2023年10月23日月曜日

ハマス奇襲を許したのはモサドの弱体化なのか?ネタニエフ首相の怠慢なのか?

去る10月10日の「第五次中東戦争か?第三次世界大戦か?」は、いつも以上に多くの方々にお読みいただき、ありがとうございました。

この内容に基づいて、アヴァトレード・ジャパンが珍しくスポンサーをしているWiLL BizというYouTubeチャンネルで、同編集長の山根真さんの見事な司会にいざなわれるかたちで、この内容をお話してきました。


こちらもまたありがたいことに、WiLL Bizのコンテンツのなかでも、少なくともわたくしの登場回のなかではダントツの反響を得ることが出来ました。WiLL Bizのチャンネル登録者にはわたくしと考え方がかなり異なるコテコテの保守派の方もおおぜいいらっしゃり、アンチコメントもこれまで多かったものでしたが、今回はそうでもなかったのが特徴です。

お時間の許す限り、是非ご覧いただければと思います。

さて、現時点においては、10月7日(土)のハマス奇襲が未曽有の規模のものとして「成功」してしまった理由として、

①世界に冠たるイスラエルの諜報機関ハマスが弱体化していた。または油断があった。
②弱体化は言い過ぎだが、圧倒的に進化した同国のデジタル技術による諜報活動(≒シギント)に頼りすぎて、人間関係に基づく諜報活動(≒ヒューミント)が弱体化するなど油断があった(対するハマス側は、電磁的交信手段に極力頼らずに作戦準備をしていたい)。
③実はモサドは(意外にもイスラエルと友好関係を築いている)エジプト発の本件兆候を掴んでいたが、それを報告したネタニエフ政権が無視をした。

これら諸説の乱立は、「9.11」直後の陰謀論の既視感すらあります。「現時点において」と書いたものの、この先も事実関係が解明されるのかどうか怪しいものです。

「情報収集」にとどまらず(しばしば要人の暗殺などにも及ぶ)「工作活動」までをもミッションに含む強力な諜報機関は、専制政治の国ではいくつも例があるが、民主政体の国では現在ではイスラエルだけだと、以下のTBSの動画で、陸上自衛隊小平学校で教鞭をとったこともある落合浩太郎東京工科大学教授が語っています。


確かに、モサドの「名声」を世界的に高めた逸話として、ミュンヘンオリンピック事件(1972年)への報復、ゲシュタポのユダヤ人移送局長官だったアドルフ・アイヒマンを逃亡先のアルゼンチンまで突き止め拘束し、ベングリオン政権下で絞首刑にした「手柄」などがあげられます。なお、ベングリオン首相は、日本赤軍によるクーデターでも有名になってしまったテルアビブ空港の現在の名前となっていますが、一説には、JFK(こちらも空港の名前に)暗殺の黒幕だとも言われています。

しかしいっぽうでCIAが、ピッグス湾事件(1961年)や、チリのクーデター(1973年)のような事実上の工作活動から冷戦終結後は足を洗ったと言えるのかどうかわたくしにはわかりません。前パラグラフで触れたJFKについては、CIAではありませんが、FBIの初代かつJFK政権時もその長官であったフーバーが黒幕という説も濃厚です。

米国とイスラエル(そしてロシアやイギリス)はさておき、日本の情報機関は、戦後については「工作活動」までは行えていないような印象はあります。日本の情報機関については、どうやらTBSのドラマ「日曜劇場Vivant」で注目を集めたようです。

目下の中東問題について全力でアップデートしつつ、日本の情報機関の構造と歴史と問題点について集中して開設した以下の動画が非常に優れていると考え、最後に共有したいと思います。

平和ボケという点では、当然我々はイスラエルを笑える状況ではないので、安全保障に興味のある皆さま是非ご覧ください。






 

2023年10月10日火曜日

第五次中東戦争か?第三次世界大戦か?

ちょうど50年前のほぼ同じ日に始まった第四次中東戦争は、イスラエル建国以来それまでの3度の戦争と比べ、エジプトやシリアなどによる奇襲が奏功したこともあり、最終的にはイスラエル側勝利とされているものの、イスラエルの被害は大きく、死者は2500人ないし2800人にのぼったと言われています。

対して、50年ぶりの奇襲攻撃で、はや900名以上の犠牲者が出ていて、ガザ側(≒ハマス側)よりもその数が多いと推測されている事態を、イスラエル版9.11と恰も晴天の霹靂だったと表現する人が多いのは頷けます(※)。

イスラエルは(四国と同じぐらいの国土・・・ただし地形は大いに異なる・・・に)約1000万人が暮らす国です。

日本との人口の比率を考えると、北朝鮮から飛翔するミサイルがせいぜい脅しでまさか東京に着弾することはないだろうと思っていたところ、そのまさかが現実のものとなって、いきなり9000人以上の一般市民が犠牲になり、またそれに加えて大勢の拉致被害者が出たくらいのインパクトがあります。

