2023年12月18日月曜日

中央銀行は廃止できる!

日銀ウォッチングもちゃんと出来ていないのに、地球の真裏の中央銀行(廃止?)の話を取り上げる余裕などあるのかというツッコミを受けそうです。
が、先週金曜日に収録し、昨日日曜日夕方(通常より編集に時間がかかったもようです)配信された動画がこちらです。

 是非御笑覧ください。意外と支離滅裂ではないのですが、もともと用意していた手元メモとからかなり脱線した話をしてしまい、また、逆に⑶⑷の部分はほとんどカバーできなかったのが実情です。

以下が手元メモでして、動画をご覧いただいた読者の皆さんの参考にしていただけるとありがたいです。


   実際に中央銀行を持たなかったり、通貨が「ドル」であったりする国はどの程度存在するのか。

   (実例をご存じであれば教えてください)

     自国通貨の発行(通貨発行権)を放棄して外国通貨であるドルを法定通貨とした国の例は、アルゼンチンと同じく中南米だけで、パナマ、エルサルバドル、エクアドルの3例がある。

     特に、パナマは、ドル化の歴史が古いだけでなく、中央銀行を有してない。

     エルサルバドルとエクアドルには中央銀行が残っているが、いずれも政府負債(国債)の買いオペ(引受け)が出来ないなど、制約条件は大きい。この点は、通貨統合してユーロを採用したEU諸国の多く(例:フランス、ドイツ、イタリア、スペイン)の中央銀行と似ている。

     なお、パナパと異なり、エルサルバドルとエクアドルは、米国と同盟関係にあるわけではない点にも注目したい。同様の事例として、ジンバブエ、カンボジア、北朝鮮で法律上または事実上(このふたつの違いは大きいのだが)ドルが流通している点も参考にしたい。

     特に、ジンバブエの事例研究は、ハイパーインフレと経済破綻ということでアルゼンチンと同様なので、ムガベ政権が倒されたあとの、ドル化の経緯について少し話をさせてほしい(時間が許せば)。

 

   “アルゼンチンのトランプ”と呼ばれる、ハビエル・ミレイ氏が新たにアルゼンチンの大統領となった。ミレイ大統領は「中央銀行の廃止」と「通貨のドル化」を唱えていることで注目を浴びている。日本では考えられないような政策だと思うが、その背景は?

   ミレイ氏(すでに今月10日に大統領に就任)が先の決選投票で次期大統領に決まってからの報道としては、メインチャンネルであるDaily WiLLでの朝香先生と白川先生の解説が的を射ている。朝香先生と山根編集長が私と同様リバタリアンであることをカミングアウトしてくれてうれしい。

   ただし、朝香先生の、「アルゼンチンの経済破綻は戦後一貫したペロニスタ政権が原因」というのはほぼ正しいと思うが、きょうはもうちょっと細かく見ていきたい。確かに、アルゼンチンの戦後の政権は選挙で選ばれたものはほとんどがペロニスタ党(ただし同党右派左派の内ゲバは苛烈)だったが例外があり、また他の中南米諸国同様、軍事クーデターが繰り返されそのたびにペロン元大統領やペロニスタは迫害されてきた。そのなかで、1976年から1981年までのヴィデラ大統領政権下(軍事クーデターなどで亡命先のスペインから戻ったペロン大統領とその後妻大統領を事実上放逐)と、1989年から1999年までのメネム政権では、リバタリアンと言ってもよい政策が取られていた。メネム大統領は、リバタリアンとは真逆のはずのペロニスタ党の代表であったにもかかわらず、である。

   したがって、ミレイ大統領としては、以下の教訓を得ていると推察する。つまり

1.     ペロニスタ政策は論外だが、

2.     リバタリアン政策もペロニスタ(ポポリズモ)に隙を与えてはいけない

3.     メネム大統領の❶アルゼンチンペソの対米ドル固定、❷規制緩和、❸民営化は正しい政策だったが、❶については中央銀行を温存したままでのカレンンシーボード制度(香港ドルと同様のドルペッグ)であった。アジア通貨危機とロシア危機に関して、ポポリズムから変動相場への復活という圧力をかけられてしまったことが敗因。中央銀行の廃止は、このような「誘惑」から退路を断つための不退転の政策を意味する。

 

   通貨をドル化してしまい、自国通貨を持たないとなると、金融政策の自由度が著しく低下すると思うが、そのような政策採用する国々にはそれを上回るメリットがあるのか?

   通貨発行権を放棄するメリットが維持するメリットを上回るかどうかは難しい。

   貨幣論の分野で、ケインジアンとマネタリスト(≒リバタリアン(注:ピノチェト政権下の経済運営を顧問したとされるシカゴ学派のミルトン・フリードマンはミレイ大統領のように中央銀行廃止までは求めていなかったことに留意)の対立が決着しないのもこのあたりの事情

   少なくともひとつ入れることは、緊縮的な金融政策は緊縮的な財政政策同様、人気がない(選挙に勝てない)ということ。古くは、日本でも、世界恐慌(1929年)から満州事変(1931年)のころの二大政党間で金解禁(金本位制の(再)導入)の是非で揺れた。当事者である浜口雄幸と犬養毅(+高橋是清)は皆テロの餌食となった。

   カンボジアやジンバブエのように、それぞれの歴史的事情でドル化以外に選択肢がなくなってしまった場合もあるが、ユーロを採用した国々のように、そこまでは追い込まれていなかった国々での民主的手続きによる条約批准というのはただ事ではなかったと考える。

 

   今後同様の政策を導入検討する国は増えるのだろうか。また、世界中で「デジタル通貨」の導入が議論されているが、ひょっとしてデジタル通貨の導入は、他国発行の強力な通貨の自国通貨化を促進するきっかけとなるのか。

   理論的にはYES

   中央銀行デジタル通貨(CBDC)である必要は必ずしもないと思う(中央銀行がこれにこだわる理由はある)。クレジットカード、デビットカード、その他日本でいう資金移動業が発達するようであれば、他国通貨の採用のハードルは著しく下がる。

   この点については、アルゼンチンのミレイ大統領が非公式にその経済理論を大いに参考にしたとされるニコラス・カチャノスキー教授が、「アルゼンチンのドル化は実現可能なのだが、難易度が低い順に、❶銀行預金、❷民間に流通しているアルゼンチンペソ(紙幣や硬貨)、❸中央銀行の資産(アルゼンチン国債)であるから、時間を掛けてステップを踏んでいく必要はある」と説明している。民間部門の決済(例:給与支払いや買い物)がすべて電子決済で出来るのであれば米国からドル紙幣を「輸入」する必要はなくなる。

   なんといっても③の❸が難題だが、⑵の②で触れた軍事政権下(アルゼンチンとチリに共通するヘンリー・キッシンジャーが暗躍したコンドル作戦下)の経済政策が参考になると考えている。背景として、ブラジルなど周辺国での左派政権誕生があるので、米国の大統領選挙の行方次第のところもあるが、再びIMFなどを巻き込んで、中銀負債の入れ替えを行い、それが完了したところで、フラクショナル・リザーブ・バンキングをやめさせ、中央銀行廃止というのは大いに現実的であり、リバタリアンとしてやってもらいたいことである。

