枝野さんは辞めたが志位さんは辞めない・・・
まずお断りしておくと、わたくしは、小選挙区は立憲民主党候補に、比例区は日本共産党に入れました。
案の定、わたくしの清き一票は死票となりました。
開票速報では、事前調査と出口調査の精度が疑われました。それはともかく、大手メディアは立憲民主党の戦略ミスを指摘、枝野代表は辞任となりました。
しかし、冷静に考えてみると、小選挙区制度を前提とすれば、立憲民主党は、日本共産党とは選挙協力をするかしないかの両極端の選択肢しかない(※)のだと考えると、立憲民主党としては、日本共産党と選挙協力をしてもしなくても負ける宿命となります。
題意の、
「日本共産党が国政政党として這いつくばる限り、自由民主党の与党の地位は安全確実」
というのは、そういう意味です。
そこで、日本共産党に対するアレルギーの本質をいまさらながらに考えてみようと思います。
自由民主党政権にどんな不満があっても、「日本が、中国やロシアや北朝鮮のような国体になりそうなリスクに晒される」よりはよほどましだ、という古典的な風説については、本稿では扱いません。
前回のブログで指摘した「野党がコロナ対策を論点にして具体的に与党を攻めきれない」こと、それに加えて、財務省の矢野事務次官による指摘のとおり、「ばらまき競争」という点でも、経済政策が与野党の対立軸となっていないことを踏まえると、「それでも投票に行こう」という有権者の最後の決め手は、絶対的に安全保障だったのではないでしょうか。
独断と偏見を許してもらえば、日本共産党が安全保障について、正直な具体案を提示していないことが、「がんばればがんばるほど自由民主党の思うつぼ」構造のなかに飲み込まれてしまう理由です。
なまなかなポピュリズムゆえに伝わらない日本共産党の安全保障政策のホンネ
このブログでもしばしば取り上げてきた安全保障上の日本の地理的なポジション、、、
つまり、
故中曾根康弘首相が米国のための不沈空母であると呼んだそれ、、、
は、北朝鮮の核弾頭(巡行)ミサイルの性能向上、中国やロシアの復活、米国の凋落(その象徴がバイデン政権によるアフガニスタン撤退の手際の悪さ)により瓦解しつつあります。
そのなかで、日米軍事同盟と日本共産党が呼ぶ安保条約破棄は、確かに選択肢のひとつなのですが、それにかわって、①中国と組むのか?②ロシアと組むのか?③自衛隊を強化かつまたは改変し核も保有し大国たちから自立するのか(武装中立)?④護憲を堅持し、非武装中立でマハトマ・ガンディーの非服従・非暴力主義でいくのか?はっきりして(させて)いないことこそ問題の本質だと考えています。
一貫性という点において他党の追随を許さない日本共産党の長い歴史のなかで、②ロシア論を前提とする指導部であった時代は少なくとも過去にはあったと思われます。この点では、日本に限らず世界中の共産党が「インターナショナル」の幹事であるソビエトロシアの共産党から、ヒト(スパイを含む)・モノ・カネが送られていたものと考えられます。日本だけでなく多くの資本主義国で日本の治安維持法と同様の反共防共政策がとられていたことと符合します。いっぽう、①中国論は比較的非主流であり、こちらはどちらかと言うと、(左派)社会党の系譜です。中ソ対立こそが、高度成長期の日本で社共共闘という革新連合が成立しなかった大きな要因ではなかったかと推察します。
ただし、これらは消し去れないかも知れないけれども過去の経緯であって、現在は、指導部も①中国論にも②ロシア論にも支配されていないのではないかとも推察します。この点では、代々木の立派な本部ビルや、歴代幹部の豪邸がしんぶん赤旗の売上だけで果たして建造できたかどうか疑わしいという反論があることも承知しています。
以上は推察に過ぎないですが、兎に角肝心なことは、③か④かをはっきり示せていないことです。
現実的には③「核武装して自衛隊を強化し諸大国から政治的軍事的独立を果たす」を臆せず正直に堂々と語ることこそ日本共産党の生きる道だと、わたくしは思います。それを胡麻化すことがポピュリズムだと指導部が思っているなら大きな間違いでしょう。
ところで、③「核武装軍事強化」を指導部がカミングアウトしてこなかった副反応として、④の理想主義を本気で考えている(考えようによっては気の毒な?)党員や支持者も、実は少なからずいらっしゃるのではないかとも推察します。
あえて言えば、これが絶対に荒唐無稽だと唾棄するべきだとは思いません。孤島や山深い里で、天然資源もなく、誰も耕したくないような崖に、這いつくばって生活することで、お互いの暴力を避けたコミュニティーを作ることは絶対にありえないとは思えません。
ただ、日本の国政レベルで、それを多数派の意見としてまとめていくのは、現代ではほぼ不可能です。
日本共産党には目指すべきロールモデルがある!
さて、公明党という政党があります。創価学会という宗教団体を基盤していることが特徴ですが、創価学会以外にも日本には国会議員を出せそうな力がある宗教団体はいくつかはありそうです。なぜそれをしないのでしょうか。
宗教団体にとって、政治に関与し、政治力を持たないまでも少なくとも政治に守ってもらうという欲求はあると思います。ただ、政党を作り、政治家を輩出し、選挙で国政に送り込むというのが政治力を持つ唯一の手段だとは考えていないからだと思います。
日本共産党が、下から上まで、本気で、④の理想論を考えているのなら、十分な政治的潜在力を持った宗教団体の素質があります。譬えて言えば、蓮如から顕如にかけての時期を除く浄土真宗本願寺派がそれです。いまのところ本願寺派は創価学会の真似は(敢えて?)していません。では、本願寺派の指導層は、創価学会や公明党の与党としての活躍を、指を銜えて見てきたのでしょうか?そんなこともないと思います。
プラグマティックに③「核武装+自衛隊強化」で行くのか?親鸞聖人やマハトマ・ガンディーを目指し④「非武装中立」で突き進むのか、そしてあわよくば(太平天国を建てた)洪秀全のアプローチを踏むのか、はっきりさせる時期でしょう。
日本の政治や選挙をじつにつまらないものにさせている戦犯の少なくともひとりがポピュリズムの仮面を被った日本共産党であるという自覚を持ってもらいたい。これが死票を投じたわたくしからのエールです。
※日本共産党以外の野党との関係においては必ずしも選択肢は両極端ではありません・・・なぜでしょうか?
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