2023年7月3日月曜日

ジョージ・ソロスとその師匠カール・ポパー∽反証主義と弁証法の近親憎悪

 マルクスとエンゲルスの迷言集

 ジョージ・ソロスは自らが創設した協会(財団)に「開かれた社会」(オープン・ソサエティ)と命名したのは、ジョージ・ソロスがロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)その薫陶を受けたカール・ポパーの代表的な著作「開かれた社会とその敵」に負っています。

 「開かれた社会とその敵」の「その敵」とは、まず前半ではプラトン、そして後半ではヘーゲル、マルクス、つまり弁証法とヒストリシズムです。ヒストリシズムは日本語にどう訳すれば良いのか難しいところですが、これは決定論的な歴史主義とでも言ったところです。カール・ポパーは、プラトンに見られる全体主義的なものの考え方へと同様、決定論的歴史主義へも徹底的な批判を展開します。

 注目すべきは、カール・ポパーとしては、決定論的歴史主義をあたかも裏付けているような弁証法まで気に入らないとしているところです。

 弁証法については、このブログで、何故か訪問者数がベストテンにのぼる毛色の変わった弁証法入門コンテンツもあるので、かなり悪趣味だと自戒しますが、参考までにリンクを貼らせてください。

 ベートーヴェンとヘーゲルが同い年だったという浅田彰氏の指摘

 マルクスやエンゲルスの特徴をヘーゲルとの対比で申し上げると、弁証法と唯物論を結びつけることで、特に、資本主義社会の内部崩壊は必然、社会主義や共産主義への相転移(≒革命)も必然と言い切ってしまっているところです。唯物論が間違っているとは言いませんが、観念論VS唯物論は哲学上決着がないアジェンダなのですから、一方的に観念論が間違いで唯物論が正しいと言い切ることが間違いなのです。

 このようにマルクスというのは「経済学者」(?)、社会思想家としてはなかなか問題の人物ですが、コピーライターやアジテーターとしては一流です。

 「すべてを疑え」

「宗教はアヘンだ」

 とくにこのふたつの警句が私のお気に入りです。

 前者は、本来の弁証法の元祖とも言えるソクラテスの「無知の知」を彷彿とさせます。カール・ポパーは、(プラトンとは異なり)知的謙虚さという観点からも、そしてカール・ポパーが科学的命題と似非科学的命題の線引きとして提案した反証可能性というものの考え方とも馴染みます。一方、マルクス自身は、後者の警句とも関連しますが、自分の考え方とわずかでも差異がある思想家や革命家に対してはリベラリスト大同小異とはせず、歯に衣着せぬ批判を展開しました。そして後者については、マルクス主義そのものが宗教に成り下がってしまった。布教への執念と異教徒に対するよりもむしろ宗教内の異端の派閥や宗旨に対する攻撃のほうが激しい点も、一神教のインターナショナルな宗教と似ています。内ゲバで殺された人のほうが宗教戦争で殺された人よりも多いのだそうです。

 「マルクス主義者にとってマルクス主義はアヘンだ」と皮肉ったのは、経済学者サミュエルソンです。

 マルクスと一枚岩だと思われがちなエンゲルスは、イギリスの工場主のお坊ちゃんで、マルクスに心酔するわけです。エンゲルスの名言(?)集から。

 「サルとヒト、その群を分けるのは、労働である」

「ひとつのものにとっての善は、他のものにとって悪である。」

「愛情に基づくものが、道徳的な婚姻ならば、愛情が続くものだけが、道徳的な婚姻である」

 最後のだけは、広末涼子さんあたりに聞かせてあげたい気もしますが、総じて、意味不明で論評に値しないと言わざるを得ません。そんなエンゲルスが、マルクスの死後に書いた大作に、いま話題にしている弁証法を題材とした「自然の弁証法」という書物があります。

 反証主義と弁証法の近隣憎悪

 弁証法とは何を指すかというのは、哲学者によってまちまちなようで、やはり、マルクス出現以降は、どうしても、

 「資本主義は自らが孕む矛盾によって自己崩壊し必然的に社会主義その先共産主義へと相転移する。」

 「これは科学的で論理的な結論である。」

 このような決めつけこそが現代的で狭義の弁証法だということについついなってしまっていたのではないかと???

