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2022年1月24日月曜日

言うべきことを言わない、言われたことだけしかしない

文学としての行政処分

他山の石として、金融機関に対する行政処分(業務改善命令や業務停止命令など)の中身を熟読することは、私の日課です。

しかし、みずほ銀行に対する行政処分は、その厳しさの度合いよりは、行政処分の文書のパタンである、「事実関係→法令違反の指摘(法令へのあてはめ)→処分内容」からはみ出した、異例のものになっています。

異例と思えるのは、まずは文章が大容量であること。そして、官僚の文章(霞が関文学などとも呼ばれます)とは思えない、情念のこもったものであることです。関ヶ原の戦いのまえに、石田三成が徳川家康の悪事を書き連ねた弾劾状を諸大名に送り「是非西軍に参加してほしい」とやるわけですが、その18カ条にも及ぶとされる書状をも彷彿とさせます。ただし、石田三成は所詮官僚どまりだったわけですが。。。

「言うべきことを言わない、言われたことだけしかしない」という科白は、儲け主義の民間企業の役職員が、事なかれ主義の官僚を批判しているという文脈ならわかります(民間企業がみんな儲け主義だとか、公務員がみんな事なかれ主義だとか言っているわけでは、必ずしもありません)。言う側と言われる側が逆転していることが極めて屈辱的です。しかも、一般株主に対して責任がある上場企業ですらあるわけですから、なおさら言語道断です。

で、以上は、あくまで話の取っ掛かりであります。「言うべきことを言わない」≒「言うべきことが言えない」という企業風土では、優秀な人材は定着しないでしょうし、会社が経営不振に陥るのは時間の問題でしょうから、本来は、資本主義社会においてはみずほ銀行のような民間企業は淘汰されるはずです。しかし、国家権力となると、そう話は単純ではなさそうです。

「なぜ日本は無謀な対米対戦を決断したのか?」という話を、あらためて、2021年末にさせてもらいました。

学歴詐称の父-真珠湾「奇襲」80周年

昭和の選択・・・1941日本はなぜ開戦したのか

我々は(少なくとも私なんかは)戦後民主教育で、第二次世界大戦(終結)の意義のひとつとして、自由主義ないし民主主義の、全体主義(ファシズム)に対する勝利があげられると習ってきました。これが100%間違いだとは言いません。日本国憲法が事実上押しつけ憲法であることは間違いなさそうですが、その三つの柱は、日本の無条件降伏なくしては立てられなかったでしょう。

今日の本題はウクライナを巡っての世界大戦勃発リスク

しかし、明らかな間違いがひとつあります。例えば、スターリン政権下の当時のソ連は、ナチスドイツよりもひどいファシスト国家であったということです。

日本が、開戦前、昭和天皇もその取り巻き(例:木戸幸一)も対米開戦反対、近衛文麿も然り、東条英機ですら(※)この時点では開戦回避という考えで陸軍の下々を説得することが自分の役割であるという自覚があったわけです。よって、12月に書かせてもらったとおり、天皇に権力が集中しすぎていて、正しい考察や分析ができている有能な重臣や官吏が絶対権力者に対して「言うべきことを言えない」から間違った戦争を始めてしまう羽目になった、というのは間違いなのです。

※開戦前夜に至るまでの「軍拡」の流れ(日中戦争の推進や言論統制など)に責任はあるものの、と注釈すべきかも知れません。

戦前の日本の問題は、大日本帝国憲法や治安維持法をはじめとする非民主的な法規制のせいではなかったなどと言ったら、治安維持法の犠牲になった(ソ連共産党のスパイではない)良心の日本共産党員や反戦運動家の方々やそのご遺族からお𠮟りを受けることでしょう。申し上げたいのは、ファシズムという点で言うならば、ソ連やナチスドイツのそれらは日本とは比べ物にならない次元のものであったということと、米国にすらファシズムは存在していたということです。

米中に挟まれて極東情勢が流動化するなかで、日本としては、呑気に遠いところの話をしている場合ではないかも知れませんが、世界全体で見ると、いま一番緊張をしているのはウクライナ情勢です。

