2008年12月29日月曜日

感謝と反省とお詫び

「チャリティ・オペラ・コンサート2008~世界の名曲をフェニックス証券からあなたへ~」は、昨日12/28(日)、多くの皆さまの応援に支えられ無事終了致しました。主催者を代表し、心から御礼申し上げます。

特に、昨日ご出演くださった演奏家の皆さんは、お聴きの通り、日本を代表する超一流のプロでいらっしゃいます。が、わたくしどもフェニックス証券のチャリティの趣旨に賛同してくださり、「出演料なし」(交通費のみ)という各プロにとって未曾有(みぞう)の条件で負担の大きい仕事をお引き受けくださいました。このことは、従前にもフェニックス証券のプレスリリースでご紹介しましたが、ここで改めて深く感謝申し上げたいと思います。ご来場のお客さまにおかれましては、水船桂太郎さん、豊島雄一さん、田村佳子さん、印田千裕さん、そして矢持真希子さんの、来年以降の芸術活動を様々な形で応援していただきますよう心よりお願い申し上げます。

さて、重要なお詫びと訂正がございます。昨日のプログラムの配布分の一部に、「後援:株式会社東京ドーム」と記載されておりますが、これは事実と異なります。事実はと申しますと、東京ドームの林社長様より「チャリティの趣旨に賛同する。是非聴きに行きたいのだが、あいにく先約があり無理。寄付だけでもさせて欲しい」という御申し越しがありました。会社の代表者としてのご意思であり、身に余る光栄と感じ入り、何とかご恩に報いることは出来ないかと、無い知恵を搾り出し、ささやかながら社名を掲載させていただいたのですが、あくまでも個人としてのご寄付であり、会社としての意思決定に基づいた行為ではない、というのが本当の事実です。

東京ドームの林社長様の個人のご意思に反し、社名を後援者としてプログラムに載せてしまったのは、完全に私個人の勇み足であり、深く深く反省するとともに、林社長をはじめお客さま各位ならびに、このコンサートを陰で支えてくださった多くの関係者の皆さまに心からお詫びを申し上げます。

「重要なお詫び」だけでなく、何せ初めての経験でありますので、開演前、開演中、開演後と、想定外のことが度々発生し、ドタバタの運営となりました。それでも、何とか終演まで導いてくれたのは、繰り返しになりますが、年末の貴重な時間を割いてお越しくださった沢山のお客さま、出演者の皆さま、縁の下の力持ちとしてバリバリ働いてくださったアルバイトの皆さんやフェニックス証券の社員の諸君、そして最後になりましたが社団法人才能教育研究会(スズキメソード)品川支部様からは「音楽を通じて人間教育と世界の平和」を“有言実行”された故・鈴木鎮一先生のご意思のもと陰に陽に多大なるご支援を頂戴しました。実は昨日のカンツォーネ「勿忘草」のヴァイオリン・アレンジ“年末特別バージョン”こそスズキメソードのお力によるものなのです。

そしてまた、東京の冬に相応しい美しい青空にも恵まれました。様々な反省とともに、すべてに感謝、ただひたすら感謝です。
CoRichブログランキング

2008年12月26日金曜日

チャリティ・オペラ・コンサート直前情報【其の四】

まずは読者の皆さまにご報告と御礼です。来たる12/28(日)フェニックス証券主催チャリティ・オペラ・コンサートのチケットは完売=売り止めとなりました。多くの方々に趣旨ご賛同いただきご協力をいただき、本当にありがとうございました。

さて、直前情報【其の四】は、引き続き「第一部 中高生と中高年のためのオペラ入門(!?)」を続けます。「カヴァレリア・ルスティカーナ」「愛の妙薬」「蝶々夫人」に続きまして、本日は「イル・トロヴァトーレ」です。

イタリアオペラにおける作曲家ヴェルディは、交響曲におけるベートーヴェンと同じ存在だなどと、その偉大さが称えられている大家が遂に登場。続いて取り上げる「ドン・カルロ」同様、吟遊詩人という意味の当作品は、ヴェルディの代表的なオペラです。実はこの「トロヴァトーレ」、私にとっては数少ない「チケットを買って観に行った」オペラのひとつです(通常、私はYouTubeでオペラの“勉強”をしており、殆ど金を掛けておりません)。そんなケチな私が、特段事前準備をせずに、日本語字幕を追いかけながら観たオペラの結末は、「何じゃこりゃ!?あり得ねぇ。ふざけるな!」という感想でした。しかしそれはトロヴァトーレやヴェルディを嫌いになることを全く意味せず、支離滅裂の物語の是非を超えて貫かれる全く隙のない音楽の作りと美しさで、むしろヴェルディの才気に魅了されるキッカケとなったのでした。

