2015年6月11日木曜日

予想外だった早朝の利下げ、ニュージーランドドルの急落《セミナーご案内》

けさ、ニュージーランドの中央銀行が、政策金利を3.5%から0.5ポイント利下げし、3.25%とすることを発表しました。

予想外の利下げだったので、あさいち、ニュージーランドドルは対円などで、激しく下落しました。

スイスフランショックのときと比べたら大したことはないのに、何を大袈裟なと思われるかも知れません。

しかし、日本時間よりも3時間速く日が昇るニュージーランドで、朝方に政策決定会合が行われ、利下げ発表は、日本時間の朝7時台。流動性の薄いなかでの予想外の発表となると、通貨の急落の過程で、途中に値段がつかないという現象につながります。

もっとも、記者会見に応じたニュージーランド準備銀行総裁の発言にあるとおり、ニュージーランドドル高は持続可能な状態ではなかったとはっきり明言されています。

長い目で見てみましょう。アヴァMT4で過去のレートが取得可能なところまでさかのぼってみると、対円で見たニュージーランドドルは、40円台(超 円高域)と90円台(超 円安域)を、信じられないほど規則的に、驚くほど悠長なサイクルで、上下動していることが読み取れます。

1995年からの20年間で、超 円高域に突入したのは、2000年と2008年です。

ちょうど20年前の1995年は、それでもいまに比べると、ニュージーランドドルが割安で、だいたい60円前後をうろちょろしていました。

ここで話題ががらっと変わります。1995年というのは、日本におけるワインブームの火付け役となった田崎真也さんが世界ソムリエコンクールで日本人初の優勝に輝いた年でもあります。

ワインと言えばフランスという限られた常識がまだまだ横行していたその時代、ニュージーランドワインは質が高くてしかも割安だ。いまふうに言えば、コストパフォーマンスが高い。と目を付けていた酒屋さんや勉強家のワインテイスターも居ました。

為替の決定理論を複雑にしている理由のひとつとして、国際貿易からのアプローチと、国際金融からのアプローチが組み合わさってしまうことがあります。この点、強引に言わせてもらえば、ニュージーランドと日本の関係は、国際貿易だけに絞って論ずることがどちらかというと許されるセグメントかと思うのです。

ぶっちゃけた言い方をすると、乳製品とラム肉とワインの国際価格から、ニュージーランドドルの適正水準を評価することができるというわけです。

そこで(!!!)空席がわずか2名となりましたが、6/24(水)ニュージーランドワインセミナー(主催:アヴァトレード・ジャパン、特別協賛:乃木坂ワイン倶楽部ヴィラージュ、ジェロボーム、ADVFN)を、乃木坂ワイン倶楽部ヴィラージュにて開催いたします。

乃木坂ワイン倶楽部というくらいですから、複数の国から輸入したワインを比較試飲していただくことができます。

農家と醸造家が情熱を注ぎ生活を賭けて作り上げたワインに舌鼓を打ちながら、それでも冷酷に、はたしてどのワインがコストパフォーマンスがいいだろうかと探り当てていただきたいです。

日本では根強い人気を誇るニュージーランド(ドル)、そしてこの七転び八起きブログでも、2008年以降、何度も裏切られながら(苦笑)、ニュージーランド愛を叫んできた、その集大成、というとまったく大袈裟ですね。二度目がないみたいになってしまいますから。

お申し込みは、
support@avatrade.co.jp
まで、「ニュージーランドワインセミナー申込み」と件名にお書き添えのうえ、お願いいたします。

これまでのセミナーの様子を以下はご紹介いたします。


2015年5月29日金曜日

日本銀行のブタ積み当座預金には意味があるのか?

ついに200兆円を超えた日銀当座預金、よって300兆円を超えたマネタリーベース。

異次元緩和の結果であるこの膨大なマネーは、何をもたらすのか?

我が国の政府支出(超)のなかで、東日本大震災以降は、復興のための公共事業は無視できない規模であり、建築資材や人件費は上昇しています。後者については飲食業の非正規雇用(労働市場の似たセグメント)の時給急上昇(求人難)へと如実に影響を与えています。
それでも、少子高齢化により、赤字国債発行による年金勘定への補填こそが、財政赤字の核心部分です。
年金保険料(ただし現役世代から。この問題は後述)のみから、年金(引退世代へ)が賄われるべきところ、不足米(たらずまい)を、財政で補う。小泉政権以降は、民間非金融部門預金と日銀券発行残高と補助貨幣流通の増分の、最大要因はこれです。
そしてこの、現預金増は、日銀が買いオペをやっていたかやっていなかったかに関わらず、結果は変わらないということです(日銀当座預金がブタ積み状態なので、市中銀行貸出による預金創造にとって、市中銀行の国債保有負担が律速因子にはなっていない=内生的貨幣供給が成り立っていた)。
しかし、買いオペが無意味だったにせよ、財政赤字によって、民間の現預金が増えたのだから、購買能力かつまたは購買意欲が高まり物価上昇を引き起こしても良いはずではないか???それこそがアベノミクス(安倍黒田のミクス)の狙いだったのではないのか??