 

2023年11月21日火曜日

アルゼンチンよ泣かないで~中央銀行のない世界

日本銀行どころか造幣局も印刷局もない世界というのは、なかなか想像できません。キャッシュレス決済がもっと浸透して、中国のデジタル人民元みたいなものがマイナンバー(カード)に紐づけられて、確定申告も要らない世界。便利な一面もありますが、私が親しくしている飲食店の経営者は一致団結して嫌がるでしょう。

昨日ご紹介の、アルゼンチン次期大統領でリバタリアン経済学者のミレイ氏は、このように中央銀行のない世界を最重要の公約のひとつとして掲げて決選投票を勝ち抜きました。

この場合に採用される通貨は、アルゼンチンペソに代わって、米ドルであることが事実上内定しているので、印刷局(注1)もリストラされることになります。

(注1)印刷局が、事実上のドル化の国で残っていることは通常ありえません。著者が知る限り北朝鮮だけが例外です。ただしこの場合の米ドルは偽札です。

補助硬貨の扱いがどうなりそうかは現時点で私は知りませんので、もしかすると、アルゼンチン版造幣局は完全にはリストラされないかも知れません。


中南米には、自国通貨を棄てて、したがって裁量的な金融政策やシニョリッジ(通貨発行権)を諦めて、米ドルを法定通貨とした国が三つあります。パナマ(1904年)、エルサルバドル(2001年)、エクアドル(2000年)です。

結論を先に言うと、今後ミレイ次期大統領が率いるアルゼンチンのお手本というのは、これら3ヶ国のなかにはなさそうです。ただし、金融政策の自由度を捨ててまで物価の安定を目指さざるを得なくなるまで追い詰められた歴史的背景として、一番近い事例はエクアドルかも知れません。逆に言うと、パナマとエルサルバドルは、エクアドルやアルゼンチンのような通貨危機、債務危機(ソブリンリスクの露呈やデフォルト)という背景では必ずしもなかったようです。

極端にドル化の歴史が古いパナマは、完成予定のパナマ運河の利権狙いで米国がパナマのコロンビアからの独立を支援したことが背景にあるようです。

そして、パナマはこの時点で中央銀行を廃止しています。今日参考にさせてもらっている林康史立正大学教授(注2)の論文によれば、ドル化について、米国の側からも正式に認められているのはパナマだけであって、残る2ヶ国については暗黙の了解に過ぎないのだそうです(注3)。

気になるのがエクアドルの事例です。ハイパーインフレに伴う経済と政治の混乱の末に、ドル化の道を選んだのですが、中央銀行は廃止されていなくて、何と金融政策を行っているというのです。ただし、理屈の上でも、現在の日本銀行が行っているような質的量的金融緩和(日本国債だけでなくETFのようなものまで買いまくって支払は民間金融機関名義の日銀当座預金にクレジットするというもの)は出来るはずがありません(誰が怒るかって、米国(FRB)が怒ります)。やっているとされる金融政策は、かつての日本銀行が主として「ブレトンウッズ体制」時代とそれに続く「金融(金利)自由化」までのあいだ行っていた(公定歩合などの)金利調節と窓口規制のようです。それでも、窓口規制の緩和で民間への米ドルの貸し出しが多くなった場合にそれが米国の決済システムに流出しないことが必要です。国際金融のトリレンマというのがあって、①為替相場の安定、②独立した金融政策、③自由な資本移動の3つが同時に成り立つことはないのです(前掲のマトリックスの右端を参照)。

今後アルゼンチンが、ドル化への背景は似ているとされるエクアドルはお手本に出来ず、背景が最も異なるパナマをお手本とするところが味噌です。


ぶっちゃけ、昨日今日のお話は、ただちに外国為替の投資に役立つ内容ではないでしょう。私の勤め先でも、チリペソとメキシコペソの取り扱いはあるのですが、アルゼンチンペソの取り扱いはなく(アルゼンチンペソを扱っているFX会社はあるのか???)、今後扱うことももはやないでしょう。しかし、通貨の価値とは何か?中央銀行とは何のために何をしようとしているのか?を深く考えたいときに、このたび地球の真裏に登場した稀にみるリバタリアン政治家(経済学者)は格好の切り口を与えてくれています。ミレイ氏の大胆で極端な社会実験の成功を私はこころから祈っていて、日本のお手本になってほしいと考えているのです。


ドル化などについては、手前味噌ながら3年以上たっても色あせない?以下のシリーズも御笑読みください。

【企画連載】金融の現場から見た「MMT(現代貨幣理論)」~現役FX会社社長の経済&マネーやぶにらみ①


(注2)林先生は、著者と時期は重なっていないのですが、BNPパリバ(銀行・証券)の大先輩で、元為替ディーラーなのです。ちなみに、著者は、当時を含めて為替のディーリング経験がなく、現在の勤め先でも為替ディーラーは雇っていません。なお、参考とさせてもらった論文は、「ドル化政策実施国における金融政策―エクアドル・エルサルバドル・パナマの事例―」というものです。ネットで検索が可能です。前掲のマトリックスもこの論文にあります(林先生のオリジナル)。

(注3)ところが、エクアドル中央銀行側からの説明によれば、ちゃんと米FRBに対して恭順な態度を示しつつ米ドルの供給を行っているとなっています。

”Services offered by the Central Bank of Ecuador

Exchange all types of US dollar bills and coins using the customer service counter and coin vending machines. Regarding the import of banknotes, we will supply dollars on a national scale in cooperation with the Federal Reserve System of the United States and guarantee the entire economic activity.” 

2023年11月20日月曜日

「アルゼンチンのトランプ」?リバタリアン経済学者のハビエル・ミレイ氏がアルゼンチンの次期大統領に

 X(旧ツイッター)界隈では、ドナルド・トランプ米前大統領が、ハビエル・ミレイ氏に祝福のメッセージを送っていることもあって、我が国でも保守系論客がざわついております。


去る今年8月の予備選挙で首位に立ったときも、同じようにトランプ前大統領からの援護射撃はありましたが、それでも「極右」(?)過ぎる主張や、中央銀行廃止などという現実離れ(?)した政策提言などで、さすがに決戦投票では政権交代は難しいのではないかというのが下馬評だったようです。

しかし、保守とリバタリアンはかなり異なります。共通点のほうが少ないと言っても過言ではありません。

ただ、保守主義にも、リバタリアニズムにも、それぞれ幅があります。それゆえ、議論を精緻にしようとすればするほど複雑でわかりづらくなってしまいます。

リバタリアンに近かった保守政治家ということで思い浮かぶのが、西側先進国では、マーガレット・サッチャー、ロナルド・レーガン、中曾根康弘ということになるかも知れませんが、この方々は小さな政府を志向していたかも知れないが、国益を第一と考えるゆえに、軍事と外交では存在感がありすぎました。きょうの本題のアルゼンチンとの絡みでは、どうも日本人にはピンと来ないフォークランド紛争という軍事介入をしでかしたのがサッチャー首相でした。結局、「戦争は別だ」という例外扱いを認めてしまうと、それを支えるための積極財政、裁量的な金融政策が必要となってしまい、リバタリアンは成り立たなくなってしまいます。