日本にも来てくれたことがあるグローバルCMO(グループ全体のマーケティング責任者)は、わたくしとほとんど年齢が変わらないオッサンですが、そんな年齢でも予備役にあるのです。まだ確認することが出来ていませんが、彼がすでに臨時招集されている可能性は大いにあります。

イスラエルを主人公または悪役あるいは狂言回しとした中東戦争は、第二次世界大戦終結後はおよそ10年おきに発生していました。この50年間は、平和と自由、ゆえに多様性や研究開発や経済活動に安心してのめり込めていた時期だったと考えられます。

いっぽうで、イスラエルの政体が何故そうなったのかはわからないのですが、日本とは大きくことなっています。どちらも歴史的経緯からして英国議会を範としていそうな気がするのですが。イスラエルの議会は一院制で比例代表の全国区しかないのです。にもかかわらず、奇跡的に、長い間、二大政党制による政権交代が実現していたところ、近年は少数政党乱立という欠点が現れ、連立協議がまとまらず政権が成立しないため国政選挙のやり直しという事態がなんども続き、気が付けば、汚職まみれのネタニエフ氏が復権したということがありました。

このような環境のなかで、世界最強との呼び名が高い諜報機関モサドが気が付けば弱体化していたのも、今回の原因なのではないかというのが、以下の動画で解説されています。 アヴァトレード・ジャパンは、いま、同チャンネルの弟分とも言えるWiLL Bizのスポンサーをやっていますが、ここのところ、岸田政権の経済政策の話や、不動産相場問題など、ぶっちゃけあまりパッとしない内容のものが多くて、スポンサーシップどうしようかなと悩んでいたところでした。しかし、1年半まえには、ウクライナ問題についてダボス会議でのヘンリー・キッシンジャー対ジョージ・ソロスの激論を見事にまとめてくれていた白川司さんが、ここで展開してくれている内容は見事です。国内の一般のメディアの扱いが過少だったり偏向があるのに対して、右は右でも、ディープステート批判なども扱う当該メディアとしては、わかる範囲で中立公平な分析を提供してくれていると思い、引用させてもらいました。

偏向と言えば偏向なのは、トランプ時代は中東政策はうまく行っていたが、バイデン政権になりぐちゃぐちゃになった。大きなポイントは、イラン(ゆえにハマス)に対しては強硬で良かったのが宥和となり、ロシアに対しては宥和で良かったのが強硬となったことが原因という切り口。ただし、イスラエルとサウジアラビアその他湾岸諸国の仲を取り持ったのはトランプ政権下の話なので、トランプが善玉で、バイデンが悪玉というほど事は単純ではなさそうです。

テルアビブに数回出張に行かされた身分としては、一番のショックは、ガザ地区からテルアビブ市までの距離はそこそこあり、これまでのハマスによるテロ活動はガザ地区にもっとずっと近い地域での小規模な被害に限定されていたのが、ずいぶんと飛行距離の長い優秀なミサイルを突如(しかし用意周到に)ハマスが手に入れていたことです。

この驚きは、多くのテルアビブ市民に共有されていると思われます。日本のいわゆる平和ボケと比べるのは相当ではないものの、第四次中東戦争(冒頭紹介した石油ショック~トイレットペーパー品切れをもたらしたあれです)を幼少時に体験した同僚も、あのときの緒戦よりも今回のほうが格段にショッキングで(倍返しは間違いなくするが現在のところ)いつにない劣勢を感じると述べていました。

このような状況でも、アヴァトレードのサーバやポートなど通信機器はすべてイスラエル外にあるため、日本では祝日の昨日も問題なくサービスは継続しています。

いま思うと、アヴァトレード本社のウエブサーバへのDDoS攻撃(対応済)が頻発していて、これもハマスやヒズボラのテロ資金稼ぎだったのかもと勘繰りたくもなりますが、MT4/5サーバには何の影響もなかったことは、すでにお知らせなどで公表していたとおりです。

話が飛びます。

私はすでにアヴァトレード・ジャパンの社長を10年以上務めて、なかなかビジネスの基盤づくりに苦労した時期が長かったですが、ようやく近年、パートナーの方々にも恵まれ、同僚の成長もあり、また金融当局による温かいお見守りもあり、独特の成長モデルを作る目途がたってきたように思っています。忘れてならないのは、アヴァトレードの経営哲学で、なかなか日本でも世界でも見られない方針でやっています。その方針の基礎になっているのが、二人のオーナー家の慧眼だと思っています。たまに話をするのですが、3月に出張に来た前CEOとは、前述の、イスラエルの選挙制度(議会制度)の問題について、日本料理に舌鼓を打ちながら話をしました。選挙制度(議会制度)の結果で、物事を決められない機能不全の国家像と今日発生してしまった悲劇と無関係とは言えないとは思うのです。

かと言って、どちらかと言えば、ナポレオン、ビスマルク、、、スターリン、毛沢東、ヒトラー、、、エルドアン、習近平のようなタイプのリーダーが常に望ましいかというとそうではないとも思います。

