2008年10月15日水曜日

格差だけでなく「相場も作られている」

ポール・クルーグマン『格差は作られた』の真骨頂は、

「ここ数十年の米国の格差拡大の原因が経済のグローバル化によるものでは必ずしもなく、黒人差別に起因する。そして共和党レーガン政権こそ、黒人という言葉を直接使わずに巧みに黒人≒虐げられた貧困層を一層虐げる黒人差別政策を正当化し実現化した」

という部分です。クルーグマン教授自身はレーガン政権の経済諮問委員を務めたことがあるのですが。

氏の最新の著書で具体名は明かされていないのですが、『格差は作られた』を読む限り、クルーグマン教授の立場はオバマ候補支持と見て良いと思われます。

そんなクルーグマン教授をして、ノーベル経済学賞受賞直後に「大筋でOK」(10/14CNN)と言わしめたポールソン財務長官の米銀救済策。リーマン・ショックから約1ヶ月が経とうとしている中、いまだ腑に落ちない点を挙げてみると、

★ポールソン長官の7000億㌦公的資金投入案。「政府による市場介入は少ないほうが良い」ネオコン仲間の代表者ブッシュ大統領を如何なる論法で説得したのか?

否、その前に、

★「リーマンだけは特殊。財務の体質も経営の品格も極端に酷かった。救う価値が無かった」と例外的に扱ったとしても、遙かに体質が良かった筈のゴールドマン・サックスのCDSも10%近くまで跳ね上がり、結局は公的資金を強制注入される始末。ポールソン長官ほどの頭脳+戦略+情報(≒人脈?)があれば、出身母体が被る火の粉は想定出来たと私は思う。何故に単純破綻処理を採用して市場を驚かせたのか?

次は、再出ですが、

★上記ポールソン長官の7000億㌦法案。ブッシュ大統領を説得。オバマ、マケイン両党候補をも一枚岩にさせておいた直後の、下院採決での共和党議員の大量造反。マスコミや専門家の多くが言っている「下院選挙前の特殊事情」または「ブッシュ政権末期のダッチロール(レームダック)状態で、大統領自身が求心力を失っている」という見方は正しいのか?

繰り返します。筋書きのないドラマを演ずるほど、米国の保守勢力が柔じゃない。想像を絶する資金力と影響力があると思われます。

★7000億㌦の使われ方。特に、法案修正で議論が喧しかったのが公的資金を使用した(恐らく資本注入と不良債権買取の両方を含む)銀行の経営者に対する「報酬制限」

過去20年、我が国の銀行経営と金融行政を“体感”してきた身としては、長銀・日債銀の経営者の逮捕⇒起訴⇒私財に及ぶ損害賠償請求。しかも、不良債権を作ったときの経営者ではなく、引き継がされた負の遺産を隠さざるを得なかった経営者を、です。米銀経営者の報酬制限と聞くと、殺人犯が罪状認否で「私がヤリました。間違いありません」という裁判が、本来なら死刑か無期懲役かを争うべきところ、禁錮か罰金かを争っているようにしか思えない!そんなアンバランスな議論で世界中のマスコミも専門家も同盟国首脳も市場も必要以上に踊らされはいませんか?

「過去20年」だ何て言うと後ろを振り返り過ぎではないかと思われるかも。1985年のプラザ合意後の円高デフレ(資産バブル)期、我が国の都市銀行は未曾有の利益をあげていました。活発な不動産融資と市場関連収益。しかし一方で、同時に進行していた金融自由化(⊃金利自由化)で伝統的ビジネスモデル≒間接金融依存の世の中は時価発行増資の普及やコマーシャルペーパーまたは大口定期預金の解禁等で間違いなく蝕まれていたのです。当時、日経新聞を読み始めていた私が不思議でならず、未だに不思議なのが、どの都市銀行も“仲良く”株式含み益を実現しては払わなくても良いはずの法人税を喜んで払っていたこと。まともな経営者なら、金融自由化(⊃金利自由化)対策でビジネスモデルの転換やリストラに備えるか、またはその経費が嵩む時期まで含み益を温存し、無駄な法人税を払わないという判断をしたと思われます。実際、そんな判断をした銀行はなく、業界一斉に益出し+余計な税負担を行なったというのは、単に護送船団の横並びでは説明が付かないものを感じます。思うに、都市銀行やメガバンクの役員には余程の人格者か余程の悪党でなければなれない、ってことは端折ると市井人には見えざる手で非合理的な経営判断を押し付けられたと察するのです。