支離滅裂な物語を簡潔にお話するのは私の能力を超えております。大変素晴らしいサイトを発見しましたので、お時間のあるかたは是非こちらもご参考になさってください(12/28【日】の演奏会の後でもよろしいかと存じます)。

http://homepage3.nifty.com/operasuzume/Trovatore.htm

「隙のない音楽の作り」というのはモーツァルトのオペラ(例えば「フィガロの結婚」など)についても言われる褒め言葉ですが、トロヴァトーレについては少し角度が違うようです。登場人物毎に変化を聞かせたテーマ、情景や登場人物の心境に応じて繰り広げられる和音進行、この二つが縦糸と横糸のように整合的に織り成されている点。テーマというのはぶっちゃけ旋律ですけれども、これが変化しつつ全編に渡り繰り返される。この技法は、モーツァルト的な角度からは、或る意味手抜きなのかも知れませんが、私のような素人の音楽好きにとっては甘美な麻薬なのです。実際、この技法は、同じくヴェルディでは「仮面舞踏会」や「ドン・カルロ」等の後期の作品で発展し(「椿姫」では逆にこの技法が禁欲的にしか使われていないのが味噌だというのが私の独断と偏見)、プッチーニ(「ラ・ボエーム」など)やレオンカヴァッロ「道化師」で一層先鋭化し、今世紀の映画音楽やミュージカルでは完全に定着します。逆に言うと、映画音楽の元祖的要素を持つ劇音楽は、今日でも繰り返し上演されるヒット作またはロングランである傾向は強いのです。

日曜日は、女官レオノーラを横恋慕したルナ伯爵のアリア「君の微笑み」と、ルナ伯爵を拒絶していたものの決闘の末、伯爵軍に捕らえられた恋人マンリーコ(=吟遊詩人?)を救い出すために伯爵に貞操を差し出すというレオノーラと伯爵の二重唱「私の涙をご覧ください」の二曲をお届けします。

CoRichブログランキング

好敵手に恵まれなかったブッシュ大統領

●SECによる“行政処分勧告”は8年前に比べ激減-ブッシュ政権下での金融監督が緩過ぎたとの疑問が浮上(12/25IHT)
ナスダック元会長マドフ容疑者のヘッジファンドもどきがネズミ講詐欺に過ぎなかった事件。政権交代で退任間近のコックス会長の下での証券会社取締りは、投資家保護どころか証券会社保護だったとの批判まで上がっている。オバマ候補が指名を終えた経済閣僚は、金融行政の信頼回復と復権を主張、どのような施策に出るのか証券業界は戦々恐々としているとインターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙。

ソフトブレーン創業者の宋文洲さんと私との対談も掲載されている去る21(日)発売のMoney Japanマネー・ジャパンには、もう一つ(!?)興味深い対談「池上彰さん×森永卓郎さん」が掲載されています(ちなみに、森永卓郎さんは、同誌の先月号での私の対談相手になって下さいました。)この中で、池上彰さんが面白いことをおっしゃっています。曰く、

「冷戦時代は自由主義陣営と雖も、好き放題自由放任を進めて弊害を出すと『それ見たことか!資本主義の弊害はマルクスが言った通りだ』と社会主義陣営につけ入る隙を与えたので、規制を中心とした自浄作用が働いていた。ソ連が“無くなって”からは、好敵手不在により、自由放任が好き勝手に進められた。この行き着いた先が、サブプライム問題でありリーマン危機なのではないか」と。。。

この点、池尾和人慶応大教授も今朝の日経新聞で「証券会社、ヘッジファンド、(非連結対象の)投資目的子会社(SIV)などは『影の銀行システム』と呼ばれつつも、規制の網に掛からなかった」ことに加え、レバレッジ(平たく言えば銀行借り入れ)が利用できるファンド・マネージャーにとっては『運用がうまく行けば巨額の成功報酬が貰え、失敗しても辞任すれば済む』というルールではチキンレースを奨励しているようなものだと指摘しています。

それでもなお、池尾教授は前出の発売中Money Japanマネー・ジャパンで、「唯一成功した“社会主義国”」と故筑紫哲也さんに“評価”された行動成長期の日本において、まさしく池上彰さんご指摘の「社会主義陣営につけ入り隙を与えない」システムの一部を担った護送船団が、メガバンクへと形を変えていようが、本質的に何も変っていないと予ねてからの首尾一貫した主張を繰り返しておられます。但し、変化できなかったことが、リーマン危機的なものからの悪影響を間接的な程度に留めたというのは皮肉な結果です。

池尾教授は「金融機関のファンド・マネージャー達の規律」が必要だと説きます。私は、金融機関のファンド・マネージャーと事業会社の雇われ社長とは、背負っている責任と権限において本質的に何が違うのか良く判りません。事業会社の雇われ社長は、資金を外部調達する場合、ほぼ例外なく、
①個人保証を求められる、
②生活を担保にする程度の共同出資を迫られる、
③株主代表訴訟のリスクに晒される。
つまり、役員報酬(成功報酬)を追求するためにレバレッジを掛けようにも、無限責任が付きまとうのです。これは我が国の会社法と金融常識(金融慣習)が織り成すインフラだと私は認識しています。

これは何も社会主義陣営という好敵手が不戦敗しようとも、自由主義陣営にとって極めて馴染む“規律”ではないかと思うのですが、皆さんいかがお考えでしょうか?

