2011年1月18日火曜日

懲りもせずに外国人と宗教談話

外国人との会話で御法度の話題として、政治、人種、宗教が良くあげられますが、これまで宗教の話で随分嫌な思いをしてきた(させてきた)にもかかわらず・・・

http://phxs.blogspot.com/2009/01/blog-post_13.html
http://phxs.blogspot.com/2010/04/blog-post_09.html

またまた昨日も、懲りずに、やってしまいました。

仕事上で素晴らしい出会いがあったからです。

お会いしたのはイランご出身の恐らくわたしと同世代の男性。上智大学に留学したあと、約20年間ずっと日本でお仕事をされている方です。最初の約10年間は若年層向けの漫画などの出版物で良く知られる大手出版社(ヒント・・・ドラえ~~もん♫)の系列の小学生向け英語教室で教師をやっていらしたのですが、少子化の影響などで事業が閉鎖され、その後はフリーの翻訳と通訳で生計を立ててこられたと伺いました。

世界的にイスラム社会の存在感が高まって来ている今日この頃、アラブ語の翻訳通訳需要は増えているのかも知れませんが、イラン(の殆どとトルコなどの一部)の母国語はペルシャ語。ペルシャ語の需要だけでは生計は成り立たず、英語⇔日本語の仕事が殆どで、最近では中国語も翻訳仲間を通じて勉強していらっしゃるそうです。

日本語は実にお上手。しかし、考えてみて下さい。日本人で、生活のために、英語をブラッシュアップして、中国語も一から勉強して、英語⇔中国語の翻訳通訳の世界に敢えて飛び込もうという人が居るでしょうか?私自身を含めてそこまで勤勉かつハングリーにはとてもじゃないがなれないなと感心してしまいました。

そこまでして彼が日本に骨を埋(うず)めようと思ったひとつの背景に宗教観があるとお見受けしました。(キリスト教の多くの宗派同様)好戦的なイスラム教、、、特に原理主義革命の聖地とも言えるイランに嫌気がさしたとおっしゃっていたのです。

事実上母国を捨てた彼は、本来であれば日本で仕事を続けたかったのですが、病気のお兄さまを助けるためにお兄さまの住むアメリカに近々発たねばならないのです。考え方としてはイスラム(特に原理主義)と一線を画している彼(等)が、アメリカという国で、出身国や外見だけで差別を受けないのかどうか心配でなりませんでしたが、兎に角幸せな渡米を祈るしかありませんでした。

さて、わたしは、高校時代世界史が落第点しか取れず、日本史は選択していませんので、何ら語る資格はありませんが、キリスト教(のなかで特に偶像崇拝や拡大志向の強い主流の宗派)やイスラム教と比べて仏教が優等生の宗教と言い切れるかどうか疑問はあるという話を、彼にしました。

日本への仏教伝来は全く血生臭いものでなかったわけではないこと(蘇我氏物部氏の抗争など)、鎮護国家から鎌倉新仏教へと大衆化した筈の仏教も国家権力と時に対立し時に擦り寄り大衆を巻き込んできたこと、それに比べればキリスト教の伝来に際しては、大きな歴史的背景には大航海時代の海洋国家の利潤追求があるにせよ、布教の現場は極めて人道的であったこと。。。。