財金分離の見直し論が何処からともなく聞こえてくる昨今。私にとって古くて新しい疑問を何故読者の皆さまにご紹介するのか?現在の米国の保守政治と金融業界(特に大手。含む旧投資銀行)との関係も曰く言いがたい密室の持たれ合いという切り口を持たないと、上記の疑問点が解決できないからなのです。

七転び八起きブログは、経済教室でもなければ政治暴露ブログでもないのですが、単純に、

銀行救済⇒円安

銀行破綻⇒円高

ではこの先は間違ってしまう
と思われます。格差容認、自由放任の米国保守勢力が何故に変節し市場介入を演じているのか。今日はこれから、角川書店さんの『月刊ビジネスアスキー』+『マネージャパン共同企画第5弾の収録で、大阪大学社会経済研究所のチャールズ・ユウジ・ホリオカ教授と対談します。クルーグマン教授にノーベル賞が渡ってしまったので、ホリオカ教授の受賞はちょっと先になってしまいそうです^^;が、「経済学の7不思議のひとつ」の呼び声高いフェルドスタイン=ホリオカ論文は世界中の経済雑誌で最も頻繁に引用されているもののひとつ。国際貿易金融の分野ではクルーグマン教授に勝るとも劣らない成果をあげておられ、我が国では貯蓄理論の分野で第一線の研究者として、日系アメリカ人では最もノーベル賞に近い学者です。クルーグマン教授とは異なる角度で日米政権やIMFの中枢をご覧になって来られたホリオカ教授に、本日の★疑問★をぶつけてみようと思っております。
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2008年10月14日火曜日

格差は作られた

●ノーベル経済学賞、ポール・クルーグマン氏に(10/13WSJ、FTほか)
昨日のブログ(とは言え、祝日はアクセス数が低いのですが^^;)で御紹介した『複雑系経済学入門』のなかで著者の塩沢由典氏はクルーグマンの著書『経済政策を売り歩く人々』(原題は「経済的センスとナンセンス」)を好著として紹介、クルーグマン教授を米国若手三指のひとりとして大活躍中の経済学者とベタ褒めしています。

実は日曜日に池袋ジュンク堂で購入したのが、菱山泉著『ケネーからスラッファへ』と同時にクルーグマン著『格差は作られた』(早川書房、2008年6月)でした。米国で深刻化する格差。その原因はグローバル化による途上国との競争が原因だから優勝劣敗は自己責任で仕方が無いものだと決め付けている規制緩和論者に対して、ブッシュ政権に象徴される白人、もっと言えばWASP、更には一握りの既得権益を有する超金持ちの独り勝ちを確実にするための屁理屈に過ぎないと看破。中流破壊と絶望的格差の根源が黒人差別にある、と主張する本です。これだけ言うと、何だか朝日新聞の記者がジャーナリスティクに書いた本みたいですが、平易な文章ながらも数字と論理を緻密に積み上げた研究成果だと言えます。

そのWASPの金融版権化と言えるモルスタ。ブッシュ政権の目の黒いうちは大丈夫と思いつつ、フェニックス証券のFXのカバー先(カウンターパーティ)のひとつなので一抹の不安もありましたが、

●三菱UFJ、モルスタへの払込を完了(10/13WSJ、FT)
払い込まれた金額は予定通り90億㌦。

モルスタ株の急落により条件見直しが注目されていました。以下は私見ですが、モルスタ側(WASP?)としては日系企業の議決権は20%程度に留めたいという気持ち。三菱UFJ側としては、株価下落を反映せずに議決権割合(シェア)が調整されないというのでは株主代表訴訟に耐えられないという気持ち。両者の利害が一致して、出資形態は根本的に見直され、優先株(うち大半が普通株への転換権付)で配当利回り10%となったのだと察します。

三菱がモルスタを戦略的にどうしようということはひとまず措き、ショッピングとしては絶妙。生命線を握りながらのファイナンスはハゲタカビジネス同様、成功する筈。

敢えてどの局とは言いませんが、似非ポピュリストのニュースキャスターが「三菱には金だけでなく口も出して、日本の金融機関の存在感をアピールして欲しい」と言ってますが果たして如何なものでしょう?北朝鮮テロ支援国家解除を寝耳に水で聞かされつつ、アフガン・イランという遠方での紛争戦争でミカジメ料をふんだくられ続ける我が国。これら全てにWASPの利害が絡んでいる以上、日米関係の手綱を引くのはそう簡単なことではないでしょう。

