2011年8月3日水曜日

イタリア国債の問題は桁違いに深刻

「市場には二つのタイプの参加者がいる。恐怖で動いている参加者と欲望で動いている参加者である。

現在、イタリア国債やスペイン国債の流通市場で観察されている現象は、、、どちらのタイプの参加者も同じ方向(≒売り逃げ)で動いてしまっていることである」

ニューヨークタイムズ紙の記事の特徴は、まず何と言っても文章が長いことですが、もうひとつは記事の結びに取材先からのコメントを格言のように取り出して締めくくっていることです。

米国債の発行額上限問題が何とか解決したとたんに、狼(おおかみ)は再びヨーロッパ、特にイタリア、スペインの扉を叩いたという趣旨の同紙の記事を締めくくっているのは、あるヨーロッパの財務担当高官の匿名のコメントです。

ヨーロッパの主要銀行が保有しているイタリア国債の額は33兆円を超えており、先ごろ問題だったギリシャの国債の30倍以上のレベルとのこと。どの銀行がどれくらい保有しているか、記事に詳細があります。

http://www.nytimes.com/2011/08/03/business/global/pressure-builds-on-italy-and-spain-over-finances.html?pagewanted=1&_r=1&ref=global-home

大手金融機関のビジネスモデルという点で言えば、一昨日発表された英HSBCの大規模リストラの発表は、世界規模での金融ビジネス縮小の前触れに過ぎないという一面を表しています。

一方、大西洋の両側で繰り返される国家債務問題は、通貨発行権限(シニョレッジ)や財政金融政策の独立性(ソブリニティ)を超えたグローバリゼーションに内在する問題の深刻さも如実に物語っています。
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2011年7月20日水曜日

最新鋭FXシステム導入に関するお知らせ

このたび、フェニックス証券株式会社(東京都中央区(外国為替部門)、代表取締役社長:丹羽広)は、外国為替証拠金(FX)取引システムを全面刷新することを決定し、日本を代表するシステムインテグレーターであるNTTコミュニケーションズ株式会社(本社:東京都千代田区、代表取締役社長:有馬彰)との間で、新たにFXシステムの利用に関する契約を締結することと致しました。


新システムは、超高速・高信頼のFXトレード・プラットフォーム「U-FOREX1」を採用し、リッチクライアントはもちろん、iPhone/Android、タブレットなどの複数のトレードチャネルを標準装備とした業界最新鋭のシステムとなります。なお、提供開始は2011年10月初を予定しております。


また、新サービス導入に伴い、お客様には、現行の外国為替証拠金(FX)取引サービスであるフォレックス・ラインから新サービスへの口座移管(証拠金およびポジションの移管)プログラムをご用意する予定です。


現在、FX業界は、レバレッジ規制や、震災後の金融市場混乱を引き摺った取引低迷などで、全体として不振な状況が観察されているなか、フェニックス証券は、敢えてこの環境をチャンスととらえ、FX事業開始後最大規模のシステム投資を行なう決断に至りました。


既存のお客さまをはじめ、ひとりでも多くのお客さまに、フェニックス証券の最新取引システムを御利用いただければと考えております。

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商号:フェニックス証券株式会社(金融商品取引業者)
登録番号:近畿財務局長(金商)第34号
加入協会:日本証券業協会、社団法人 金融先物取引業協会(会員番号1097)

<本件に関するお問合わせ先>

フェニックス証券株式会社 東京支店
TEL:03-3517-1953 E-mail:info@phxs.jp


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2011年7月19日火曜日

ブラームスとプロコフィエフを結ぶ線

例えば、俳句だと、五七五とか、季語をひとつだけ入れるとかの形式があるが、それに囚われず、自由に感動を与えれば良いという立場があります。逆に、形式という制約のなかで感動を与えることに意味があるという立場もあります。

極端にどちらかの立場だけが正しいというものではなく、好き好きなのでしょう。形式という制約も、特定の権力者や権威者が下々に押しつけたものではなく、長年、人間の生理に叶うものとして選ばれ続けられてきた伝統なのだと思われます。

ブラームスやプロコフィエフは、少なくとも或る時期は、どちらかと言えば、形式や伝統にも守るだけの意味があるという考え方で名曲を紡いだ立場の作曲家だったと、「父ハイドンを尊敬した作曲家二人」という趣旨の、一昨日日曜日のN響アワーで説明をされていました。紹介されていた曲は、ハイドン最後の交響曲(第104番「ロンドン」)と、プロコフィエフの最初の交響曲(ロシア革命の年に書かれた「古典交響曲」)、ブラームスが自らの管弦楽技法に自信を持ち「交響曲第一番」の完成へとラストスパートをかけるきっかけになった「ハイドンの主題による変奏曲」です。

プロコフィエフの「古典交響曲」はその第三楽章「ガヴォット」が同番組のオープニングテーマに現在は使われてもいます。

親しみやすい曲ながら、奇妙な転調が続く同楽章は、同時代の作曲家でプロコフィエフの葬儀委員長も務めたカバレフスキーが子どものために書いた「子どものためのピアノ小曲集」にしばしば登場する、決して子ども向けっぽくない、和音進行と良く似ています。

