2009年6月17日水曜日

FX会社の廃業、身売り、だけでなく・・・

この頃、増えこそすれ減らないのがレバレッジ規制に関する各種メディアの皆さまからの取材。大抵長話となり、最後は

「そもそも御上はこの国の金融のカタチをどうしていきたいか?」

に行き着くのが常。

レバレッジ規制(や全額信託規制)を、FX会社や投資家からの「寝耳に水だ」「明日から喰えなくなる」等の反発の声の大きさだけに照らすのではなく、霞が関、はたまた永田町が『金融制度』をどう考えているか、という視座で捉えることは重要であります。

「失われた10年」を含む過去約20年は、証券に有利な局面と、銀行に有利な局面とに大別されていたと感じます。1998年の金融ビッグバン以降は、投信や保険の銀行での窓販解禁など、銀行側に有利な局面か。それ以前の銀行業界は、金融自由化の流れ(金利の自由化、CP解禁、社債発行における適債基準撤廃・・・)の速さに比べて、業態規制の緩和スピードが遅すぎた(銀行は業態別子会社でしか証券業に参入出来ず、1999年までは業態別子会社ですら株式業務が出来なかった)【注】。

繰り返し当ブログで批判してきた「銀行の数が多すぎる」「銀行員の数が多すぎる」「銀行員の平均給与が(まだ)高すぎる」等が、承知の上でバブルに便乗せざるを得ない経営に銀行を追い込み、いつまでたっても金融システムが健全にならない理由であることは確か。しかし、銀行業態側の自助努力の欠如だけでなく、金融自由化の速さと、業態自由化の遅さのギャップによる銀行ビジネスの空洞化と相俟って、と付け加えなければなりません。

業態別子会社に限定した相互参入と厳格なファイアーウォールの論拠は、銀行と証券の利益相反にあります。しかし、

「親銀行のほうでは、こんなに採算の悪い融資をしてあげている。こんなに株を買ってあげていて毎年白紙委任状を提出してあげている。だから、次回主幹事は子会社証券でやらせてもらわなければタダではおかない!」

という“恫喝”営業を招いたのが、我が国にだけしつこく残っているグラス=スティーガル法の“成れの果て”だったら、最初から銀行本体による証券業参入を許し、《貸出から引受まで、余資運用からM&Aまで》何でもござれの営業のプロによる少数精鋭のワンストップ金融機関を制度上促していたたほうが、結局は金融機関の顧客にとっても最終的に払うべき取引費用を極小化できていた筈。これが本当の顧客保護だと思うのは私だけ?

我が国の銀行は、半分は自助努力の欠如のせいで、残り半分は金融制度改革の齟齬により、本来なら少数のプロ集団が捌き切れる仕事を無駄にワークシェアリングしてきた。この不条理に伴う余計な費用を賄うべく、無理矢理“売り上げ”を伸ばそうとして、無理な貸出(想定される信用費用を賄えない低利鞘な貸出、大盤振る舞いな株式持ち合い)を続けたり、“ぼったくり”に近い外貨預金の為替手数料(と低利回り)が続いたりしていると見るべきです。

外国為替証拠金(FX)取引を、外貨預金の代替商品だと考える人は今では殆どいないかも知れません。しかし、前述の金融ビックバンにより窓が開いた、銀行業務の空洞化分野のひとつだと見られるべきです。

銀行本来の業務である個人ローンについても、かつて長らくは、独立系の消費者金融会社はグレーゾーン金利での融資が認められていた(かつての最高裁判例)のに対して、銀行の無担保カードローンは行政指導上認められていなかった。90年代の資産価格バブルの崩壊過程においては、少額無担保の個人向け貸出は数少ない有望分野であり、独立系消費者金融会社は、金融業界において数少ない“勝ち組”ビジネスモデルでした。対するに、銀行がその分野に入るには費用対効果上無理があり、不動産等の資産を担保にした貸出は、企業向けにせよ、個人向住宅ローンにせよ、不良債権の山となったことも記憶しておかなければなりません。

メガバンクが殆どの大手消費者金融を系列化し、そのあとでグレイゾーン金利が規制されたことは甚だ皮肉と言わざるを得ません(大手銀行と霞が関は癒着していない!?)。

かつての最高裁判例《グレーゾーン金利(利息制限法の上限金利と出資法の上限金利の差)は借主の任意で弁済される限り有効》を覆すほどの、銀行”関連”ビジネスモデルの生殺与奪という視点で、消費者金融の来し方行く末は、外国為替証拠金(FX)取引の業界に深い洞察を与えるものです。
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【注】更に以前のバブル期には、銀行取引先が時価発行増資などエクイティファイナンスの発行代金で銀行からの借入を返済する際、「有利子負債利子率を下げたいのだから、文句あるか」と言われ、反論できる銀行員(含む銀行経営者)が余りにも少なかったことが空洞化の始まりだった。「お客様、資本コストを御存じですか?モジリアーニ・ミラー定理を御存じですか?」と。

