2011年12月22日木曜日

まほうのぴあの-復興支援コンサート

日頃お世話になっている京橋の抜群に(!)美味しいイタリア料理タヴェルナグスタヴィーノTaverna GUSTAVINOさんの御紹介で、フォルテピアノなど古い鍵盤楽器を得意とされているピアニスト(フォルテピアニスト)丹野めぐみさん(ブログ末尾に別公演のyoutubeを御用意しました)のリサイタルにお邪魔してきました。

古い鍵盤楽器の音色

使用楽器は1820年頃制作されたJohann Georg Grober(←スミマセン、ウムラウトの表示の仕方がわからなくて・・・)、、、何と5本のペダルがあり、それぞれ特徴のある弱音機能であることを、演奏前のミニトークで丹野さんが実演含め解説してくださいました。うち、一本はペダルの渾名(あだな)がファゴットという現代のピアノには受け継がれなかったものです。

オーケストラ音楽同様、産業革命とともに、演奏規模もホールの収容人数も巨大化するなか、鍵盤楽器も大きな音を響かせるべきという価値尺度で進化していってしまったのでしょう。古楽器とはある種のシーラカンスかも知れません。ユニークなべダル機能のほか、ピアノ線が鍵盤に向かって全て垂直という意匠も特徴です。これを「平行弦」と呼ぶそうで、現代のピアノは、やはり音を大きく響かせるための工夫として、弦を平行ではなくクロスさせることが定着しているようです。

貴重な古楽器が200年近く丁寧にメンテナンスされ、演奏会場に運び込まれただけでも、演奏者の丹野さんをはじめ、スタッフ、主催者の皆さんの努力は相当なものだとわかります。

一言で言うと、ピアノの音、、、これもメーカーや型番、品番でかなり違うのですが、、、を日本の箏(こと)の音色に近づけたような印象で、ひとりだけクリスマスをすっ飛ばして正月を迎えた気分に酔いしれることができました(笑)。

作曲家の調性へのこだわり

丹野さん自身によるプレトークの内容は、古楽器の説明のほか、クラシック音楽における「調性」の話でした。

グスタヴィーノでいただいたちらしからはそんな内容の話が聴けるとは思わずびっくりしたのと、そういう意図なので、前半のプログラムの曲順が普通の演奏会ではありえない独特のものになっていたのです。

①バッハ「平均律」(第一集)ハ長調
②バッハ「平均律」(第一集)ハ短調
③シューベルト「即興曲」(作品90)第2曲 変ホ長調
④クララ・シューマン「前奏曲とフーガ」(作品16)第2曲 変ロ長調
⑤シューベルト「即興曲」(作品90)第4曲 変イ長調
⑥クララ・シューマン「前奏曲とフーガ」(作品16)第1曲 ト短調
⑦シューベルト「即興曲」(作品90)第1曲 ハ短調


本来は順番に弾かれる「組曲」が分解され、順番も逆転されたりしているのです(ただし上記①⇒②は本来通り)。

しかし、これらの楽曲を聴き慣れているひとも、そうでないひとも、たぶん何の違和感もなく、幻想的な転調の世界にひきづり込まれていったのだと思います。

あとで申し上げるように、冒頭の調性だけを並べてもあまり意味がないのですが、これら7曲がすべてフラット(♭)系の曲であり、その数は、①から順番に、

0⇒3⇒3⇒2⇒4⇒2⇒3(⇒0)

となります(戻ります)。最後の⑦は、冒頭ハ短調ですが結末がハ長調(ブラームスの交響曲第一番第1楽章と同じ)。ハ長調から短転(ドをラに読み替えて短調に転ずる)して始まったフラット(♭)の旅が巡り巡って最後は逆に長転(ラをドに読み替えて長調に転ずる)で我が家に戻ってくる形です。

ただ、この旅程は、見た目ほど綺麗で順調というわけではありません。シューベルトの曲名は文字通り「即興曲」ですが、バッハの平均律も、またそれと同じ題名である(バッハに対する明らかなオマージュである)クララの作品も、同じように即興的であり幻想的であります。

予定調和と即興性

バッハという作曲家は、以降のウィーン古典派の作曲家(ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンなど)やロマン派の作曲家(シューベルト、シューマン、、、、ブラームス、リスト、ショパン、、、)と対比させて、「神の音楽である」「予定調和の世界」「同じ動機が曲の何処をとっても現れていて“金太郎飴”」などと、一般には説明されるようです(出典「NHK教育テレビ『坂本龍一スコラ音楽の学校』」)。

