2009年12月18日金曜日

ギリシャの悲劇・・・その第二幕は?

今世紀最初の社会実験
今月4日(金)のブログ北朝鮮のデノミを考えるのなかで引用した塩沢由典先生の著書「マルクスの遺産-アルチュセールから複雑系まで」のなかの言葉のとおり、共産主義は20世紀における人類最大の実験であったとすれば、それに続く(次ぐ)21世紀最初で、もしかすると同世紀最大かも知れない(まだ先は長いですけど)社会実験は通貨ユーロの導入になるかも知れません。一丁前の独立国家が財政政策に制約を課せられるどころか、金融政策に至っては、自国国債の引き受けも買いオペも出来ない(マネタイゼーション=非不胎化介入が出来るのは欧州中央銀行(ECB)だけ) というマーストリヒト条約にはデンマークやイギリスなどEU参加国でも批准し得なかった経緯は記憶に新しいです。民主主義の独立国家は、選挙に勝つために減税や国債増発などばら撒き政策を志向します。その結果、自国通貨が腐敗・下落すれば輸出産業の保護にもなり一石二鳥なのです。ユーロによる通貨統一という哲学は、不換紙幣の輪転機をどれだけ回転させるかという不毛な競争をやめようというある種の国家間のカルテルのようなものであり、カルテルに加わるメリットの対価として、独立した財政金融政策を犠牲にしましょうという発想だとも考えられます。

後になって、そのカルテルに参加しておけば良かったなぁ~というのが、リーマンショック後のデンマークでした。
http://phxs.blogspot.com/2008/10/blog-post_16.html

リーマンショックが理不尽なストレステストであったかどうかは別として異例なストレステストであったことは確かです(「百年に一度」説)。デンマークは一長一短を差っ引いても、ユーロに入っていたほうが良かったかも知れません。しかし、今回のギリシャはユーロに入っていても袋小路に陥ってしまったケースです。むしろ、ユーロを導入していなければ、同国財務大臣が示唆したように、IMFに駆け込むという最終手段があったかも知れません。

ギリシャは何処へ向かうのか?
ギリシャ国債の借り換えが大幅に未消化に終わるとなると、ギリシャ国としての元利払いの遅延、すなわち債務不履行となります。ECBやEU政府がこれを放置することは常識的・現実的ではないですが、モラルハザードに対して厳格なカルテルのなかで当然に躊躇なく一歩踏み込むということは難しいでしょう。ユーロ離脱を条件に、EUとIMFが費用を分担して救済するという絵も理論的には有り得ます。勿論、本来はギリシャの国家財産を切り売りするなり増税するなり形振り構わず財政再建をするのが筋なのですが。

そしてユーロ相場は??
対ドルで買われ過ぎていたユーロ相場の修正は、ユーロ圏拡大を急ぎ過ぎたツケと言えるかも知れません。
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2009年12月17日木曜日

ギリシャの悲劇

早過ぎた「敗北宣言」 ?
「ドル安、ユーロ高」は行き過ぎている。早晩修正される筈。ユーロドルは1.3・・・台を目指すという持論が、まんまと外れて反省の弁をブログにアップしたのが 2ヶ月半前でした。
http://phxs.blogspot.com/2009/09/blog-post_24.html
やっぱり当たっていた。ブログを応援し続けて下さっているFX投資家の皆さん、おめでとうございます・・・と手放しに喜んでいるわけではないのです。ユーロドルの修正を予想したのは、欧州経済が苦境という名の様々な爆弾を抱えていることよりもむしろ、米国の商業用不動産に関する不良債権の未処理問題などに端を発し、米国発のリスクマネーが再び収縮するだろうという予想に基づいたものだったからです。一時は1.5台にまで再び突入していたユーロドル相場がトレンド転換したのは、第一のキッカケがドバイショックであり、続くスペインの格下げ、そしてギリシャの格下げであります。

敢えて先見の明があったとすれば、スペイン、ギリシャ、ポルトガル、アイルランド(、イタリア)というユーロ圏の劣等生達の国々のことを頭文字を取ってPIGSと呼ぶのだという英エコノミストの記事を1年半前に取り上げていたことです。
http://phxs.blogspot.com/2008/06/blog-post_06.html