貧しい労働者や農民を救済するための考え方である共産主義が、「私有財産こそ貧富の格差(階級)という諸悪の根源である」という理念(理想)を背景にしているので、そのために為政者が私有財産を没収すると、気が付くと、ソ連の国民は、帝政ロシア期の労働者農民よりもいっそう喰えなくなってしまっていた、というのと、似ています。

純粋なリバタリアンが大統領選勝利という記念すべき本日くらいは、サッチャー、レーガン、中曽根という偉大な先生方を一旦忘れましょう。

なにゆえハビエル・ミレイ氏がドナルド・トランプ氏の応援を勝ち得たのかと考えるときに、移民政策についての考えがどうなのかというのが気になりました。

リバタリアンの代表的な経済学者と言えば、古くはオーストリア学派のワルラス、メンガー、ジェヴォンズ、ベーム・バヴェルク、新オーストリア学派のハイエク、フォン・ミーゼス、そしてシカゴ学派のフリードマン、ベッカーという系譜です。

原則なにをしても自由、他人による自由の追求(例:犯罪行為)のために自分の自由が脅かされる(自由と自由の衝突)場合には、自力救済(現行法で合法な正当防衛や緊急避難だけでなく仇討ちまで)もOKとするというのがリバタリアンですが、それでも完全な無政府主義は現実的(いますぐ)には困難なので、移民制限はやむを得ないというリバタリアンもいるようです。

しかし、親子鷹と呼ばせてもらいたいミルトン・フリードマンとデイヴィッド・フリードマンに言わせれば、「豊かな国(例:アメリカ合衆国)は貧しい国を援助する必要もないが、貧しい国からの移民を排斥する合理的な理由はない」と断言しています。これがリバタリアンの神髄です。

なお、ミルトン・フリードマンの薫陶を得たシカゴ・ボーイズという経済学者たちが、軍事クーデター後のチリ(アンデス山脈を挟んで本日本題のアルゼンチンと背中合わせ)のピノチェト政権の経済政策をリードし、デフレ圧力という副反応を伴いながら「チリの軌跡」と呼ばれた(自画自賛した?)経済復興を成し遂げたことにも注目です。

移民政策以外で、リバタリアンの間でも意見が分かれてしまうアジェンダとして、避妊や中絶の是非、麻薬、LGBT(同性婚など)、環境問題(SDGs、二酸化炭素排出規制)、新型コロナウィルス感染症に対するワクチン接種の是非などがあげられます。

日本で見てみても、X(旧ツイッター)やYouTubeにはいわゆるネトウヨを喜ばせる保守論客の配信や投稿が活発です。参政党ではないですが、アジェンダ毎に個々人で意見が分かれてしまうのはやむをえないので、暴力を伴わない内ゲバが起きてしまいます。これは左翼側と似ているのかも知れません。

ハビエル・ミレイ次期アルゼンチン大統領の(公約とまでは言えないものの)政治的スタンスをまとめると、

移民政策:不法移民、犯罪歴のある移民の受け入れに反対(リバタリアンとしての例外で、トランプの考え方に近い)
避妊や中絶:禁止すべき(強制性交によるものを含み、母体の命にかかわるものを除く)
麻薬:容認、無関心
LGBT(同性婚など):無関心
環境問題:SDGs、二酸化炭素排出規制に懐疑的ないし否定的
新型コロナウィルス感染症に対するワクチン接種:ワクチンの強制を否定

かなり簡潔にまとめたつもりですが、ほかにも米国、中国、イスラエルとの関係性などについても態度が示されておりますので、興味のある方はWikipediaをご覧ください。

(2023年11月20日現在、まだ日本語版のウイキペディアはありませんが、或る程度は自動翻訳や何かと話題のChatGPTも使えるのではないかと思われます)

ドナルド・トランプ前アメリカ大統領の政策を比較するとどうなのでしょうか?アメリカ第一のトランプの政策がリバタリアン的だったとは思えず、その真逆のナショナリズム乃至ポピュリズムというふうに見られてきていたと思います。しかし、改めて見直すと、大きな政府、小さな政府の違いや、(伸びきった)先進国アメリカと(栄華から落ちぶれた)後進国アルゼンチンという置かれた立場の違いが大きいわけで、トランプ氏とミレイ氏のベクトルはかなり同じ方向を向いていると考えられます。

であるにもかかわらず、内ゲバのさなかとは言え、ネット上で人気の日本の保守系論客のほとんどは、「トランプ推し」にして、ミレイ氏を同様に推すとは思えないのです。

日本でリバタリアンがほとんどまったく育たないことには様々な理由があるのでしょう。

最後に、経済、外国為替などもフォローするブログとしては、触れないではいられないのが、ミレイ氏は、自国の中央銀行の存在をも否定する政治家であるという点です。

ちなみに、私個人は、日本銀行の職員は皆頭脳明晰で良く働いていると思うのですが、結果として、自国通貨を防衛しているのか?物価の安定に貢献しているのか?日本経済の舵取り役として必要なのか?そもそも日本経済の舵取りは日銀なのか?疑問に思っています。

このあたりは、各国の中央銀行がどのような時期にどのような(隠れた)目的で設立してきたのかなどを紐解くと薄っすら見えてきます。





2023年11月13日月曜日

イランのマネーロンダリング疑惑。果たして目的はハマスとヒズボラなのか???

 皆さん、この写真ですが、①どこの国でしょうか?②どの町でしょうか?③そして中央のガラス張りは何の建物でしょうか?


答えは、①イラン、②首都テヘラン、③イラン中央銀行(1979年のイラン革命以降の正式な名称は「イラン・イスラム共和国中央銀行」
です。

日本銀行の旧館は日本橋の街並みに溶け込む素敵な文化財ですが、この写真と比較をすると言葉を失います。

イランの一人当たりGDPは、後者だと $19,942で世界第83位。日本は、$52,120で同第34位です。やれ韓国に抜かれただなどと威勢があがらない統計ですが、こちらは円安の影響をどちらかというと受けづらい購買力平価ベースの数字である点に留意です(2023年のIMFによる推計値)。

イランの中央銀行がこんなに豪奢なビルを建てられるのも石油のおかげなのかと勘繰ってしまいます。かなり古い統計ながら、2007年にイランが「稼いだ」外貨準備700億ドルのうちの8割は原油の輸出から得られたものだそうです(英語版Wikipedia)。ではイランの石油関連の(純)輸出の推移はどうなっているのでしょうか?

こちらの棒グラフが、イランの年次の石油関連の「純」輸出です。石油関連には天然ガスも製品も含みます。イランの場合だと、原油も天然ガスも純輸出国で石油製品は純輸入国、総合で(世界第7位の)石油関連「純」輸出国なのです。

バイデン政権で解除されたトランプ時代の経済制裁の効果が素直に表れているように見えますが果たして実態はどうなのでしょうか?