そのことについては、わたしは彼に「クアトロ・ラガッツィ - 天正少年使節と世界帝国」(若桑みどり著)をお薦めしました。

ただし、彼とわたしが同意したのは、宗教と名がつく限り、それは真善美を不断に追及する哲学であり、弱い人々の痛んだ心を癒す信仰であると同時に、その人間の弱さにつけ込むお布施を通じての集金装置でもあること。集金装置が暴力装置をも備えて拡大志向に向かう様子は、さながら独占資本が帝国主義戦争を繰り広げる姿をも彷彿とさせます。この後者の暗い側面については、中世において特に地中海地域で激しい民族間抗争を招いたキリスト教(の一部の宗派)とイスラム教(の一部の宗派)に比べると、仏教は優等生っぽかったのではないか。仏教徒の数が少ない原因とも考えられるこの点については、あまり詳しく書き過ぎると怒られるでしょうが、多神教と一神教との対立にも関係がありそうです。今日の世界宗教の多くが一神教である一方、人類の太古の宗教には森羅万象に神々が宿るという考え方が支配的だったと考えられ、日本の八百万の神というのはギリシャのオリンポスの神々と同様、多神教の典型のようですが、比較的好戦的とは言えない感じをうけます。そして仏教は日本において奇跡的な神仏習合という現象をもたらし、ひいては今日の日本人の圧倒的多数の宗教観、、、正月には神社で御神籤(おみくじ)をひき、葬祭ではお寺のお世話になり、クリスマスではなんとやら、、、という平和ボケと裏腹の生活習慣を手に入れることになったのではないか。

折しもチュニジアで大統領が亡命という事件が起きています。強いリーダーシップによって、経済成長など華々しいパフォーマンスが繰り広げられている新興国群に対して、ねじれ国会の期間が余りにも長い日本から、単純に羨望の眼差しをおくれば良いというものでもなさそうです。先日の日記の「中国に対する過大評価」も同じことです。

強過ぎるリーダーシップの下で臣民として窮屈で居られないという優秀でハングリーな外国人にとって憧れの環境を日本が提供できれば、まだまだ存在意義は失われないのではないかと考えた、昨日の出会いでした。
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2011年1月14日金曜日

ゴールドマンサックス、新たに50億ドルの損失?

今朝のフィナンシャルタイムズの臨時ニュース。

タイトルを直訳していますが、これだけでは、何というか某系列スポーツ新聞の見出しと似ています。

「新たに」と言う意味は、「今頃になって」ということ。リーマンショックの頃に発表していた関連投資損失が85億ドルだったのが、本当は135億ドルでした、と告白したものです。

更に誤解を招かないように、、、と記事に書かれていますが、、、損失項目の内訳が変わっただけで該当期間の損失額全体は変わらないとのこと。

「他の銀行も見習うべき態度である」と米SECの幹部は言いますが、今後はボルカールールの適用で自己投資の評価について誤魔化しが効きづらくなるとは言え、これまで長年いい加減な銀行決算の発表で株式市場が激しく動いてきたことへの反省は何にもないのでしょうか???

そう言えば、ボルカールールと言えば、ボルカーさんは辞めますが・・・
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2011年1月13日木曜日

人民元取引を米国で解禁-中国銀行

中国銀行と言っても、岡山市に本店を置く邦銀ではありません。

中国の国営銀行。我が国ではバンチャと呼ぶひともいます。

昨日付のウォールストリートジャーナルが「中国銀行は無制限に人民元を米国(など中国国外)で交換できるように準備している」と報じています。

中国政府が人民元(と外国通貨の)取引を中国本土に限定し特に米ドルとの間では固定相場を維持してきた状況から、これまでにも規制緩和に向けていくつかのステップは講じられてきました。

NDFによるオフショア市場での取引解禁、香港での現金通貨の取引解禁(昨年7月、ただし一日400ドルまで)、また米国(や日本など)でもHSBCはこれまでも人民元預金の受け入れを行なって来ました。

しかし、中国を代表する国営銀行そのものが、「人民元は不当に割安にコントロールされている」と舌鋒鋭く迫る米国自体で(当初は個人については一人当たり4000ドルという制約をつけるものの)取引開放に向けて取った措置は大きな意味を持つと言えます。

マスコミ的に普通に勘ぐれば、胡錦濤国家主席の訪米直前の手土産程度のものかとも推察されます。ただしこれまでの人民元「開放」のあらゆるステップは、人民元投資の欲望を常に掻き立て、人民元を確実に上昇させてきた事実があります。

