年末または年始に戦争のことをときどき書くようにしていました。
2017年の年頭、トランプ=プーチン=習近平時代に安倍内閣は「真田丸」を築けるか?という投稿をしました。
・・・国力が下がり、再び列強の狭間で生き延びるためには、軍事と外交の知恵が必要だ・・・
そのような意味で、前年人気だったNHK大河ドラマを引き合いに出して書いたものです。
ここで取り上げたのが、太平洋戦争開戦のほんの3か月前に、近衛文麿首相や東條英機首相以下、政府・統帥部関係者の前で報告した「総力戦研究所」です。長期戦では間違いなく負けるので対米開戦は避けるべきという具申を、まずは陸軍が、次いで海軍が無視して大東亜戦争に至った、と短くまとめることが出来ます。
しかし、実は、A級戦犯として処刑された東条英機(注)をも含む陸軍も、「総力戦研究所」以前ですら、米国には勝てっこない、と考えていたという事実が、いくつかの歴史書や情報で明らかにされつつあります。
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今年の12月8日は真珠湾攻撃からちょうど80年ということです。12月6日が父の命日で、ちょうど三回目でした。墓参りの際に、その墓を建てる際にお世話になった石材屋さんがわたくしの従兄弟(亡父の甥)の奥様の弟ということで、わざわざ集まってくれて、父の遺品を遠路はるばる持ってきてくれたのです。
そのなかに、「高校」時代に使っていた教科書と、卒業論文が入っていました。
実は、父は生前、「自分は義務教育しか出ていない。当時で言うと尋常高等小学校(現在ではだいたい中学校に相当)卒なんだ。」と言っておりました。わたくしの結婚式でもそのように紹介していました。
(逆?)学歴詐称を、父はしていたことになります。その高校というのが、「陸軍通信学校」という名前です。
思い起こすと不可解なことがいくつもありました。父が、妙に東京の地理に詳しかったり、定年退職後ワープロを覚えたような高齢者が地元で高齢者向けにパソコン教室をやったり、家電量販店で販売員が即答できないような質問を連発したり(販売員だけでなく隣に立つわたくしも回答できなかったのですが)。
この「陸軍通信学校」に関して、いまさらながらどんな学校だったのか調べたいと思っても、何故か、ほとんど調べようがないのです。
最近、アヴァトレード・ジャパンを応援してくださっているアフィリエイト・パートナーさんで、元自衛官(幹部候補生)の聡明な若者がいらっしゃいます。この話をしたら、「陸軍通信学校は、こんにちで言うと、開成高校みたいなもんです。」「本来なら、旧制高校(ナンバースクール)を経て帝国大学へと向かう人材だが、現在の中学校を卒業したのち、家庭の事情などでその余裕がない場合に目指す最難関の教育機関のひとつだったと聞いています。」
「陸軍通信学校」≒「開成高校」という評価にはさすがに違和感があるものの、とにかく情報が手に入らず、肯定も否定もできないのです。
所在地だった神奈川県相模原市を扱った産経新聞の記事程度で、元自衛官のパートナーさんの説明と無矛盾ではあるものの、そこまで偏差値が高い「高校」だったかどうかのか調べようがありません。
もしかすると、「陸軍通信学校」の存在自体が辛うじて自衛隊のなかで現代の神話として口頭伝承はされているが、それ以外の情報は、何らかの理由で抹消されてきているのかも知れないと憶測されます。
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さて、本題はここからです。父が使っていた教科書を見ると、時期的には日独伊三国同盟が締結され、日中戦争は泥沼状態、大東亜戦争は開戦前夜という状況ですが、良く言われている言論統制や軍国主義教育というカラーは、ほとんど見当たらないのです。
数学の教科書は、「関数」が「函数」と表記されていることを除くと、現在の指導要領と大きな違いはありません。理科も然り。そして、外来語のカタカナはそのまま使われています(野球で、ストライク、ファウル、アウトが敵性用語として使えなくなった時期に被っているにもかかわらずです)。
ここで最も驚くべきことは、この教育現場が、かつての通説では、対米開戦に最も積極的だった日本陸軍のお膝元であった、にもかかわらず、です。
圧巻は、社会>地理の教科書です。
さすがに、本文では、中国大陸に関する記載が豊富で、ヨーロッパや中東への言及はほとんどないなど、偏りはあります。
が、表紙の裏の地図には、列強がそれぞれどれだけ軍艦や戦闘機を持っているかという数値(とそれに比例した大きさの船と飛行機のピクトグラム)が書かれていたのです。これを見るだけで、陸軍通信学校の生徒たちは、米国や英国(の連合軍)と戦わされることはないのだろうなとまず前提し、そこからモールス信号や暗号作成・解読技術へと学びを進めていったことが推定されるのです。
この教科書が発行されたのは、「総力戦研究所」の日本必敗シナリオよりも遡ります。ということは、「総力戦研究所」をリクルートしたのは、すでに結論ありきであった軍執行部(あえて対米非戦論が主流であったと言います)が有能なコンサルティング会社の役割を果たすためのものであったとも推量されましょう。
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大東亜戦争開戦は帝国陸軍が非合理的な根性論に従って能動的に対米開戦を主導し次いで帝国海軍も追随した。大日本帝国憲法においては、政党政治という議会制民主主義が機能しない名ばかりの立憲君主制であったので、牽制が働かず軍部の暴走を許したことが、致命的な判断ミスの原因であり、よって予想出来ていたはずの破滅的結末へと進んだ。。。
これが、わたくしなりに、戦後教育のなかで学んだ戦前の昭和史です。実際には、中学校の歴史の授業は、このあたりの教科書の最後のほうはやれていませんでした。どうやらどこの中学校も当時はそんな感じだったようです。
わたくしは、高校時代は日本史を選択していなかったので、実は、去年、日本史のトピックスと関連させて、金・銀・銅・・・管理通貨・仮想通貨(暗号資産)を含む通貨・マネー・経済の話を投稿するに及び、いまさらながらに、高校日本史参考書の決定版と言われている山川出版社「詳説日本史研究」(2017年8月第1刷、2020年4月第3刷)を購入しました。
今年の初めから、アヴァトレード・ジャパンのコンプライアンス本部長(内部管理担当役員)として経営に参加してくれている坂根義範弁護士(東京解決工房法律事務所)は、学部こそ違えど大学の優秀な後輩で日本史に関してわたくしよりもはるかに詳しい輩です。
先日、彼と意気投合したのが、山川出版社「詳説日本史研究」の著者(どの先生が書いてどの先生が編集したかは完全には不明)の明治時代への評価があらわれている2点です。
ひとつは、「明治維新論」(P346)。「明治維新を日本版ブルジョア革命と看做す『労農派』と、逆に?絶対主義(王政復古)と看做す『講座派』という具合にマルクス主義学者の間での議論対立があったが、現在から見ると、いずれの左翼も的を射ていない」という項です。
そしてもうひとつが、「明治憲法体制の特色」(P364)なのです。曰く、「制度上、天皇が統治権の総攬者として諸々の大権を握っていたからといって、明治憲法体制を戦後マルクス主義歴史学者などが主張したように『絶対主義的本質をもつ外見的立憲制にすぎない』と看做すのは適切でない」としたうえで、「明治時代には、天皇の最高の相談相手として、『元老』が実質的に集団で天皇の代行的役割を果たしていた」のだが、「大正期以降、元老の勢力が後退するようになると、実際の政治運営においては内閣・議会・軍部などの諸勢力による権力の割拠性の弊害が進み、やがて1930年代には、天皇の名のもとに軍部などの発言力が増大し、いわゆる『天皇制の無責任の体系』が現れ」たとしています。
下線は筆者
坂根本部長とは、昭和史戦前の部は何度でも振り返る必要があるところだという話をしております。この項を書くにあたり、いわゆる幕末「開国」から何度も振り返っているところです。
「総力戦研究所」に言及した2017年からさらに時代は移り、米国はトランプからバイデンへと大統領が変わり、米中の軋みは新しいステージに入っています。日本の政策担当者が、ペリーやプチャーチンと向き合って以降、外交と軍事の両面ではどのように遊泳し、いっぽう内政面ではどのように国民を宥めてきて、こんにちに至るのか?どこはうまく行きすぎて、どこはうまく行かなさ過ぎたのか?確かに何度も振り返ってみたいところです。
(注)ちょうどこの墓参りの週末にNHKスペシャルの再放送が目に留まりました。
新・ドキュメント太平洋戦争 「1941 第1回 開戦(前編)」というタイトルで、まとめ記事の一部がこちらです。
『英米に対して三国同盟が衝撃を与えるのは必然である。いたずらに排英米運動を行うことを禁止する』
東條ら軍の指導者たちは、この時点ではアメリカとの決定的な対立を避けようとしていた。すでに陸軍は100万を超す大兵力を日中戦争に投じていた。その上、アメリカと対立する余裕はなかったのだ。