我が国のここ数年の“官製不況”は期せずして、米国発金融危機の衝撃緩衝材になったのは前述の如く皮肉。ただし、最低限の規律(規制?)を限られた急所に掛ければ、責任と権限のバランス(つまりはモラルハザード回避)を担保できる。これぞ資本主義の矜持です。具体例を我がFX(外国為替証拠金)取引に則して申し上げれば、①スプレッド(“誇大広告”や“不当表示”の撲滅)、②自己資本規制比率(“四半期毎”では不十分)、③区分管理(“全額”信託保全が出来るかどうか)、④強制ストップロスのシステムが安定稼動しているかどうか、以上4点が急所でしょう。食品偽装に対して厳罰化で対処するのと同様の規律が求められればそれで十分です。
CoRichブログランキング

2008年12月25日木曜日

チャリティ・オペラ・コンサート直前情報【其の参】

中高生と中高年のためのオペラ入門!『カヴァレリア・ルスティカーナ』『愛の妙薬』に続いては『蝶々夫人』です。

今年生誕150周年のプッチーニは、我が国でも人気の高いオペラ作曲家ですが、この季節になると思い出すのがフィギュアスケートでのBGM。世界に冠たる我が国の女性スケート陣が頻繁(ひんぱん)に使ってきた名旋律の多くがプッチーニによって紡ぎ出されたものです。トリノ五輪金メダルの荒川静香さんがプッチーニの“白鳥の歌”とも呼ばれる遺作オペラ『トゥーランドット』から第1幕冒頭~第3幕カラフのアリア「誰も寝てはならぬ」を使用したことは余りにも有名。その五輪の開会式では故パヴァロッティがサプライズで登場し歌ったのもこのアリアです

ところで、五輪の1年後にパヴァロッティは完全に“口パク”だったと当時の指揮者が告白。しかし腑に落ちないのは、本来オペラアリアではご法度とされている「移調」で、パヴァロッティは半音下げて「歌って」いたのです。本来のニ長調では当時の体調では無理だったにしても、半音下げればもしかしたら歌えるかも、というギリギリの努力と検討が開会式直前までなされていたかと思うと、泣けてきます。


『蝶々夫人』に戻りましょう。やはりフィギュアでは安藤美姫さんが題名役の代表的アリア「ある晴れた日に」を使用しています。今回お届けするのもこのアリアです。

時は19世紀後半、舞台は我が国の長崎。港港に女を作る米軍中尉のピンカートンは、当地で没落士族の娘で齢15歳の芸者“蝶々さん”を見初めます。ひたむきな愛ゆえにキリスト教への改宗まで決意した“蝶々さん”をピンカートンは現地妻としか思っていないにも関わらず、結婚初夜を迎えるというシーンで第一幕は幕を閉じます。

第二幕は、結婚式から3年経ったが、米国に戻ったきり帰ってこないピンカートンについて、下女スズキが「長崎に帰るという約束は反故にされたのでは?」と疑います。が、蝶々夫人はそれを否定。夫は必ず帰ってくる。その思いを載せて歌われるのがアリア「ある晴れた日に」なのです。

事実は下女スズキの疑った通り。ピンカートンは米国人ケイトと結婚しており、このあと蝶々夫人には再上陸するピンカートンに同伴されたケイトとの対面、という悲劇が待っています。

誤解のないように記しますと、歌劇『蝶々夫人』は“歩くチ●ポ”ピンカートンがアメリカ帝国主義の象徴、それに蹂躙される蝶々夫人が東洋の植民地の象徴、のような反米の物語として書かれたわけではありません。国同士がどうこうということではなく、ヒロインの一途な愛ゆえに招かれた悲劇という解釈が現在では主流のようで、それゆえ名作揃いのプッチーニ・オペラの中でも、特に人気が高い作品になっている、それが偶々舞台は日本である、というのは決して悪い気分ではありません。

ドラマチックなパフォーマンスと強靭な声帯と体力を要求される蝶々夫人はソプラノのレパートリーの中でも難役中の難役。生前、マリアカラスが得意としていたのもこの役です。

明日は、ヴェルディ作曲『イル・トロヴァトーレ』をお届けします。
CoRichブログランキング