2011年7月14日木曜日

愛の調べの第二楽章

【広告】Orchestrada(オーケストラーダ)第1回演奏会
プログラム:ブラームス/交響曲第1番ほか
2011年7月16日(土) 18:00開場 18:30開演
第一生命ホール(晴海トリトンスクエア内)
詳細はコチラから

ブラームスが作曲した交響曲第一番は、それまでの交響曲には無かった画期的な音楽です。

わたくしが、Orchectrada(オーケストラーダ)の指揮者セミナーで勉強したのは、主として第二楽章ですが、その前提として、各楽章の間の関係を見ると、過去の伝統的な古典派音楽にはあまり(※)なかった性質・・・つまり、モーツァルト(の偽作疑惑のない後期の交響曲)やベートーヴェンのほぼすべての交響曲は、第一楽章と第三、四楽章の調性(例えばハ長調)が統一されていて、第二楽章はその下属調(例えばヘ長調)などの近親調が採用されています。ベートーヴェンの有名な第九やシューマンの交響曲の一部にはこのパターンに100%従わない作品もありますが、近親調でない調性(=遠隔調)で出だしたり終わらせたりする楽章は見られません。

近親調ではない遠隔調の代表が、去年の今頃、ブログにアップした「愛の調べ」も転調が妙薬に~シューマンの職人技 でご紹介した、臨時記号(♭や♯や♮)を一度に4つ加減するもので、曲想がガラリと代わり、世界がワープしたような感じをもたらずものです。これを専門用語でメディアンテというそうですが、検索してもあまり出て来ません。

ブラームスの交響曲第一番は第一楽章がハ短調(♭3つ)からハ長調(臨時記号なし)、第二楽章がホ長調(♯4つ)、第三楽章が変イ長調(♭3つ)、第四楽章が最初の楽章と同じくハ短調からハ長調となっています(途中の更に細かい転調は省略)。隣同士の調性の関係がすべてメディアンテという遠隔調の関係にあることがわかります。

わたくしたち日本人は、ベートーヴェンの交響曲第五番(運命)や同第九番(合唱付き)、チャイコフスキーの交響曲第五番のように、「暗から明へ」「苦悩を突きぬけて歓喜へ」という展開を持つ管弦楽曲が大好きです。ブラームス一番も、この類に属しますが、「苦悩から歓喜へ」という展開は、実は第一楽章と第四楽章を直接につなげたハ短調-ハ長調の世界に属しているのであって、第ニ、第三楽章は、この軸とは別世界で違う何かが行なわれているようです。



第一楽章と第四楽章が現実の苦悩や試練だったり解脱や勝利だったりを表現していて「舞台」が屋外に設定されているとするならば、第二楽章と第三楽章は現実に対する夢の世界であり「舞台」の設定は部屋の中と言えるくらい別世界です。

上述のブログでテーマに掲げた「愛の調べ」は、ブラームスとシューマン夫妻の「三角関係」を敢えて美化した名画であります。一方、この第二楽章はオーボエ独奏が印象的で、オーボエ登場前のアンサンブルは風景というか背景に感じられます。第一楽章が絶対音楽としての交響曲の真骨頂であり音楽そのものが主役であるのに対して、第二楽章の冒頭部分は映画音楽のように音楽そのものは脇役です。その中に登場するオーボエは、あたかもブラームスが夢の中に見たクララ・シューマンなのかも知れません。それは決して現実化出来ない夢限定の喜びなのですが、ブラームス本人に心地よく聴こえたオーボエの主題は、弦楽アンサンブルがシンコペーションのアンサンブルを刻み続ける箇所で変容します。8小節ほどの新しい主題のなかで、メロディ主導で調性がホ長調から変イ長調に変わるのは、クララの目線がブラームスからロベルトへと180度翻る瞬間であり、シンコペーションの連鎖はシューマンの音楽の象徴なのではないかと。

例に暇はないですが、シューマン作曲の歌曲集「リーダークライス 作品39」のなかの二曲目「間奏曲」は代表的な名曲であり、強拍と弱拍の入れ替わりという、シューマン音楽の個性であり、第二楽章のオーボエ第二テーマの特徴そのものであります。



第二楽章の終結部分のバイオリンソロとユニゾンするオーボエとホルンはシューマン夫妻であり、バイオリンソロはブラームス本人の悲しみを、より深いビブラートが反映しているように思えます。

勿論、絶対音楽の解釈には正解はなく、さらにはバーンスタインのように、このようなストーリー付けすること自体がナンセンスだという考え方も間違いではないと思います。

(※)5つ以上の楽章を持つ小編成アンサンブル曲ではモーツァルトはすでに「メディアンテ」を使用している例が見られます。
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