 マルクスを妄信し溺愛した心優しいお金持ちエンゲルスは、マルクスの死後に、マルクス理論の普遍性と正当性を担保したいという一心で(←たぶん)「自然の弁証法」という大著に取り掛かります。残念ながら未完成で、エンゲルスの生前には出版に至らなかったのですが、これは本末転倒の問題作ではないかと。

 「自然の弁証法」の「自然」とは自然科学の自然です。曰く、社会科学においては(いわゆる文系の諸学問を社会科学と呼ぶこと自体が暗にマルクス理論の影響を受けまくっているのですが)マルクスのおかげで弁証法の適用と唯物論との結びつけによって社会主義(へと必然的に移行するという予想が)「空想から科学へ」と真価した。実はこの弁証法というのは人類社会に対してだけでなくもっと普遍的に自然界の分析にも応用が利くものであると。

 私は、この点で、カール・ポパーが「開かれた社会とその敵」でヘーゲルとマルクスとそれらの弁証法を批判したやり方ほど手厳しくないのですが、弁証法は、自然科学の分野では、もともと、結構役立っていて、実は、カール・ポパーが、イギリス経験論へのアンチテーゼとして唱えた「反証主義」とかなり近しいのではないか?

 研究不足の門外漢が言うとお叱りをうけることを承知で言わせてもらうと、カール・ポパーにとっては、マルクスは(人道主義の面の皮を剥がせば最悪の全体主義に他ならない)社会主義社会を煽ったということで、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いということで、弁証法をコテンパンにやっつけたかったというところがあるのではないかとまで考えています。

 ジョージ・ソロスの「再帰性」はかなり自然の弁証法だ!?

 そして、カール・ポパーのことを誰よりも師として仰いだジョージ・ソロスも、もしかするとそのことに気が付いていたのではないかと。幾分かはカール・ポパーの哲学を微修正しながら取り入れたと考えると、ジョージ・ソロスの投資家としてのアプローチ、就中、ジョージ・ソロスの「再帰性」という考え方が頗る弁証法と無矛盾であることにも納得がいきます。

 オープン・ソサエティ、開かれた社会を志向することは、政治においてはより小さい政府、規制の少ない市場経済、究極は国境のない世界という理想像が見えてきます。ところが、ジョージ・ソロスは、本音こそわかりませんが、「再帰性」という独自の哲学、これはもちろん彼の市場哲学を包含しているわけで、これを説くときに、もともとの新古典派経済学というか、カール・ポパーと同時代のオーストリア学派の経済学者でリバタリアンと呼ばれる人たちの、市場に任せるべきだという考え方を全面的に肯定すべきではないのだ。人間はその自らが属する社会を観察し認識し反応する。社会を、労働力を含む商品とその相場という側面で見ると、価格を見て高いか安いか認識し、買うか売るか決める、その行為がまた市況へとフィードバックされて云々という動き、ジョージ・ソロスが「再帰性」という表現するのはここであって、実にこれは複雑系なわけで、放っておけば最適解に導かれるという綺麗なものではないというわけです。

 ちなみに、現在の新古典派の正統派経済学者のちゃんとした人たちの間で、自由な市場に放っておけば市場経済参加者最大多数の最大幸福が持たされるなどと言っているひとは居ません。

 複雑系にはレベルがあります。天気予報は技術の進歩で正確さは日進月歩ですが、線状降水帯を当てるのはまだまだ難しいとされています。これは気象という現象が複雑系だからです。

 これに比べると、交通渋滞はそこまで複雑に思えないので、予想がしやすそうですが、その予想を見て、例えばゴールデンウイークの何日目に帰省から戻ろうと考えていた人が曜日をずらすとかいうフィードバックが起きてしまい、その効果、さらにはそれによる予想の変化、そして再フィードバックを考慮して、となってくると、もとの複雑さは気象現象ほどではなかったのに、不可知性という点では、天気予報よりも高レベルの複雑系となってしまうというわけです。

 ジョージ・ソロスが「再帰性」という概念で示した市場の歪みと投資手法というのはまさにそのような複雑系としての市場、市場メカニズムは完ぺきではないという洞察を含んでいると見ます。

 しかし、ジョージ・ソロスの外国為替相場での巧みさのコツがこの再帰性の認識だけなのかというと、それはかなり違うのではないか、と私は考えています。

 カリスマ化した一流シェフが、コンビニチェーンと組んで企画商品をプロモートすることはありますが、門外不出のタレの製法まで教えることはありません。ソロス本を読んでも、家の台所ではタレは作らせてもらえないのでしょう。

 現代のルネサンス男、カール・ポパー

 カール・ポパーは、バートランド・ラッセルと並ぶ20世紀最大の知の巨人だという人が大勢います。その活動範囲は、哲学にとどまらず、数学(確率論を含む)、物理学、政治学、経済学、心理学と多岐に及びます。面白いのは、カール・ポパーが自ら編み出した「反証主義」を進化論に当てはめている部分です。ご存じのように、生物の種の進化の原動力は、突然変異体の出現です。多くの場合それは奇形だとして長生きできなかったりするのでしょうが、たまには、突然変異体のほうが環境に適合する場合があり、同じような突然変異体の濃度がある閾値を超えるようなことがあれば、新しい亜種や種が成立して、場合によってはコピーエラーがなかった伝統的な種を片隅に追いやるという場合もあるというわけです。カール・ポパーは、突然変異体の出現を新しい仮設と看做し、その反証に耐えうるかどうかの対象が伝統的な種である。進化とはまさにしばしば現れる突然変異という反証の機会(反証されるかどうかは場合による)を経た試行錯誤の過程であり漸進的なピースミルワークなのだと言います。