(石油関連純輸出量ランキング)
(石油関連輸入量ランキング)


何故、下向きかというと、(中国、米国、)日本などの「純」輸入国の「純」輸入量が上向きに出ているためです。

このような出し方をしてくれているのが、世界のエネルギー・気候統計 - 年鑑2023というサイトです。

日本は2011年の東日本大震災による原発稼働停止の影響にも拘わらず、原油や天然ガスの輸入を減らしてきているようにも見えます。この点についても、考察したいのですが、今日の本題はイランのマネーロンダリング疑惑なので、深入りを避けます。

一方、この間、輸入をグングン伸ばしてきたのが中国です。

中国についても国策の不動産バブル崩壊、習近平の独裁基盤強化と閣僚の相次ぐ更迭に李克強の謎の死など経済全体のメルトダウンについて見ていく必要があるのですが、これも措きます。

イランが何をしたいのか?

これを考えるきっかけになったのが、週末目にしたウォールストリートジャーナルの記事でした。

記事を要約すると、
①ガザ地区のハマスは、イランからの送金を、ハワラという手段で(銀行システムを頼らずに)受けていた。
②ハワラのハマス側受取人司令官がイスラエルによって狙い撃ちされて死んだ(2019年)。その後任は、足が付きやすい(?)ハワラのかわりとして、暗号資産を使うことにした。
③2023年10月のテロ攻撃までの間にその軍資金としてハマスが受け取ったもののうちイスラエル当局が差し押さえたものは143百万ドル(米国側情報では、イランからハマスへの「義援金」は毎年100百万ドル)
④ガザ地区にはハマス御用達の暗号資産取引所(仮想通貨交換所)がいまだ活動中であるほか、ガザ地区に帰属する暗号資産のウォレットは経済制裁下のロシアの交換所Garantexにもあるし、Binanceにもある。
⑤イスラエル当局によるAMLCTFから逃れるため、ハマスのウォレットはしょっちゅうアドレスを変えたり、匿名性の強い暗号資産へシフトしたりしているが、ドル建てのステーブルコインは良く使われている。

ここで、米国側としては、マネーロンダリングもテロ資金供与も不都合なものでしょうが、前者と後者は区別しなければなりません。イランからハマス(やヒズボラ)への送金は、ハマスやヒスボラをテロ組織と定義したとして、テロ資金供与にはなりますが、マネーロンダリングを行ったことにはなりません。イスラエルは、10月のハマス攻撃までは、ガザ地区は(ヨルダン川西岸地域とは異なり)ユダヤ人が入植しない二国家戦略でハマスとは言わないもののパレスティナ自治政府による実行支配については黙認していたわけです。しかし、国連加盟国という定義では国はあくまでイスラエル国なので、その権限で、送金の受取の制限をしていたという構成になるのでしょう。

ハワラというイスラム圏(およびインド圏)にとって中世以来伝統の資金移動業そのものがCFTにひっかかったり、ましてやAMLにひっかかっているわけではありません。

ハワラは、日本でも銀行制度が整うまでの遠隔地の送金を為替手形を使って行っていたのと似ていますが、為替手形という有価証券すら存在しないのだそうです。身内~村社会的なコミュニティを構成する資金移動業者間の約束(帳簿)と暗号(秘密鍵)を用いて送金の仕向と被仕向がなされるようです。

地下銀行に例えることもできますが、地下と言っても、イスラムの慣習法上、違法な取引ではありません。

私の記憶では、ホロコースト下のドイツなどヨーロッパ各地のユダヤ人がアメリカへと急ぐ前、財産だけも先にアメリカに送っておこうということで地下銀行のような組織が使われたと聞きます。慣習と私的自治に基づき免許や特許に基づかない資金移動業はイスラム側にもユダヤ側にもあったというのは興味深いではありませんか。

それで、この記事を読んで思ったのは、イランがハマス(やヒズボラ)にどうやって資金や武器を送っているかというのは本筋ではないのではないか。それよりも、イランは米国(側)の経済制裁下で銀行のドル預金(決済)にアクセスできないにもかかわらず、どうやって経済活動を維持して、さらにそのうえで、多額の援助をテロ組織に対して行えているのかということです。

石油を何とか誰かに買ってもらえないかというイラン側のニーズと、米国に黙ってこっそりイランの石油を買えないかという石油純消費国にニーズがマッチするところに、ようやくマネーロンダリングのニーズが出てくるわけです。

問題は、米国の対イラン経済制裁に参加しない陣営もそこそこあるわけですが、ざっくり言うと、石油の純輸出国が多いのです。上述の(石油関連純輸出量ランキング)が参考になります。(旧)ソ連同盟国が点在する中東や中南米の石油純輸出国たちにはマネロンのニーズがありません。

そこで急浮上してきていたのが中国です。しかし、中国が工業製品やレアメタルの輸出で稼いだドルの一部をそのまま、米国(側)のドル決済(例:SWIFT)を利用してでも、イランの原油仕入れ代金として送金する必要があるでしょうか?人民元で良いはずです。いままでのところは。

日本としてもイランやロシアの石油や天然ガスを喉から手が出るほど欲しいところですが、核を持つインドのような勇気ある行動は日本にはとれません。米国に「No!」と言えないのは宏池会出身の岸田文雄首相のせいだというのはちょっと可哀そうすぎます。実際、「公式の」統計を信ずれば、イランの供給減も、日本の需要減も見て取れます。

中国ほどではないものの需要が堅調なのが欧州です。ドイツやスペインがどうやっているのかは気になります。


データと記事をちらほら見たうえでの雑感に過ぎませんが、前トランプ米政権によるイラン核合意からの離脱と米国(側)経済制裁による「西側」結束というのは、原油や天然ガスの運搬そのものへの制限と監視という意味では効果絶大だったでしょうが、中国、インド、闇市場まではどうすることもできない。それを更に担保するためのアンチマネーロンダリング監視というのは効き目があったとは思えないと見えます。

それでもアンチマネーロンダリングがまったく無意味というのも間違いであることを示す同じくウォールストリートジャーナルの記事も関連してありました。

本来、米国(側)のKYC(本人確認~犯罪収益移転防止法)に与する義務を負っている欧米の巨大銀行が、ハマスに実質的に帰属する加盟借名口座を開設してあげていたというものです。


やはり、イランとしては稼いだドルをドルのままハマスに送金したいというニーズもあるようです。







2023年10月23日月曜日

ハマス奇襲を許したのはモサドの弱体化なのか?ネタニエフ首相の怠慢なのか?