このあたりが難しいところで、強力なリーダーシップの一長一短については、ひとりでも多くの選挙権、被選挙権を持つ国民が、各地域の紛争の歴史から、先入観なしに学んでいくのが正しいアプローチなのではないかと。

あと二年そこらで還暦になるので、人生第三コーナーからはそちらの分野で何か役に立ちたいという話も、イスラエルから出張者が来るときにはしているのです。

物事の考え方が真逆(だが一方で日猶同祖論も人気の?)ユダヤ人とくんずほぐれつ10年間やってきた経験も生かせると考えています。

が、考え方が真逆と言っても、知り合いの命が奪われたり、自分の命も危ないという状況へと人生が暗転したときの不安心理は、人類共通です。

ユダヤ人らしからぬユダヤ人として、イエス・キリストと並ぶ(?)カール・マルクスは、「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」(共産党宣言)と嘯きましたが、それだけではなかったと思います。富を巡る戦いを階級闘争の延長として捉えることは可能かも知れませんが、宗教戦争のすべてを階級闘争で説明するのは無理があります(十字軍遠征のように説明できるものもある)。

人類の多くは最初は多神教を生み出したと考えられますが、それが今日まで大きな形を変えずに温存されているのは日本を含めあまり多くはなく、ご存じのように、旧約聖書を共通の経典とする3宗教(一神教)が人口では今日まで圧倒してきたわけです。多神教や仏教では戦争が起きないとは言えません。この話を突き詰めていくと、憤慨するユダヤ人もいますが、ユダヤ人の側から一神教がいけないんだよ(と言いながら無神論者になったわけでもない)有人も結構いまはいる点は是非申し添えたいと思います。

イスラエルがウクライナへのスパイウエア提供を断る

※この原稿を執筆中に、親会社の同僚と電話会議をしましたら、ニューヨークと行き来している人物によれば、同じ無差別テロとは言え、一点集中だった9.11よりも、広範囲かつ断続的にミサイルが飛んでいているいまのイスラエルの状況のほうが酷いという評価だそうです。また、ちょうど話していた相手の出身の集落の知り合いがすでに少なくとも10人は亡くなっている。さらに、私が一番親しくしている(が条件交渉の相手としては厳しい)同僚は、家族のうち彼の父親だけが防空壕に逃げ損ねて一昨日亡くなったという悲しい知らせもありました。

2023年7月3日月曜日

ジョージ・ソロスとその師匠カール・ポパー∽反証主義と弁証法の近親憎悪

 マルクスとエンゲルスの迷言集

 ジョージ・ソロスは自らが創設した協会(財団)に「開かれた社会」(オープン・ソサエティ)と命名したのは、ジョージ・ソロスがロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)その薫陶を受けたカール・ポパーの代表的な著作「開かれた社会とその敵」に負っています。

 「開かれた社会とその敵」の「その敵」とは、まず前半ではプラトン、そして後半ではヘーゲル、マルクス、つまり弁証法とヒストリシズムです。ヒストリシズムは日本語にどう訳すれば良いのか難しいところですが、これは決定論的な歴史主義とでも言ったところです。カール・ポパーは、プラトンに見られる全体主義的なものの考え方へと同様、決定論的歴史主義へも徹底的な批判を展開します。

 注目すべきは、カール・ポパーとしては、決定論的歴史主義をあたかも裏付けているような弁証法まで気に入らないとしているところです。

 弁証法については、このブログで、何故か訪問者数がベストテンにのぼる毛色の変わった弁証法入門コンテンツもあるので、かなり悪趣味だと自戒しますが、参考までにリンクを貼らせてください。

 ベートーヴェンとヘーゲルが同い年だったという浅田彰氏の指摘

 マルクスやエンゲルスの特徴をヘーゲルとの対比で申し上げると、弁証法と唯物論を結びつけることで、特に、資本主義社会の内部崩壊は必然、社会主義や共産主義への相転移(≒革命)も必然と言い切ってしまっているところです。唯物論が間違っているとは言いませんが、観念論VS唯物論は哲学上決着がないアジェンダなのですから、一方的に観念論が間違いで唯物論が正しいと言い切ることが間違いなのです。

 このようにマルクスというのは「経済学者」(?)、社会思想家としてはなかなか問題の人物ですが、コピーライターやアジテーターとしては一流です。

 「すべてを疑え」

「宗教はアヘンだ」

 とくにこのふたつの警句が私のお気に入りです。

 前者は、本来の弁証法の元祖とも言えるソクラテスの「無知の知」を彷彿とさせます。カール・ポパーは、(プラトンとは異なり)知的謙虚さという観点からも、そしてカール・ポパーが科学的命題と似非科学的命題の線引きとして提案した反証可能性というものの考え方とも馴染みます。一方、マルクス自身は、後者の警句とも関連しますが、自分の考え方とわずかでも差異がある思想家や革命家に対してはリベラリスト大同小異とはせず、歯に衣着せぬ批判を展開しました。そして後者については、マルクス主義そのものが宗教に成り下がってしまった。布教への執念と異教徒に対するよりもむしろ宗教内の異端の派閥や宗旨に対する攻撃のほうが激しい点も、一神教のインターナショナルな宗教と似ています。内ゲバで殺された人のほうが宗教戦争で殺された人よりも多いのだそうです。

