2013年3月22日金曜日

Yes, we can.からIt's possibleへ。オバマ大統領のイスラエル演説

オバマ大統領は、政権交代となる2008年秋からの数々の選挙演説や就任演説で、スピーチの才能を遺憾なく発揮し、本国だけでなく日本でも過剰気味なブームをもたらしました。大統領スピーチで英語を勉強しようというような便乗本も書店に並びました。

かく言うわたくしもちゃっかり便乗させてもらい、当時務めていたFX会社で、「イェス、ウィ キャンペーン」というのをやりました。結果は、オバマ大統領の似顔絵がいまいちだったのと、時まさにリーマン・ショック直後で、さっぱりでした。

当時から言われていたように、オバマ大統領の演説原稿は、コピーライティングスキルに長けたスピーチライターによるものらしいです。このことはオバマ大統領への評価を下げるものではまったくなく、あらかじめ他人が用意したランゲージであるにもかかわらず、それをあたかもその場で迸った言葉であるかのように発話するというスゴ技はまさに天晴です。

よく言われているように、日本ではこういう芸当ができる政治家を寡聞にして知りません。落語という、その才能で以って競演する伝統話芸があるにもかかわらず、です。

このオバマ大統領が過去4~5年至る所で行なってきた演説のなかでも、ダントツに最高傑作となったのが、日本時間昨夜深夜のイスラエルの、パッと見では体育館のようなところで若者中心に集められたなかで行われた平和演説だと思います。

http://thelede.blogs.nytimes.com/2013/03/21/highlights-from-obamas-speech-in-israel/?ref=middleeast

2009年に誰が見ても時期尚早であるノーベル平和賞を受賞してしまい、いっぽうで前政権のイラク戦争の負の遺産の処理を任さえるという、ミッション・インポッシブルに挑戦しつつ、支持率の低下を余儀なくされた一期目とはがらりと異なるスタートを象徴しているのが、今回のイスラエル訪問です。

隣国のキプロスと並んで、今まさに中東はかつてないほど熱いと言えます。

昨夜深夜の演説の凄みは、まず表面的には使用されている表現が実に巧みであって、イスラエル人のプライドを傷つけないように十分配慮しながらパレスチナ入植を抑えるように主張を譲らない点がまず挙げられます。そのためには彼の演説の特徴である抽象論や家族の喩えがくりかえし使われています。印象的で拍手を呼びスタンディングオベーションで締めくくらせる仕掛けが見事に機能しています。アカデミー賞受賞作品のリンカーン顔負けの言語力と演技力です。

しかし、今回の演説を、リンカーン並に、人種や民族の壁を乗り越える民主主義と平和主義の誓いであると捉えてお仕舞いとは言えません。

第二期目就任後も何度も財政の崖と格闘しているオバマ大統領にとって、イラク戦争に代表される中東紛争への軍事的な介入は、もはや予算オーバーになってきてしまっているのでしょう。

イラク戦争への負担額はこれまでの累積(だけ)でも3兆ドルにのぼるという説があり、これは米国の国家予算の1年分を上回っています。たった一年分かと安心するところではありません。仮に戦地からの完全撤収ができたとしても帰還兵への補償はずっと続くからです。敢えて比較するために例示すると東日本大震災の被害総額を内閣府は約17兆円と試算しています。これが巨額であることは論を待たないですが、それでも日本の国家予算の2割程度なのです。

オバマ大統領のイスラエル訪問と名演説は電撃的でもありタイムリーでもあります。と同時に、その内容もタイミングも、ほかに選択肢はなかったという理解も必要でしょう。

戦後、日本は米国の妾であると多くの政治家が自虐的に言ってきたところ、今回のオバマ大統領のイスラエル訪問の言葉の端々から、日本は確かに妾でも3号以下であることがはっきりしました。それはそれで歴史的な意義があります。問題はここまでイスラエルをおだててパレスチナ問題やイラン問題、さらに周辺国のイスラム強行派との雪解けが進まないときに、もうなすすべがないことを警戒しておかねばなりません。

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