ウォールストリートジャーナルは、プーチンの出方次第では、ヨーロッパは1940年代以来の地上戦の舞台へと成り下がるかも知れないと報じています。

この記事、というか、長めの論稿には、面白い写真がフィーチャーされているのです。なんと、プーチンとゴルバチョフが額をくっつけてひそひそ話をしている写真です。


ゴルバチョフ元大統領とプーチン現大統領ー蜜月と批判

今年の3月で91歳になるゴルバチョフ元大統領は、現在では、権力集中へと邁進するプーチン大統領を批判するご隠居です。しかし、遡ること1991年、ゴルバチョフ氏の側近たちによる同大統領暗殺計画が企てられます。プーチンは、当時、ゴルバチョフ氏の民主化政策を助ける立場で、同氏夫妻を救出、クーデターは未遂に終わります。ゴルバチョフ大統領の政治改革は行き過ぎであり、このままでは、ソ連が崩壊してしまう、よって同大統領を失脚させなければならない、というのがこのクーデターの大義でした。

このクーデターが成功していたら、ソ連は崩壊していなかったのか?それはわかりません。事実は、クーデターは失敗したものの、ゴルバチョフ氏は大統領を辞任せざるを得なくなったというものです(この経緯は複雑)。

ウォールストリートジャーナルの記事は、ソ連崩壊は、モスクワから48.5%の人口と41%のGDP、そして米国とならぶ世界の二大国というステータスを奪ったという描写から始まります。

ゴルバチョフ氏が、ソ連という巨大組織の崩壊と自らの政治生命の終焉というリスクを賭してまで何故改革をあきらめなかったのかについては、ざっくりですが、

①自身の貧しかった少年時代に家族が体験した理不尽なスターリン粛清、

②スターリン批判を旗印としたフルシチョフ書記長の下での抜擢と昇進、そして

③昇進すればするほど身に染みたソ連共産党の「言うべきことを言わない、言われたことだけしかしない」組織風土

と読み取れます。

ところで、ロシア通ではない私には実にピンとこないのですが、ロシアはもはや一党独裁ではありません。そのなかで、現在は、プーチン大統領による事実上の独裁が進んでいるわけです。エリツィン大統領退陣後の2000年代は、ゴルバチョフ元大統領が隠居するわけもなく、社会民主主義政党を立ち上げては失敗し、という繰り返しをしていました。その間、プーチン大統領との関係は良好で、発言力のある(とは言えソ連を崩壊させたということで基本不人気であるが)好好爺として基本はプーチン大統領を支援していました。添付の写真はそんなころのもののようです。

実はスパイとしては出来が悪かったプーチン氏???

クーデターから救出してくれた恩人を一転して批判しはじめたのは2010年代からのようです。これはプーチンがロシア憲法における大統領の3選禁止規定を潜脱した(首相になったり大統領に戻った)り、選挙不正(?)をしたり、というのが元凶のようです。それでも、ウクライナ問題では、むしろ悪いのは米国でありNATO側であると一貫しています。

あらゆる戦争がそうであるように、結果的に勝ったほうも負けたほうも「義」があるわけで、われわれはだいたいは日本語か英語の報道しか見ないので、ウクライナを火薬庫として第三次世界大戦が起こるとするならば、きっと独裁者プーチンに対して誰も「言うべきことを言わない」ロシア側が悪いのだろうと考えてしまいます。

プーチンの粛清が、ゴルバチョフ大統領時代よりも前に(とは言え、スターリンほどひどくはなくてブレジネフ程度か?)逆戻りした感はあり、それがリスクであることは間違いなさそうです。

実はさきほど、ウォールストリートジャーナルの記事は、ソ連崩壊が20世紀最大の地政学上のカタストロフであるとして国民所得と人口の半分を失ったところから書かれ始めていると言いましたが、正確には、プーチンがベルリンの壁崩壊の瞬間は東ドイツにKGBのスパイとして駐在していたわけだが、スパイとしての評価は「リスクを過小評価する」出来の悪いスパイだったという記録がある、というところからはじまっています。要するにこの記事は、プーチン大統領が、もともとリスク感覚の疎い出来の悪いスパイ出で、ジョージア、アゼルバイジャン、ウクライナ(南オセチア、クリミア・・・)と紛争をしかけていくなかで、米国やNATO陣営のリアクションがそれほどでもないという経験値を積み重ねて、今日の危機に至っているのだという分析なのです。