PIGSという、マネー業界では流行語になるのに時間が掛った言葉がある一方、今となっては口に出すのも恥ずかしいようなお笑い業界の流行語もあることに気付かされるブログでもありました。

ギリシャ悲劇を対岸の火事だと笑えない日本の財政赤字
有史以来、初の民主主義を実現した元祖先進国、ヨーロッパや通貨ユーロの語源となったエウロペの産みの親であるギリシャが、その域の通貨、信用の足を引っ張っているというのは皮肉です。そして、格付機関やギリシャ国外のギリシャ国債(もちろんユーロ建て)投資家が問題視している「財政赤字や国家債務の対GDP比の不健全なまでの大きさ」こそ、実に日本の数値と大差ないのであります。

「日本は外国債を出していない」すなわち「国内の貯蓄で国債が賄えている」という大言壮語が政府内外から聞かれますが、国内貯蓄が海外(の通貨建ての金融商品)に流出しない規制がない以上、根拠のない楽観だと唾棄せざるを得ません。

NTTの政府保有株をグーグルやアップルに(グーグルかアップルに)引き取ってもらえば、財政再建と技術立国再生の一石二鳥になるかも知れませんが・・・

実は難しい「信用リスク」と「市場リスク」の峻別
前回のブログでは、悪徳な投信が、信用リスクと為替リスク(⊂市場リスク)を混同させた提灯記事(広告)で金融リテラシーに乏しい一般大衆を一網打尽に騙そうとしているという話をしました。今週のもう一つの話題だったバーゼルの銀行自己資本比率規制。ここでも規制の骨格が出来た1987年以来、信用リスクと市場リスクは別々に管理しうるもの(すべきもの)という前提に立っています。しかし、今回のギリシャ悲劇は、かつてまたは現在のウクライナや、メキシコ、アイスランドのように、通貨の市場リスクと通貨発行権(シニョリティ)を持つ、または持てない国家(債務)の信用リスクが密接不可分で峻別が難しい事例が少なくはないことを示しています。

それにしても、今回のギリシャの事例はユニークです。他の国家破綻は、通貨発行権を持ちつつも、外貨建て債務を(当然のことながら主として海外投資家に)売り過ぎて、元利金の弁済が出来なくなったという点で自国通貨(為替)の暴落スパイラルを経た結末です。この点、ギリシャはユーロ圏に属した故に通貨発行権も持っていないし、外国向け債務も通貨はユーロ建てですが、基準金利(Euribor)に対するプレミアムが暴騰しているので、たとえギリシャ政府が、EU議会に財政規律違反に関わる違約金の支払いを覚悟してでも、自国通貨建ての国債を乱発することで、外国向け債券の借り換えを行うにしても障害が出る(「消化不良」を起こす・・・このようなシナリオは少なくともギリシャ政府首脳は公式には言及していないが)ということです。

つづく(?)
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2009年12月11日金曜日

金融商品取引法を守るとはどういうことか?

「高格付」なのに「高金利」???その名も“トリプルエース”
そんなことを考えさせられ、我が心を虚しくさせたのが、今朝の日本経済新聞の全面2ページぶち抜きによる投資信託の広告です。

投資信託委託会社がDIAM、追加型投信であり、みずほ銀行が窓販を開始すると。

何せ新聞2ページですから、免責事項など、法律上書き逃してはならないことはきっと全て網羅されているのでしょう。しかし、常識的に考えれば、FXや不動産投資をやっている人はこんなものを買うとは思えない。。。そこまで金融やリスクや資産形成について深い洞察をもって取り組んだことはない一般の人たちにとって、この広告というか記事広告(所謂ちょうちん)の斜め読みは、高格付け(≒低リスク)なのに高金利という「高リスク高リターン⇔低リスク低リターン」という常識を打ち破る夢のような金融商品が誕生したとの錯覚を与えるものです。

ごっちゃにされたら騙される(!)「信用リスク」と「為替リスク」
この錯覚というか詐欺を判り易く“斬る”ために、「高格付けを信用してはならない」という問題(エンロン事件やサブプライム問題)と、特に信用力が低い新興諸国の通貨については為替リスクと信用リスクを分解することが不可能なケースがある(かつてのウクライナやロシア)ことを無視します(※)。