 最後のところ、漸進的なピースミルワークなのか、革命的な相転移なのか、これは何百万年、何千万年という気の遠くなるような時間軸で見ないと判断が出来ないところですが、もうお分かりいただいているように、進化論的認識論に限っては、反証主義と弁証法との間に大きな違いはないように思えます。

 最も重大な問題は、種の進化は進歩なのか?社会構造(マルクスやエンゲルスが言うところの生産関係)の変化は人類の進歩なのか?というところです。視聴者の皆さんは、後者の問いに対する答えが否であることは良くご存じです。前者についても、昔は、人類は万物の霊長であるなどと言われていましたが、5億年以上も前から、ひたすら正確な遺伝子のコピーを行い続け、こんにちも元気に、ひ弱な人類と共存しているような決着のつかない戦いを続けているような古細菌やウィルス(←生命と看做されるかどうかについては議論あり)に思いを馳せれば、進化しまくった人類が偉くて、進化を一切拒否した微生物が劣っている、後者は人類の奴隷として医薬品や発酵食品づくりに役立つか根絶すべき病原体かのどちらかだという見方はもう古いと言わざるを得ません。

 リベラルアーツは反証主義と弁証法をアウフヘーベン(止揚)する!?

 カール・ポパーは、開かれた社会と小さな政府と試行錯誤過程による(劇的革命ではなく)ピースミルワークによって社会を改良していくべきだという自由民主主義者ですが、若いころにはマルクス、エンゲルスにどっぷり嵌った。これは決して無駄ではなく、以降、哲学史どころか人類史における全体主義的な思考・志向が何に由来するのかについて、より鮮やかに説くうえで、役立っていると自己評価します。

 カール・ポパーが語られるときに、ほとんど取り上げられないのが、その共産主義活動の若い時期に、音楽家を目指して、クラシック音楽史で言えば、現代音楽の最重要作曲家のひとりであることが間違いないシェーンベルクの「私的演奏協会」に入会していたことです(注1)。

 このころのカール・ポパーの発言によれば、彼のお気に入りの作曲家は、バッハであり、モーツァルトであり、はたまたシューベルトであった。いっぽう嫌いな作曲家はワーグナーとリヒャルト・シュトラウスであったそうです。ドイツ語圏の作曲家以外にはどうも言及がなかったようなので、ドビュッシーやヴェルディのような作曲家に対してはどう思っていたのかは気になります。

 カール・ポパーは、ウィーン版民青と同様、熱しやすく冷めやすいと言ったところで、このシェーンベルクのインナーサークルとも決別します。音楽家としての将来は(哲学者、数学者、心理学者などと比べ)ないと考えた点もあるでしょうが、重要なのは、そのシェーンベルクの私的演奏協会の「命題」というのがあったそうで、

     いかにしてわれわれはワーグナーにとって代わることが出来るか?

    いかにしてわれわれはわれわれ自身のうちにおけるワーグナーの残滓を捨て去ることができるか?

    どのようにしたらわれわれは万人に先んじ続けることができ、また絶えずわれわれ自身の先を越すことさえできるか?

 ぶっちゃけ、このような囚われ方にあきれてカール・ポパーはシェーンベルクの(取り巻きたちの)もとを去ったと言われていますが、①~③は、音楽家として生活の足場を作る、音楽史に名声を残す、音楽にも弁証法的な進歩主義が当てはまると考えるのなら、まったく理解できないことではないのかも知れません。果たしてどうでしょうか???

 カール・ポパーが最も尊敬する音楽家であるバッハについてですが、YouTubeに、バッハの代表的な楽曲のさわりの部分を、年代順に、10歳代から60歳代まで並べて流してくれているとてもありがたい動画があがっていました。これを聴いて(視て)驚いたのですが、天才と言われている大抵の芸術家は、確かに早熟だったかも知れないが、10歳前後の作品には「才能の片鱗を感じるが、まだまだ荒らしく、完成度は云々」などと職業評論家に評され、最晩年の作品となると「多少枯れてはいるが円熟の域に達しており云々」というおきまりのパターンが普通なのに対して、バッハの場合というのは、これは被験者の選定が難しいですが、クラシック音楽がある程度好きだが、超バッハおたくではない、バッハの音楽については耳にしたことがあっても、楽曲名まで当てられない、ましてや作曲年代については知識がない程度の被験者をなるべく集めてきて、サンプル音源を、若いほうから順番に並べてくださいという問題を出したとしましょう。たぶん、被験者グループに間違って潜り込んだ作品番号暗記している級のバッハマニア以外は誰も正解はできないことでしょう。

 これはすごいことで、野球で言うと、高校卒のルーキー投手がいきなりプロで二けた勝利をあげた。二年目のジンクスも克服した。その後、あれよあれよと毎年10勝以上して、二十歳代と三十代を通じてたいしたスランプもなく、40前後でもうそろそろほかのことがしたいからという理由であっさり引退みたいな話です。

 バッハは作曲を始めた子供のころから成長も後退もしていない!

