免疫力をつけましょう。新型コロナに対してと、愚かしいマスコミ+SNSに対しても
前々々回、前々回、前回のブログに続いて、こんなタイトルからはじめると、
七転び八起き社長は、一貫して、「都市封鎖懐疑派」だな!?
何て空気が読めない輩だ!!
と糾弾されてもおかしくありません。
「一貫して」という箇所はお褒めの言葉だとありがたく頂戴します。
一貫性がない(※)と言えば、前回、都市封鎖を一日でも早く実現して、経済活動を壊滅させないようにしたいと会見しツイートしたトランプ大統領。舌の根も乾かぬうちに、ニューヨーク市完全封鎖と言い出し、クオモ州知事がアベコベにこれを言語道断と批判。
大統領は前言を再度撤回と、二転三転どころではなく本日に至っています。
リーダーがこれじゃ駄目だろうと言うのは簡単。良くも悪しくもトランプ大統領は、一貫性も指導力(独裁性?)もある部類です。《空気》を読めずに困ることもあるのです。大統領選がさらに一年先であれば違っていたかも知れません。
都市封鎖について懐疑派か?推進派か?
このように二項対立の問題として提示し結論を得ようとするところが、群集心理を手玉に取ろうとするマスコミの常套手段です。
日中戦争から太平洋戦争へ突き進み、サイパン陥落後も軌道修正できなかった日本の指導者と群集の壊滅的失敗から、ほとんどまだ何も学べずにいる、この国があります。
前回ブログで提示した、医療崩壊と経済崩壊はどちらが致命的なのかという究極の選択。
これには明確な正解はなく、現実的な妥協をどこかの中間点でするしかないのです。
しかし、マスコミも、多くのSNS民も、どちらかの結論を、根拠も示さず、公平で冷静な分析もせずに喧伝し、世論を二分するだけになっています。
形勢?としては、経済=おカネ(?)より、医療=人命(?)のほうが大事に決まっているだろう!?に賛成する(いいね!を押す)のが、いまの《空気》なのでしょう。
このブログもまた、その《空気》を追い風にして、幾何級数的に人々を煽るか、逆に極端に《空気》を無視して異論をぶちまけ、Disられるか、どちらかしたら、クリック数も挙げられると期待はできます。
このブログでは、怪しい《空気》に最小限の《水》を差す役割だけは果たし続けたいところです。
「ロンバルディアの宝石」
で、月曜日恒例の、新型コロナウイルス統計アップデートです。きょうは、「国家」以外の例外としてさらにニューヨーク市(ニューヨーク州はもとから入っています)とベルガモ市(ロンバルディア州はもとから入っています)を入れました。
本日追加したベルガモ市は、ロンバルディアの宝石とも評される観光都市です。旧市街(Citta Alta)が特に美しい歴史的な街の人口はたったの12万人程度。そのうちの2,000弱が、非情なペース、で亡くなっているのです。
その割合である
1.67%
という数字は、「致死率」ではありません。
「致死率」の分母である「感染者数」の統計を取るにも、病院もパンクしていて、数字がわからないのです。自宅で倒れて医者にも診てもらえず葬式というケースが雪だるま式に増えていると言います。そして悲しいことにパンクしているのは病院だけでなく教会も火葬場も、です(ニューヨークタイムズの無料記事)。
上記記事で取材を受けている現地の医師の推測では、すでにベルガモ市では7万人が感染しているだろうとのこと。これは前回ブログで引用したイスラエルの疫病学者の考え方だと、Ro(基本再生産数)=2を前提とするならば、集団免疫(Herd Immune)が完成しているレベルとなります。個人的には、ベルガモ市のような状況(同様のケースがクルーズ船「ダイヤモンドプリンセス号」、ニューヨーク市、など)では、Ro>>2と、前提が著しく狂っているではないかと考えます。
その近くに、集団免疫が出来つつあると考えられるモデルケースがあります。初回から、敢えて、載せていたサンマリノ共和国は人口2万人規模の小国。潜伏期においては、イタリア北部の他の地域と新型コロナウイルスが行き来していたに違いなく、これまで「国家」単位でくくると感染者の比率も死者の比率もワーストでした。が、直近一週間の増加率で言うと改善に転じていることが見て取れます。
二つの意味での都市封鎖
都市封鎖(Lockdown、Quarantine)には、都市の《内部》の人の動きを押さえつけるのと、都市の《内外》のそれを押さえつけるのと、二面があります。
前者については、北部イタリアの各都市に限らず、ヨーロッパのほとんどのところで、時すでに遅しと見えてしまいます。しかし、遅きに失したとしてもやってなかったらもっとひどかったかも知れません。
後者については、中部から南部のイタリアは、北部各都市の封鎖で大いに助かった数字が見て取れます。感染者(および死者)がゼロではないので、新型コロナウイルスは間違いなく中部南部にも侵入はしていて、しかしながらゆっくりとしたペースで集団免疫を作っていくということになりそうです。
臥薪嘗胆作戦は、ワクチン利用可能となるおそらく18か月先まで続けないと意味がない選択肢であり、経済崩壊を中心として、先進国に居住する人口にとって、生き方や考え方の変革を抜本的に求められる道です。
経済学について何もわかっていない媒体に露出することだけが評価対象となる自称経済学者(例:●●生命経済研究所など)が、GDPの●割程度の真水の財政出動が必要かもという、そのGDPって人間にとって何だろうというところまで見つめなおすくらいの価値観の変革です。
志村けんさんを悼む
がらりと変わって、国内の話題に。土曜日に小学校から帰ると、まずは「吉本新喜劇」を見て、夜は「8時だョ!全員集合」を視る。その前に大橋巨泉さんの「お笑い頭の体操」~「クイズダービー」も欠かさず。これが文化の汽水域である三重県のテレビ事情を踏まえたわたくしのお笑いの原点(←どうでも良いことです)になっています。
荒井注さんの後任として、ドリフの見習いとして頭角をあらわしていたすわ親治さん(※)が一軍昇格かと思いきや、その兄弟子だった志村けんさんが抜擢。その後の活躍については説明を要しないでしょう。
どれだけナンセンスな笑いであっても、あれだけのコントを毎週考えて練習して生放送でやり遂げることがどんなにたいへんなことか、もちろん子供のころはまったく理解できず、またまずまちがいなく一生理解できないわけです。厳しい芸能界のなかで生き残り頂点を極めている芸人さんというのは、そのストレスや苦痛を、やりがいや快感へと昇華させているのかも知れません。
すべてはわからないものの、特別な人生だからこその「免疫力」の限界というのはあったのではないかと。それと不可分で喫煙の問題も無視はできないところです。とにかく、その特別な人生だからこその達成感をその最期に意識されておられたならなと祈念しつつ、謹んでお悔やみ申し上げます。
都市レベルで壊滅的な感染と犠牲を出すことになったベルガモ市その他の地域や、志村けんさんは人柱です。感情的にYesNoを断じて扇動することでは犠牲者の魂は報われないでしょう。
BCG接種も要因のひとつとして?