去る10月10日の「第五次中東戦争か?第三次世界大戦か?」は、いつも以上に多くの方々にお読みいただき、ありがとうございました。

この内容に基づいて、アヴァトレード・ジャパンが珍しくスポンサーをしているWiLL BizというYouTubeチャンネルで、同編集長の山根真さんの見事な司会にいざなわれるかたちで、この内容をお話してきました。


こちらもまたありがたいことに、WiLL Bizのコンテンツのなかでも、少なくともわたくしの登場回のなかではダントツの反響を得ることが出来ました。WiLL Bizのチャンネル登録者にはわたくしと考え方がかなり異なるコテコテの保守派の方もおおぜいいらっしゃり、アンチコメントもこれまで多かったものでしたが、今回はそうでもなかったのが特徴です。

お時間の許す限り、是非ご覧いただければと思います。

さて、現時点においては、10月7日(土)のハマス奇襲が未曽有の規模のものとして「成功」してしまった理由として、

①世界に冠たるイスラエルの諜報機関ハマスが弱体化していた。または油断があった。
②弱体化は言い過ぎだが、圧倒的に進化した同国のデジタル技術による諜報活動(≒シギント)に頼りすぎて、人間関係に基づく諜報活動(≒ヒューミント)が弱体化するなど油断があった(対するハマス側は、電磁的交信手段に極力頼らずに作戦準備をしていたい)。
③実はモサドは(意外にもイスラエルと友好関係を築いている)エジプト発の本件兆候を掴んでいたが、それを報告したネタニエフ政権が無視をした。

これら諸説の乱立は、「9.11」直後の陰謀論の既視感すらあります。「現時点において」と書いたものの、この先も事実関係が解明されるのかどうか怪しいものです。

「情報収集」にとどまらず(しばしば要人の暗殺などにも及ぶ)「工作活動」までをもミッションに含む強力な諜報機関は、専制政治の国ではいくつも例があるが、民主政体の国では現在ではイスラエルだけだと、以下のTBSの動画で、陸上自衛隊小平学校で教鞭をとったこともある落合浩太郎東京工科大学教授が語っています。


確かに、モサドの「名声」を世界的に高めた逸話として、ミュンヘンオリンピック事件(1972年)への報復、ゲシュタポのユダヤ人移送局長官だったアドルフ・アイヒマンを逃亡先のアルゼンチンまで突き止め拘束し、ベングリオン政権下で絞首刑にした「手柄」などがあげられます。なお、ベングリオン首相は、日本赤軍によるクーデターでも有名になってしまったテルアビブ空港の現在の名前となっていますが、一説には、JFK(こちらも空港の名前に)暗殺の黒幕だとも言われています。

しかしいっぽうでCIAが、ピッグス湾事件(1961年)や、チリのクーデター(1973年)のような事実上の工作活動から冷戦終結後は足を洗ったと言えるのかどうかわたくしにはわかりません。前パラグラフで触れたJFKについては、CIAではありませんが、FBIの初代かつJFK政権時もその長官であったフーバーが黒幕という説も濃厚です。

米国とイスラエル(そしてロシアやイギリス)はさておき、日本の情報機関は、戦後については「工作活動」までは行えていないような印象はあります。日本の情報機関については、どうやらTBSのドラマ「日曜劇場Vivant」で注目を集めたようです。

目下の中東問題について全力でアップデートしつつ、日本の情報機関の構造と歴史と問題点について集中して開設した以下の動画が非常に優れていると考え、最後に共有したいと思います。

平和ボケという点では、当然我々はイスラエルを笑える状況ではないので、安全保障に興味のある皆さま是非ご覧ください。






 

2023年10月10日火曜日

第五次中東戦争か?第三次世界大戦か?

ちょうど50年前のほぼ同じ日に始まった第四次中東戦争は、イスラエル建国以来それまでの3度の戦争と比べ、エジプトやシリアなどによる奇襲が奏功したこともあり、最終的にはイスラエル側勝利とされているものの、イスラエルの被害は大きく、死者は2500人ないし2800人にのぼったと言われています。

対して、50年ぶりの奇襲攻撃で、はや900名以上の犠牲者が出ていて、ガザ側(≒ハマス側)よりもその数が多いと推測されている事態を、イスラエル版9.11と恰も晴天の霹靂だったと表現する人が多いのは頷けます(※)。

イスラエルは(四国と同じぐらいの国土・・・ただし地形は大いに異なる・・・に)約1000万人が暮らす国です。

日本との人口の比率を考えると、北朝鮮から飛翔するミサイルがせいぜい脅しでまさか東京に着弾することはないだろうと思っていたところ、そのまさかが現実のものとなって、いきなり9000人以上の一般市民が犠牲になり、またそれに加えて大勢の拉致被害者が出たくらいのインパクトがあります。

日本にも来てくれたことがあるグローバルCMO(グループ全体のマーケティング責任者)は、わたくしとほとんど年齢が変わらないオッサンですが、そんな年齢でも予備役にあるのです。まだ確認することが出来ていませんが、彼がすでに臨時招集されている可能性は大いにあります。

イスラエルを主人公または悪役あるいは狂言回しとした中東戦争は、第二次世界大戦終結後はおよそ10年おきに発生していました。この50年間は、平和と自由、ゆえに多様性や研究開発や経済活動に安心してのめり込めていた時期だったと考えられます。

いっぽうで、イスラエルの政体が何故そうなったのかはわからないのですが、日本とは大きくことなっています。どちらも歴史的経緯からして英国議会を範としていそうな気がするのですが。イスラエルの議会は一院制で比例代表の全国区しかないのです。にもかかわらず、奇跡的に、長い間、二大政党制による政権交代が実現していたところ、近年は少数政党乱立という欠点が現れ、連立協議がまとまらず政権が成立しないため国政選挙のやり直しという事態がなんども続き、気が付けば、汚職まみれのネタニエフ氏が復権したということがありました。

このような環境のなかで、世界最強との呼び名が高い諜報機関モサドが気が付けば弱体化していたのも、今回の原因なのではないかというのが、以下の動画で解説されています。 アヴァトレード・ジャパンは、いま、同チャンネルの弟分とも言えるWiLL Bizのスポンサーをやっていますが、ここのところ、岸田政権の経済政策の話や、不動産相場問題など、ぶっちゃけあまりパッとしない内容のものが多くて、スポンサーシップどうしようかなと悩んでいたところでした。しかし、1年半まえには、ウクライナ問題についてダボス会議でのヘンリー・キッシンジャー対ジョージ・ソロスの激論を見事にまとめてくれていた白川司さんが、ここで展開してくれている内容は見事です。国内の一般のメディアの扱いが過少だったり偏向があるのに対して、右は右でも、ディープステート批判なども扱う当該メディアとしては、わかる範囲で中立公平な分析を提供してくれていると思い、引用させてもらいました。

偏向と言えば偏向なのは、トランプ時代は中東政策はうまく行っていたが、バイデン政権になりぐちゃぐちゃになった。大きなポイントは、イラン(ゆえにハマス)に対しては強硬で良かったのが宥和となり、ロシアに対しては宥和で良かったのが強硬となったことが原因という切り口。ただし、イスラエルとサウジアラビアその他湾岸諸国の仲を取り持ったのはトランプ政権下の話なので、トランプが善玉で、バイデンが悪玉というほど事は単純ではなさそうです。

テルアビブに数回出張に行かされた身分としては、一番のショックは、ガザ地区からテルアビブ市までの距離はそこそこあり、これまでのハマスによるテロ活動はガザ地区にもっとずっと近い地域での小規模な被害に限定されていたのが、ずいぶんと飛行距離の長い優秀なミサイルを突如(しかし用意周到に)ハマスが手に入れていたことです。

この驚きは、多くのテルアビブ市民に共有されていると思われます。日本のいわゆる平和ボケと比べるのは相当ではないものの、第四次中東戦争(冒頭紹介した石油ショック~トイレットペーパー品切れをもたらしたあれです)を幼少時に体験した同僚も、あのときの緒戦よりも今回のほうが格段にショッキングで(倍返しは間違いなくするが現在のところ)いつにない劣勢を感じると述べていました。

