金持ち優遇だという批判は避けて通れなさそうなアベノミクスですが、そんな現政権下でこそ、これまでに見られなかった「貧困の連鎖」の対策がなされようとしているのは、画期的でかつ不思議なほどうれしい話です。
貧困の対策と、貧困の連鎖の対策は、全然異なります。ここが大事です。
実際、アベノミクスの教祖がいらっしゃるとしても、それは新自由主義の重鎮である故ミルトン・フリードマン先生とは真逆の立場の人達であろうと思われます。
フリードマン先生の主張は、ケインズ主義的総需要政策の批判、そして中央銀行はマネーサプライを一定(の成長率)に保つべく監視をすることに限るという内容です。
以上は、ミルトン・フリードマンのウィキペディアの長い解説を無理矢理二行にまとめたものですが、知られていないもうひとつの視点があります。彼は、政府は何もしなくても良いと言っているのではなくて、子供の教育は、貧困家庭に生まれてしまった子供にも均等に施さなければ社会正義に反する、そのために教育バウチャーなどを提案していたのです。
ぶっきらぼうに言えば、貧困(貧富の格差)は(大いに!?)認めるが、貧困の連鎖は許さないという立場です。
人間の社会が、人間以外の野生動物のように弱肉強食は致し方ないと言い切れない唯一の理由は、財産とか所有権という人間(社会)にのみ存在する相続贈与可能な不公平に求められます。
実際には、親が貧乏すぎても不幸、親が金持ち過ぎても不幸なわけで、ここにメスを入れる社会設計こそ、政府の役割なのです。
必要なのは予算や借金ではなくて、知恵なのかも知れません。
さて、同時に喧しい憲法改正議論に触れるならば、解決を要するのが憲法第九条と自衛隊なのか集団的自衛権なのか、湾岸戦争と冷戦崩壊のあたりから変節してきた我が国でありますが、それよりも、教育の機会均等など、戦後70年、ずっと違憲状態ではないかと.。7条解散も然り。憲法学とは頭の良すぎる人が間違った国語の読み方を正当化するノウハウで、これからもあり続けてよいのかどうか、というそもそも論を、もっと多くのひとに論じてもらいたいものです。
0 件のコメント:
コメントを投稿