自由です)。男Bは食うものにも困っていたと前提しましたが、野宿しながらも何とか狩猟はできていたとするならば、槍や銛を手にすることで、一日あたり、今日までの3倍の魚が取れると思いきや、今日までの一日あたりの捕獲量の1倍から2倍のあいだなら、甘んじてレンタル料を払おうと思うでしょう。

現代の世の中から冷静に見ると、この利息はぼったくりのようにも見えますが、当時としてはこの利息は、男Aに授けられた知恵と労働(≒勤勉)に対するまっとうな評価であり対価です。


※知恵と勤勉を含む
※※捕獲された動物や魚、切り出された木

つまり、木こりとして猟師または漁師としていままさに汗を流している男Bの労働だけが付加価値なのであり、最終財の価格として実際には上乗せされて当然の、道具のレンタル料は、付加価値ではない。と、考察しています。

道具(固定資本)を活用する前も後も、産み出された結果である肉や魚や材木は100%労働のたまものであること自体は、以上の説明からあきらかであり、「価値を生み出しているのは労働である」という段階においては、労働価値説も正しそうです。

そして、労働価値説を採用することが、必ずしも金利(または金利が核心部分を構成するレンタル料や家賃など)が正の数となることと、矛盾はしないようです。

しかし、

>労働が価格を決定する。

>労働だけが付加価値なのだから、価格(※)との差額があるならば、それは利息のたぐい(※※)の不労所得である。

※流通価格や交換価値
※※この場合は、レンタル料、家賃に加えて、地代や配当を含めても良いでしょう

とまで主張されると、果たして絶対普遍の真理かどうか疑わしくなります。

カール・マルクスが資本論執筆のために大英博物館に通っていた頃のロンドンは、産まれた時点で貧富の差が激しく、乗り越えられない階級の壁があり、壁のこちら側はワーキング・プアしか居ない状態だったかと思われます。片目で非人道的な現実の絵を、もう片目でアダム・スミスとリカードの書物を見たカール・マルクスが、かなり無理をして剰余価値学説を捻り出したと読むこともできそうです。

>男Aという知恵者が居たわけですが、男A+という更なる知恵者が居て、男A+は独立して更に高>性能の道具を作っていた。開発には余計に時間が掛かったものの、男A+の道具が発表される>と、もはや男Aの道具はだれも使わなくなった。

としましょう。

この場合、男Aは男Bからのぼったくりリース料は数日分しか稼げず、男Aが道具開発のために費やした砂鉄収集に始まる鉄器づくりにかけた労力(その間できていたはずの狩猟採集活動という機会費用)は、おそらく取り返せなかったことでしょう。

男A+が三人目の男として加わった無人島モデルでは、男Aと男A+のふたりが私有財産を持っています。男Bは私有財産を持っていません(道具も住居も賃借している無産階級=プロレタリア)。AもA+も等しくBを「搾取」できるわけではなく、固定資本の開発の良し悪しで、「利潤」がプラスにもなれば「マイナス」にもなる。これまたAやA+の労働次第なのである。ということが言えるのです。

✡✡✡✡✡✡

さらにすっとばすと、労働価値説と相容れないとされている限界効用理論(※※※)でも、少なくとも長期的には利潤率(利子率)は(機会費用を考慮するとゼロに)収斂するということが導かれます。


が、たとえ長期的にでも、利潤率(利子率)は一定とならないという、キャピタリストの知恵比べこそが現実の資本主義のダイナミズムです。

ここを見逃している点では、カール・マルクスも同じだと言いたくなります。とは言え、限界効用理論や新古典派経済学が前提とするような理想的な資本主義というのは、IT革命後、規模経済(限界生産性逓増)が成り立たない産業が増えつつある今日ですらまだ実現していません(超大国にITベンチャーが集中しているのをどのように考えるべきか???)。ましてや産業革命から世界大戦間までの先進資本主義諸国は、限界効用理論や新古典派の理想からは程遠い歪な資本主義が大手を振るっていたと考えられます。

オーストリア・ハンガリー帝国は例外だったのかも知れません。

※※※わたくしは労働価値説と限界理論が相容れないとは思っておらず、この解決が、このブログのこの先の課題です。


2016年2月19日金曜日

マイナス金利とマイナンバー制度

「安心してください。はいってますよ。」

来週の月曜日は何の日だかご存じですか?