 音楽ではありませんが、絵画で言えば、例えば日本でゴッホ展やピカソ展があったりすると、各展示室には、作品年代ごとの作品が整然と置かれ、それぞれの年代の特徴や背景などが解説されているのが普通です。多くの芸術家は、その足跡をたどることによって、成長や変化、それはときには漸進的だが、ときには(エンゲルスの言う「量的変化が質的変化を」みたく)非連続的というか革命的なものとして見て取れるものです。これに対して、バッハの音楽は、生まれたときから、もはや進化の余地もないかわりに退化のきざしもないすべて百点満点の答案でぎっしり満たされているというわけです。

 確かに、先述のシェーンベルグは音楽史にはっきりと名を刻む現代作曲家です。かれの功績は音楽理論的に言うと、十二音法を編み出したこととされています。このおかげで、われわれ現代人は、映画やテレビのドラマや報道番組で、歌として聞いたらまったく旋律的でないが無意識のうちに情景に引き込まれる新しい音楽を享受できています。しかし、この十二音という音楽というか旋律はすでにバッハはやってくれていたのです。

 唐突に結論。歴史を学ぶことも優れた芸術作品に触れることも良いのですが、これら、つまり自然科学以外の人間の営みに対して、弁証法的な進歩史観を持ち込むのはナンセンスであり、さらに言えば危険であるということです。

 哲学についても音楽学についても門外漢である私の不正確な説明をここまで許してくださりありがとうございます。たまたま、カール・ポパーにとっては、進歩主義的な歴史観(が人類を救うのではないか)、進歩主義的な音楽史観(がアンチセミティックなリヒャルト・ワーグナーをぎゃふんと言わせられるのではないか)、という熱病に一瞬侵されつつもそれを克服したとこから、彼の反証主義と開かれた社会への志向がはぐくまれていったことに言及がしたかったのであります。

 (注1)       数学や物理学と音楽など芸術とはずいぶんかけ離れているように思ってしまいますが、これは現在のわれわれ日本人が、理系>>文系>>>芸術系という分類に毒されているからかも知れません。古典古代のリベラルアーツ(≒大学の教養学科)は、中世ヨーロッパでは7教科からなっていて、さらにこのうち、4科として分類されたのが、天文学、算術、幾何、音楽(楽理)だったのです。音楽が、3学(修辞学、文法、論理学)のほうに行かなかったことに注目です。三平方の定理で知られるピタゴラス(教団)が、数学(≒算術+幾何)と音楽(音階理論)の二刀流であったこと、さらには惑星の並び方と音階の親和性について説いたこと

2022年11月28日月曜日

幕末史-納得と幻滅と(後編)

戊辰戦争とアヘン戦争

イギリス国立公文書館で発見された機密文書によると、前回触れた第二次長州征伐(四境戦争とも幕長戦争とも呼びます)での大村益次郎こと村田蔵六と高杉晋作の大活躍というのは過大評価されていたのではないかということになるのです。

 

上記NHKスペシャルの中で、ショックというか案の定と思ったのが「第1集 幕府vs列強 全面戦争の危機」で、英国駐日公使のハリー・パークスが、幕府側で「四境」のうちの小倉口の総督を務めた老中小笠原壱岐守長行に対して、長州側を爆撃することを制止する場面です。外交官が他国の地方政府に対してそのような権限を執行できる道理はないと思うのですが、パークスは「もしもその砲弾が我が国(英国)の商船に被害を与えた場合にはお前ら賠償できるのか!?」と脅すのです。

 

司馬遼太郎先生は「花神」のなかで、第二次長州征伐で、幕府側がまさかの敗北を期した複数の理由のひとつとして、幕府側についた諸藩の士気の低さもあげています。そのなかで、この小笠原長行の戦闘意欲の高さは例外だったと司馬先生は書きます。

 

「小倉戦争」とも言われる、関門海峡を挟んだ幕長の戦いに関しては、ウィキペディアで「下関戦争」「長州征伐」「小笠原長行」「ハリー・パークス」と調べても、この外交官による事実上の介入は出てこない事実なのです。

 

これが、近頃、英国公文書館で初出の事実だというわけです。

 

大学受験日本史の参考書の代表格とされる山川出版社「詳説日本史研究」は、第9章 近代国家の成立>2 明治維新と富国強兵>戊辰戦争の項で、

 

