2011年2月28日月曜日

必ずしも一枚岩ではないのが魅力の、みんなの党

金曜日は、いつもお世話になっている、月刊誌ファクタのお誘いで、みんなの党神奈川県選出の参議院議員 中西健治先生の勉強会にお邪魔しました。

中西先生の話で、一番嬉しかったのが、「渡辺喜美代表は『日銀に思い切った金融緩和をさせさえすれば景気は良くなる』という金融政策万能論≒日銀諸悪の根源論」を振りかざし過ぎで、これは強調しすぎないほうが良いとおもっている」という部分でした。

自民党は勿論、民主党も手をつけられなかった農協に対して改革を迫るという中西先生に、加えて年金のタブー、医療のタブーにも着手して欲しい、、、そのために日本医師会などの抵抗があるのだとすれば、みんなの党だけが良い子になっていては駄目で、自民党や民主党のなかにも少なからずいる「小さな政府」を志向する脱藩検討組を温かく迎える態度を示し、政界再編をよどみなく行なうことが重要なのではないかと、生意気な意見を述べさせていただきました。
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2011年2月23日水曜日

駄目なものを駄目という勇気に快哉

フェニックス証券と同じ業界に属し、飛ぶ鳥を落とす勢いで何かと注目を集めてきた会社のひとつが、取り扱う通貨ペアを半分以下に減らすというニュースが流れました。

そのこと以外でも、一体何が起こっているのか謎めいている会社であり、同業者として冷静かつ客観的に事態を把握してみなければと思っていたところでしたが、ただ兎に角、FX業界については大手中小を問わず、やや不健康な痩せ我慢が蔓延っていたと感じており、この勇気ある決断そのものにはエールを送りたいと思っています。

全く話が変わりますが、日本とは大きく異なる価値観という点で異彩を放ち続け、ゆえにわたくし自身かねてより眼差しを傾けてきた、ひとつはアラブ諸国、もうひとつはオセアニア、そのそれぞれで、かたや人災、かたや天災により、多くの被災者が出ていることについて、こころからお見舞い申し上げたいと思います。
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2011年2月11日金曜日

アセットクラスとキャリア形成

アセットクラスとは、同じような値動き(リスク⇔リターン)をもたらす金融資産(アセット)のグループというか範疇(カテゴリー)というか階級(クラス)のことで、具体的には、現預金を究極とする短期金融資産から債券、株式、不動産、商品(先物)・・・更には、「クラス」というニュアンスには違和感を感じますが、外国為替(FX)、貸出債権(ローン)を指すこともあり、外国為替では主要通貨(ドル、ユーロ、、、)と新興国通貨(南アランド、ブラジルレアル、、、)を「クラス」分けしたり、ローンについても正常債権と不良債権、またはシニアローン、メザニン、・・・、コーポレートローンとノンリコースローンなどとやはり同じく「クラス」分けされることもあります。

昨日、わたしがアレンジしたふたつの打ち合わせで、いずれも途中出口の見えない議論に陥り、締めくくりのキーワードとなってくれたのが「アセットクラス」でした。

打ち合わせ(その壱)は、有名銀行のローン売却責任者とハゲタカファンドの社長と超有名投信委託会社の金(ゴールド)担当者が参加。

銀行側は「ローンを売って行きたいので人材を紹介して欲しい」と。一方のファンド側は「小泉=竹中時代と異なり美味しい不良債権が出て来ず、市場が干上がっている」と嘆きます。

高く売り抜けたい銀行と、安く買いたたきたいファンドと、立場の異なるどちらにとってもパッとしない今日の日本について「やはり無理矢理でも良いからミニバブルを起こさないと」「税金や社会保障費が高過ぎて政治は一体何をしているのか」と何故か意気投合。

投信委託会社の運用担当者も、投資信託の業界そのものが実は存亡の危機にあるとの思いから、急遽打ち合わせに参加してくれたのですが、利益が相反するふたりの話を聞いていて「何処か一箇所突破口が見つかれば、すべてがグルッと動くような気がしてならないのですが・・・」とわたしに囁きました。

政治批判はわたしもしょっちゅうやりますが、政治のせいで儲からない分野もあれば逆もある筈。経済学的に言えば、市場も失敗するが、政府も失敗しますから、経済活動の結果として評価される各「アセット」の値段を歪(いびつ)にさせる点では、市場と政治は、目糞鼻糞だと思います。そして、汗水垂らして働くよりも小賢しく稼ぎたいという連中が集まる金融業界に、役割らしい役割があるとすれば、その歪(いびつ)な評価を是正すること(アービトラージ)に尽きます。

このブログの読者の皆さんの多くが賛同してくださると思われる観察結果が、日本人の特徴=「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」またその裏返しとして「青信号 みんなが立ち止まっていると 怖くてひとりでは渡れない」(こちらは超字余りですが・・・)、、、です。

この結果、現在の例でいけば、住宅ローンの評価は高過ぎる(銀行の審査が甘すぎる)、外国為替(FX)証拠金取引のキャンペーン単価が高過ぎる(取引所FXの手数料が安過ぎる)などなど、少々考えれば馬鹿馬鹿しいと思われるプライシングが横行しているのに、大手金融機関の役職員が「わかっちゃいるけど やめられない」という理由だけで破綻するまで続けてしまっているというのが、まだまだ沢山観察されます。

取引所FXのキャンペーンに関しては、大手金融機関、、、、例えば我がフェニックス証券のまん前に本店を構え、我が社の何倍もの月坪家賃と何万倍もの広告宣伝費を浪費している証券会社など、、、は、誰がどう考えても今後何世紀掛ってもキャンペーン費用を収益で取り返せるという計算が成り立たないと思われるのです。