年に二回、普通預金の利息が受け取れる日です(※)。

黒田日銀のマイナス金利導入を受けて、メガバンクのなかでは、まず三井住友銀行が普通預金金利を0.020%から0.001%へ引き下げると発表しました。

受け取れる利息が、いっきょに20分の1になるわけですが、よほどのお金持ちでかつよほどものぐさなひとでなければ、もはや気にするひとは居ないでしょう。

普通預金金利0.001%というのは、2月と8月に利息を1万円もらうためには、預金平残で20億円必要だということです。

マイナス金利ということで、個人の預金の金利もゼロどころかマイナスになるのではと心配したひとも、去る1月29日の日銀金融政策決定会合の直後のヘッドラインニュースだけを見た瞬間は少なくなかったと思います。

そのような世相に反応して、メガバンク中心に、預金金利を下げることはあってもマイナスにすることはない、との告知もされました。

とりあえず、来週の月曜日には、主な銀行の普通預金口座には、1万円以上の平残があるお客さまに限って、1円以上のお利息が、はいっていることになります(※※)。

※三菱東京UFJ銀行と三井住友銀行(2月と8月の第三土曜日または日曜日の翌営業日)。みずほ銀行は不明(当行所定の???)。ネット専業銀行のなかには、独自のルールあり(例:ジャパンネット銀行は毎月第一営業日。もはや気にするひとは居ないでしょうけど、年間で利息を受け取れる回数が多いほど孫利息がつきやすいので預金者有利です)。

※※復興特別所得税を含む源泉所得税と利下げ分を無視した概算。なおメガバンクの普通預金約款では平残1000円単位で付利されると規定されているが、0.200%未満の金利では平残千円では利息は1円未満になってしまう。

鬱陶しいだけで片付けられてはいけないマイナンバー制度

ところで、マイナス金利は、ほんとうにリテール市場には適用されないのでしょうか?

マイナス金利が「B2B」(中央銀行と市中銀行の間、市中銀行と市中銀行の間)では適用されてしまう理由は、B2Bの参加者はタンス預金ができないほど預金残高が大きく、現金輸送車を毎度使えないほど決済金額の規模が大きいことです。

だとすると、B2Cには適用されない。悪くてもゼロ金利だ。安心してください。で済ませられるでしょうか?

たぶん、安心して良いと思われますが、次のような社会設計を想定できないでしょうか?

①現金(紙幣と硬貨)を廃止する[期限を定めて銀行や電子マネー発行会社(※※※)に(再)預け入れしないと無効になる(通用しなくなる)]
②フィンテック革命により、どんな小さな商店でも飲食店でも、クレジットカード、デビットカード、または電子マネーの決済を受け入れる無償のリーダーライターが使えるようになる。
③マイナンバー制度の徹底により、利息は当然として、給与、家賃、地代、配当などの所得はすべてマイナンバー紐付け口座に振り込まれる。

個人法人問わず、①と③だけで、収入と支出を網羅してその結果、税務関係年度末の残高と合致するということが可能となりますが、②をマイナンバーカードと紐付けることで正確性が担保されるでしょう。

わたくしが国民総背番号制度推進派だったとは意外だと思われたでしょうか?しかし決してこれは税務署の手先だということにはなりません。ここまでやると、確定申告がほとんど必要なくなり、税務署の作業も相当程度リストラされることが想像できると思います。国税、地方税だの、申告所得と源泉所得だの、税と年金保険料など、二重三重行政が横行しているがゆえの馬鹿馬鹿しい行政コストに対して一気にメスがはいるというものです。

しかし、きょうの本題はそこではなく、このような制度設計が万が一実現すると、B2Bだけでなく、B2Cでもマイナス金利が実行可能になりませんか???という問題提起でした。

※※※銀行と同様、マイナンバーとの紐付けが義務化されていると仮定します。日本円の金融政策に絡んでの考察を続けているので、当面ここでは、円建て電子マネーだけとして、ビットコインなどの暗号通貨は検討の対象外とします。

「倹約は美徳、浪費は悪徳」をケインズは否定したけれど・・・・・・

閑話休題、日銀の政策金利は別としても、民間の市場の金利というのはゼロ以上であってたいていはプラスである。つまりおカネというのは借りたひとは貸してくれたひとに報酬をはらわなければならないというのは、常識です。上記のようなマイナンバー制度+タンス預金禁止法で、個人(や法人)のおカネの収支と残高がガラス張りになってしまうまでは、「マイナス金利になったら即タンス預金だから」、で納得できました。《技術的に非負制約があろうがなかろうが、金利というものは非負である》という常識をどのように説明したらよいでしょうか???

わたくしが30年前に読んだ、Fischer=Dornbusch共著Economicsは、新古典派経済学の王道らしく、供給と需要の両面からこのことを説明していました。

供給側とは貯蓄する側。本来ひとというものはいま使えるおカネをすべて使ってしまいたくなるものだが、辛いけれども我慢して使いきらないように努める、これすなわち貯蓄なので、その辛さ、我慢に対するご褒美である、と。

需要側とは(消費または)投資する側。(明日まで我慢するという苦痛に比べれば、可処分所得を超えた消費を、今日、するために払わなければならないペナルティの苦痛のほうが少ない。または)将来利益を出せる投資機会があるので、利息(<将来利益の見込み額)を支払ってでも先立つモノを用意したい、と。