現実はそれほどでもなく、家計も市中銀行預金をブタ積み(!?)する。それどころか、タンス預金もされている。リカード=バローの中立命題が、そこそこ効いてしまっていて、引退世代が現役世代に負担を残さないように、消費を控えているということではないでしょうか?
ところで、「貨幣(流動性)の供給」と「可処分所得(貯蓄)の提供」とはまったく意味が違います(が紛らわしいこともまた事実で、これがIS=LM分析がわかりづらい理由??)。
銀行が貸してくれた100万円の預金は内生的貨幣供給の結果ですが、可処分所得ではなく、いつかは返済しなければならないものです。同じ100万円でも、海外に出稼ぎに行った家族からの仕送りとか外国企業からの配当収入の100万円(まぎれもなく可処分所得としての現預金の増加)とは異なります。前者の債務者=預金者が個人事業主だとして、今月末この100万円で手形を割り引いてもらえないと事業を手仕舞わざるを得ないが、割り引いてもらえたら、今月の売り上げ105万円の入金予定日(来月末)まで事業が存続できる。。。100万円の貨幣供給の結果、真水(まみず)の可処分所得としての現預金の増加は、たったの5万円(マイナス手形割引料=金利)にとどまります(銀行に救ってもらったという話に聞こえますが、手形を仕入業者に裏書譲渡出来ていればそれでも事業は継続できたわけで、何も流動性の供給が銀行業によって独占されているわけではありません)。
これに対して、財政で補填されて受給した年金は、マクロ経済に興味のない全体観のない受給者ならば、あたかも自分が働いてきたご褒美で、満額真水の可処分所得のように浪費されてしまいそうです。しかし、実はそれは錯覚で(ケインジアンの言う貨幣錯覚とは意味が異なるので、「所得錯覚」とでも呼びましょうか。。。所得と流動性の履き違え)に過ぎず、浪費すべきものではない(が、将来世代のために蓄えておくには、現金のほうが良い(流動性の罠+税務対策)という選択がなされていると考えられます。

ついでに、現役世代はどうでしょうか?もしも少子化高齢化の対策で財政が介入せずに現在より更に大きな年金保険料の負担があったとしたらもっと消費は減退するでしょうか?中立命題では、そこも違いがないということになりますが、「保険料を払った分は年金として取り返せる」と信じている現役世代が大多数とは思えず、わたくしは中立命題が現役世代の消費貯蓄選択で成り立つかは疑問です。
貨幣錯覚が成り立たなければケインズ政策は無効であるように、「所得錯覚」が作用してしまうと中立命題が脅かされます。世代にまたがる負債を無視した浪費は、物価高と、将来に税金や社会保険料の徴収できなくなる(出口戦略が描けない)。雲行きが悪くなり、ある閾値を超えると、ハイパーインフレとソブリンリスクが加速するという意味で、財政赤字は発散的構造を持っている(ある閾値まではインフレ期待にとって無意味な政策。ある閾値からはインフレを発散させ取り返しがつかなくなる政策)という困った存在であるというのがわたくしの考えです。

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ここらで、いったん、まとめますと、
①年金支給額-年金保険料収入(=赤字国債)は、典型的なヘリコプターマネーだが、その赤字国債を購入した銀行から日本銀行がどれだけ買いオペするかは、ヘリコプターマネーの規模は変わらない。
②ヘリコプターマネーを拾い上げた年金生活者が、「流動性が増えただけで可処分所得が増えたわけではない」と冷静に考えている限り、消費や物価には影響を与えない。
③が、増え方がある限度を超えると「可処分所得が増えたのだと錯覚する(同世代の年金生活者が多数を占めるようになるのでは)」「となると、将来、年金保険料(または消費税率?)をあげても年金勘定の赤字を解消できなくなる(出口戦略の雲行きの悪さ)。」「ヘリコプターマネーのままで貯蓄するよりは、価値があるうちに消費したほうがまし。あるいは《もっと安定した価値貯蔵手段》に交換しておいたほうが懸命」と考えるひとが雪だるま式に増えてくる
《もっと安定した価値貯蔵手段》の候補としては、オフショアのドル(などの外貨)、金などの商品通貨、ETFやJ-REIT(のファンド・オブ・ファンズ)、一流大企業の社債などが考えられます。