 「マルクス主義者にとってマルクス主義はアヘンだ」と皮肉ったのは、経済学者サミュエルソンです。

 マルクスと一枚岩だと思われがちなエンゲルスは、イギリスの工場主のお坊ちゃんで、マルクスに心酔するわけです。エンゲルスの名言(?)集から。

 「サルとヒト、その群を分けるのは、労働である」

「ひとつのものにとっての善は、他のものにとって悪である。」

「愛情に基づくものが、道徳的な婚姻ならば、愛情が続くものだけが、道徳的な婚姻である」

 最後のだけは、広末涼子さんあたりに聞かせてあげたい気もしますが、総じて、意味不明で論評に値しないと言わざるを得ません。そんなエンゲルスが、マルクスの死後に書いた大作に、いま話題にしている弁証法を題材とした「自然の弁証法」という書物があります。

 反証主義と弁証法の近隣憎悪

 弁証法とは何を指すかというのは、哲学者によってまちまちなようで、やはり、マルクス出現以降は、どうしても、

 「資本主義は自らが孕む矛盾によって自己崩壊し必然的に社会主義その先共産主義へと相転移する。」

 「これは科学的で論理的な結論である。」

 このような決めつけこそが現代的で狭義の弁証法だということについついなってしまっていたのではないかと???

 マルクスを妄信し溺愛した心優しいお金持ちエンゲルスは、マルクスの死後に、マルクス理論の普遍性と正当性を担保したいという一心で(←たぶん)「自然の弁証法」という大著に取り掛かります。残念ながら未完成で、エンゲルスの生前には出版に至らなかったのですが、これは本末転倒の問題作ではないかと。

 「自然の弁証法」の「自然」とは自然科学の自然です。曰く、社会科学においては(いわゆる文系の諸学問を社会科学と呼ぶこと自体が暗にマルクス理論の影響を受けまくっているのですが)マルクスのおかげで弁証法の適用と唯物論との結びつけによって社会主義(へと必然的に移行するという予想が)「空想から科学へ」と真価した。実はこの弁証法というのは人類社会に対してだけでなくもっと普遍的に自然界の分析にも応用が利くものであると。

 私は、この点で、カール・ポパーが「開かれた社会とその敵」でヘーゲルとマルクスとそれらの弁証法を批判したやり方ほど手厳しくないのですが、弁証法は、自然科学の分野では、もともと、結構役立っていて、実は、カール・ポパーが、イギリス経験論へのアンチテーゼとして唱えた「反証主義」とかなり近しいのではないか?

 研究不足の門外漢が言うとお叱りをうけることを承知で言わせてもらうと、カール・ポパーにとっては、マルクスは(人道主義の面の皮を剥がせば最悪の全体主義に他ならない)社会主義社会を煽ったということで、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いということで、弁証法をコテンパンにやっつけたかったというところがあるのではないかとまで考えています。

 ジョージ・ソロスの「再帰性」はかなり自然の弁証法だ!?

 そして、カール・ポパーのことを誰よりも師として仰いだジョージ・ソロスも、もしかするとそのことに気が付いていたのではないかと。幾分かはカール・ポパーの哲学を微修正しながら取り入れたと考えると、ジョージ・ソロスの投資家としてのアプローチ、就中、ジョージ・ソロスの「再帰性」という考え方が頗る弁証法と無矛盾であることにも納得がいきます。

 オープン・ソサエティ、開かれた社会を志向することは、政治においてはより小さい政府、規制の少ない市場経済、究極は国境のない世界という理想像が見えてきます。ところが、ジョージ・ソロスは、本音こそわかりませんが、「再帰性」という独自の哲学、これはもちろん彼の市場哲学を包含しているわけで、これを説くときに、もともとの新古典派経済学というか、カール・ポパーと同時代のオーストリア学派の経済学者でリバタリアンと呼ばれる人たちの、市場に任せるべきだという考え方を全面的に肯定すべきではないのだ。人間はその自らが属する社会を観察し認識し反応する。社会を、労働力を含む商品とその相場という側面で見ると、価格を見て高いか安いか認識し、買うか売るか決める、その行為がまた市況へとフィードバックされて云々という動き、ジョージ・ソロスが「再帰性」という表現するのはここであって、実にこれは複雑系なわけで、放っておけば最適解に導かれるという綺麗なものではないというわけです。

 ちなみに、現在の新古典派の正統派経済学者のちゃんとした人たちの間で、自由な市場に放っておけば市場経済参加者最大多数の最大幸福が持たされるなどと言っているひとは居ません。