2009年6月16日火曜日

不美人投票の潮目が変わった昨夜の相場

イタリアでの主要先進国財務相会議で一体何が話されていたのか?世界経済が崩壊寸前と思われた3月上旬から、巧妙かつ成功裏に株式相場も商品相場も過熱させてきた約3ヶ月間。米銀ストレステストも茶番劇だとほくそ笑みつつ、祭りに加わるのは悪くないという発想は、投資家の多くとメディアをも巻き込んでいました。しかし、週末から昨日にかけて、米欧中央銀行からは水を差す発言が続きます。

「ユーロ圏の銀行は今年と来年で更に2830億㌦の不良債権償却が必要」-ECBコメント(FT紙)

この金額規模は、IMFが予測した米銀の更なる不良債権処理額(今年と来年で5400億㌦)よりは小さいものの、茶番と言われようが果たすには果たした米銀のストレステストに比べ、欧州のほうは茶番すら出来ない状況こそ、深刻さを語っています。

過去3カ月、無理矢理過熱させてきた株価と商品先物で、米ドルはユーロ(や豪ドル等資源通貨)に比べパフォーマンスが悪すぎたわけで、今日以降その修正局面へと向かうべく、静かな号砲が鳴らされたと見るべきでしょう。特に、日本円は、ユーロや豪ドルに対して相当程度強いと見ておかざるを得ません。いつものことながら、当たるも八卦、当たらぬも八卦ですが。
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2009年6月15日月曜日

かんぽの宿とFX業者

鳩山邦夫前総務大臣の見てくれや喋り方には共感しませんが、それら外見からは想像つかないほど(失礼)、邦夫氏は秀才なのであります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A9%E5%B1%B1%E9%82%A6%E5%A4%AB
「いずれ歴史が証明」と語った辞任会見。しかし、「いずれ」では遅すぎないか?日本郵政の何が極悪なのか、何故いま氏の口からハッキリと聞かせてもらえないのか?国民が望むのは、西川社長を非難する口調や激しい語気ではない。ただし、鳩山邦夫氏を代弁しているかの情報もあります。例えば、
http://ameblo.jp/worldforumnet/entry-10280491441.html
http://kigyohanzai.livedoor.biz/archives/619285.html
一方、かんぽの宿の売却価格は決して低過ぎるわけではない、という主張も。赤字企業を雇用維持という条件(国会決議)で引き受けるならば、土地建物の簿価の高さは新スポンサーにとっては無意味です(かんぽの宿の問題だけで、小泉-竹中-西川路線を、売国奴と呼ぶのは無理があるでしょう。であれば、郵貯簡保を舞台にして、より本丸の巨悪が存在するのか?そしてそれは何か?)。

「FX会社を救済買収してくれませんか?」という話。ここ数カ月、件数が増えているだけでなく、どんどん買い手側に有利に。「純資産額以上で、かつ従業員の雇用を守って欲しい」から「純資産額を割れても良い」、そして現在は「1口座幾ら幾らで純資産を買って下さい。従業員の面倒は不要です」と変遷しているのです。FXブームに乗り過ぎて固定費が嵩んでしまった会社と、FXブームに全く乗れず、採算ラインまで達成出来なかった会社の両方があるのですが、従業員の面倒を看るか看ないかで、売却価格は全く異なる点で、かんぽの宿とFX会社は一緒です。

最後に、鳩山邦夫氏は何故か中日ドラゴンズファンらしい。これは共感が持てます。
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2009年6月12日金曜日

社会ダーウィニズム【訂正】

昨年、ビジネスアスキーとマネージャパンの取材・対談で御一緒させていただいた宋文洲さんからは毎週金曜日にメルマガが送られてきます。今朝それを読んでドキッとした部分。

殆どの「社員」は本音では創業したばかりのベンチャーや零細企業に勤めたくないのです。それでも来る「社員」が居る理由はただ一つ。ほかにもっとましなところに行けないからです。大企業に行けるのに敢えてベンチャーや中小企業を選ぶ人はもはや「社員」ではなく創業者です。

ちょうど4年前に「七転び八起き」がフェニックス証券を引き受けた頃はでもしか企業だった。それが今や人気企業です。しかも、4年前からいた自称古株社員も人気企業化に合わせて進化成長しているのです。

さて、昨日ブログで「佐和先生は日経夕刊コラムの字数制限ゆえ、格差固定化打破の具体的処方箋までは書かれなかった」と書きましたが、帰宅後もう一度前日の日経夕刊を読んで、私の記憶違いであることが判明。お詫びして訂正致します。フィンランドのように小学校から大学まで教育費無料にする等、提案がありました。
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