2022年1月24日月曜日

言うべきことを言わない、言われたことだけしかしない

文学としての行政処分

他山の石として、金融機関に対する行政処分(業務改善命令や業務停止命令など)の中身を熟読することは、私の日課です。

しかし、みずほ銀行に対する行政処分は、その厳しさの度合いよりは、行政処分の文書のパタンである、「事実関係→法令違反の指摘(法令へのあてはめ)→処分内容」からはみ出した、異例のものになっています。

異例と思えるのは、まずは文章が大容量であること。そして、官僚の文章(霞が関文学などとも呼ばれます)とは思えない、情念のこもったものであることです。関ヶ原の戦いのまえに、石田三成が徳川家康の悪事を書き連ねた弾劾状を諸大名に送り「是非西軍に参加してほしい」とやるわけですが、その18カ条にも及ぶとされる書状をも彷彿とさせます。ただし、石田三成は所詮官僚どまりだったわけですが。。。

「言うべきことを言わない、言われたことだけしかしない」という科白は、儲け主義の民間企業の役職員が、事なかれ主義の官僚を批判しているという文脈ならわかります(民間企業がみんな儲け主義だとか、公務員がみんな事なかれ主義だとか言っているわけでは、必ずしもありません)。言う側と言われる側が逆転していることが極めて屈辱的です。しかも、一般株主に対して責任がある上場企業ですらあるわけですから、なおさら言語道断です。

で、以上は、あくまで話の取っ掛かりであります。「言うべきことを言わない」≒「言うべきことが言えない」という企業風土では、優秀な人材は定着しないでしょうし、会社が経営不振に陥るのは時間の問題でしょうから、本来は、資本主義社会においてはみずほ銀行のような民間企業は淘汰されるはずです。しかし、国家権力となると、そう話は単純ではなさそうです。

「なぜ日本は無謀な対米対戦を決断したのか?」という話を、あらためて、2021年末にさせてもらいました。

学歴詐称の父-真珠湾「奇襲」80周年

昭和の選択・・・1941日本はなぜ開戦したのか

我々は(少なくとも私なんかは)戦後民主教育で、第二次世界大戦(終結)の意義のひとつとして、自由主義ないし民主主義の、全体主義(ファシズム)に対する勝利があげられると習ってきました。これが100%間違いだとは言いません。日本国憲法が事実上押しつけ憲法であることは間違いなさそうですが、その三つの柱は、日本の無条件降伏なくしては立てられなかったでしょう。

今日の本題はウクライナを巡っての世界大戦勃発リスク

しかし、明らかな間違いがひとつあります。例えば、スターリン政権下の当時のソ連は、ナチスドイツよりもひどいファシスト国家であったということです。

日本が、開戦前、昭和天皇もその取り巻き(例:木戸幸一)も対米開戦反対、近衛文麿も然り、東条英機ですら(※)この時点では開戦回避という考えで陸軍の下々を説得することが自分の役割であるという自覚があったわけです。よって、12月に書かせてもらったとおり、天皇に権力が集中しすぎていて、正しい考察や分析ができている有能な重臣や官吏が絶対権力者に対して「言うべきことを言えない」から間違った戦争を始めてしまう羽目になった、というのは間違いなのです。

※開戦前夜に至るまでの「軍拡」の流れ(日中戦争の推進や言論統制など)に責任はあるものの、と注釈すべきかも知れません。

戦前の日本の問題は、大日本帝国憲法や治安維持法をはじめとする非民主的な法規制のせいではなかったなどと言ったら、治安維持法の犠牲になった(ソ連共産党のスパイではない)良心の日本共産党員や反戦運動家の方々やそのご遺族からお𠮟りを受けることでしょう。申し上げたいのは、ファシズムという点で言うならば、ソ連やナチスドイツのそれらは日本とは比べ物にならない次元のものであったということと、米国にすらファシズムは存在していたということです。

米中に挟まれて極東情勢が流動化するなかで、日本としては、呑気に遠いところの話をしている場合ではないかも知れませんが、世界全体で見ると、いま一番緊張をしているのはウクライナ情勢です。

ウォールストリートジャーナルは、プーチンの出方次第では、ヨーロッパは1940年代以来の地上戦の舞台へと成り下がるかも知れないと報じています。

この記事、というか、長めの論稿には、面白い写真がフィーチャーされているのです。なんと、プーチンとゴルバチョフが額をくっつけてひそひそ話をしている写真です。


ゴルバチョフ元大統領とプーチン現大統領ー蜜月と批判

今年の3月で91歳になるゴルバチョフ元大統領は、現在では、権力集中へと邁進するプーチン大統領を批判するご隠居です。しかし、遡ること1991年、ゴルバチョフ氏の側近たちによる同大統領暗殺計画が企てられます。プーチンは、当時、ゴルバチョフ氏の民主化政策を助ける立場で、同氏夫妻を救出、クーデターは未遂に終わります。ゴルバチョフ大統領の政治改革は行き過ぎであり、このままでは、ソ連が崩壊してしまう、よって同大統領を失脚させなければならない、というのがこのクーデターの大義でした。

このクーデターが成功していたら、ソ連は崩壊していなかったのか?それはわかりません。事実は、クーデターは失敗したものの、ゴルバチョフ氏は大統領を辞任せざるを得なくなったというものです(この経緯は複雑)。

ウォールストリートジャーナルの記事は、ソ連崩壊は、モスクワから48.5%の人口と41%のGDP、そして米国とならぶ世界の二大国というステータスを奪ったという描写から始まります。

ゴルバチョフ氏が、ソ連という巨大組織の崩壊と自らの政治生命の終焉というリスクを賭してまで何故改革をあきらめなかったのかについては、ざっくりですが、

①自身の貧しかった少年時代に家族が体験した理不尽なスターリン粛清、

②スターリン批判を旗印としたフルシチョフ書記長の下での抜擢と昇進、そして

③昇進すればするほど身に染みたソ連共産党の「言うべきことを言わない、言われたことだけしかしない」組織風土

と読み取れます。

ところで、ロシア通ではない私には実にピンとこないのですが、ロシアはもはや一党独裁ではありません。そのなかで、現在は、プーチン大統領による事実上の独裁が進んでいるわけです。エリツィン大統領退陣後の2000年代は、ゴルバチョフ元大統領が隠居するわけもなく、社会民主主義政党を立ち上げては失敗し、という繰り返しをしていました。その間、プーチン大統領との関係は良好で、発言力のある(とは言えソ連を崩壊させたということで基本不人気であるが)好好爺として基本はプーチン大統領を支援していました。添付の写真はそんなころのもののようです。

実はスパイとしては出来が悪かったプーチン氏???

クーデターから救出してくれた恩人を一転して批判しはじめたのは2010年代からのようです。これはプーチンがロシア憲法における大統領の3選禁止規定を潜脱した(首相になったり大統領に戻った)り、選挙不正(?)をしたり、というのが元凶のようです。それでも、ウクライナ問題では、むしろ悪いのは米国でありNATO側であると一貫しています。

あらゆる戦争がそうであるように、結果的に勝ったほうも負けたほうも「義」があるわけで、われわれはだいたいは日本語か英語の報道しか見ないので、ウクライナを火薬庫として第三次世界大戦が起こるとするならば、きっと独裁者プーチンに対して誰も「言うべきことを言わない」ロシア側が悪いのだろうと考えてしまいます。

プーチンの粛清が、ゴルバチョフ大統領時代よりも前に(とは言え、スターリンほどひどくはなくてブレジネフ程度か?)逆戻りした感はあり、それがリスクであることは間違いなさそうです。

実はさきほど、ウォールストリートジャーナルの記事は、ソ連崩壊が20世紀最大の地政学上のカタストロフであるとして国民所得と人口の半分を失ったところから書かれ始めていると言いましたが、正確には、プーチンがベルリンの壁崩壊の瞬間は東ドイツにKGBのスパイとして駐在していたわけだが、スパイとしての評価は「リスクを過小評価する」出来の悪いスパイだったという記録がある、というところからはじまっています。要するにこの記事は、プーチン大統領が、もともとリスク感覚の疎い出来の悪いスパイ出で、ジョージア、アゼルバイジャン、ウクライナ(南オセチア、クリミア・・・)と紛争をしかけていくなかで、米国やNATO陣営のリアクションがそれほどでもないという経験値を積み重ねて、今日の危機に至っているのだという分析なのです。

確かに、司馬遼太郎先生も、デビュー作にして忍者小説の決定版「梟の城」で、主人公葛籠重蔵の描写において、忍者の辞書には「まさか」という語彙があってはならない、ということを書いておられた気がします。もしかしたら「関ケ原」の島左近だったかも知れません。


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