 複雑系にはレベルがあります。天気予報は技術の進歩で正確さは日進月歩ですが、線状降水帯を当てるのはまだまだ難しいとされています。これは気象という現象が複雑系だからです。

 これに比べると、交通渋滞はそこまで複雑に思えないので、予想がしやすそうですが、その予想を見て、例えばゴールデンウイークの何日目に帰省から戻ろうと考えていた人が曜日をずらすとかいうフィードバックが起きてしまい、その効果、さらにはそれによる予想の変化、そして再フィードバックを考慮して、となってくると、もとの複雑さは気象現象ほどではなかったのに、不可知性という点では、天気予報よりも高レベルの複雑系となってしまうというわけです。

 ジョージ・ソロスが「再帰性」という概念で示した市場の歪みと投資手法というのはまさにそのような複雑系としての市場、市場メカニズムは完ぺきではないという洞察を含んでいると見ます。

 しかし、ジョージ・ソロスの外国為替相場での巧みさのコツがこの再帰性の認識だけなのかというと、それはかなり違うのではないか、と私は考えています。

 カリスマ化した一流シェフが、コンビニチェーンと組んで企画商品をプロモートすることはありますが、門外不出のタレの製法まで教えることはありません。ソロス本を読んでも、家の台所ではタレは作らせてもらえないのでしょう。

 現代のルネサンス男、カール・ポパー

 カール・ポパーは、バートランド・ラッセルと並ぶ20世紀最大の知の巨人だという人が大勢います。その活動範囲は、哲学にとどまらず、数学(確率論を含む)、物理学、政治学、経済学、心理学と多岐に及びます。面白いのは、カール・ポパーが自ら編み出した「反証主義」を進化論に当てはめている部分です。ご存じのように、生物の種の進化の原動力は、突然変異体の出現です。多くの場合それは奇形だとして長生きできなかったりするのでしょうが、たまには、突然変異体のほうが環境に適合する場合があり、同じような突然変異体の濃度がある閾値を超えるようなことがあれば、新しい亜種や種が成立して、場合によってはコピーエラーがなかった伝統的な種を片隅に追いやるという場合もあるというわけです。カール・ポパーは、突然変異体の出現を新しい仮設と看做し、その反証に耐えうるかどうかの対象が伝統的な種である。進化とはまさにしばしば現れる突然変異という反証の機会(反証されるかどうかは場合による)を経た試行錯誤の過程であり漸進的なピースミルワークなのだと言います。

 最後のところ、漸進的なピースミルワークなのか、革命的な相転移なのか、これは何百万年、何千万年という気の遠くなるような時間軸で見ないと判断が出来ないところですが、もうお分かりいただいているように、進化論的認識論に限っては、反証主義と弁証法との間に大きな違いはないように思えます。

 最も重大な問題は、種の進化は進歩なのか?社会構造(マルクスやエンゲルスが言うところの生産関係)の変化は人類の進歩なのか?というところです。視聴者の皆さんは、後者の問いに対する答えが否であることは良くご存じです。前者についても、昔は、人類は万物の霊長であるなどと言われていましたが、5億年以上も前から、ひたすら正確な遺伝子のコピーを行い続け、こんにちも元気に、ひ弱な人類と共存しているような決着のつかない戦いを続けているような古細菌やウィルス(←生命と看做されるかどうかについては議論あり)に思いを馳せれば、進化しまくった人類が偉くて、進化を一切拒否した微生物が劣っている、後者は人類の奴隷として医薬品や発酵食品づくりに役立つか根絶すべき病原体かのどちらかだという見方はもう古いと言わざるを得ません。

 リベラルアーツは反証主義と弁証法をアウフヘーベン(止揚)する!?

 カール・ポパーは、開かれた社会と小さな政府と試行錯誤過程による(劇的革命ではなく)ピースミルワークによって社会を改良していくべきだという自由民主主義者ですが、若いころにはマルクス、エンゲルスにどっぷり嵌った。これは決して無駄ではなく、以降、哲学史どころか人類史における全体主義的な思考・志向が何に由来するのかについて、より鮮やかに説くうえで、役立っていると自己評価します。

 カール・ポパーが語られるときに、ほとんど取り上げられないのが、その共産主義活動の若い時期に、音楽家を目指して、クラシック音楽史で言えば、現代音楽の最重要作曲家のひとりであることが間違いないシェーンベルクの「私的演奏協会」に入会していたことです(注1)。

 このころのカール・ポパーの発言によれば、彼のお気に入りの作曲家は、バッハであり、モーツァルトであり、はたまたシューベルトであった。いっぽう嫌いな作曲家はワーグナーとリヒャルト・シュトラウスであったそうです。ドイツ語圏の作曲家以外にはどうも言及がなかったようなので、ドビュッシーやヴェルディのような作曲家に対してはどう思っていたのかは気になります。

 カール・ポパーは、ウィーン版民青と同様、熱しやすく冷めやすいと言ったところで、このシェーンベルクのインナーサークルとも決別します。音楽家としての将来は(哲学者、数学者、心理学者などと比べ)ないと考えた点もあるでしょうが、重要なのは、そのシェーンベルクの私的演奏協会の「命題」というのがあったそうで、

     いかにしてわれわれはワーグナーにとって代わることが出来るか?