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通貨とは何か?トートロジーですが、それは、コミュニティのなかで大半のひとがそれが通貨だと思って、支払ってくれる、受け取ってくれる、人気投票の結果としてのアセットクラスにほかなりません。日銀の調査統計局がマネーストックの定義として決めるものでも、主流派の偉い経済学者の先生が決めるものでもありません。
昨年来のキプロスのように、自国通貨(自国銀行の自国通貨建て預金)からビットコインなどの暗号通貨へと、決済手段の人気が瞬く間に移行することだってあるのです。

2015年4月23日木曜日

北朝鮮の核脅威が深刻だと中国が警告===チェルノブイリ29周年救援キャンペーンを前日にひかえて

けさのウォール・ストリート・ジャーナルによると、中国の核兵器に関する高官レベルの専門家が、

「北朝鮮の核兵器の生産能力は、米国の直近の推定をおおきく上回っている。すでに、20基もの核弾道ミサイルを保有しているうえに、その生産能力をもってすれば、来年にはその倍を配備できる。米国とその軍事同盟国(日本など===丹羽 註)にとって地域安全保障をおびやかすに十分である・・・」

と、米国高官との密談のなかで語ったとのことです。

北朝鮮の核脅威が深刻だと中国が警告

さて、ことしも、

チェルノブイリ子ども基金
チェルノブイリ子ども基金・文京
未来の福島こども基金

が主催する、

チェルノブイリ29周年救援キャンペーン「講演会&チャリティコンサート」

が、明日4/24(金)19:00開演 (18:30開場)

文京シビックホール 小ホール にて行われます。

チェルノブイリ子ども基金などの発起人で知られるフォトジャーナリストの広河隆一さんは、反原発(原発再稼働反対)だけでなく、天然資源の開発のために犠牲になった原住民問題を精力的にとりあげていらっしゃいます。

そのまなざしは当然、ユダヤ人入植とイスラエル建国の陰で憂き目を見てきたパレスチナ人にも注がれています。

ところで、いま、独立(!?)記念日で沸くイスラエルには、原子力発電所が一基もないという事実をご存知でしょうか???

原発再稼働賛成派の理屈として、日本は天然資源が乏しいので云々というのが定番になっています。

(ただし、それ以外の、口にしづらい理由のほうは、耳を傾ける検討課題だと思っているのです。「日本=無資源国」を言い張ることだけで、原発賛成意見を切り捨てるつもりはありません。)

それでも、日本には、水力や地熱が、たっぷりあります。イスラエル(というかパレスチナ)には水力すら地熱すらありません。それでもイスラエルは原子力発電にまったく依存していないというのは、共有するにあたいする事実だと思います。

さて、核エネルギーの「平和」利用に関する、口にしずらい理由を論ずるための準備体操として、いま日米関係はどんなことになっているのか、安倍首相訪米を直前に控えた記事が、最新号の月刊ファクタにあります。

独りよがりの「安倍訪米」

この記事の書き方が特定の立場に偏っているという懸念があるにしても、日米関係の懸案事項が、日中・日韓・日朝関係のミラーのようになっている点には、おおくの人が合意せざるを得ないでしょう。

記事にあるように、

①従軍慰安婦問題
②普天間辺野古問題
③TPP問題
④靖国神社(参拝)問題

このなかで、①からは歴史問題の全体が、②からは安保問題の全体が、③からは農協改革と労働縫製の問題がそれぞれ射程として広がっていきます。

そして、忘れてならないことは、原発再稼働についても、AIIB(アジア・インフラ投資銀行)についても、同じように、日本が単独専行できずに迷走してしまわざるを得ないのは、上記4つの問題と同根であると考えられるからです。

とくに、AIIBに関しては、メキシコ危機のあとの宮沢構想も、アジア危機のあとの新宮沢構想も、事実上米国によって叩き潰されたという歴史を思い起こす必要があります。

いっぽう、原発はどうでしょうか?