●ポールソン財務長官、主要銀行トップをワシントンに呼びつける(10/13WSJ)
バンカメ、JMモルガンC、GS、モルスタ、シティが含まれる。
●米財務省、米国の主要9銀行に総額2500億㌦の公的資金注入を決定(10/14WSJ)
以上2本は臨時ニュース。
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2008年10月13日月曜日

ノー・モア・リーマン【号外】

●英国、欧州、およびスイスの各中央銀行、ドル資金供給を無制限に(10/13WSJ)
日銀も追って同様の措置を取る見通しと同紙。G7の隠し玉はこれだったのか?欧州時間に入り、足元再び円高は一服感が出ています。

●「リーマン型」破綻はこれ以上出さない-G7で約束(10/12FT)

ところで、金融庁は先週末、各FX会社に対して、「もしお宅のカバー先(カウンターパーティー)が破綻して更生債権を100%償却という最も保守的な処理を仮定したら、自己資本規制比率はどうなりますか」という緊急アンケートがありました。リーマンをカバー先にしていたFX会社もあった筈なので、もっと早くこのようなアンケートが来ると思っていたのですが。もしかしてリーマン以外の金融機関のことを心配(想定)してのアンケートだったのか。

金融商品取引法上、カウンターパーティが倒産すると、預かったお金が返せない恐れがあります。と書く必要はあります。ただし、これはあってはならないこと(あって欲しくないこと)。でも、最悪のケースに備えるのが経営の使命。

フェニックス証券の9月末の自己資本規制比率は
979.49%
まで上昇し、引き続きFX業界で最高水準です。余裕を持たせ過ぎという意見も聞かれます(ある意味、ROEは犠牲にしているから)が、この余裕のお陰で金融庁への回答は堂々と出来るというもの。そして敢えて繰り返さなければならないのが、格付は全く当てにならない(当てにしていない)ということです。
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神の見えざる手

「経済学は相場を当てたり金を儲けたりするための学問じゃない」と昔から咎められたものでした。心理学を勉強しても異性の気持ちは読めないのと同じか・・・何とかして女の子にモテたいものだと必死で岩波新書の心理学関連の書籍を読み漁った高校時代。その効果が全く無かったことが今となっては懐かしいです^^;

役に立つ学問もあります。物理学は自動車や新幹線を走らせることに貢献していると思われます。モノづくりに貢献している物理学。その殆どは、“ニュートンの林檎”で巷間流布されている「万有引力の法則」をひとまず疑わずに先に進めているものです。この“そもそも論”を疑い、直接は《モノづくりの生産性向上⇒物質的な豊かさ》に貢献しない道を選んだ日本人研究者にノーベル物理学賞が与えられました。

喜ばしいニュースは、目先役に立たないことを一生懸命やることの大切さだけでなく、立派な研究が目先の報酬や豊かさと関係がないだけでなく、学歴や学閥とも関係しないことを教えてくれました。駿台や四谷大塚の偏差値が気になって仕方がない世の教育ママ(これって死語?)に理解してもらえるでしょうか。

昨日、池袋のジュンク堂で、いかにも役に立たなさそうな本を見つけました。『ケネーからスラッファへ―忘れえぬ経済学者たち』(菱山泉著、名古屋大学出版会、1990年)。公共工事のバラマキ政策論者とレッテルを貼られてしまった可哀想なケインズほど有名ではない二人を極々簡単に紹介します。『経済表』で有名なケネーはフランスの経済学者で外科医(ポンバドゥール夫人、ルイ15世の侍医)。フランス革命期に相次いで死亡したブルボン家の陰に、ケネーの存在があったという噂もあるそうです。大革命前夜のブルボン朝は重商主義政策まっしぐら。ベルサイユ宮殿建設は余計ながらも、殖産興業と富国強兵のために、労働者と兵隊の実質賃金を下げるべく、穀物相場を抑える必要があったので、穀物輸出が禁止されていた。これにケネーは猛烈に反対。規制はなるべく緩和・撤廃すべき。富を生み出すのは商工業ではなく土地(農業)だけと言い切ったケネーは自由放任主義の草分けだとか重農主義者とか言われます。ケネーについて詳しく判りやすい本として、『読書と社会科学』(内田義彦著、岩波新書、1985)を挙げます。スラッファはイタリアの経済学者で、新リカード学派と呼ばれています。ケネーとスラッファを結び付けているのが、金曜日の夕刊で敷衍したイギリス人経済学者リカードの存在なのです。