なお、ほぼ同時代に世界でおこった出来事に比べると、アメリカの南北戦争(186165)では死者約62万人、フランスのパリ=コミューン事件(1871)では1週間から10日間の市街戦で約3万人の死者がでたという。それと比較すると、1年5カ月にわたる戊辰戦争の死者は8200人余りで、その後の変革の大きさに比べて流血は小規模であった。

 

という受験参考書としてはいささか印象的すぎる描き方をしています。この比較がフェアかどうかは措くとしましょう。さまざまな要因のおかげ(注)で、当時の日本がアヘン戦争の中国=清のようにはならなかったかも知れません。が、列強に巻き込まれた代理戦争にほぼなってはいたことは認めなければならないでしょう。

 

幕末の日本には、従来言われていた以上に、国家としても民間資本としても先進列強の介入があった。特にイギリスはそうである。この新事実は、確かに、ロスチャイルド=ジャーディン・マセソン=トマス・グラバー=よく言われている坂本龍馬・中岡慎太郎の流れの延長線上に浮かぶべきものです。

 

だとすると、長州ファイブを、イギリスに遊学させたいという(桂小五郎や高杉晋作の兄貴分である)周布正之助の発想も、まだ歴史資料としては発見されていないだけで、実は確たる人脈、政脈、金脈に沿った流れであったと考えるのが相当なのでしょう。

 

(注)一般に言われている理由を含めて、個人的には清=中国と日本には以下の違いがあったと思います。

①清は英国に紅茶を輸出しており、英国は対清で巨額の貿易赤字を抱えていた(銀が清に集中していた)。この貿易不均衡対策がアヘンの輸出だった。以下は説明を省略(林則徐の登場など)。日本とは貿易不均衡がなかった(というか貿易がなかった)から、暴力的に是正すべき問題がなかった。

②アヘン戦争の時期までは、列強のなかで、英国が軍事的に突出していた(ロシアはクリミア戦争で英国に敗北した。米国はまだ新興国であった。オランダは弱体化しつつも日本と友好的だった)。マシュー・ペリー来航以降の日本においては、列強の間で、抜け駆けを許さないある種の拮抗関係があった。特に、米国は、条約締結には漕ぎつけたがその後南北戦争が勃発。英仏に抜け駆けさせないように、むしろ、日本の利害を後方支援した。

③アヘン戦争と同様の惨事を起こさないようにという意識が、薩長側の有力者と、幕府側の有力者との間で共有されていた。その人材の代表格として、前者の西郷隆盛、後者の勝海舟が居て、江戸城の開城は無血となった。

④幕長戦争、鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争を英仏の代理戦争だと看做すとき、その背景には、英仏両方のロスチャイルド系資本があると言われている。代理戦争で実際に命を落とすのは日本人であるとしても、市場開拓や、対ロシア、中国の軍事的防波堤として考えたときに、日本人の多くを無駄死にさせるのは得策ではないというベクトルが働いた。


結びにかえて

3回にわたる「幕末史ー納得と幻滅と」シリーズの結びにかえて、中編と後編の間に闖入させざるを得なかった、世界第二位の暗号資産取引所FTX破綻にまつわる後日談を少しだけ紹介します。

何故、幕末史とFTXがつながるのかは不思議なところです。

幕末史というか、我が国が第二次世界大戦で敗れてその後(しか知らない私のようなものが)受け入れがちな認識、つまり(欧米型の)民主主義が人類史のなかでもっとも進んでいて優れたものであるという価値観について疑いたいのです。

民主主義と言っても、ギリシャ・ローマの民主主義と、今日われわれが範としている(?)議会制民主主義は異なります。が、ポイントは、代議士を間接的に選ぶ場合でも、大統領や首長を直接的に選ぶ場合でも、「ひとり一票」というのが原則だというのが民主主義のエッセンスだと考えられていると考えられます。

払っている税金に参政権の度合いが比例して、「高額納税者は10票、少額納税者は1票、生活保護は0票」などという制度だとしたら、それは民主的ではないという呼ばわれかたをすることでしょう。

ここでFTXです。

破綻したFTXは、主としてその創業者社長であったSBF氏が、主として米民主党の議員に、総額40,000,000ドルもの寄付をしていたことが発覚したわけです(2022年だけで)。

これを素っ破抜いたWSJ紙はさすがです。

こいつはニューヨークタイムズでは、やはり、見つけることが出来ませんでした。見落としだったらごめんなさい。

ただし、調べようと思えば調べられる程度の透明性がある点では、米国版の政治資金規正法は機能しているということにはなりますが。

なお、FTXのSBF前社長以外の役員からの寄付を合わせると、72,000,000ドルにも達するそうです(この残差の部分には若干だが共和党議員への寄付も含まれている)。

この金額がどれだけ大きいか。前前年の2020年の同社関係寄付総額の6倍の規模であり、米国の国会議員が暗号資産業界から寄付されている総額のほぼ100%であること、そしてSBF個人としては、民主党への寄付金額は、会社を破綻させた今年、ジョージ・ソロス氏について2番目へと躍り出ているという具合です。

