2015年4月1日水曜日

ワインと狩猟とグローバル資本主義

いまだに、塩山や勝沼のワインは、コストパフォーマンスという指標では(※1)、自由貿易のもとでは比較優位とはまだまだ言い難く(※2)、個人の趣味ならいざ知らず、飲食店として数を仕入れるとなると、経営の屋台骨を揺るがしかねません。

いっぽう、I(アイ)ターンブームは根強く、リーマンショックや東日本大震災は寧ろその潮流の触媒になっています。人口減少と空き家問題を抱える山梨県も、ご多分に漏れず典型的なIターン先になっています。

わたくしが頻繁に訪ね、農林業関連の非営利団体やワイナリーへの水先案内人になってくれているひともそのひとりです。

(※1)コストパフォーマンスと言っても、決して客観的な指標ではありません。人の味覚なんて、蓼食う虫も好き好きなのですから。
(※2)天候、土壌、人件費どれをとっても輸入品に対抗するのが容易でない日本のワインなのに、その生産地は、むしろ、より多くの都道府県に広がっています。極端な事例として東京都(と言っても練馬区)にも及んでいます。そこまでレアアイテムだと、コスパという概念から掛け離れた3500円という値段がついてもその人気に生産が追いつかない実情があるようです。いっぽうで、まだまだ例外の部類かもしれないけれど、塩尻のメルローは国際競争力があることを付け加えたいと思います。


さて、塩山や勝沼は、わたくしが足腰を鍛えるためのベースキャンプにしている地域でもあります。自分自身への高齢化対策ではかならずしもありません。国内の単純な平均よりも高齢化が進み後継者難に陥っている猟友会への入会が念頭にあります。里山の農林業に被害を与える害獣を駆除し、それを都心のジビエブームに充当するというエコロジーでエコノミーな発想です。


塩山と勝沼を取材するたびに、この野心と発想が打ち砕かれていきます。空前のジビエブームの恩恵に、《本州の》中山間地があずかれず、都心のジビエレストランへの供給元は99%北海道である、つまり蝦夷鹿であるという事実。

これは、
①ニホンジカとエゾシカの品質の違い
②地形の違いとそれによる捕獲方法の違い

このうち、①はどうしようもないので、さておくとします。②について。本州の中山間部で害獣を駆除するには熟練した射手が、細くも生い茂った杉林(※3)の間を縫って、動く鹿を射止める必要がありますが、北海道では10ヘクタールもの平地を利用して、エゾシカの好きな餌のまわりにどんどん追い込んで行き、まとめて捕獲することが出来るらしいのです(本州の中山間地のような駆除方法がまったく行われていないわけではない)。

捕獲コストの違い
⇒スケーラビリティの発生
⇒捕獲直後の精肉(人間の食用(=商用)となるための重要な要件)を可能にするインフラとロジスティックスへの投資の採算性が向上

これすなわち《ネットワーク外部性》による《フィージビリティ》の発生への連鎖です。

しかも、北海道と本州は、いわば固定相場です 笑。どこかの山奥の中央銀行のように突然無制限介入を辞めたからと言って固定相場が崩れることもありません 爆。

(※3)山林という不動産をかつては収益していた地域の豪族が、材木の《比較優位》が失われたことで、間伐作業などに経費を掛けられなくなった。十分な太さに至らない杉林は、森の下草の光合成を蝕む。山林の保水力を蝕むことにもなるし、野生獣にとっての食べ物も不足させる。やむをえずかわりの餌をもとめて里山から人里へと「侵入」してきている。《比較優位》と書きました。戦前の林業も絶対優位はなかったかも知れませんが、戦後失われたのは工業化と行動成長による比較優位でしょう。

本州の中山間地域では、エコロジーとエコノミーを両立する好循環は生まれ得ないのか???

補助金や山林の権利関係(強制収容による国有化公有化)(←どちらも税金ですが)の話に行くところですが、ポール・クルーグマンの切り口を使うと、北海道と本州の里山の微妙とは言えない初期条件の違いをうまく乗り越えさせてあげれば、バッテリーがあがっているだけで、エンジンもガソリンも健全なクルマのように、走りだしてくれるのではないかと発想したいところです。

このブログでは、たびたび大きすぎる政府を批判してきました。いっぽう、本州の中山間地域の農業、林業、狩猟(業)にはネットワーク外部性があると指摘しました。外部性があるのであれば、公的介入は是認できます。このような分野こそTPPでは例外的にデリケートに扱われなければならないと思います。もうひとつ指摘した、里山の保水力の低下もこれあり。ネットワーク外部性を論じるまでもなく、水利には外部性があるのですから。

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