2015年4月6日月曜日

信教の自由と性的指向の自由

本題にはいるまえに、性的指向と、性的嗜好は、大きく異る概念であり、まったくの同音異義語であることに注意をしておきたいところです。

まったくの同音異義語であるふたつの概念が、まったく異なるとまで言い切らなかったのには理由があります。

性的少数者の権利がようやく認められはじめた米国やヨーロッパのいちぶに比べると、日本では、エンターテイメント業界での話題づくりとして以外は、まだまだ性的少数者は社会の片隅に押し込まれているまたは引き込んでいる状況が多く見られるようです。新興国ではもっとひどいところもあるそうです。本来まったく異なるはずの、性的少数者の性的指向が、とくにたまたま日本語では同音である性的嗜好が倒錯的であることと同じように、非道徳的だったり、非常識的だと見られているのが現状でしょう。

(ただし、サディスティックな性的嗜好を持つ人とマゾヒスティックな性的嗜好を持つ人がうまくマッチングして合意のうえで楽しんでいるプレイは、外見上は、暴行罪や傷害罪などの刑法犯罪の構成要件に該当します。これらの違法性が阻却されるべきかどうかは、尊厳死(安楽死)と同じような刑法論の重要な論点だと言えます)。

カッコ内のところにまで踏み込む時間はありません。すでに、長すぎる本来脚注であるべきものを先行させてしまいました。きょう注目すべき記事は、ウォールストリートジャーナルの、

「信教の自由を保護する州法が、企業側からも性的少数者側活動家からも猛反発をうけ、修正されることに」

‘Religious Freedom’ Measures Revamped

 わたくしは、なんだかんだ言って、日本に生まれ育って良かったなと思うのは、特定の宗教を極端に嫌忌(けんき)したり、逆に特定の教祖さまに熱狂したりすることが、わたくし自身もないというだけでなく、わたくしのまわりにもそんな感じのひとがまあまあ多いからです。なので、日本の歴史で言えば、島原の乱などを引き起こしたキリスト教弾圧についてはキリスト教徒が可愛そうだと思います。ゆえに、我が国の憲法で信教の自由が規定されているのは正義に叶っていると思ってしまいます。


ところが、リンクを貼った記事で、インディアナ州とかアーカンソー州でいま喧々諤々となっているのは、同性愛や両性愛などを認めていない宗教を信仰する人が、そのような性的指向を持つひとから仕事の依頼を受けないとか、アパート経営者であれば(家賃をちゃんと、または余計に?)払うと言っているのに入居させない、さらには(おそらく企業経営者自身は熱狂的な信者ではないかもしれないが)性的指向にうるさくこだわる人口が多い州では、従業員同士の、または個人顧客とのトラブルをあらかじめ避けたいがために、そのような性的指向を持つ人達を雇用しないとか、これまであって、これを禁止する。つまり、入居差別や雇用差別は弱者いじめだと言わんばかりの犯罪とするとあっては、逆に、信教の自由をないがしろにするものではないかという話題です。

(従業員の数も個人顧客の数もいちじるしく多そうなウォルマートの本社は、記事にもあるように、アーカンソー州にあります)

「法とは何か?」「正義とは何か?」これらの定義は、ユークリッド幾何学での点や線の定義よりもさらに直感しずらく難しい問題です。わたくしの高校時代の政治経済の先生からの推薦図書うちの一冊だった岩波新書『法というものの考え方』の著者である渡辺洋三先生(1921-2006 元東京大学教授など)は、その後の同じく岩波新書『法を学ぶ』で「法とはズバリ正義である」と書いておられました。わたくしはこれでは自分の疑問の解決にならないと思って、立ち読みしていたそれを書店の本棚に戻した記憶があります。

きっと昔も今も、弁護士や法律家を目指す優秀な学生のほとんどが、「アラバマ物語」(黒人差別、冤罪)、「白い巨塔」(医療事故)などを追体験することから正義感や義憤を育ませて勉学に勤しんできたのだと思います(↖例えが古すぎてスミマセン。せめて「リーガルハイ」くらいにしておかないと・・・)。

しかし、一方的に軍配をあげ辛いふたつの正義がぶつかるときに、はたして法とは何なのかとあらためて考えてしまいます。

(戦前の世界史教育がどのようなものだったのか?もしかしたらそんなものはなかったのか??不案内で申し訳ないのですが)戦後教育のなかで、わたくしたち日本人は、立憲主義というものが、そのお手本となる大英帝国で、マグナカルタ⇒権利の請願⇒権利の章典によって、王権を制約させ、市民が勝ち取った正義であると学んできました。これは、前述の渡辺洋三先生の考え方があてはまる綺麗な例ですし、憲法第九条に代表される護憲イデオロギーの根本的な考え方とも言えます。問題は綺麗におさまらない複数の正義です。