そのような業界から潔く撤退し、全く異なるアセットクラスで事業展開するというプレーヤーがもっともっと登場しても、本来であれば可笑しくありません。

そういう業態転換が滅多に起こらないのは、大手金融機関の企業戦略や人事戦略が馬鹿馬鹿しいほど硬直的であることが大きな要因ですが、従業員側もまた、自分が事実上の徒弟制度のもとで長年嫌な思いまでして学びとり業界内なり社内なりで気持ち良く仕事が出来るまで人脈を作り上げてきたものをゼロリセットすることが嫌だということで、結果、金融分野以外の勤労者から見ると違和感があるほど範囲の狭いアセットクラスに安住しようという思いの人が圧倒的に多いこともまた一つの大きな要因だと思います。

確かに欧米の大手金融機関にもアセットクラスごとに専門化したチームが横並びになっては居ますが、グローバルには当然のように存在し、或る意味最重要な金融機能とも言えるアセットアロケーション、例えば日本株を減らしてアジアに投資をするという意思決定機能が日本の金融界にはありません。言いかえれば、マクロベット型のヘッジファンドが日本には存在しないのです。そのような機能を担えるスーパー金融マンがもし育っていたとしたら、恐らく大手銀行の取締役人事部長のようなポストに就いてしまっていたかも知れない、それが我が国の金融業界側のキャリア形成の欠陥であると思っています。

何だか随分偉そうな言い方をつづけましたが、フェニックス証券もごたぶんにもれず、昨年6月からは月間で赤字に陥り、わたしにとっても、収益面での苦労は5年振りにのしかかって来ました。が、半年で収支をトントンに回復させました。これは、フェニックス証券が非常に小ぶりの金融機関で、アセットクラスの見直し、それに必要な人事戦略の実行を、非常にスピーディーに行なっていることが最大の理由だと思います。

アセットクラスの見直し、更には業態の見直しにもつながりますが、これはまだ道半ば。2011年は、ますます明るく変わって行けそうな予感でいっぱいです。

打ち合わせ(その弐)を忘れていました。これは夜に行なわれた役職員の会。場所を提供して下さった
兜町のイタリア&中華 ベリー、そして飲み物を提供して下さった同じく兜町のブッキンに感謝、感謝。
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2011年2月3日木曜日

八百長を英語で何と言うでしょうか?

地上波のワイドショーは、エジプトのデモ隊同士の衝突と大相撲の八百長で持ち切りになっています。

チュニジアに端を発した、地中海沿岸のアラブ諸国の長期政権打倒または崩落の動きについては、半月弱ブログの更新をサボっていましたが、前回の日記のイスラムの話に、かなりの部分尽きている感じがあると思いました。

さて、大相撲の八百長。かつて同業界の野球賭博が問題になったときに、スポーツライターとして最も有名なひとり二宮清純氏がTBSの報道番組で「野球賭博は問題の端っこに過ぎない。本丸は相撲賭博ではないか?」と発言していました。

これは、真実であろうがなかろうが重大な発言ですが、当時わたくしがチェックした限り、メディアは敢えてフォローしませんでした。

野球賭博の捜査の過程で出てきた副産物、八百長は、一般常識的な罪の重さで言うと、野球賭博と相撲賭博のちょうど間ぐらいに位置するのかも知れません。

しかし、少し冷めた目で見てみますと、法律(の解釈)次第では、野球賭博そのものや相撲賭博そのものは古今東西不朽絶対の価値観として罪と言い切れない面があると言わざるを得ません。

言い換えれば、何故宝くじが国家事業として行なわれており、パチンコ屋と景品交換所の関係については国家権力が賭博罪適用の目をつぶり、株式の信用取引は制度として存在するが立会外が許されても向い呑みは許されなず、外国為替証拠金取引においては、取引所取引と店頭取引が併存するが、後者では向い呑みが堂々と行なわれつつ陰に陽に規制が強化されている等々、これらを絶対的かつ無矛盾な価値観や法解釈論で整然と説明できるだろうか、ということです。

八百長の問題に戻るならば、敢えて判りやすくするために、「悪法もまた法である」という点と「反社会的勢力(の介在)とはどういう定義か」という点を省くとすると、八百長と賭博が結びつくことで、一挙に、社会全般の大多数にとって納得できない巨悪へと事態が様変わりするということではないでしょうか。

力士同士で「負けてあげるから金をよこせ」というのは、角界の人事評価制度と給与体系に裁定が働く余地があり過ぎることが問題なのであって、制度の欠陥(8勝7敗を続けていれば降格はない、十両以上には固定給が払われるが幕下以下にはない・・・など)をなくせば、そのような馬鹿げたことはなくなるのではないでしょうか?

野球にしたって、八百長が一切ないとは言い切れないかも知れません。しかし、ここでもう一度打ち込まれたら二軍落ちで戦力外という投手が、相手方の主力打者に「金を積むから凡退してくれ」ということは殆ど成り立たないのではないでしょうか。

反社会的勢力が胴元かどうかは別として、八百長と賭博が結びつけられていたとしたら、日本相撲協会は財産没収という事業仕分けでおしまいでしょう。もしそうでないとすれば、伝統や歴史だけを頼らず、他の格闘技との競争のなかで、事業性を高めるべく、まっとうな人事給与制度に研ぎ澄ませていく課題が執行部に突きつけられているという、だいたいそれだけのものだと思います。

さて、タイトルの八百長ですが、いつも利用しているアルク社の英辞郎によりますと、、、
a put-up fight
とか
fixed game
など、あまりエキサイティングではない訳が出てきますが、「八百長で負ける」を英語に訳する分には
lose on purpose
と極めて明瞭簡潔となっております。

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