バッハの鍵盤曲のなかで、「フランス組曲」「イタリア協奏曲」「パルティータ」「インヴェンションとシンフォニア」などは、確かに、各曲の後半部分の激しい転調部分も含めて、予定通りの、パターンに適った調性進行が殆どです。特に、「ゴルトベルグ変奏曲」も、変奏曲という定義上、大胆な調性進行はありえません(ただし例外的なト短調の3曲中3曲目のみ極端な前衛性があらわれています)。

今回冒頭で演奏された平均律第一集の最初のハ長調の曲も、それを「カバー」したグノーのアヴェマリアのお陰でわたくしなんかは和音進行を何とか記憶できるくらいで、平均律の各曲は、バッハの他の作品と比べて遥かに、「楽譜を見ずに鼻歌が歌える」程度に覚える、慣れ親しむのが難しい、、、特にマニアックな曲となると、例えば平均律第二集の変イ長調のフーガは、終結部直前の数小節はイ長調【正確に言えば変変ロ長調・・・フラット(♭)が9つ】にまで転調され、激しさにも程があると思うし、予定調和だとも思いません。

ピアノ音楽の旧約聖書と言われる平均律は、バッハの鍵盤音楽の最高峰であることは間違いないですが、最もバッハらしい音楽とも言えると同時に、最もバッハらしくない(即興性と前衛性に溢れ過ぎた)音楽とも言える、両極端を内包した存在です。

シューベルトの即興曲も、もうひとつの作品142が「第2曲を除いた3曲はピアノソナタと捉えるべき」とシューマン(旦那ロベルトのほう)が言ったとおり・・・わたしには第3曲の有名な変奏曲を敢えて除くと残りの3曲はベートーヴェンのピアノソナタ「悲愴」へのオマージュだと思えます)整然とした調性進行に基づいているのに対し、今回演奏していただいた作品90は、即興演奏という意味ではないにしても、実に思いついた通りの大胆かつ自由奔放な調性進行のため、バッハとクララの対位法の作品との相性が意外なほど良好なのです。

楽譜出版の生業(なりわい)とクラシック音楽の調性

絶対音感のないわたしがこれまでにも何度か生意気にクラシック音楽の調性について書かせていただいてきました。
ドンジョヴァンニ~変装と転調の妙なる調和

「愛の調べ」も転調が妙薬に~シューマンの職人技
愛の調べの第二楽章
これまで書きつづったことは、実は相対音感だけでも理解し楽しめる内容です。最後に、絶対音感(または楽器演奏上のテクニックの問題に対する理解)がないとピンとこない話に触れます。

昨日、丹野さんがプレトークで面白い話をされていました。上記7曲に漏れていてアンコールにまわされたシューベルト「即興曲」作品90の第3曲は、変ト短調(♭が6つ)で書かれており、楽譜の出版業者から、「フラットが6つもあると楽譜の売れ行きが悪くなるから、(半音あげて)ト長調(♯1つだけ)に書き換えてくれ」と圧力を受け、それに甘んじて書きなおした(が後年改めて作曲者原案に戻された)というエピソードです。

短い人生にもかかわらず1000曲前後の作品を残した多産のシューベルトにとって、生前楽譜の売上と生計に貢献したのはアヴェマリア一曲だけだったという話も聞いたことがあります。そこまでの生活苦があったればこそ、一度は調性の変更(移調?)を受け入れたのでしょうが、クラシック音楽にとって半音の違いは実は一番大きな違いであり、いくら銭金(ぜにかね)に関わる話とは言え、シューベルトの魂を著しく苦しめたのは想像に難くありません。

ちなみに、初版の楽譜は、作曲家の意図せざるト長調であったことだけでなく、この曲全体の雰囲気を大きく変える、左手アルベッジョのひとつの音が改訂版と異なっています(繰り返される動機なので、実際には何か所か現れます)。右手動機を移動度で言うと「ミ~ミミミ~ド~」、これに対する左手は、初版では繰り返しの前後問わず、ド+ミ+ソで構成されていたのが、現在我々が耳にする分散和音は、繰り返し後、上記下線部分が、ド+ミ+♯ソに改訂されているものです。

この一音の改訂、、、「経過音」化、これまたたった半音の違いです、、、が、ドイツロマン派のど真ん中的存在であるシューベルトが、ショパンやリストなど後期ロマン派の鍵盤音楽への見事な架け橋になっているような気がします。


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