2022年11月28日月曜日

幕末史-納得と幻滅と(後編)

戊辰戦争とアヘン戦争

イギリス国立公文書館で発見された機密文書によると、前回触れた第二次長州征伐(四境戦争とも幕長戦争とも呼びます)での大村益次郎こと村田蔵六と高杉晋作の大活躍というのは過大評価されていたのではないかということになるのです。

 

上記NHKスペシャルの中で、ショックというか案の定と思ったのが「第1集 幕府vs列強 全面戦争の危機」で、英国駐日公使のハリー・パークスが、幕府側で「四境」のうちの小倉口の総督を務めた老中小笠原壱岐守長行に対して、長州側を爆撃することを制止する場面です。外交官が他国の地方政府に対してそのような権限を執行できる道理はないと思うのですが、パークスは「もしもその砲弾が我が国(英国)の商船に被害を与えた場合にはお前ら賠償できるのか!?」と脅すのです。

 

司馬遼太郎先生は「花神」のなかで、第二次長州征伐で、幕府側がまさかの敗北を期した複数の理由のひとつとして、幕府側についた諸藩の士気の低さもあげています。そのなかで、この小笠原長行の戦闘意欲の高さは例外だったと司馬先生は書きます。

 

「小倉戦争」とも言われる、関門海峡を挟んだ幕長の戦いに関しては、ウィキペディアで「下関戦争」「長州征伐」「小笠原長行」「ハリー・パークス」と調べても、この外交官による事実上の介入は出てこない事実なのです。

 

これが、近頃、英国公文書館で初出の事実だというわけです。

 

大学受験日本史の参考書の代表格とされる山川出版社「詳説日本史研究」は、第9章 近代国家の成立>2 明治維新と富国強兵>戊辰戦争の項で、

 

なお、ほぼ同時代に世界でおこった出来事に比べると、アメリカの南北戦争(186165)では死者約62万人、フランスのパリ=コミューン事件(1871)では1週間から10日間の市街戦で約3万人の死者がでたという。それと比較すると、1年5カ月にわたる戊辰戦争の死者は8200人余りで、その後の変革の大きさに比べて流血は小規模であった。

 

という受験参考書としてはいささか印象的すぎる描き方をしています。この比較がフェアかどうかは措くとしましょう。さまざまな要因のおかげ(注)で、当時の日本がアヘン戦争の中国=清のようにはならなかったかも知れません。が、列強に巻き込まれた代理戦争にほぼなってはいたことは認めなければならないでしょう。

 

幕末の日本には、従来言われていた以上に、国家としても民間資本としても先進列強の介入があった。特にイギリスはそうである。この新事実は、確かに、ロスチャイルド=ジャーディン・マセソン=トマス・グラバー=よく言われている坂本龍馬・中岡慎太郎の流れの延長線上に浮かぶべきものです。

 

だとすると、長州ファイブを、イギリスに遊学させたいという(桂小五郎や高杉晋作の兄貴分である)周布正之助の発想も、まだ歴史資料としては発見されていないだけで、実は確たる人脈、政脈、金脈に沿った流れであったと考えるのが相当なのでしょう。

 

(注)一般に言われている理由を含めて、個人的には清=中国と日本には以下の違いがあったと思います。

①清は英国に紅茶を輸出しており、英国は対清で巨額の貿易赤字を抱えていた(銀が清に集中していた)。この貿易不均衡対策がアヘンの輸出だった。以下は説明を省略(林則徐の登場など)。日本とは貿易不均衡がなかった(というか貿易がなかった)から、暴力的に是正すべき問題がなかった。

②アヘン戦争の時期までは、列強のなかで、英国が軍事的に突出していた(ロシアはクリミア戦争で英国に敗北した。米国はまだ新興国であった。オランダは弱体化しつつも日本と友好的だった)。マシュー・ペリー来航以降の日本においては、列強の間で、抜け駆けを許さないある種の拮抗関係があった。特に、米国は、条約締結には漕ぎつけたがその後南北戦争が勃発。英仏に抜け駆けさせないように、むしろ、日本の利害を後方支援した。

③アヘン戦争と同様の惨事を起こさないようにという意識が、薩長側の有力者と、幕府側の有力者との間で共有されていた。その人材の代表格として、前者の西郷隆盛、後者の勝海舟が居て、江戸城の開城は無血となった。

④幕長戦争、鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争を英仏の代理戦争だと看做すとき、その背景には、英仏両方のロスチャイルド系資本があると言われている。代理戦争で実際に命を落とすのは日本人であるとしても、市場開拓や、対ロシア、中国の軍事的防波堤として考えたときに、日本人の多くを無駄死にさせるのは得策ではないというベクトルが働いた。


結びにかえて

3回にわたる「幕末史ー納得と幻滅と」シリーズの結びにかえて、中編と後編の間に闖入させざるを得なかった、世界第二位の暗号資産取引所FTX破綻にまつわる後日談を少しだけ紹介します。