そこでは、前回のブログ、愛の調べの第二楽章で、再度ご紹介したメディアンテが中心的な役割を担っています。

土曜日のオーケストラーダの演奏会は、目の御不自由なお客さまも大勢招かれていて、個性的な演奏会となり、初回公演として大成功でした。プログラムの中心がブラームスの交響曲第一番で、アンコール曲はプロコフィエフの「古典交響曲」の第三楽章「ガヴォット」だったのです。

最近、商業的には大流行している派手なパフォーマンス(だけ)が持ち味の売れっ子指揮者とは一線を画した久保田昌一さんの棒を、素人目で勝手に解釈すれば、クラシック音楽の原点に戻る強い決意の表れだと感じました。プロコフィエフの「古典」をアンコールに選んだ理由も、「新鮮な」原点回帰という含意なのではと勝手に憶測しています。
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2011年7月14日木曜日

愛の調べの第二楽章

【広告】Orchestrada(オーケストラーダ)第1回演奏会
プログラム:ブラームス/交響曲第1番ほか
2011年7月16日(土) 18:00開場 18:30開演
第一生命ホール(晴海トリトンスクエア内)
詳細はコチラから

ブラームスが作曲した交響曲第一番は、それまでの交響曲には無かった画期的な音楽です。

わたくしが、Orchectrada(オーケストラーダ)の指揮者セミナーで勉強したのは、主として第二楽章ですが、その前提として、各楽章の間の関係を見ると、過去の伝統的な古典派音楽にはあまり(※)なかった性質・・・つまり、モーツァルト(の偽作疑惑のない後期の交響曲)やベートーヴェンのほぼすべての交響曲は、第一楽章と第三、四楽章の調性(例えばハ長調)が統一されていて、第二楽章はその下属調(例えばヘ長調)などの近親調が採用されています。ベートーヴェンの有名な第九やシューマンの交響曲の一部にはこのパターンに100%従わない作品もありますが、近親調でない調性(=遠隔調)で出だしたり終わらせたりする楽章は見られません。

近親調ではない遠隔調の代表が、去年の今頃、ブログにアップした「愛の調べ」も転調が妙薬に~シューマンの職人技 でご紹介した、臨時記号(♭や♯や♮)を一度に4つ加減するもので、曲想がガラリと代わり、世界がワープしたような感じをもたらずものです。これを専門用語でメディアンテというそうですが、検索してもあまり出て来ません。

ブラームスの交響曲第一番は第一楽章がハ短調(♭3つ)からハ長調(臨時記号なし)、第二楽章がホ長調(♯4つ)、第三楽章が変イ長調(♭3つ)、第四楽章が最初の楽章と同じくハ短調からハ長調となっています(途中の更に細かい転調は省略)。隣同士の調性の関係がすべてメディアンテという遠隔調の関係にあることがわかります。

わたくしたち日本人は、ベートーヴェンの交響曲第五番(運命)や同第九番(合唱付き)、チャイコフスキーの交響曲第五番のように、「暗から明へ」「苦悩を突きぬけて歓喜へ」という展開を持つ管弦楽曲が大好きです。ブラームス一番も、この類に属しますが、「苦悩から歓喜へ」という展開は、実は第一楽章と第四楽章を直接につなげたハ短調-ハ長調の世界に属しているのであって、第ニ、第三楽章は、この軸とは別世界で違う何かが行なわれているようです。



第一楽章と第四楽章が現実の苦悩や試練だったり解脱や勝利だったりを表現していて「舞台」が屋外に設定されているとするならば、第二楽章と第三楽章は現実に対する夢の世界であり「舞台」の設定は部屋の中と言えるくらい別世界です。

上述のブログでテーマに掲げた「愛の調べ」は、ブラームスとシューマン夫妻の「三角関係」を敢えて美化した名画であります。一方、この第二楽章はオーボエ独奏が印象的で、オーボエ登場前のアンサンブルは風景というか背景に感じられます。第一楽章が絶対音楽としての交響曲の真骨頂であり音楽そのものが主役であるのに対して、第二楽章の冒頭部分は映画音楽のように音楽そのものは脇役です。その中に登場するオーボエは、あたかもブラームスが夢の中に見たクララ・シューマンなのかも知れません。それは決して現実化出来ない夢限定の喜びなのですが、ブラームス本人に心地よく聴こえたオーボエの主題は、弦楽アンサンブルがシンコペーションのアンサンブルを刻み続ける箇所で変容します。8小節ほどの新しい主題のなかで、メロディ主導で調性がホ長調から変イ長調に変わるのは、クララの目線がブラームスからロベルトへと180度翻る瞬間であり、シンコペーションの連鎖はシューマンの音楽の象徴なのではないかと。

例に暇はないですが、シューマン作曲の歌曲集「リーダークライス 作品39」のなかの二曲目「間奏曲」は代表的な名曲であり、強拍と弱拍の入れ替わりという、シューマン音楽の個性であり、第二楽章のオーボエ第二テーマの特徴そのものであります。



第二楽章の終結部分のバイオリンソロとユニゾンするオーボエとホルンはシューマン夫妻であり、バイオリンソロはブラームス本人の悲しみを、より深いビブラートが反映しているように思えます。

勿論、絶対音楽の解釈には正解はなく、さらにはバーンスタインのように、このようなストーリー付けすること自体がナンセンスだという考え方も間違いではないと思います。

(※)5つ以上の楽章を持つ小編成アンサンブル曲ではモーツァルトはすでに「メディアンテ」を使用している例が見られます。
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