確かに、司馬遼太郎先生も、デビュー作にして忍者小説の決定版「梟の城」で、主人公葛籠重蔵の描写において、忍者の辞書には「まさか」という語彙があってはならない、ということを書いておられた気がします。もしかしたら「関ケ原」の島左近だったかも知れません。


2010年4月27日火曜日

チェルノブイリ24周年救援キャンペーン「チャリティコンサート」ご来場の御礼

先週4月24日(土)東京都文京区の「文京シビック小ホール」で行われましたチャリティコンサートには大勢のお客さまにお越しいただきまして、本当にありがとうございました。

私は、愛好家の端くれとして、実業界の端くれとして、舞台の末席を汚すこととなりましたが、声楽と器楽のそれぞれの分野において国内外で活躍されているトップクラスのプロ演奏家の皆さんとの競演を、会場埋め尽くすお客さまに、温かくお見守りいただいたことが、何よりも勇気の素となりました。

舞台袖で、当日の主役であるコロラトゥーラソプラノでウクライナの民族楽器バンドゥーラ奏者でもあるオクサーナ=ステパニュックさんが「ここのホールは響きがとても悪い。ニューヨークのメトロポリタン歌劇場はもっと良く響くのよ。。。」と耳打ちしてくれました。メトの舞台に立った経験のあるトッププロが文京シビックの小ホールでチャリティの為にひと肌脱ぐというのは純粋なボランティア精神です。

実は、オクサーナさんとの合同練習はお互いの時間制約もあり、一度だけでしたが、時まさにウクライナの大統領選の決戦の最中でありまして、彼女は、出身国ウクライナで、オレンジ革命以降、反ロシア路線を主導した当時現職首相の大統領候補ティモシェンコ女史の髪型を真似て、同女史の応援団の一員との主張をしていました。

ちょうど今、英FT紙が臨時ニュースで伝えたところによると、ロシアのプーチン首相がイタリア訪問の帰りにウクライナの首都キエフに立ち寄り、ティモシェンコを僅差で破った親ロシア派のヤヌコヴィッチ新大統領に「ロシアとウクライナの両国の原子力発電事業を統合し、近隣諸国への電力輸出も展望した事業拡大を一緒にやろう」との提案を持ちかけたそうです。

「もしこの提案をウクライナが受け入れれば、(永年、ロシアからの“いじめ”の道具に使われてきた)天然ガスのウクライナ向け価格を30%引き下げる」という飴をちらつかせているとのことです。

在野のティモシェンコ陣営としては、何に引き換えても、条約批准を阻止したいと怒りを爆発させている要因のひとつに、同提案が、こともあろうに、チェルノブイリ原発事故の記念日と重ねてなされたことがあります。ウクライナの政治が親ロシアに抜本的に軌道修正されるのかどうかを、前代未聞の「踏み絵」を通じて確かめたいという、まさにプーチン流のマキャヴェリズムの真骨頂のあらわれです。

何も、鳩山政権に限ったことではなく、プーチンのようなタイプのような政治家が長らく日本には登場していないことが、良くも悪くも、日本の政治世界の特徴と言えそうです。しかし問題は、様々な世界の不均衡から発生しうる災害から、日本だけが鎖国的に振る舞うことで逃れることが出来ない次元になっていることです。

例えば、金融の世界的不均衡もリーマンショック以降たいして解決されていません。また、核エネルギーを含めエネルギー問題も然り。加えて、戦争やテロなど、人類が築き上げてきた文明の自己破壊力ともいうべき人間疎外と脆弱性のマグニチュードは、既に人間自らが制御できない域に達してしまい、今直ちにはそれを抑制したり革命的な技術発展によって解決したりすることが出来無さそうだということです。

これまでは我が国に潤沢な外貨をもたらし、食糧自給率が低くても、高齢化が進んでも、何とか生活水準を落とさずに済んできた日本ですが、そのエンジン部分である外需頼みの製造業も、金融の不均衡や、核依存が決して低いと言えないエネルギー供給という隘路など、様々な外生的要因、すなわち不可抗力により苛まれる恐れが高まっています。