    いかにしてわれわれはわれわれ自身のうちにおけるワーグナーの残滓を捨て去ることができるか?

    どのようにしたらわれわれは万人に先んじ続けることができ、また絶えずわれわれ自身の先を越すことさえできるか?

 ぶっちゃけ、このような囚われ方にあきれてカール・ポパーはシェーンベルクの(取り巻きたちの)もとを去ったと言われていますが、①~③は、音楽家として生活の足場を作る、音楽史に名声を残す、音楽にも弁証法的な進歩主義が当てはまると考えるのなら、まったく理解できないことではないのかも知れません。果たしてどうでしょうか???

 カール・ポパーが最も尊敬する音楽家であるバッハについてですが、YouTubeに、バッハの代表的な楽曲のさわりの部分を、年代順に、10歳代から60歳代まで並べて流してくれているとてもありがたい動画があがっていました。これを聴いて(視て)驚いたのですが、天才と言われている大抵の芸術家は、確かに早熟だったかも知れないが、10歳前後の作品には「才能の片鱗を感じるが、まだまだ荒らしく、完成度は云々」などと職業評論家に評され、最晩年の作品となると「多少枯れてはいるが円熟の域に達しており云々」というおきまりのパターンが普通なのに対して、バッハの場合というのは、これは被験者の選定が難しいですが、クラシック音楽がある程度好きだが、超バッハおたくではない、バッハの音楽については耳にしたことがあっても、楽曲名まで当てられない、ましてや作曲年代については知識がない程度の被験者をなるべく集めてきて、サンプル音源を、若いほうから順番に並べてくださいという問題を出したとしましょう。たぶん、被験者グループに間違って潜り込んだ作品番号暗記している級のバッハマニア以外は誰も正解はできないことでしょう。

 これはすごいことで、野球で言うと、高校卒のルーキー投手がいきなりプロで二けた勝利をあげた。二年目のジンクスも克服した。その後、あれよあれよと毎年10勝以上して、二十歳代と三十代を通じてたいしたスランプもなく、40前後でもうそろそろほかのことがしたいからという理由であっさり引退みたいな話です。

 バッハは作曲を始めた子供のころから成長も後退もしていない!

 音楽ではありませんが、絵画で言えば、例えば日本でゴッホ展やピカソ展があったりすると、各展示室には、作品年代ごとの作品が整然と置かれ、それぞれの年代の特徴や背景などが解説されているのが普通です。多くの芸術家は、その足跡をたどることによって、成長や変化、それはときには漸進的だが、ときには(エンゲルスの言う「量的変化が質的変化を」みたく)非連続的というか革命的なものとして見て取れるものです。これに対して、バッハの音楽は、生まれたときから、もはや進化の余地もないかわりに退化のきざしもないすべて百点満点の答案でぎっしり満たされているというわけです。

 確かに、先述のシェーンベルグは音楽史にはっきりと名を刻む現代作曲家です。かれの功績は音楽理論的に言うと、十二音法を編み出したこととされています。このおかげで、われわれ現代人は、映画やテレビのドラマや報道番組で、歌として聞いたらまったく旋律的でないが無意識のうちに情景に引き込まれる新しい音楽を享受できています。しかし、この十二音という音楽というか旋律はすでにバッハはやってくれていたのです。

 唐突に結論。歴史を学ぶことも優れた芸術作品に触れることも良いのですが、これら、つまり自然科学以外の人間の営みに対して、弁証法的な進歩史観を持ち込むのはナンセンスであり、さらに言えば危険であるということです。

 哲学についても音楽学についても門外漢である私の不正確な説明をここまで許してくださりありがとうございます。たまたま、カール・ポパーにとっては、進歩主義的な歴史観(が人類を救うのではないか)、進歩主義的な音楽史観(がアンチセミティックなリヒャルト・ワーグナーをぎゃふんと言わせられるのではないか)、という熱病に一瞬侵されつつもそれを克服したとこから、彼の反証主義と開かれた社会への志向がはぐくまれていったことに言及がしたかったのであります。

 (注1)       数学や物理学と音楽など芸術とはずいぶんかけ離れているように思ってしまいますが、これは現在のわれわれ日本人が、理系>>文系>>>芸術系という分類に毒されているからかも知れません。古典古代のリベラルアーツ(≒大学の教養学科)は、中世ヨーロッパでは7教科からなっていて、さらにこのうち、4科として分類されたのが、天文学、算術、幾何、音楽(楽理)だったのです。音楽が、3学(修辞学、文法、論理学)のほうに行かなかったことに注目です。三平方の定理で知られるピタゴラス(教団)が、数学(≒算術+幾何)と音楽(音階理論)の二刀流であったこと、さらには惑星の並び方と音階の親和性について説いたこと