スタンダード&プアーズ社やムーディーズ社のような格付機関がちゃんと機能しているとは言っても、それは公社債の発行体の元利金支払能力が満期(償還期限※)まで維持されている確からしさ(信用リスク)についてだけ。発行体(発行会社)とは何の関わりもない、例えば良くあるケースとして(為替リスク)を内蔵させた仕組債においては、発行体(発行会社)が約定にしたがって元利金の支払いを継続していたにせよ、発行体自体の財務の健全性とは全く無関係な要因によって、投資家が受け取る元利金の価値が大きく変動します。世界銀行債やアジア開発銀行債がトリプルAという最高格付けをつけているからと言って、為替絡みの仕組債の元本割れリスクについては何の判断も示していないのです。

かつて何度も一般大衆の貯蓄を収奪してきたこの手の為替絡みのファンドが、このような売り方で、繰り返し、しかも支店の数だけは立派にあるメガバンクのネットワークで大量販売されようとしている現実を見ると、金融商品取引法というのは一体全体機能しているのかと、やるせない気分になってしまうのです。

虚業としての金融vs実業としての金融
金融という生業には、資金を運用したい人と調達したい人とを結び付けて「ウィンウィン」の関係を作る、その金融仲介者を含めた三者が「三方よし」の関係を築くという本来的な側面のほかに、残念ながら、知恵のあるものが知恵のないものの資産を詐欺収奪する「ウィンルーズ」の関係、すわなちゼロサムゲームにしかならない側面があります。後者の典型は、我が国の商品先物や、多くのFX事業と考える人は多いでしょう。日本株の信用取引も含め、マージン取引には流通市場の中でも特にゼロサムゲーム色の強さを感じるのは致し方ありません。しかしながら、一層問題なのは、ゼロサムゲームとは知らずにアプローチされる、いかにも庶民のための資産形成を謳った公募投信のような世界で、品の悪いえげつない詐欺商法が繰り返されていることであります。

※満期(償還期限)が大きく異なる債券、例えば東京電力の5年債と20年債で、格付けは同じだが、償還リスクは同じなのかという問題があります。大手格付け機関は、それぞれのロジックでこの問題を処理していますが、満期までの長さに限らず同一の発行体格付けが同ランクの債券には適用されてしまうことを理解するのはた易いことではありません。
※かつて、日本国債の格付けが大きく格下げされたことがありました。外貨建て債券なら理屈は判りますが、自国通貨建て(つまり円建て)債券ですら格下げしたロジックは、今となっては無理があったことが明らかですが、ロジックがまったくなかったわけではありません。本日の論旨と全く無関係ではありませんが、かなり専門的すぎるので、上記の問題とあわせ、機会を改めます。
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2009年12月8日火曜日

長銀と日債銀の違い

旧日債銀粉飾、高裁に差し戻し・・・今朝の日経新聞は「それでも無罪が遠い日債銀」と題する社説で、
「不良債権を積み上げた歴代経営者や、金融政策・行政の舵取りをしてきた大蔵省・日銀、政治家の責任が問われないまま、“最後”の経営者だけが刑事罰を求められるのが不公平であるのは間違いない」

と断じています。その通りだと思います。 この点について、些か長文ですが、約14ヶ月前のリーマンショック直後に是非是非トラックバックしていただきたいと思います。
http://phxs.blogspot.com/2008/10/blog-post_15.html

日本共産党ビラ撒き事件でも、呆れる程の非常識を晒した、我が国の最高裁。司法に求められるのは法律の解釈以前に、法律の公平な適用です(例:万年野党のチラシ⇔ピンクチラシ、人身御供の最後の経営者⇔極悪やり逃げ経営者、などなど)。加えて、トラックバックしていただいたように、自らの金融失政に甘い米国との金融敗戦の結果の象徴が、2長信銀破綻であったわけですから、この裁判は、「勝てば官軍、負ければ有罪」という歴史観に翻弄されていたという一面を忘れてはならないでしょう。

一部のA級戦犯(だけ)を処刑し、残りは戦後日本の国づくりのキーパーソンとさせた東京裁判を彷彿とさせます。
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