このような状況でも、アヴァトレードのサーバやポートなど通信機器はすべてイスラエル外にあるため、日本では祝日の昨日も問題なくサービスは継続しています。

いま思うと、アヴァトレード本社のウエブサーバへのDDoS攻撃(対応済)が頻発していて、これもハマスやヒズボラのテロ資金稼ぎだったのかもと勘繰りたくもなりますが、MT4/5サーバには何の影響もなかったことは、すでにお知らせなどで公表していたとおりです。

話が飛びます。

私はすでにアヴァトレード・ジャパンの社長を10年以上務めて、なかなかビジネスの基盤づくりに苦労した時期が長かったですが、ようやく近年、パートナーの方々にも恵まれ、同僚の成長もあり、また金融当局による温かいお見守りもあり、独特の成長モデルを作る目途がたってきたように思っています。忘れてならないのは、アヴァトレードの経営哲学で、なかなか日本でも世界でも見られない方針でやっています。その方針の基礎になっているのが、二人のオーナー家の慧眼だと思っています。たまに話をするのですが、3月に出張に来た前CEOとは、前述の、イスラエルの選挙制度(議会制度)の問題について、日本料理に舌鼓を打ちながら話をしました。選挙制度(議会制度)の結果で、物事を決められない機能不全の国家像と今日発生してしまった悲劇と無関係とは言えないとは思うのです。

かと言って、どちらかと言えば、ナポレオン、ビスマルク、、、スターリン、毛沢東、ヒトラー、、、エルドアン、習近平のようなタイプのリーダーが常に望ましいかというとそうではないとも思います。

このあたりが難しいところで、強力なリーダーシップの一長一短については、ひとりでも多くの選挙権、被選挙権を持つ国民が、各地域の紛争の歴史から、先入観なしに学んでいくのが正しいアプローチなのではないかと。

あと二年そこらで還暦になるので、人生第三コーナーからはそちらの分野で何か役に立ちたいという話も、イスラエルから出張者が来るときにはしているのです。

物事の考え方が真逆(だが一方で日猶同祖論も人気の?)ユダヤ人とくんずほぐれつ10年間やってきた経験も生かせると考えています。

が、考え方が真逆と言っても、知り合いの命が奪われたり、自分の命も危ないという状況へと人生が暗転したときの不安心理は、人類共通です。

ユダヤ人らしからぬユダヤ人として、イエス・キリストと並ぶ(?)カール・マルクスは、「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」(共産党宣言)と嘯きましたが、それだけではなかったと思います。富を巡る戦いを階級闘争の延長として捉えることは可能かも知れませんが、宗教戦争のすべてを階級闘争で説明するのは無理があります(十字軍遠征のように説明できるものもある)。

人類の多くは最初は多神教を生み出したと考えられますが、それが今日まで大きな形を変えずに温存されているのは日本を含めあまり多くはなく、ご存じのように、旧約聖書を共通の経典とする3宗教(一神教)が人口では今日まで圧倒してきたわけです。多神教や仏教では戦争が起きないとは言えません。この話を突き詰めていくと、憤慨するユダヤ人もいますが、ユダヤ人の側から一神教がいけないんだよ(と言いながら無神論者になったわけでもない)有人も結構いまはいる点は是非申し添えたいと思います。

イスラエルがウクライナへのスパイウエア提供を断る

※この原稿を執筆中に、親会社の同僚と電話会議をしましたら、ニューヨークと行き来している人物によれば、同じ無差別テロとは言え、一点集中だった9.11よりも、広範囲かつ断続的にミサイルが飛んでいているいまのイスラエルの状況のほうが酷いという評価だそうです。また、ちょうど話していた相手の出身の集落の知り合いがすでに少なくとも10人は亡くなっている。さらに、私が一番親しくしている(が条件交渉の相手としては厳しい)同僚は、家族のうち彼の父親だけが防空壕に逃げ損ねて一昨日亡くなったという悲しい知らせもありました。

2023年7月3日月曜日

ジョージ・ソロスとその師匠カール・ポパー∽反証主義と弁証法の近親憎悪

 マルクスとエンゲルスの迷言集

 ジョージ・ソロスは自らが創設した協会(財団)に「開かれた社会」(オープン・ソサエティ)と命名したのは、ジョージ・ソロスがロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)その薫陶を受けたカール・ポパーの代表的な著作「開かれた社会とその敵」に負っています。

 「開かれた社会とその敵」の「その敵」とは、まず前半ではプラトン、そして後半ではヘーゲル、マルクス、つまり弁証法とヒストリシズムです。ヒストリシズムは日本語にどう訳すれば良いのか難しいところですが、これは決定論的な歴史主義とでも言ったところです。カール・ポパーは、プラトンに見られる全体主義的なものの考え方へと同様、決定論的歴史主義へも徹底的な批判を展開します。

 注目すべきは、カール・ポパーとしては、決定論的歴史主義をあたかも裏付けているような弁証法まで気に入らないとしているところです。

 弁証法については、このブログで、何故か訪問者数がベストテンにのぼる毛色の変わった弁証法入門コンテンツもあるので、かなり悪趣味だと自戒しますが、参考までにリンクを貼らせてください。

 ベートーヴェンとヘーゲルが同い年だったという浅田彰氏の指摘

 マルクスやエンゲルスの特徴をヘーゲルとの対比で申し上げると、弁証法と唯物論を結びつけることで、特に、資本主義社会の内部崩壊は必然、社会主義や共産主義への相転移(≒革命)も必然と言い切ってしまっているところです。唯物論が間違っているとは言いませんが、観念論VS唯物論は哲学上決着がないアジェンダなのですから、一方的に観念論が間違いで唯物論が正しいと言い切ることが間違いなのです。

 このようにマルクスというのは「経済学者」(?)、社会思想家としてはなかなか問題の人物ですが、コピーライターやアジテーターとしては一流です。

 「すべてを疑え」

「宗教はアヘンだ」

 とくにこのふたつの警句が私のお気に入りです。

 前者は、本来の弁証法の元祖とも言えるソクラテスの「無知の知」を彷彿とさせます。カール・ポパーは、(プラトンとは異なり)知的謙虚さという観点からも、そしてカール・ポパーが科学的命題と似非科学的命題の線引きとして提案した反証可能性というものの考え方とも馴染みます。一方、マルクス自身は、後者の警句とも関連しますが、自分の考え方とわずかでも差異がある思想家や革命家に対してはリベラリスト大同小異とはせず、歯に衣着せぬ批判を展開しました。そして後者については、マルクス主義そのものが宗教に成り下がってしまった。布教への執念と異教徒に対するよりもむしろ宗教内の異端の派閥や宗旨に対する攻撃のほうが激しい点も、一神教のインターナショナルな宗教と似ています。内ゲバで殺された人のほうが宗教戦争で殺された人よりも多いのだそうです。