以上が、先々週末のWSJ紙の記事。そして、先週末、同紙は、SBF氏というかFTX社が目論んでいた見返りというのは、暗号資産業界の規制監督を、SEC(米国証券取引委員会、米国版の証券取引等監視委員会)よりも《手加減してもらえそうな》CFTC(米国商品先物取引委員会)の手に委ねられるよう《動いてもらう》ことだったとしています。

高校時代に「政治経済」の授業で「米国ではロビー活動というのが認められている」という話があって、釈然とせず、いまだに釈然としません。現時点では、政治家に対する「寄付」「献金」「賄賂」の違いについてちゃんと説明できない私がこんなことを書いております(受託収賄罪と単純な収賄罪の違いならわかります)。

しかし、FTXがらみのSBF氏たちの寄付の射程は、我が国で言えば、リクルート(コスモス)事件を彷彿とさせるものです。この事件にしても、収賄側の自民党議員(たち)の職務権限がはっきりしていなかったにもかかわらず、川崎駅西口開発にかかわる容積率緩和という具体的事案が含まれていたがゆえに、受託贈収賄で、立件されたわけです。


ところで、経団連が「政治寄付関連制度の国際比較」というのをまとめてくれています(出典:国立国会図書館資料等)


ここにあるPAC(political action committee)というのが曲者で、高額寄付の抜け道になるようです。

だとすると、納税額に応じて参政権が強まるという、実質は非民主制ではないかということになります。

さらには、金持ちがちゃんと納税をしていない。ないしは納税しなくても済むように、政治や行政を操作できるということすらありえます。

実は、政治が、金の力では絶対に動かない、理想的な社会というのは、国家権力同士が競争状態にある世界においては、実にワークしないものであるとも思っているので、そのこと自体を批判しようとしているのではありません。

「戦争に負けたのは(まちがった戦争を起こしたのは)てめぇの国が民主的ではなかったからだ。オレたち米英を見習え」という占領政策や戦後教育を無条件に受け入れてはいけないという観点で、政治とカネの問題も見直さなければならないという点を指摘しておきたかったのです。

スクリーンショットには、日・米・英を載せましたが、全体では、フランス、ドイツについてもまとめてくれています。多くの国や(米国の)州では、企業献金については禁止または厳しい規制が課せられているようです。FTXにおいてはSBFが公私混同をしていたので、実質は企業献金であるところを個人献金の名目で合法化できたということでしょうか。さらに追及をしたいところです。

この点では、よく言われるディープステートという陰謀論をも連想させます。陰謀論は99%は唾棄すべきものかも知れませんが、1%くらいは真実が含まれているかも知れません。このPACやスーパーPACを使えば、確かにウォールストリートを始めとするマネーの輪転機は永久機関と化すかも知れないのです。

最後の最後に、政治とカネの問題だけでなく、政教分離や文民統制など、日本国憲法のエッセンスも、GHQに学ばせてもらったともいえるが、米国の制度それ自体は、政教分離でもなければ文民統制でもない点を指摘して、本項を結びたいと思います。




2022年11月19日土曜日

どうなっているのかFTX?

行政処分という汚名

 

FTXFXは名前が似ていますが、内容はまったく異なります。ごっちゃにしてはなりません。

 

先週末倒産した、ピーク時世界第三位の暗号資産取引業者、FTXは、FuTures eXchangeの略なのだそうです。

 

リーマンブラザーズ倒産時(2008年)と同様、急成長した暗号資産取引業者FTXの米連邦破産法11条申し立ての事実を受け、金融庁は、直ちに、日本法人FTX Japanに行政処分を下しました。

 

FX業界でも、海外親会社の倒産で、牽連して倒産することが想定されるとして、MFグローバルFXA社に行政処分が下された事例があります(2012年)。

 

なにせ、行政処分というと、人聞きが悪いのです。金融商品取引業者や暗号資産取引業者に対する行政処分というのは、ほとんどの場合が、法令違反を原因としています。

 

しかし、リーマンのように「なまじ」規模が大きく、「投資銀行業務」という実態がよくわからない事例は別としても、MFグローバルFXA社などは、結局は廃業に追い込まれたとは言え、顧客資産はきっちり返還しているわけです。同様の理由(※1)で行政処分となったアルパリジャパンの場合もそうですが(2015年)、最終的に債権者には実害が生じていません。

 

FTX倒産については、暗号資産取引業として登録されているFTX Japanという拠点があり多くの個人のお客様もいらっしゃるはずなのに、日本語での情報が手に入りづらい状況にあります。本件は、英語メディアと日本語メディアのギャップが大きいのです。規模こそ大きいものの、ニューヨーク証券取引所に上場しているわけではなく、巨大ベンチャーキャピタル(含む日本のソフトバンク)などからの私募的な資金調達をレバーにして急成長した企業であるため、情報開示が十分でないことも理由でしょう。

 

これまでにわかっていること

 

倒産前夜に創業者社長であるSam Bankman-Fried(米国の第32代または第35代大統領風にSBFと略称されるそうです)が、Binanceを始めとするライバル暗号資産取引所に救済を求めたときの緊急デューディリジェンスから、その負債総額が7兆円規模(債権者数は百万人超?)だという報道もあります。

 

ところで、ここ30年くらいで、株式などを主に扱う証券取引所も民営化されたり上場したり買収したりされたりするのが常態化しています。とは言え、証券取引所が自らの株式を公開したり増資したりしてその発行代金で派手なビジネスを始めるというのは、東証や大証(※2)になじみのある日本人にはピンと来ないものです。

 

暗号資産業界はここがだいぶ違います(まったく違うとは言えない)。FTXも、私設の取引所としては、ひたすらBinanceを追いかけ、ユーザーエクスペリエンスを研ぎ澄ますことで世界中の暗号資産ファンの心をとらえてきたという一面もあります。いっぽうで、問題は、FTX自身のトークンであるFTTで巨額の資金調達をしていたことです。

 

FTTも、暗号資産の端くれなので、相場があります。


(出典:コインベース)

FTTは暗号資産ですし、テザーのような法定通貨とのパリティも保証されていません(ステーブルコインではない)ので、この時価総額の滅失による投資家の大損というのは、負債増額の7兆円には含まれていない点は重要です。

 

さて、以下に述べるように、ここから先が、日本とそれ以外とで極端に違うところだと思うのですが、もしかすると、日本以外のFTXの拠点では、FTT以外の暗号資産(ビットコインなど)についても払い戻し(≒法定通貨などへの交換)がままならないかも知れないということです。これが、上記の7兆円に含まれているのか居ないのか、私もまだ調査途上です。

 

日本の取引業者は驚くほど安全?

 

いま、御本尊のFTXのホームページ

https://www.ftx.com/

を訪問しようとするとタイムアウトで入れません(※3)。



一方、日本法人のFTX Japanのホームページは健全です。

 

実は、日本法人の社長は私の知人でした!かつて業績不振で事実上の解任となった前職(日本の資本で株式業務とFX業務をやっていました)の時代に、FXのカバー先のひとつであるゴールドマンサックス東京支店を訪ねたことがありました。六本木ヒルズに行ったのは人生でそのときだけです。そのときにお会いしたのが、外国為替部門の法人営業担当でセス・メラメッドさんという名前からしてもユダヤ系のアメリカ人でした。

 

私の先入観もありますが、たいへん優秀な方で、何と言っても日本語がペラペラなのです。日本とは言え、ゴールドマンサックスで仕事をするのであれば周りの日本人に英語をしゃべらせれば言いわけです。私なんかが、仕事上やむをえず、「敵性語」をしゃべらされているのとは違うのです。何故、セスさんはわざわざ敗戦国の難言語を習得されたのかと感心したものでした。

 

今回、FTXの記事を見て、初めて知ったのが、彼もまた、お笑いの(?)パックン同様、米国の大学で日本語を修めていたということです。

 

そして、ゴールドマンサックスを退職したのち、日本の暗号資産取引業者として第一ラウンドで登録できたうちのひとつであるリキッド社の社長になられたのでした(当時は仮想通貨交換業者)。リキッドで暗号資産の大量ハッキング事件が発生してしまい、そのときに救済を求めた相手がSBF氏だったとのことです。

 

FTX Japanのホームページで、注目しなければならないのは、

 

当社におけるお客様の資産の管理状況等について

 

というお知らせでしょう。取り扱ってきたすべての種類の暗号資産について、少なくともコールドウォレット分については、十分な区分管理が行われていること、円など法定通貨の預託分についても同様であること、これを踏まえて、約一週間ほど、(おそらくシステム対応と行政処分対応のために)出金依頼対応ができなかったが、それを再開した(いっぽう入金はうけつけない・・・当然)ことなどが記載されています。

 

何かの理由でよほど日本のことが好きでなければアメリカの大学で日本語など勉強することはなかっただろうセスさんが、外国為替の世界から暗号資産の世界へと横っ飛びし、ここ数年で二度の試練を味わっておられるが、雇われ社長として誠実に業務をこなしていらっしゃる姿を遠目で見て、感動しています。

 

この点、外資系の日本法人の雇われ社長というのは、どんな産業であれ、たいへんな苦労を伴います。日本は顧客保護の制度が整っている一方で、強欲な諸外国人(中国人だのアングロサクソンだのユダヤ人だの、とは言いません!)の物差しで業績を上げるのは難しい土地柄です。FX業界だけを見ても、今年、ライバル会社(注:相手はアヴァトレード・ジャパンをライバルとはまったく思っていないかも知れません)の外資系雇われ社長が、様々な理由で更迭されたと聞きます。