何故、幕末史とFTXがつながるのかは不思議なところです。

幕末史というか、我が国が第二次世界大戦で敗れてその後(しか知らない私のようなものが)受け入れがちな認識、つまり(欧米型の)民主主義が人類史のなかでもっとも進んでいて優れたものであるという価値観について疑いたいのです。

民主主義と言っても、ギリシャ・ローマの民主主義と、今日われわれが範としている(?)議会制民主主義は異なります。が、ポイントは、代議士を間接的に選ぶ場合でも、大統領や首長を直接的に選ぶ場合でも、「ひとり一票」というのが原則だというのが民主主義のエッセンスだと考えられていると考えられます。

払っている税金に参政権の度合いが比例して、「高額納税者は10票、少額納税者は1票、生活保護は0票」などという制度だとしたら、それは民主的ではないという呼ばわれかたをすることでしょう。

ここでFTXです。

破綻したFTXは、主としてその創業者社長であったSBF氏が、主として米民主党の議員に、総額40,000,000ドルもの寄付をしていたことが発覚したわけです(2022年だけで)。

これを素っ破抜いたWSJ紙はさすがです。

こいつはニューヨークタイムズでは、やはり、見つけることが出来ませんでした。見落としだったらごめんなさい。

ただし、調べようと思えば調べられる程度の透明性がある点では、米国版の政治資金規正法は機能しているということにはなりますが。

なお、FTXのSBF前社長以外の役員からの寄付を合わせると、72,000,000ドルにも達するそうです(この残差の部分には若干だが共和党議員への寄付も含まれている)。

この金額がどれだけ大きいか。前前年の2020年の同社関係寄付総額の6倍の規模であり、米国の国会議員が暗号資産業界から寄付されている総額のほぼ100%であること、そしてSBF個人としては、民主党への寄付金額は、会社を破綻させた今年、ジョージ・ソロス氏について2番目へと躍り出ているという具合です。

以上が、先々週末のWSJ紙の記事。そして、先週末、同紙は、SBF氏というかFTX社が目論んでいた見返りというのは、暗号資産業界の規制監督を、SEC(米国証券取引委員会、米国版の証券取引等監視委員会)よりも《手加減してもらえそうな》CFTC(米国商品先物取引委員会)の手に委ねられるよう《動いてもらう》ことだったとしています。

高校時代に「政治経済」の授業で「米国ではロビー活動というのが認められている」という話があって、釈然とせず、いまだに釈然としません。現時点では、政治家に対する「寄付」「献金」「賄賂」の違いについてちゃんと説明できない私がこんなことを書いております(受託収賄罪と単純な収賄罪の違いならわかります)。

しかし、FTXがらみのSBF氏たちの寄付の射程は、我が国で言えば、リクルート(コスモス)事件を彷彿とさせるものです。この事件にしても、収賄側の自民党議員(たち)の職務権限がはっきりしていなかったにもかかわらず、川崎駅西口開発にかかわる容積率緩和という具体的事案が含まれていたがゆえに、受託贈収賄で、立件されたわけです。


ところで、経団連が「政治寄付関連制度の国際比較」というのをまとめてくれています(出典:国立国会図書館資料等)


ここにあるPAC(political action committee)というのが曲者で、高額寄付の抜け道になるようです。

だとすると、納税額に応じて参政権が強まるという、実質は非民主制ではないかということになります。

さらには、金持ちがちゃんと納税をしていない。ないしは納税しなくても済むように、政治や行政を操作できるということすらありえます。

実は、政治が、金の力では絶対に動かない、理想的な社会というのは、国家権力同士が競争状態にある世界においては、実にワークしないものであるとも思っているので、そのこと自体を批判しようとしているのではありません。

「戦争に負けたのは(まちがった戦争を起こしたのは)てめぇの国が民主的ではなかったからだ。オレたち米英を見習え」という占領政策や戦後教育を無条件に受け入れてはいけないという観点で、政治とカネの問題も見直さなければならないという点を指摘しておきたかったのです。

スクリーンショットには、日・米・英を載せましたが、全体では、フランス、ドイツについてもまとめてくれています。多くの国や(米国の)州では、企業献金については禁止または厳しい規制が課せられているようです。FTXにおいてはSBFが公私混同をしていたので、実質は企業献金であるところを個人献金の名目で合法化できたということでしょうか。さらに追及をしたいところです。

この点では、よく言われるディープステートという陰謀論をも連想させます。陰謀論は99%は唾棄すべきものかも知れませんが、1%くらいは真実が含まれているかも知れません。このPACやスーパーPACを使えば、確かにウォールストリートを始めとするマネーの輪転機は永久機関と化すかも知れないのです。

最後の最後に、政治とカネの問題だけでなく、政教分離や文民統制など、日本国憲法のエッセンスも、GHQに学ばせてもらったともいえるが、米国の制度それ自体は、政教分離でもなければ文民統制でもない点を指摘して、本項を結びたいと思います。




0 件のコメント: