キングとキングメーカー
ウィキペディアで小沢一郎と入力すると異例の長文のサガSagaが出てきます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B2%A2%E4%B8%80%E9%83%8E
七転び八起きの衒学的な経済記事より、どろどろとした政治物語のほうが好きだ、とおっしゃる読者でも、途中で読むのが嫌になるほどの長編小説の粗筋こそ、「失われた20年」の間に、いったい日本の政治は何をやっていたのかと暗澹たる気分にさせる話であります。
と、こういう書き方をすると、「七転び八起きよ、おまえも一般メディアと同じで、知恵の無い評論家や庶民と同じで、世の中が悪いのは政治のせいだと言うのか?」と思われます。確かに、これでは、(緩やかな)デフレを日銀のせいだと欠席裁判する八方美人の評論家と同罪ですので、「そうじゃないんです」というお話を後半で致します。
ところで、ウォールストリートジャーナル紙では、小沢一郎氏をa powerful senior official of Japans’ ruling party(与党の権力に富んだ上級幹部のひとり)と不定冠詞で表現していますが、日本国民は違和感を覚えるでしょう。キングメーカーがキングより権力的に上級であるという現象は、上記ウィキペディアを参照するまでもなく、またその前史にあたる田中角栄時代も含めて、日本の政治史では頻繁に見られる現象です。おっと、大企業の経営史も、天皇の権力もそうでした。
清濁のリバランスを可能にする仕組みとは
民主党のキングとキングメーカーの両方の「政治とカネ」の問題は、二世議員が跋扈する政治風土に現れた極端な事例です。地盤、看板、鞄を持たなければ馬鹿馬鹿しくてやってられないのが日本の政治風土だとすれば、自民党(時代)と共通です。野党時代だったから職務権限が存在しない、だから贈収賄は成り立たないという理屈も、巨額資金の源泉から使途へと問題の焦点を移すと、政党内の権力(の座)と資金力の関連性について、眼を塞ぐわけにはいきません。
実は、小沢一郎氏の政治理念は、その鋭さと首尾一貫性において、卓越したものがあります。そして、それを実現するためには「清濁併せ持つ」必要があることを、抽象論ではなくて体感している点において、氏の右に出る者はいないかも知れません。中選挙区制度ではカネが掛り過ぎるということで小選挙区制度を導入したのが政治改革だったとすればせせら笑うべき話ですが、これには小党、新党が割拠する状況では政治は流動化するばかりであるという反省もあったと思われます。
民主党では一兵卒だった筈の小沢一郎氏が、やはり権力を掌握したのは、文弱だった民主党の体質を改善すべく、溝板選挙を陣頭指揮した功績が背景にあります。そして、そこには経験や話術だけでなく、やはり残念ながら少額では済まされない資金が必要だったのかも知れません。
七転び八起きは、いまでも、我が国政治の分岐点として、衆参捻じれ現象下の小沢代表(当時)が福田首相(当時)と大連立を協議したのに、民主党の他の幹部から差しとめられ、民主党離党を一瞬表明した事件、あの時歴史が動いた、否、止まったと見ています。
恐らく、政治家の皆さん自身が、判っていても言い出しづらい、行動に移しづらい、政治の枠組みのリストラの妙案がいくつもあると思われます。一院制にして、定数を抜本的に減らしつつ、全国区比例代表のウエイトを格段に上げる。これをやれば、90年代の政治に混迷を与えた小党、新党の問題は再燃せず、カネの掛らないリーダーを産み出せます。二世議員の同一地盤からの出馬禁止というやり方は、アプローチ方法が間違っていると七転び八起きは考えています。一院制その他の改革、否、革命に近いかも知れませんが、捻じれは一切生じなくどころか、欧米アジアの主要国とも対峙できる元首と呼ぶに相応しいリーダーが、その候補となる多くの人材が、政治の世界に関心を抱くようになるでしょう。
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