2010年7月12日月曜日

ドンジョヴァンニ~変装と転調の妙なる調和

現在でも上演されているオペラ演目のなかで、獣(けだもの)、すなわち驚愕的な肉食系の男子が主人公となる演目はモーツァルト作曲のダ・ポンテ三部作のひとつ「ドンジョヴァンニ」が最初(で最後)かも知れません。

スペインの伝説的な放蕩児(Libertine)ドンファンをイタリア語読みしたドンジョヴァンニは、その題材の奇抜さだけでなく、近現代の西洋舞台音楽の歴史の中でも、否それだけでなく、モーツァルトの短い生涯の中で星の数ほど作られたあらゆるジャンルの音楽のなかでも、ドンジョヴァンニ以前にはなかった革命的な要素がふんだんに取り入れられています。

ヴェルディやプッチーニのオペラが好きだという人は、演奏する側にも鑑賞する側にも一杯いらっしゃいます。それに比べてモーツァルトはちょっと、、、その感じ、良く判るのですが、過去の音楽の歴史を、19世紀の絢爛豪華な舞台芸術に、さらには20世紀の映画音楽など様々な複合芸術への対応を可能にした転換点に、ドンジョヴァンニの斬新さが位置するような気がしてなりません。

そのモーツァルトの姓であるアマデウスを冠にとったクラシック番組がNHKにあります。演奏を聞かせたり、演奏家を紹介したりするという視点ではなく、クラシック好きにとってもとっつきづらいと思われてきた音楽理論に焦点を当てた番組が、公共放送から伝わってくるときに、私なんかは受信料は安過ぎると思うものなのです。

そのアマデウスで、ラヴェルのボレロを取り上げたとき、「ハ長調で単純なメロディーとリズムがひたすら繰り返されているという奇抜さで有名」だが、最後の最後(音楽用語でコーダ)で、クレッシェンドの極みでいきなりハ長調からホ長調に転調する点を挙げ「こんな斬新な転調は過去の音楽の歴史ではなかった。プロの作曲家連中からすれば、『あゝ、そんな手があったか。』『やられた。先を越された』と感じるに違いない手口だ」と楽理の専門家が喋っていました。

確かにその通りなのです。

もし、お手元にピアノとかオルガンとか鍵盤があれば是非試してみてください。まず、ド+ミ+ソの和音を弾き、続いて(長3度「平行移動」して)ミ+ソ#+シ、更に長3度平行移動して、ラ♭+ド+ミ♭、そして更に長3度平行移動すると、ちょうどオクターヴで最初のド+ミ+ソに戻ります。

なんか、普通のクラシック音楽の曲にも、それどころか馴染みのあるスタンダードジャズにもフォークソングや歌謡曲にも聞き覚えがない和音進行であると感じられると思います。宇宙遊泳をしているような、ワープしているような感覚を覚えさせられる和音進行です。

敢えて、和音進行と転調とをごっちゃにして書きますと、バッハの鍵盤曲(パルティータでもフランス組曲でもインヴェンションでも・・・)の後半部分や、モーツァルトの器楽曲の第一楽章のソナタ形式の展開部には激しい転調が続く局面がありますが、基本はひとつのフレーズに臨時記号が一つ(和音進行で言えば完全5度の上がり下がり)、多くても二つ、極々稀に三つ(完全5度を3段飛びすると、長調と短調が逆転する)、それまでです。したがって、臨時記号(シャープやフラットやナチュラル)が一度に4つ付け加えられるというのは五度圏を駆け巡るという観点からすると極めて遠い調性にぶっ飛ぶ感覚なのです。

NHKの番組アマデウスに戻ると、この前代未聞のワープな転調を発見ないし発明したのが現代作曲家の橋頭保とも言えるラヴェルだというわけです。

なるほど、言いたいのですが、何とモーツァルトはキャリアの晩年に作った渾身のドンジョヴァンニで、既にそれをやり遂げているのです。

ダ・ポンテ三部作にお約束の着せ替えシーン。これがドンジョヴァンニでは二幕初っ端にあります。家来のレポレッロに自分の貴族衣装への変装を強要し、ドンジョヴァンニの振りをしてかつて自分が裏切った女のひとりドンナエルヴィラを口説かせるという場面です。

http://www.youtube.com/watch?v=2gcFAxCU0YE

バルコニーに向かって、レポレッロに口パクさせ、「降りておいで、いとしい人よ」と歌う直前が、シャープ4つのホ長調、一小節でナチュラルが4つついて、ハ長調で甘いメロディーが奏でられます。

もう一箇所は、ドンジョヴァンニが刺殺した騎士長が石像となって再現する2幕後半。「喋れるものなら喋ってみろ。夕食に来るか?」と石像に迫るドンジョヴァンニに「ああ、お招きいただこう」と返答する場面。

http://www.youtube.com/watch?v=I96sWFb2OkM

登場の時間帯はやや短めながら存在感では他の役を圧倒する騎士長は、有名な序曲の再現部の和音進行同様、これまでモーツァルトどころか、印刷された楽譜として残されている過去の音楽にはない独自の転調のキッカケを与える重要な役割を演じているのです。

http://www.youtube.com/watch?v=oF7ocNl6nXo

この有名なシーンを含む二幕フィナーレには、同時代の有名な他の作曲家のオペラ(現在では演奏されることはない)だけでなく、自分のヒット作であるフィガロの結婚の「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」をもパクった晩餐シーンが含まれます。

http://www.youtube.com/watch?v=kPUk5BQ3yNQ

著作権という概念どころか、個性とかオリジナリティという概念すら乏しかった時代背景を考慮する必要があるのです。

ただそれにしても前例を踏襲しないリスクを何故モーツァルトは、よりによって公演(興行)予算規模の大きいオペラという分野で敢えて冒したのか。今日まで伝えられている金銭感覚のなさだけの仕業なのか。否、声楽意外の分野の方々には失礼ですが、モーツァルトはとりわけ脚本家ダ・ポンテとの邂逅以降は何よりもオペラで成功したいという気持ちが集中していたと逆に考えるべきなのだと思います。

オリジナリティへの敬意が少なかった時代の音楽は、バッハも含めて、音楽というものがより即興的なもので、言いかえれば、クラシック音楽的なものとジャズ的なものとの距離がなかった(楽譜に書きとめておかないことが当たり前の)時代だったと言われています。モーツァルトがバッハを知るようになるのは、実はキャリアの晩年だったのではないか。そこで彼はバッハ独特のフーガの技法や半音階的技法を学んだ。。。メンデルスゾーンがマタイ受難曲を再演しなければバッハは忘れ去られていたままだったと言われますが、その間、バッハは不当に低い評価をされていたというよりは、死んだ作曲家の作品を楽譜を引っ張り出して来て演奏するという習慣が当時まではそれほどなかったということだという話を、ここ最近複数の筋から聞きました。

半音階的な技法なかりせば、騎士長再現の序曲再現部分の和音進行も、不自然なく臨時記号を4つ飛ばす奇抜な転調もモノに出来なかったと考えます。

その後、この臨時記号4つの転調は、さりげなくかつ大胆に、ロッシーニやドニゼッティというイタリアオペラの基礎を作った作曲家たちによって、主として喜劇の世界で不可思議な隠し味として用いられています。

http://www.youtube.com/watch?v=J2vgQfHNWII

この点で、モーツァルトの晩年の偉業は、後の本格的イタリアオペラにとっての大いなる遺産となったと言えるのではないでしょうか。

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