2022年11月28日月曜日

幕末史-納得と幻滅と(後編)

戊辰戦争とアヘン戦争

イギリス国立公文書館で発見された機密文書によると、前回触れた第二次長州征伐(四境戦争とも幕長戦争とも呼びます)での大村益次郎こと村田蔵六と高杉晋作の大活躍というのは過大評価されていたのではないかということになるのです。

 

上記NHKスペシャルの中で、ショックというか案の定と思ったのが「第1集 幕府vs列強 全面戦争の危機」で、英国駐日公使のハリー・パークスが、幕府側で「四境」のうちの小倉口の総督を務めた老中小笠原壱岐守長行に対して、長州側を爆撃することを制止する場面です。外交官が他国の地方政府に対してそのような権限を執行できる道理はないと思うのですが、パークスは「もしもその砲弾が我が国(英国)の商船に被害を与えた場合にはお前ら賠償できるのか!?」と脅すのです。

 

司馬遼太郎先生は「花神」のなかで、第二次長州征伐で、幕府側がまさかの敗北を期した複数の理由のひとつとして、幕府側についた諸藩の士気の低さもあげています。そのなかで、この小笠原長行の戦闘意欲の高さは例外だったと司馬先生は書きます。

 

「小倉戦争」とも言われる、関門海峡を挟んだ幕長の戦いに関しては、ウィキペディアで「下関戦争」「長州征伐」「小笠原長行」「ハリー・パークス」と調べても、この外交官による事実上の介入は出てこない事実なのです。

 

これが、近頃、英国公文書館で初出の事実だというわけです。

 

大学受験日本史の参考書の代表格とされる山川出版社「詳説日本史研究」は、第9章 近代国家の成立>2 明治維新と富国強兵>戊辰戦争の項で、

 

なお、ほぼ同時代に世界でおこった出来事に比べると、アメリカの南北戦争(186165)では死者約62万人、フランスのパリ=コミューン事件(1871)では1週間から10日間の市街戦で約3万人の死者がでたという。それと比較すると、1年5カ月にわたる戊辰戦争の死者は8200人余りで、その後の変革の大きさに比べて流血は小規模であった。

 

という受験参考書としてはいささか印象的すぎる描き方をしています。この比較がフェアかどうかは措くとしましょう。さまざまな要因のおかげ(注)で、当時の日本がアヘン戦争の中国=清のようにはならなかったかも知れません。が、列強に巻き込まれた代理戦争にほぼなってはいたことは認めなければならないでしょう。

 

幕末の日本には、従来言われていた以上に、国家としても民間資本としても先進列強の介入があった。特にイギリスはそうである。この新事実は、確かに、ロスチャイルド=ジャーディン・マセソン=トマス・グラバー=よく言われている坂本龍馬・中岡慎太郎の流れの延長線上に浮かぶべきものです。

 

だとすると、長州ファイブを、イギリスに遊学させたいという(桂小五郎や高杉晋作の兄貴分である)周布正之助の発想も、まだ歴史資料としては発見されていないだけで、実は確たる人脈、政脈、金脈に沿った流れであったと考えるのが相当なのでしょう。

 

(注)一般に言われている理由を含めて、個人的には清=中国と日本には以下の違いがあったと思います。

①清は英国に紅茶を輸出しており、英国は対清で巨額の貿易赤字を抱えていた(銀が清に集中していた)。この貿易不均衡対策がアヘンの輸出だった。以下は説明を省略(林則徐の登場など)。日本とは貿易不均衡がなかった(というか貿易がなかった)から、暴力的に是正すべき問題がなかった。

②アヘン戦争の時期までは、列強のなかで、英国が軍事的に突出していた(ロシアはクリミア戦争で英国に敗北した。米国はまだ新興国であった。オランダは弱体化しつつも日本と友好的だった)。マシュー・ペリー来航以降の日本においては、列強の間で、抜け駆けを許さないある種の拮抗関係があった。特に、米国は、条約締結には漕ぎつけたがその後南北戦争が勃発。英仏に抜け駆けさせないように、むしろ、日本の利害を後方支援した。

③アヘン戦争と同様の惨事を起こさないようにという意識が、薩長側の有力者と、幕府側の有力者との間で共有されていた。その人材の代表格として、前者の西郷隆盛、後者の勝海舟が居て、江戸城の開城は無血となった。

④幕長戦争、鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争を英仏の代理戦争だと看做すとき、その背景には、英仏両方のロスチャイルド系資本があると言われている。代理戦争で実際に命を落とすのは日本人であるとしても、市場開拓や、対ロシア、中国の軍事的防波堤として考えたときに、日本人の多くを無駄死にさせるのは得策ではないというベクトルが働いた。


結びにかえて

3回にわたる「幕末史ー納得と幻滅と」シリーズの結びにかえて、中編と後編の間に闖入させざるを得なかった、世界第二位の暗号資産取引所FTX破綻にまつわる後日談を少しだけ紹介します。