 

FX業界のことはさておくとして、セスさんが行政処分などという汚名を気にせず正念場を乗り切り日本の登録業者の社長としての矜持を示してくれればと願っています。

(注1)経営破綻のきっかけはスイスフランショックでしたが、当時のアルパリジャパンに下された行政処分の内容は、それとは関係がない非対称スリッページ(顧客にとって不利な方向に偏って、発注時のレートと約定時のレートの差異を意図的に発生させていること)に関するものもありました。なお、同社は業務停止を経つつも、廃業には追い込まれず、デュカスコピーによる救済を経て、デュカスコピー・ジャパンとして存続しています。

(注2)東証よりも先に上場を果たしていた大証によって東証は買収され、東証はいわば裏口上場を果たしました。東証と大証が経営統合したことで、持ち株会社の社名も日本取引所グループとなっていて、自ら同取引所に上場している格好です。主要株主を見ると、上位はすべて信託名義で、実質的な支配者が誰だか表面上はわかりません。役員構成を見れば、半官半民の企業風土は抜本的には変わっていないように見受けます。

(注3)2022年11月18日金曜日日本時間16時現在、筆者が勤務先アヴァトレード・ジャパン(東京都港区赤坂)からアクセスを試みた結果です。 

 

2022年11月15日火曜日

幕末史-納得と幻滅と(中編)

私はこのドラマに嵌っていて、それを小学校の担任の先生(4年生から6年生までお世話になった稲垣雅敏先生、若くしてお亡くなりになり、まったく恩返しが出来ませんでした)にその魅力を伝えたところ「丹羽君、大河ドラマを見たほうが良いよ」と諭されたのを覚えています。

 

「俺たちの旅」のコースケと「花神」(実質は「世に棲む日々」)の高杉晋作は、同じ中村雅俊が演じていることもあって、破天荒の愛されキャラがそのままタイムマシーンに乗ってきたような錯覚を得たものでした。

 

子供心には、高杉晋作>村田蔵六だったと記憶します。齢をとったいまは真逆以上です。

 

それは個人の見解に過ぎないとして、第二次長州征伐(長州藩での呼び方は四境戦争)で、信長の桶狭間の戦いや義経の一の谷の戦いを彷彿とさせる番狂わせを演じたのは、大村益次郎の才気煥発極める指揮と高杉晋作の電光石火のごとき決断力と行動力という歴史観が定着していたと思います。

 

「花神」と「世に棲む日々」は、特に司馬遼太郎先生の作品群のなかでも、いささか揶揄された表現なのでしょうけれども、「長州史観」の決定版を一旦は頭に叩き込むために、このふたつを繰り返し読むことは私には必要でした。「長州史観」という言い方はしましたが、幕府側に開明的要素がなかったわけでは決してないことや、俗論党との接触と調整を図ろうとした赤禰武人を悪くは書いていない点にも注目です。あと、「世に棲む日々」だけを読んでいると、禁門の変(蛤御門の変)以降逃亡していた桂小五郎がいつ長州(の政治の舞台)に戻ってきたのかさっぱりわからないという難点もありました。

 

ここで、繰り返し読んでも、なかなか腑に落ちないのが、桂小五郎や高杉晋作、そしてその仲間である後の伊藤博文や井上薫たちの(対俗論党の)庇護者である周布正之助が、伊藤や井上たちいわゆる長州ファイブを英国に留学(?)させようとする意図とプロセスです。

 

これは、両方の小説に登場する重要な場面局面ですが、「花神」でのみ、村田蔵六が負わされた任務と負担が濃厚に描かれていたりします。

 

当時、長州は攘夷の旗頭として下関で英国の貿易船に砲撃を加えています。つまり、英国とは戦闘状態にあるわけです。このような状態で、金さえ積めば藩の幹部候補生を留学させてあげられる、地獄の沙汰も金次第だ、というのもさすがに無理ではないか。これが腑に落ちない点なのです。

 

普通に考えると、何らかの「英国筋」から周布に対して探りがあったのではないか?どれだけ、周布や桂や村田蔵六がそれぞれの立場で、「攘夷は手段」「目的は開国(交易)を通じた『国』力の醸成」という開明的な鳥瞰図を共有していたとしても、この展開はあまりに唐突に思えるのです。

 

実は、長州ファイブに関する資料はいまだに乏しく、現時点においても、私のこの疑問については満足のいく解答は得られていません。

 

しかし、先日NHKスペシャルとして放映された

新・幕末史 グローバル・ヒストリー 「第1集 幕府vs列強 全面戦争の危機」

新・幕末史 グローバル・ヒストリー 「第2集 戊辰戦争 狙われた日本」

 

これらは、私の疑問への糸口を与えてくれる新しい発見でした。

(後編へと続く)