最後に、まだまだぬか喜びは禁物ながら、日本や、(旧東)ドイツや、ロシアで感染者数や死亡者数が有意に低そうな背景として、結核予防のためのBCG接種をやめていなかったことがあるという指摘があり、いま鋭意研究が進んでいるそうです。ツベルクリン反応の、アレです。最初に指摘された記事はコチラ。ビジュアルでさもありなんと納得してしまう記事はコチラです。
都市封鎖か否かどうか?だけでなく、免疫があるかどうか?免疫力があるかどうか?という問いもまだYesNoの二項対立ではなく、程度の問題です。
①若い(※)、
②体力がある、
③体調が悪くない、
④適度に清潔で衛生的である(※)、そして、
⑤日本型BCGを接種している(自分も、まわりも)
⑥被曝する新型コロナウイルスの量が多すぎないこと
こういったことの積み重ね(加点方式)で、感染しないというよりは感染するが比較的軽症または自覚症状なしで免疫を付けていく可能性が高くなると予測されます。
最後の⑥はあたりまえのようであたりまえではありません。まだよくわかっていないし、だれもちゃんと説明しようとしていません。新型コロナウィルスは間違いなくこの国にも蔓延しているところ、それにまったく被曝しないと免疫は獲得できないが、単位時間にあまりに大量に被曝したり、または累計的にでも大量に被曝すると、発症、重症化する蓋然性が高くなる。医療崩壊現場の医師や看護師さんが、防護服を着ていても犠牲になる事例からこのように考えられると思います。
マスクは無意味だと理論的に言われています。間違った使われ方や無駄な使われたかがされている現状では、そのように啓蒙するのが正しい態度だと同意します。いっぽうで、被曝を適量に抑える(お互いに)という意味では、手洗いうがいと同じく、一定の意味はあるのだと考えられます。
以上、アセトアルデヒド善玉説を立証して、飲食業を微力ながら応援したい、七転び八起き社長からでした。
※一貫性のない身近な例は、ワイドショーの常連の「専門家」と「評論家」。知らないくせに知ったかぶりを求められ断言を求められるのが仕事ゆえ仕方がないが、彼らの雇用維持のために群集心理が扇動され幻惑されるのは許されることではありません。
※冒頭に《空気》という表現を乱発しました。これは、山本七平先生の「空気の研究」という著書を踏まえています。このブログをご愛読中のみなさまには、是非いちど手に取ってみていただければうれしいです。サイパン陥落と戦艦大和の特攻のエピソードは何千万人もの日本人犠牲者人柱に立つ財産です。
※当時の芸名はすわしんじさんとひらがなだったそうです。ブルース・リーの燃えよドラゴンが大流行した時期で、その物まねをやっていました(それしかやっていなかった?)。
※きょうのブログでは、「免疫」ということばと「免疫力」ということばを使い分けています。このふたつは意味がちがうだけではないのでややこしいです。「免疫」=「抗体」である一方、「免疫力」という表現のなかの《免疫》は、なにかの細菌やウイルスなどに被曝しても感染しない、感染しても発症しない抵抗(力)のようなニュアンスがあります。スギ花粉症の人がスギ花粉の免疫力があると言って褒められることはありません。
大阪大学免疫学フロンティア研究センターの宮坂昌之教授によれば前者を獲得免疫、後者を自然免疫と言い換えることもできるそうです。そして、日本型BCG(の接種)は、それ自体が新型コロナウイルス(感染症のワクチン)そのものであるということはたぶんありえない(獲得免疫が無毒化された抗原でもたらされるわけではない)。そうではなく、一般的な自然免疫(巷間言われる免疫力)が高められている可能性はあるとのことです。
※「若い」要因。幸い、新型コロナウイルスではかなり有効のようです。季節性インフルエンザでは有効ではないこと。次以降のパンデミックではどうなるかわからないことなど、いろいろ謙虚でいる必要はありますね。
※《適度に》清潔で衛生的。完璧に清潔だと、「免疫力」は付かないとも言われます。腸内の寄生虫がスギ花粉症を防ぐと主張するために自らサナダムシを体内で《飼育》していた藤田紘一郎先生も免疫学者のひとりです。本書きすぎ?
2 件のコメント:
いつも 面白く楽しく 読まさせていただいております。
いつもありがとうございます。
Unknownさん、コメントを頂戴しこちらこそありがとうございます。
これからも、可能な限り真実を追求し、空気に流されぬよう、伝えていきたいと心掛けます。
コメントを投稿