2022年7月22日金曜日

岸・安倍ダイナスティは何と戦ってきたのか?

 まずは、故安倍晋三元総理の系図を掲載します(出典:日本語版ウィキペディア)。

周知のとおり、岸信介元総理は、安倍元総理の母方の祖父にあたります。ちょうど二週間前の暗殺事件がきっかけで、岸信介氏の東京は渋谷の南平台の邸宅の隣に統一教会=国際勝共連合の本部があったことが話題になっています。岸氏は、以下のライブラリーのなかでもひときわ注目される存在です。

⑴有馬哲夫「児玉誉士夫 巨魁の昭和史」(文春文庫)
⑵西敏夫「占領神話の崩壊」(中央公論新社)
⑶渡辺惣樹・茂木誠「教科書に書けないグローバリストの近現代史」(ビジネス社)
⑷孫崎亨「アメリカに潰された政治家たち」 (河出文庫)

これらのうち⑷は、大胆すぎるほどわかりやすい書きぶりです。ここでは、岸信介は、(「事実上」前任の)鳩山一郎、(弟の)佐藤栄作、(日中国交正常化とロッキード事件の)田中角栄、竹下登、小沢一郎、(「最低でも県外」の)鳩山由紀夫など同様、「対米自主派」ゆえに《アメリカに潰された》総理のひとりだとされています。

ちなみにこの著作では「対米追随派」ゆえに《アメリカには潰されなかった》政治家として、吉田茂、池田勇人、小泉純一郎、野田佳彦を挙げています。

結論を言うと、政治家の本質は、目的(政策)と手段(政局)を変幻自在に扱う融通無碍な人間力なのではないかと思うのです。

戦後の日本では、国のリーダーは、「自主独立」という目的=深謀遠慮に対して、「対米追随」は手段=面従腹背の演技に過ぎないはずだが、職業病である腹黒さ(褒めています)から手段と目的が逆転しているのではないかと疑いたくなる局面があるというものです。

なので、吉田茂は対米追従組で、岸信介は対米自主組だという分類は、あまりに単純すぎると考えます。このあたりのより正確な記述は⑴に譲りたいところで、自身もやはりCIAのスパイであることをほぼ徹底して手段=政治資金調達と割り切って米ソ両帝国主義からの本質的独立のために日本のリーダーを培養してきた児玉誉士夫像から戦後史を読み解いています。

しかしながら、60年安保改訂の自然成立と同時に、安保闘争の最中に退任した岸信介総理に対する印象は、戦後教育のバイアスその他の影響もあり、むしろ対米追随派の典型として見られていた時期がありました。そうではないこと(特に、ある時期から、CIAは岸信介を見限って、むしろ全学連をして安保闘争の火に油を注がせるべく、(児玉誉士夫と同じく右翼の大物だが元共産党の)田中清玄を通じて資金援助をしていた事実の紹介など)を指摘した孫崎さんの著作の意義は大きいと思います。

まずは、岸信介氏のホンネ=政治信念がわかりやすく表れている語録をウィキペディアから紹介したいと思います。

①侵略戦争というものもいるだろうけれど、われわれとしては追い詰められて戦わざるを得なかったという考え方をはっきり後世に残しておく必要がある。

②今次戦争の起こらざるを得なかった理由、換言すれば此の戦は飽く迄吾等の生存の戦であって、侵略を目的とする一部の者の恣意から起こったものではなくして、日本としては誠に止むを得なかったものであることを千載迄闡明することが、開戦当初の閣僚の責任である。

③終戦後各方面に起こりつつある戦争を起こした事が怪しからぬ事であるとの考へ方に対して、飽く迄聖戦の意義を明確ならしめねばならぬと信じた。

④日本をこんなに混乱に追いやった責任者の一人として、やはりもう一度政治家として日本の政治を立て直し、残りの生涯をかけてもどれくらいのことができるかわからないけれど、せめてこれならと見極めがつくようなことをやるのは務めではないか。

これらは、A級戦犯被疑者として留置されていた巣鴨プリズンでの発言で、特に④は「獄中記」からの引用とのことです。このうち③が、想像するに意図的にわかりづらい表現になっていますが、「終戦後各方面に起こりつつある戦争」というのは、朝鮮戦争と、中華人民共和国成立のことを指しているのかと私には読め、「怪しからぬ個とであるとの考へ方」というのは、《米英が日独を叩いたのは平和と正義のためだが、その後東アジアの紛争に介入するのもまた正義である》とまで言うのならちょっと待った!という意味なのかなと。これは間違っているかも知れず、識者のご指摘を待ちたいと思います。

さて、戦後の、日米政権の対比表を個人的にまとめてみました。
戦後日米政権対比表

対米関係は、民主党政権下(水色)よりは共和党政権下(ピンク色)のほうがまし、というと、先述の孫崎亨さんの本のことを笑えないほど雑な分析になってしまいます。それでも、鳩山一郎政権(鳩山由紀夫元総理の祖父)と岸信介政権(安倍晋三元総理の祖父・・・くどい)のカウンターパーティであるアイゼンハワー大統領(R)は、連合国遠征軍最高司令官として当時は上官でありその後は大統領ポストを襲うトルーマンに対して講和模索中の日本に対してまったく不要であるはずの原爆投下に反対していました(日本語版ウィキペディア)。フランクリン・D・ルーズベルト大統領(D)が秘密裏に進めていたマンハッタン計画を知らされずに、ハーバート・フーヴァー前大統領は同じころ当の垣根を越えてトルーマン大統領に日本に対して無条件降伏を迫ることには絶対反対であると諫言していました(英語版Wikipedia)が、これらふたつからは両二大政党の考え方の違いが明確です。

つづく

【次回予告】
昨日の友は今日の敵?同志児玉誉士夫と岸信介の関係性

【次々回予告】
CIA、KCIA、国際勝共連合=統一教会(=原理研究会)、朴正熙の時代