繰り返しになりますが、既述の「今直ちに、革命的な技術発展によって解決できない」という前提に立てば、「少子化が問題だ」「温暖化が問題だ」と頭ごなしに洗脳されていて良いものかどうか、そんなことをチェルノブイリという史上最悪の原発事故の周年において、私は考えさせられました。日本と同一程度の生活水準にある国の中には、人口密度が非常に低いことなどもあり、自然との調和、生態系のなかでの恒常的な循環を見事に果たして、電力重要などを水力や風力で相当程度賄えている国も少なくありません。史実に関する争いがないわけではないですが、我が国の歴史を振り返っても、近世までは所謂「間引き」の慣習が殆どの地方で存在したこと(例外はキリスト教や浄土真宗の影響が強かった地域か?)を思い起こしたり、年金制度は空気の如くあって当然のものだという考え方を一度疑ってみることで、本来であれば日本人のお家芸だった筈の、エコロジー社会という価値観が再び発信できるように、社会設計を見直す時期に来てしまっているのではないかという思いを深くさせられました。

そのような思い、関心と、勇気を同時に与えてくれたのが、チャリティコンサートを舞台裏で支えてくださった20人を超える「チェルノブイリ子ども基金」のボランティアの皆さんです。「慣れてないのでご迷惑をお掛けするかも」とおっしゃった舞台監督さんをはじめ、ホワイエでお客さまの案内から物販まで何から何までてきぱきとこなされたボランティアの皆さんとのひと時は、疲れ切った声帯に最高の栄養を与えてくれました。様々な形の舞台があるのですが、打ち上げがこれほど盛り上がり有意義だったのは初めてです。

全ての関係者に感謝。本当にありがとうございました。
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2010年4月22日木曜日

チェルノブイリ写真展と読書感想文

私のブログのせいでは全くないと思いますが、紙媒体にとって厳しい時代になってきています。それ以前に、本当の意味で良心的な雑誌というのは、採算として成り立ちづらいものでした。これは定期購読をしなければ、、、更に余裕がもしあればもっと支援をしなければ、、、そういう雑誌に出会いました。

先日のブログでご紹介した私の中のユダヤ人の著者のルティさんの元旦那様であるフォトジャーナリストの広河隆一さんのチェルノブイリ写真展が昨日から文京シビックの1F展示室Aで開催されています(明日の金曜日まで。土曜日は作品の一部を、同 文京シビック小ホールのホワイエに飾られるそうです)。私は、金融庁検査の合間を見て、土曜日のチャリティコンサートでチャリティ販売用に寄付する「フェニックス証券特製エコバッグ」と私の著書為替力で資産を守れ を両手に抱え、昨日ほんの30分ほど御邪魔してきました。

私にとっては馴染みのある写真の数々のほかに、広河隆一さんが責任編集されているフォトジャーナリズム雑誌DAYS JAPANの最新号がありました。なにものかが脳天から突き刺さるほどの衝撃を覚える、読まずにいられない雑誌だと思いました。チェルノブイリに関心が強いみなさまもそうでないみなさまも、是非是非、一目見に来てください。コンサート以外は入場無料で、今日も明日も午後8時までやっています。

もうひとつ、少なくとも定期購読をして勉強を続けたい、それこそが支援になるのならこれほど嬉しいことはないと思える雑誌が月刊FACTAです。なんと、と取り立てて騒ぐほどではないのですが、私が巻末に感想文を書かせていただいております。毎月のことながら、タイムリーかつこの上ない刺激的でインテリジェントな情報満載の月刊ファクタを、是非是非書店にてご購入ください。
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2009年10月29日木曜日

ロシア、金の大量売却予定?

アニシモワ=タマラさんの本日のコメントです。詳しくは、フェニックス証券ホームページへ。
http://phxs.jp/

市場関係者は先週に伝わった「ロシア財務省がソ連の崩壊以来の金の大量売却を計画している」との報道に注目し続けている。ザ・タイムズ紙は27日、「準備の段階で情報がマスコミに漏れため、ロシア政府は取り引きを断念せざるを得なくなるだろう」との見解を示したが、ロシアのクドリン財相は28日、「この計画を検討している。詳細は近日、発表する予定だ」と述べ、先週に出回った報道を否定しなかった。市場関係者によると、売却が予定されている金の量は世界の年間需要の0.5%-1.25%に相当するようだ。また、「今回の計画が実施されれば、金の価格が急落する展開は考え難いものの、金相場への影響が出る可能性がある」と指摘する市場関係者もいる。

金利を上げるという国もあれば、金を売るという国もあり、新興国セクターは波乱万丈です。ふつうのメディアからは判らないエマージング情報を是非フェニックス証券のホームページから御入手ください。
http://phxs.jp/
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2009年10月1日木曜日

いのちの輝き

「2020年までに1990年比で25%削減」

鳩山総理が打ち出した温暖化ガス削減の中期目標は外交上の先手としては快哉。しかし、米中印など巨大排出国の同調が前提となるだけでなく、核エネルギーの問題は不問に付して良いのかどうかという懸念も残ります。

勿論、核問題をタブー視せずに直視することは、少なくとも我が国を含む成熟経済の国民経済にとっては生活水準の抜本的見直しというデフレ螺旋どころではない騒ぎになるでしょう。国民も政治も忸怩たる思いを持ちながらも出来れば原子力に関わりを持ちたくないのは山々。でも、どこかで誰かが犠牲になっている、人柱になっているという現実を素通りできるでしょうか。

昨年のフェニックス証券チャリティオペラコンサート以来お付き合いをさせていただいているチェルノブイリ子ども基金の来年2010年のカレンダーが、只今、出来あがりました。是非、七転び八起きブログの読者の皆さまも、こちらのカレンダーを御注文され、一見天下太平に見える日本の平和や豊かさも、見えないところで世界の多くの人たちの血と汗と涙のうえに実はなりたっているんだとの思いを馳せてみては如何でしょうか。
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2009年4月21日火曜日

ジャッキー・チェン発言とチェルノブイリ原発事故

ジャッキー・チェンの「中国人は管理されるべき」発言。波紋を呼んでいる割には、断片的な報道が多く、言論の自由について語っているのか、経済活動や金融ビジネスの自由のことを語っているのか良く判りません。もしかしたら両方なのかも知れません。

ブログや著書を長い間御愛読くださっている皆様は御存知の通り、「七転び八起き」は、必ずしも規制強化が弱者を保護しない限り、経済や金融は自由なほうが良いという考えです。「必ずしも」と書きましたが、「少なからず」と本当は言いたいところ。それでもなお、規制は或る程度必要だという考え方にも一理あることは認めます。

一方の言論の自由については、昨夜お邪魔したチェルノブイリ子ども基金主催フォトジャーナリスト広河隆一さんの最新チェルノブイリ報告会で、その大切さを改めて思い知らされました。

史上最悪の原発事故から25年が経過している現在ですら、甲状腺ガンや骨腫瘍等の被害者、放射能に汚染された土壌などの被害が収まらないどころか、むしろ増えている被害者。そのことを認めたくない国家権力(敢えてここではロシア、ベラルーシ、ウクライナを特定しませんが・・・)は被害者増大を訴える良心的な医師を更迭する。そして何よりも驚いたのが、放射能を大量に含んだ雨雲(所謂「黒い雨」)が人口密集するモスクアにまで襲いかかろうとしているとの予測で、せめて現在のベラルーシの人口閑散地域あたりで被害を喰い止めようとして人口雨を降らせたという事実。政治判断の是非は兎も角、そのことを証言できるパイロットは、インタビュアーであるフォトジャーナリスト広河さんに対し「録音テープを回すのはやめてくれ」と制止したとのこと。

北京オリンピック開会式直前の人口雨、はたまた四川大地震で子どもを失った親御さんが西側ジャーナリストに(学校倒壊は人災だと告発するも)「名前は出さないで」と制止したエピソードと相通ずるものがあります。

加えて、日本人として何とも情けないのが、ヒロシマで原爆からの直接の放射能照射は兎も角、「黒い雨」に打たれた被災者の病気は原爆症とは認められない。『病は気から』だ」と判断した広島出身の医師が、IAEAのチェルノブイリ調査団長に選ばれ、大本営発表を展開したという話。但し、IAEAが原子力に太鼓判を押させたい背景は、世界中の原子力産業を背景としており、旧東側特有の言論統制だけの問題ではないでしょう。

ドイツのように、原発政策で二転三転する国もあります。我が国で原発の是非を民主主義プロセスの中で健康に議論できるでしょうか?「生活水準をウンと下げてでも自然エネルギー依存の社会を作るべきだ。GDP信仰を捨てろ。経済成長なんて気にするな」という強烈なメッセージとリーダーシップを持った政治と行政が必要でしょう。これは必ずしも民主主義と無矛盾ではありません。

原発は安全か危険か?このような二項対立の問題として捉えるならば、広瀬隆さんの言うとおり「東京に原発を」という考え方が正しいでしょう。しかしチェルノブイリの酷過ぎた実態と、例えば東京電力の柏崎刈谷原発のようにあれほど苛烈な地震でも最小限の事故(反論はあると思いますが・・・)に留めた安全設計を、「事故は事故だ」と片づけ同列に扱うのは不当。原発を全面肯定するか全面否定するか、という衆愚的な結論を避けるためにも、言論の自由は必要です。但し、これは多数決が真理であることを必ずしも意味しない。民主主義が衆愚政治に陥り、定義上は否定していなかった筈の言論の自由を自発的に葬ることは歴史上しばしばあります。私は言論の自由の価値を民主主義よりも上に置きます。経済と金融の自由は、その中間?

上述の広瀬隆さんの本は、80年代、書店から消えた(消された)と噂されました。日本にも実は言論の自由がないのだという人に私はしばしば出会います。ところで、拙書“為替力”で資産を守れ!も最近書店で見ないと友人に言われます。そう言えば、「こんなことまで書いて良いの?」という内容を此処彼処に書いてしまったので・・・否、こちらは単なる返品かも知れません(笑)。
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2009年4月15日水曜日

最新チェルノブイリ報告会in東京

先週ブログで御紹介したチェルノブイリこども基金から「写真家 広河隆一さんによる、最新チェルノブイリ報告会 in東京」のお知らせです。

チケット:前売り1,000円 当日売り1,300円
2009年4月20日(月)19時開演
  「広河隆一 最新チェルノブイリ報告会」
   文京シビックホール 小ホール(※)

   ゲスト:詩人 石川逸子、 ピアニスト 須山真怜
◇同時開催 チェルノブイリ最新 写真展(小ホールロビー)
〔主催〕チェルノブイリ子ども基金 Tel&Fax 03-5228-2680
〔後援〕ウクライナ大使館 ベラルーシ共和国大使館 ロシア連邦大使館

中央アジアと東欧に造詣の深いフェニックス証券外国為替部長と私も、チェルノブイリ報告会に行く予定にしています。上記プログラム以外に、ここだけの話、ウクライナ大使さんのお話も聞けるらしく、楽しみにしているところです。

拙著“為替力”で資産を守れ!をお買い求めになった読者の皆さんで、チェルノブイリ報告会にお越しいただける方がいらっしゃいましたら、喜んでサインをさせていただきますので、是非本をご持参ください。

前売チケットその他詳細についてのお問い合わせは、チェルノブイリこども基金まで。

(※)文京シビックホール 小ホールは、文京区役所(文京シビックセンター)2階。丸ノ内線、南北線後楽園または三田線春日から徒歩ゼロ分です。
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2009年4月8日水曜日

円>ドル>ユーロ

まずは市況から。円はドルに対して強く、そのドルもユーロよりは強い。これはリスク選好の後退サインだとWSJ紙。危険水域を知らしめたのはやはり企業業績への不安でした。

REITの話も、今朝の日経新聞に詳しい。それにしても破綻REITのニューシティ。民事再生法で初となる負債全額弁済は快挙だとして、投資口ひと口あたり3万5000円での買い取りとは、開示書類での鑑定価格は何の意味があるのか。

それでもこれはREITのお話。負債の弁済率と言えば、当ブログでしばしば問題視してきたアーバン・コーポレイションの弁済率が幾らに決まったがご存知でしょうか。たった15%です。黒字倒産で、もしかしたら資産超過倒産かも知れない事例だっただけに残念。これが不動産取引の実態です。

さて、話題をガラリと変えます。フェニックス証券が昨年末チャリティ・オペラ・コンサートを行ない、出演者の皆さんと観客の皆さんの御支援のお陰で、義捐金の一部をチェルノブイリ子ども基金に寄付させていただいております。同基金の事務局がある神楽坂に昨日訪問。あちらこちらで満開の桜を他所目に、道に迷いながら、新しいオフィスに辿り着きました(汗;)。ウクライナ名物のホワイトチョコを頂きながら、最近の私の問題意識、ウクライナ、ベラルーシ情勢を御教授いただく。反ロ、親ロで、ウクライナとベラルーシは180度異なり、故に工場労働者や都市労働者が大量失業しても、キエフでは赤旗を振ってデモ行進が起きるのに、ミンスクではデモが起きない(一部例外で敢えて捕まりたい人は大暴れをするらしい)。ただし、ウクライナもベラルーシも、失業は必ずしも飢餓を意味しない点では一緒。つまり、農村というバックボーンがある故、失業しても大抵の人は自力で農業をやるか、やっている血縁地縁を辿って生活できるのだそうです。以前の日本の田舎にはあった相互扶助のコミュニティが存在すること。日本の都市労働者の殆どが抱いている恐怖感「お金がなければ生きていけない、豊かになれない」という感覚とは真逆、お金に無頓着でも生きていける楽観、達観があるのだそうです。

両国とも独自の通貨を持っており、外国資本の引き揚げで、相場は崩落しています。しかし悪性のスタグフレーションに立ち向かう両国民の心の支えになっているのは、政治のリーダーシップではなく、農村というバックボーン。両国の農業従事者一人当たりの耕地面積は13~14ha。日本ではたったの2.2haです。

この話に落ちをつける必要はないのですが、最後にウクライナ、ベラルーシ両国と日本の共通点をひとつ。合計特殊出生率は3国とも1.2近傍と少子化まっしぐらです。
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2009年4月1日水曜日

過去最悪の日銀短観、国家破綻危機に学ぶ

朝8:50に発表された日銀短観。特に注目されていた大企業製造業の業況判断指数は▲58。予想以上の悪化で1974年以来の短観の歴史で最悪の数値。

為替は直ちに円安に反応するも、一瞬にして買い戻され、その後は短観発表前に比べ寧ろ若干の円高水準。

日経平均は朝からプラス圏。

エイプリルフールねたに落とすつもりはありません。それを言ってしまえば、四回に一度は短観は四月馬鹿になってしまいますから・・・

大企業製造業の閉塞感と、物質には満ち溢れているが雇用不安から逃れたい=年金が出るまでクビになりたくないという怯え。これは大いに関係があるようです。

松下幸之助氏が二股ソケットを開発し、安藤百福氏が即席めんを開発したころ、意欲ある日本人は「こんなものがあったら便利だな・・・」というヒントを探しまくり、夢をひとつひとつ実現していったのだと思います。ドラえもんの人気は衰えないにもかかわらず、もう一歩上の物質文明のステージにあがることが死活問題だという意識は日本人にもなければ、これまでのメイド・イン・ジャパンの御得意様諸外国にもないという事実から目を背けるわけには行きません。

児童ポルノで摘発された問題のアフィリエート広告。先ほど、アフィリエートのASP会社のご担当と話をしたら、最近伸びている分野は化粧品と健康食品を始めとするEコマースだそうです。

「歴史は繰り返す」という諺と対立するのが「人類はその叡智によって果てしなく発展し豊かになれる」という歴史観。しかし、英国産業革命に端を発する工業文明は、繰り返しもなければ、際限なき発展も有り得ないのではないかという、上記ふたつとも異なる歴史観もあるのではないでしょうか。

ところで、国家破綻危機の事例として、七転び八起きブログではアイスランドを徹底的に取り上げて参りました。これは似非金融立国の熟れの果て。金融が(原則として)虚業であることを忘れていい気になる国・企業・役職員にとっては他人事ではありません。問題は工業立国、貿易立国もまた他人ごとではない事例があることです。

それはウクライナ。19世紀まではヨーロッパの穀倉地帯と呼ばれ、20世紀はソ連の穀倉地帯と呼ばれた、大農業国という印象の強かったウクライナは、21世紀に入り急速に工業化します。昨今の失業率、自国通貨下落、経済成長率のマイナスは、世界の最悪水準であり、10年弱の工業化の恩恵を逆回転させるほどの勢い。混乱の陰には、殆ど常に、積年のロシア関係という外交等の要因が控えているとは言え、それ故、我が国には参考にならないとは言えません。ちなみに、我が国の貿易依存度は10%程度と決して高くないことは以前より当ブログで強調して参りました。対するウクライナは、50%近くにのぼっており、穀倉地帯の印象とは大きく異なります。

当ブログでは、ウクライナ問題を定期的に取り上げていくことにします。
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