 「マルクス主義者にとってマルクス主義はアヘンだ」と皮肉ったのは、経済学者サミュエルソンです。

 マルクスと一枚岩だと思われがちなエンゲルスは、イギリスの工場主のお坊ちゃんで、マルクスに心酔するわけです。エンゲルスの名言(?)集から。

 「サルとヒト、その群を分けるのは、労働である」

「ひとつのものにとっての善は、他のものにとって悪である。」

「愛情に基づくものが、道徳的な婚姻ならば、愛情が続くものだけが、道徳的な婚姻である」

 最後のだけは、広末涼子さんあたりに聞かせてあげたい気もしますが、総じて、意味不明で論評に値しないと言わざるを得ません。そんなエンゲルスが、マルクスの死後に書いた大作に、いま話題にしている弁証法を題材とした「自然の弁証法」という書物があります。

 反証主義と弁証法の近隣憎悪

 弁証法とは何を指すかというのは、哲学者によってまちまちなようで、やはり、マルクス出現以降は、どうしても、

 「資本主義は自らが孕む矛盾によって自己崩壊し必然的に社会主義その先共産主義へと相転移する。」

 「これは科学的で論理的な結論である。」

 このような決めつけこそが現代的で狭義の弁証法だということについついなってしまっていたのではないかと???

 マルクスを妄信し溺愛した心優しいお金持ちエンゲルスは、マルクスの死後に、マルクス理論の普遍性と正当性を担保したいという一心で(←たぶん)「自然の弁証法」という大著に取り掛かります。残念ながら未完成で、エンゲルスの生前には出版に至らなかったのですが、これは本末転倒の問題作ではないかと。

 「自然の弁証法」の「自然」とは自然科学の自然です。曰く、社会科学においては(いわゆる文系の諸学問を社会科学と呼ぶこと自体が暗にマルクス理論の影響を受けまくっているのですが)マルクスのおかげで弁証法の適用と唯物論との結びつけによって社会主義(へと必然的に移行するという予想が)「空想から科学へ」と真価した。実はこの弁証法というのは人類社会に対してだけでなくもっと普遍的に自然界の分析にも応用が利くものであると。

 私は、この点で、カール・ポパーが「開かれた社会とその敵」でヘーゲルとマルクスとそれらの弁証法を批判したやり方ほど手厳しくないのですが、弁証法は、自然科学の分野では、もともと、結構役立っていて、実は、カール・ポパーが、イギリス経験論へのアンチテーゼとして唱えた「反証主義」とかなり近しいのではないか?

 研究不足の門外漢が言うとお叱りをうけることを承知で言わせてもらうと、カール・ポパーにとっては、マルクスは(人道主義の面の皮を剥がせば最悪の全体主義に他ならない)社会主義社会を煽ったということで、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いということで、弁証法をコテンパンにやっつけたかったというところがあるのではないかとまで考えています。

 ジョージ・ソロスの「再帰性」はかなり自然の弁証法だ!?

 そして、カール・ポパーのことを誰よりも師として仰いだジョージ・ソロスも、もしかするとそのことに気が付いていたのではないかと。幾分かはカール・ポパーの哲学を微修正しながら取り入れたと考えると、ジョージ・ソロスの投資家としてのアプローチ、就中、ジョージ・ソロスの「再帰性」という考え方が頗る弁証法と無矛盾であることにも納得がいきます。

 オープン・ソサエティ、開かれた社会を志向することは、政治においてはより小さい政府、規制の少ない市場経済、究極は国境のない世界という理想像が見えてきます。ところが、ジョージ・ソロスは、本音こそわかりませんが、「再帰性」という独自の哲学、これはもちろん彼の市場哲学を包含しているわけで、これを説くときに、もともとの新古典派経済学というか、カール・ポパーと同時代のオーストリア学派の経済学者でリバタリアンと呼ばれる人たちの、市場に任せるべきだという考え方を全面的に肯定すべきではないのだ。人間はその自らが属する社会を観察し認識し反応する。社会を、労働力を含む商品とその相場という側面で見ると、価格を見て高いか安いか認識し、買うか売るか決める、その行為がまた市況へとフィードバックされて云々という動き、ジョージ・ソロスが「再帰性」という表現するのはここであって、実にこれは複雑系なわけで、放っておけば最適解に導かれるという綺麗なものではないというわけです。

 ちなみに、現在の新古典派の正統派経済学者のちゃんとした人たちの間で、自由な市場に放っておけば市場経済参加者最大多数の最大幸福が持たされるなどと言っているひとは居ません。

 複雑系にはレベルがあります。天気予報は技術の進歩で正確さは日進月歩ですが、線状降水帯を当てるのはまだまだ難しいとされています。これは気象という現象が複雑系だからです。

 これに比べると、交通渋滞はそこまで複雑に思えないので、予想がしやすそうですが、その予想を見て、例えばゴールデンウイークの何日目に帰省から戻ろうと考えていた人が曜日をずらすとかいうフィードバックが起きてしまい、その効果、さらにはそれによる予想の変化、そして再フィードバックを考慮して、となってくると、もとの複雑さは気象現象ほどではなかったのに、不可知性という点では、天気予報よりも高レベルの複雑系となってしまうというわけです。

 ジョージ・ソロスが「再帰性」という概念で示した市場の歪みと投資手法というのはまさにそのような複雑系としての市場、市場メカニズムは完ぺきではないという洞察を含んでいると見ます。

 しかし、ジョージ・ソロスの外国為替相場での巧みさのコツがこの再帰性の認識だけなのかというと、それはかなり違うのではないか、と私は考えています。

 カリスマ化した一流シェフが、コンビニチェーンと組んで企画商品をプロモートすることはありますが、門外不出のタレの製法まで教えることはありません。ソロス本を読んでも、家の台所ではタレは作らせてもらえないのでしょう。

 現代のルネサンス男、カール・ポパー

 カール・ポパーは、バートランド・ラッセルと並ぶ20世紀最大の知の巨人だという人が大勢います。その活動範囲は、哲学にとどまらず、数学(確率論を含む)、物理学、政治学、経済学、心理学と多岐に及びます。面白いのは、カール・ポパーが自ら編み出した「反証主義」を進化論に当てはめている部分です。ご存じのように、生物の種の進化の原動力は、突然変異体の出現です。多くの場合それは奇形だとして長生きできなかったりするのでしょうが、たまには、突然変異体のほうが環境に適合する場合があり、同じような突然変異体の濃度がある閾値を超えるようなことがあれば、新しい亜種や種が成立して、場合によってはコピーエラーがなかった伝統的な種を片隅に追いやるという場合もあるというわけです。カール・ポパーは、突然変異体の出現を新しい仮設と看做し、その反証に耐えうるかどうかの対象が伝統的な種である。進化とはまさにしばしば現れる突然変異という反証の機会(反証されるかどうかは場合による)を経た試行錯誤の過程であり漸進的なピースミルワークなのだと言います。

 最後のところ、漸進的なピースミルワークなのか、革命的な相転移なのか、これは何百万年、何千万年という気の遠くなるような時間軸で見ないと判断が出来ないところですが、もうお分かりいただいているように、進化論的認識論に限っては、反証主義と弁証法との間に大きな違いはないように思えます。

 最も重大な問題は、種の進化は進歩なのか?社会構造(マルクスやエンゲルスが言うところの生産関係)の変化は人類の進歩なのか?というところです。視聴者の皆さんは、後者の問いに対する答えが否であることは良くご存じです。前者についても、昔は、人類は万物の霊長であるなどと言われていましたが、5億年以上も前から、ひたすら正確な遺伝子のコピーを行い続け、こんにちも元気に、ひ弱な人類と共存しているような決着のつかない戦いを続けているような古細菌やウィルス(←生命と看做されるかどうかについては議論あり)に思いを馳せれば、進化しまくった人類が偉くて、進化を一切拒否した微生物が劣っている、後者は人類の奴隷として医薬品や発酵食品づくりに役立つか根絶すべき病原体かのどちらかだという見方はもう古いと言わざるを得ません。

 リベラルアーツは反証主義と弁証法をアウフヘーベン(止揚)する!?