節約に対するご褒美=(浪費に対する罰金または)外部負債の調達費用≠<(消費機会の機会費用=我慢の苦痛または)投資機会の機会費用(投資から得られる見込み収益)

という説明には説得力があります。しかし、金利は資本への対価なのだから、不在地主に支払う地代と同様、不労所得であって、人倫にもとる、という考え方は、古来、多くの国家(※)や宗教(※※)を支配してきましたし、カール・マルクスはこれを労働者から搾取した剰余価値だと糾弾したわけです。

賃金の鉄則という考え方があります。労働者階級は失業者(のプール)がある限り、競争を通じて、生活を続けていくためにぎりぎりの報酬条件での雇用に甘んじざるを得ないというものです。カール・マルクスが敵対視していた社会主義者フェルディナンド・ラサールによって打ち立てられた説とも言われますが、同じくカール・マルクスが批判したまたは批判的に継承したデヴィッド・リカードやトマス・ロバート・マルサスもこの鉄則に寄り添って自説を展開していることはおおいに強調されるべきです。

「不労所得は法や道徳に反する」「労働者階級はこれ以上節約できない(一銭足りとも貯蓄できない)環境に置かれている」というのは主義主張としてはおおいにありえますが、これと、労働価値説(商品の価値は投下された労働(力)そのものである)という考え方と同じものでしょうか?

※キリスト教が公認されて以降のローマ帝国では、ユダヤ人がキリスト教徒を奴隷として使用できなくなり、また利息について契約で定めることもローマ法大全により強制的に非合法とされたようです。

※※フェニキア人などセム族は全般に利息行為を認めていた中で、ユダヤ人だけ例外で啓典の民(その後キリスト教徒が排除される時期あり)同士では有利子の金銭貸借は認めていなかった。実はイスラム教の利息禁止の原典はここにあるようです。

湯浅赴夫著「ユダヤ民族経済史」など

また極端なたとえ話です。無人島にふたりの男が流れ着いたとします。男女でも良いのですけど、ややこしいので男ふたりとします(差別目的ではなく性的少数派問題は捨象します)。サバイバルのために衣食住を整えていかなくてはなりません。さらに極端な仮定を。このふたりは喧嘩はしないが協力もしない。めいめいが狩猟したり狩獵したり家をこさえたりします。どんな仕事でも能率や成果には差が出てくるものです。一方の男がもう一方の男よりも仕事が早かった、かつまたは、より長い時間、かつまたは一所懸命まじめに仕事をした。結果、家を先に建てることができた、かつまたは、自分の消費量(可食量)という目標を超えて鳥獣魚介をつかまえることができた。。。。。。

仕事のできる男は、飢えに苦しみ、雨露をしのげないもう一人の男に対して、余った食料をさしのべたり、軒先くらいは貸して、野天よりは快適に寝かせてあげようとするでしょう。

家族、私有財産および国家の起源

このふたりは喧嘩はしないが協力もしないという前提では、仕事のできる男は、食料のお返しプラス御礼(消費者ローンの元利払い)と、軒先貸しの御礼(家賃または住宅ローンの元利払い)を条件に、生死の境にいる他人を助けることになります。

わかりやすさのために、男ふたりと少人数を前提したので、この手の人助けは無償で行われるものではないか(原始共産制のような世界)と突っ込まれるところです。それでも、人数が何人に増えてもこれから申し上げる結論は変わりません。無人島に辿り着いた第一世代の男たちの間で生じる利息や家賃は、平均(?)よりも仕事を早く済ませたひとが平均(?)よりも仕事を早く住ませられなかったひとからもらうということで発生していて、その源泉は労働にほかなりません。

無人島なので、土地に関しては無主物先占であり、不在地主にとっての不労所得としての地代はありえません。また第二世代への相続贈与もありませんので、裕福な資本家の子供に産まれたがゆえの不労所得もありえません。若干極端な仮定を置いてはみたものの、既得権によって発生する地代(リカードの差額地代を含む(?))は発生せず、労働のみが価値を持ち、それでも金利や家賃は発生するという社会モデルがあることを示しています。

まとめると、

「金利がプラスであってはならない」という旧約聖書(モーゼ五書)やカール・マルクスによる非難と、労働価値説の枠組みは、別々である。労働価値説の枠組みにおいても、金利や家賃など一見不労所得に看做されるパラメータがプラスになりうることは、互いに矛盾しない。

ということになりませんか?

さらにわたくしとしては、労働価値説と100年以上対立してきた限界効用理論とが無矛盾であることまで言いたいのですが、いわゆる限界革命以前にもその疑問の萌芽があり、デヴィッド・リカードもカール・マルクスも自問自答していた形跡があるこの難問を、そう簡単に解決できるとは思っていません。

マイナス金利とマイナンバー制度と経済学の理論対立の三題噺になりました。マイナス金利がB2Cまで押し寄せる社会モデルによって、ついに人類は、旧約聖書のような世界、原始共産制というユートピアを手に入れることができるのでしょうか?