リカードは、比較生産費説を従えて自由貿易の利益を説き、穀物法に反対する等、市場原理主義者の顔を持っていますが、初期のリカードは、重農主義者ケネーの説を定式化することに成功します。リカードの好む譬で、小麦と絹しか商品(産業)が無いと仮定、ふたつの産業の利潤率(利子率)が同一だとすると、利潤率は小麦産業における小麦の投入量と産出量(の比率=生産性または技術)のみで決定する。つまり小麦(基礎財)の産業技術が閉じた経済の利子率を先決的に決定し、絹(非基礎財)の利子率は従属的に決められるに過ぎない、と。

その後、リカード自身、基礎財だけを特別扱いする態度を捨ててしまいますが、初期リカードの重農的立場を継承し発展させたのがスラッファです。基礎財、非基礎財というと、戦後アメリカで何があっても主流の座を明け渡さなかった新古典派経済学(ぶっちゃけミクロ経済学)で出てくる必需品と奢侈品(ぜいたく品)と似ていますが、理論上は殆ど関係の無い概念です。

新古典派経済学は、リカードが経済学を勉強するきっかけになったと言っているアダム・スミス『国富論』の有名(というか恥ずかしながら筆者もそこしか知らない^^;)「神の見えざる手」というワンフレーズに対する果てしない注釈に過ぎないと言った経済学者がいます(奥野・鈴村『ミクロ経済学』岩波書店)。限界効用が逓減する(無差別曲線が下に凸)+限界生産性が逓増する(規模の不経済が存在する)という前提に立てば、中高生の社会科の教科書に出てくる需要曲線と供給曲線が×点のところで交わり、そこで価格と取引量が決まる。その均衡点に神の見えざる手で導かれるというわけです。

新古典派経済学にとって、限界効用逓減と限界生産性逓増は、古典力学にとっての万有引力の法則と同じようなもの。ただし、恐ろしく異なるのは、万有引力の法則を信じて疑わなくても人類の役に立つ様々な理論や機械装置が生み出されるのに対し、経済学の前提(モデル)は素人の直感に照らしてもホンマかいな?と疑ってしまいたくなることです。

リカードの初期理論に注目したスラッファの理論展開は、経済学のなかでは全くの非主流。経済企画庁(現 内閣府)やIMFでも計量モデルとして使われることはないでしょう。端折って言いますと、限界効用も限界生産性も、逓減も逓増もしない(グラフで描けばまっすぐな直線だ)と仮定すると、神の見えざる手が最適解を導かなくなってしまう。

ひとつの閉じた経済を連立方程式に譬えると、商品の数だけ連立方程式があり、その相対価格(商品の数-1)、利潤率、労働賃金が未知数(変数)となります。つまり、この多元連立方程式は方程式の数より1個だけ未知数が多くなり(自由度=1)、商品の相対価格が全部決まっても、利潤率と労働賃金の比率は一元的には決まらないという恐ろしい結論が導き出せるのです。

難しいのは、均衡モデルではない線形モデルというのは神様が均衡点という最適解“もどき”導いてくれないので、人為的に決めざるを得ない、または人為的に決められてしまっている可能性があるということです。

これを国際貿易論、ひいてはFXの相場の適正水準はどこなのか?という議論に発展させていくことは、筆者が社長をクビになったら本腰を入れて研究したいと思っていますが、ヒントは既に金曜日のブログにあります。純粋な加工貿易型の小国の為替水準には適正レベルが存在しない可能性があること。農産物(+天然資源)等、基礎財を中心とする閉じた経済が国民経済の大きな一部として内包している国の交易水準や金利が先ず先決的に決まる。これは、資本移動が規制されている非現実的な前提に立った議論ですが、「外国の金融機関は信用できない」地球規模の金融危機に際しては、このような前提に現実が近づく可能性が否定できません。

神が導いてくれないのなら、人為的に規制するしかないじゃないか?と、均衡を否定する論説が規制強化や計画経済を正当化することに使われるのはあってはならない話でしょう(『複雑系経済学入門』塩沢由典著、生産性出版、1997)。赤信号だったけど、皆で渡っていたのに、轢き殺されたという犠牲者を構ってあげるほど世界経済に余裕はない。そんなことに公的資金を使うくらいなら、四川大地震の被災者を助けるべきです。

決済インフラの機能を守ることが目的であれば、公的資金の投入範囲は決済預金と銀行間市場を時限的に政府保証することに限って良い筈。赤信号とわかっていながら、貸し手も借り手も互いに収奪しあった住宅ローンその他の不動産関連取引も粛々と破綻処理していけば良いのです。
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