 カール・ポパーは、開かれた社会と小さな政府と試行錯誤過程による(劇的革命ではなく)ピースミルワークによって社会を改良していくべきだという自由民主主義者ですが、若いころにはマルクス、エンゲルスにどっぷり嵌った。これは決して無駄ではなく、以降、哲学史どころか人類史における全体主義的な思考・志向が何に由来するのかについて、より鮮やかに説くうえで、役立っていると自己評価します。

 カール・ポパーが語られるときに、ほとんど取り上げられないのが、その共産主義活動の若い時期に、音楽家を目指して、クラシック音楽史で言えば、現代音楽の最重要作曲家のひとりであることが間違いないシェーンベルクの「私的演奏協会」に入会していたことです(注1)。

 このころのカール・ポパーの発言によれば、彼のお気に入りの作曲家は、バッハであり、モーツァルトであり、はたまたシューベルトであった。いっぽう嫌いな作曲家はワーグナーとリヒャルト・シュトラウスであったそうです。ドイツ語圏の作曲家以外にはどうも言及がなかったようなので、ドビュッシーやヴェルディのような作曲家に対してはどう思っていたのかは気になります。

 カール・ポパーは、ウィーン版民青と同様、熱しやすく冷めやすいと言ったところで、このシェーンベルクのインナーサークルとも決別します。音楽家としての将来は(哲学者、数学者、心理学者などと比べ)ないと考えた点もあるでしょうが、重要なのは、そのシェーンベルクの私的演奏協会の「命題」というのがあったそうで、

     いかにしてわれわれはワーグナーにとって代わることが出来るか?

    いかにしてわれわれはわれわれ自身のうちにおけるワーグナーの残滓を捨て去ることができるか?

    どのようにしたらわれわれは万人に先んじ続けることができ、また絶えずわれわれ自身の先を越すことさえできるか?

 ぶっちゃけ、このような囚われ方にあきれてカール・ポパーはシェーンベルクの(取り巻きたちの)もとを去ったと言われていますが、①~③は、音楽家として生活の足場を作る、音楽史に名声を残す、音楽にも弁証法的な進歩主義が当てはまると考えるのなら、まったく理解できないことではないのかも知れません。果たしてどうでしょうか???

 カール・ポパーが最も尊敬する音楽家であるバッハについてですが、YouTubeに、バッハの代表的な楽曲のさわりの部分を、年代順に、10歳代から60歳代まで並べて流してくれているとてもありがたい動画があがっていました。これを聴いて(視て)驚いたのですが、天才と言われている大抵の芸術家は、確かに早熟だったかも知れないが、10歳前後の作品には「才能の片鱗を感じるが、まだまだ荒らしく、完成度は云々」などと職業評論家に評され、最晩年の作品となると「多少枯れてはいるが円熟の域に達しており云々」というおきまりのパターンが普通なのに対して、バッハの場合というのは、これは被験者の選定が難しいですが、クラシック音楽がある程度好きだが、超バッハおたくではない、バッハの音楽については耳にしたことがあっても、楽曲名まで当てられない、ましてや作曲年代については知識がない程度の被験者をなるべく集めてきて、サンプル音源を、若いほうから順番に並べてくださいという問題を出したとしましょう。たぶん、被験者グループに間違って潜り込んだ作品番号暗記している級のバッハマニア以外は誰も正解はできないことでしょう。

 これはすごいことで、野球で言うと、高校卒のルーキー投手がいきなりプロで二けた勝利をあげた。二年目のジンクスも克服した。その後、あれよあれよと毎年10勝以上して、二十歳代と三十代を通じてたいしたスランプもなく、40前後でもうそろそろほかのことがしたいからという理由であっさり引退みたいな話です。

 バッハは作曲を始めた子供のころから成長も後退もしていない!

 音楽ではありませんが、絵画で言えば、例えば日本でゴッホ展やピカソ展があったりすると、各展示室には、作品年代ごとの作品が整然と置かれ、それぞれの年代の特徴や背景などが解説されているのが普通です。多くの芸術家は、その足跡をたどることによって、成長や変化、それはときには漸進的だが、ときには(エンゲルスの言う「量的変化が質的変化を」みたく)非連続的というか革命的なものとして見て取れるものです。これに対して、バッハの音楽は、生まれたときから、もはや進化の余地もないかわりに退化のきざしもないすべて百点満点の答案でぎっしり満たされているというわけです。

 確かに、先述のシェーンベルグは音楽史にはっきりと名を刻む現代作曲家です。かれの功績は音楽理論的に言うと、十二音法を編み出したこととされています。このおかげで、われわれ現代人は、映画やテレビのドラマや報道番組で、歌として聞いたらまったく旋律的でないが無意識のうちに情景に引き込まれる新しい音楽を享受できています。しかし、この十二音という音楽というか旋律はすでにバッハはやってくれていたのです。

 唐突に結論。歴史を学ぶことも優れた芸術作品に触れることも良いのですが、これら、つまり自然科学以外の人間の営みに対して、弁証法的な進歩史観を持ち込むのはナンセンスであり、さらに言えば危険であるということです。

 哲学についても音楽学についても門外漢である私の不正確な説明をここまで許してくださりありがとうございます。たまたま、カール・ポパーにとっては、進歩主義的な歴史観(が人類を救うのではないか)、進歩主義的な音楽史観(がアンチセミティックなリヒャルト・ワーグナーをぎゃふんと言わせられるのではないか)、という熱病に一瞬侵されつつもそれを克服したとこから、彼の反証主義と開かれた社会への志向がはぐくまれていったことに言及がしたかったのであります。

 (注1)       数学や物理学と音楽など芸術とはずいぶんかけ離れているように思ってしまいますが、これは現在のわれわれ日本人が、理系>>文系>>>芸術系という分類に毒されているからかも知れません。古典古代のリベラルアーツ(≒大学の教養学科)は、中世ヨーロッパでは7教科からなっていて、さらにこのうち、4科として分類されたのが、天文学、算術、幾何、音楽(楽理)だったのです。音楽が、3学(修辞学、文法、論理学)のほうに行かなかったことに注目です。三平方の定理で知られるピタゴラス(教団)が、数学(≒算術+幾何)と音楽(音階理論)の二刀流であったこと、さらには惑星の並び方と音階の親和性について説いたこと