わたくし的に異常に勘ぐれば、人民元の上昇を加速させても構わない深い理由に、中国の指導部が気づき始めたのではないかと思わざるを得ません。金融緩和政策の終了とはつじつまが合います。国外の投資家の手を借りて金融引き締めが行なえるということは、政策コスト(為替介入コスト)が掛らないだけでなく、沿岸部中心のバブル(だと指導部が認識しているのであれば)の出口戦略として海外勢に自国通貨を買っておいてもらうのは渡に船なのです。

ところで、ウォールストリートジャーナル電子版には「あなただったら中国銀行に人民元口座を開設しますか?」という投票コーナーがあり、わたしも試してみましたが、投票結果は本日午前の時点でほぼ半々でした。
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2011年1月12日水曜日

満員御礼-印田千裕ヴァイオリンリサイタル

フェニックス証券協賛・・・と偉そうに言いますが社長個人がチケットノルマを引き受けただけのこと(爆)・・・日本を代表するヴィルトゥオーゾの旗手、ヴァイオリニスト印田千裕さんによる約2年振りのリサイタルが、先週金曜日、東京上野の東京文化会館で行なわれ、満場の聴衆を感動の渦に巻き込みました。



当日のプログラム

①幸田延 ヴァイオリンソナタ第二番(1897)(楽譜校訂:池辺晋一郎)

②バデレフスキー ヴァイオリンソナタ イ短調 作品13(1880)

③尾崎宗吉 堤琴と洋琴のための奏鳴曲 第2番(1938)(楽譜校訂:小宮多美江/印田千裕)

④寺内園生 パッション(1993)

⑤ブラームス ヴァイオリンソナタ第三番ニ短調 作品108(1888)



①は、いまや、寄席で言えばお囃子とも言える(!?)印田さんにとっての入場テーマ曲として定着しつつあると言えます。

残念なことにあまり知られていない「クラシック音楽黎明期」の日本の才能ある作曲家の埋もれた作品を発掘するというライフワーク、、、今回で言えば、③がそうですが、、、の橋頭保となった作品です。

いっぽう、④は現役の女流作曲家による作品。現代曲としての十分な複雑さや緻密さを確保しながらも、親しみやすさや「クラシック音楽にしかない官能性」をも兼ね備えた作品は、演奏家には極めて高い技術を要求するものでしたが、印田さんも、そしてピアノ伴奏の安田正昭さんもその要求に見事に応えられ、客席にいらした作曲家の寺内さんには惜しみない拍手が贈られていました。

約二年振りとなる今回のリサイタルのひとつの柱が、前述の「日本の・・・」だとすると、もうひとつは②のパデレフスキーかも知れません。極めてユニークなキャリア・・・マルチ人間・・・を持つ作曲家のことに関しては、、、是非是非ネットで検索してみてください。

リーマンショックなどを経て、この2年間でクラシック音楽を取り巻く環境は大いに変質したと言わざるを得ません。このような「かっちり」とした演奏会を開き立派なホールを満席に出来るのは、、、商業メディアに偶像化された似非タレントを除けば、、、極々わずかな本物だけに許されることだと思います。今回の聴衆のみなさんも半分はヴァイオリンを習ったか習っているか教えているかという方々だったのではないかと想像します。残り半分のクラシック音楽ファンの皆さん・・・フェニックス証券経由でチケットをお求めいただいた皆さんはコチラに属します(笑)・・・にとっては、最後の⑤で、やっと親しみのある曲が登場したという感覚をお持ちになったことでしょう。

かく言うわたしもそのひとりです(爆)。

マラソンで言えば35キロ地点を過ぎてからのブラームスの大曲が壁のような上り坂に見える筈ですが、われわれが目にし耳にしたのは胸の空くようなラストスパートとウィニングランでした。

このようなコンサートが満員になることで、日本の音楽界も捨てたものではない。音楽に真摯に取り組むことがちゃんと報われる機能がなんとか備わっていると、ほっとした週末の夜でした。

チケットをお求めいただいた大勢のみなさまに、この場をお借りして、こころから感謝申し上げます。ありがとうございました。
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