何故、幕末史とFTXがつながるのかは不思議なところです。

幕末史というか、我が国が第二次世界大戦で敗れてその後(しか知らない私のようなものが)受け入れがちな認識、つまり(欧米型の)民主主義が人類史のなかでもっとも進んでいて優れたものであるという価値観について疑いたいのです。

民主主義と言っても、ギリシャ・ローマの民主主義と、今日われわれが範としている(?)議会制民主主義は異なります。が、ポイントは、代議士を間接的に選ぶ場合でも、大統領や首長を直接的に選ぶ場合でも、「ひとり一票」というのが原則だというのが民主主義のエッセンスだと考えられていると考えられます。

払っている税金に参政権の度合いが比例して、「高額納税者は10票、少額納税者は1票、生活保護は0票」などという制度だとしたら、それは民主的ではないという呼ばわれかたをすることでしょう。

ここでFTXです。

破綻したFTXは、主としてその創業者社長であったSBF氏が、主として米民主党の議員に、総額40,000,000ドルもの寄付をしていたことが発覚したわけです(2022年だけで)。

これを素っ破抜いたWSJ紙はさすがです。

こいつはニューヨークタイムズでは、やはり、見つけることが出来ませんでした。見落としだったらごめんなさい。

ただし、調べようと思えば調べられる程度の透明性がある点では、米国版の政治資金規正法は機能しているということにはなりますが。

なお、FTXのSBF前社長以外の役員からの寄付を合わせると、72,000,000ドルにも達するそうです(この残差の部分には若干だが共和党議員への寄付も含まれている)。

この金額がどれだけ大きいか。前前年の2020年の同社関係寄付総額の6倍の規模であり、米国の国会議員が暗号資産業界から寄付されている総額のほぼ100%であること、そしてSBF個人としては、民主党への寄付金額は、会社を破綻させた今年、ジョージ・ソロス氏について2番目へと躍り出ているという具合です。

以上が、先々週末のWSJ紙の記事。そして、先週末、同紙は、SBF氏というかFTX社が目論んでいた見返りというのは、暗号資産業界の規制監督を、SEC(米国証券取引委員会、米国版の証券取引等監視委員会)よりも《手加減してもらえそうな》CFTC(米国商品先物取引委員会)の手に委ねられるよう《動いてもらう》ことだったとしています。

高校時代に「政治経済」の授業で「米国ではロビー活動というのが認められている」という話があって、釈然とせず、いまだに釈然としません。現時点では、政治家に対する「寄付」「献金」「賄賂」の違いについてちゃんと説明できない私がこんなことを書いております(受託収賄罪と単純な収賄罪の違いならわかります)。

しかし、FTXがらみのSBF氏たちの寄付の射程は、我が国で言えば、リクルート(コスモス)事件を彷彿とさせるものです。この事件にしても、収賄側の自民党議員(たち)の職務権限がはっきりしていなかったにもかかわらず、川崎駅西口開発にかかわる容積率緩和という具体的事案が含まれていたがゆえに、受託贈収賄で、立件されたわけです。


ところで、経団連が「政治寄付関連制度の国際比較」というのをまとめてくれています(出典:国立国会図書館資料等)


ここにあるPAC(political action committee)というのが曲者で、高額寄付の抜け道になるようです。

だとすると、納税額に応じて参政権が強まるという、実質は非民主制ではないかということになります。

さらには、金持ちがちゃんと納税をしていない。ないしは納税しなくても済むように、政治や行政を操作できるということすらありえます。

実は、政治が、金の力では絶対に動かない、理想的な社会というのは、国家権力同士が競争状態にある世界においては、実にワークしないものであるとも思っているので、そのこと自体を批判しようとしているのではありません。

「戦争に負けたのは(まちがった戦争を起こしたのは)てめぇの国が民主的ではなかったからだ。オレたち米英を見習え」という占領政策や戦後教育を無条件に受け入れてはいけないという観点で、政治とカネの問題も見直さなければならないという点を指摘しておきたかったのです。

スクリーンショットには、日・米・英を載せましたが、全体では、フランス、ドイツについてもまとめてくれています。多くの国や(米国の)州では、企業献金については禁止または厳しい規制が課せられているようです。FTXにおいてはSBFが公私混同をしていたので、実質は企業献金であるところを個人献金の名目で合法化できたということでしょうか。さらに追及をしたいところです。

この点では、よく言われるディープステートという陰謀論をも連想させます。陰謀論は99%は唾棄すべきものかも知れませんが、1%くらいは真実が含まれているかも知れません。このPACやスーパーPACを使えば、確かにウォールストリートを始めとするマネーの輪転機は永久機関と化すかも知れないのです。

最後の最後に、政治とカネの問題だけでなく、政教分離や文民統制など、日本国憲法のエッセンスも、GHQに学ばせてもらったともいえるが、米国の制度それ自体は、政教分離でもなければ文民統制でもない点を指摘して、本項を結びたいと思います。