2009年2月11日水曜日

金融安定化策、ガイトナー演説に市場はソッポ

●米銀の大掃除のために2兆㌦(2/11FT)
しかし、投資家の最初の反応としては、こぞって皆の親指を下に向けたとFT紙。

米国株は5%近い大幅下落で、昨年11月20日以来の安値で引けた。この日はちょうど、ブッシュ政権が当時の金融安定化法、つまりポールソン前財務長官の7000億㌦計画の具体的なフォロースルーを行わないことが明らかになった日だとWSJ紙は、比較しています。

一日延期で待ちに待ったガイトナー財務長官の発表だったのに、官民一体ファンドのことなど、具体的な詳細が詰め切れてなかったことが市場の失望を呼んだと各メディアは報じています。

具体性や実現可能性を問いたい市場の心理も理解出来ますが、(最大)2兆㌦という数字をぶち上げれば良かった筈も無い。

オバマ大統領-ガイトナー長官ラインの政策目標は表向きは、「米国には1兆㌦の需要が足りない」という認識に立ったもの。

一方、IMFやゴールドマンサックスの推計は、米国金融の不良債権は海外に負担を負わせている分も含めて2兆㌦という点で一致。

総予算1兆㌦のパーティー(会合名はニュー・エコノミー)で散々食い散らかして、財布が空っぽの参加者が知らぬ顔して立ち去ったあとのごみ溜めと化した会場に到着して請求書を突き付けられているのがオバマ氏でありガイトナー氏であるとすれば、弁済方法次第で米国株や米国通貨が反転するかの期待することが馬鹿げているのでは。

2兆㌦のうち“真水”が幾らで、更にその内訳として、我が国流に言えば、政府紙幣が幾ら幾ら、無利子国債が幾ら幾らと具体策が示されても何の意味もない。

毎度お馴染み(!?)、絶対に実現しない「七転び八起き流」のニューディール政策を提言するならば、銀行が抱える全ての不良資産と不動産をネットオークションにかけて、世界中の投資家が入札できるようにする。政府がやるべきことは、「ネット販売につき、念入りな事前審査は不可能でしょうから、瑕疵担保責任は米国政府が全て負います」と、二次損失を国家予算で保証すること。

日本長期信用銀行⇒リップルウッド⇒新生銀行、で日本政府がやらされたことを、逆に、かつ公明正大にやれば良いのでは。

米国は、やる気になればこれは出来るのですが、問題は欧州。ユーロ圏にしても英国にしても、これをやるだけの自由度と財力が無いからです。
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2009年2月10日火曜日

日産自動車、ルノー、プジョー

●仏政府、ルノーとプジョーに30億ユーロずつ融資へ(2/10ロイター)
フランスのサルコジ大統領は9日、国内自動車メーカーのルノーとPSAプジョー・シトロエンに、それぞれ30億ユーロ(38億9000万ドル)融資すると発表した。両社は見返りに国内雇用を維持するとしている。

今回の措置に対しては欧州の一部の国が反発しており、欧州連合(EU)の欧州委員会も内容を精査する意向を示している。

ルノーと言えば、もちろん、

●日産自動車、通期赤字2650億円。従業員2万人削減(2/9各紙)
国内で1万2000人、海外で8000人。全世界の従業員の約1割に相当。

10年前に日産自動車のCEOとなったカルロス=ゴーン氏は大胆なコストカッターとして名を馳せた。一部メディアは「“ゴーン”流、再び?」と描くが、日本国政府に資金繰り支援を求める姿は、資本の論理に従いやるべきことはやるかつての“ゴーン流”とは異質だと感じるのは私だけでしょうか?
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2009年2月9日月曜日

無利子国債とタンス預金

経済学を学ぶには数学が必要、と断言すると、一部のコテコテのマルクス経済学者に叩かれますが、高度な数学を使えるお利口さんにとっては経済学は朝飯前という、「逆」は、必ずしも成り立ちません。

政府紙幣や無利子国債の是非についての議論。高等数学が正論を導くとは言えません。万人を納得させる論理を積み重ねても、意見が分かれるのが経済学の面白いところでもあり難しいところ。尤も、数学にも不確定性原理(ゲーデル)というのがあります。経済学の場合は、日常の具体的なテーマですら十分に不確定なのです。

政府紙幣については先週十分叩きました。これは与謝野経財相も同意見。その与謝野氏もバッサリとは斬らない無利子国債。

まず一言、「七転び八起き」の意外な考えを申し上げれば、本来は同様にばら撒き政策に他ならない政府紙幣という政策に比べて、経済上の効果や国民の反応が判りにくいという特徴があり、目眩まし政策としてやってみる価値だけはあるのではないか。。。

30兆円にも上ると日銀が推計するタンス預金。信用創造サイクルから脱線したベースマネーを何とかしなければ経済が浮揚しないというのが政策意図。先月の日経CNBC生出演とオンラインセミナーで使った米国のベースマネーとマネーサプライのグラフ(出所:FRB)をご覧頂くと、リーマンショック後の米国は同様の病気に侵されていることが見てとれます。中央銀行が国債に限らず形振り構わず民間資産を買い上げ“お札”を市中に供給しても、家計は銀行を信用しない、加えて銀行は融資先を信用しないゆえに、マネーサプライが意外と伸びないという現象。難しい用語を使いますと、信用創造の乗数や通貨の流通速度は、政策当局が調節できないほど落ち込んだままになっているのです。

マネーサプライさえ増やせば良いという政策が正しいかどうかは、「“為替力”で資産を守れ」に譲ります。

仮に政策目標が正しいとすれば、タンス預金に照準をあわせて無利子国債を発行しようが、引き続き中央銀行に金融緩和策をやらせようが、差はない。問題は、中央銀行が民間のどんな資産を買うか?無利子国債の発行代金という新たな財源で政府がどんな資産を買うか(どのような公共投資をするか)?つまりは、採算性を重視しない事業主に、予算の使い道をどこまで任せられるのかということがより深刻だと考えられます。

最後に、30兆円のタンス預金が、ペイオフ解禁のせいか、断トツに高い我が国の相続税率のせいなのか、わかりませんが、無利子国債の発行が万が一決まれば、現金の還流だけでなく、預金の解約も進んで、預け渋り対策+貸し渋り対策としては効果が中和されてしまう可能性も指摘しておかざるを得ません。ただし、やってみないとわからない。ゆえに、目眩まし効果だけは認める、と書いたのであります。

ところで、今、イギリスでは家庭用金庫が空前のヒット商品になっているそうです。無利子国債は家庭用金庫産業をクラウド・アウトする可能性はあります。それと、無利子とは言っても、政策当局が発行量を調節することによって、家庭用金庫の購入費用程度のプレミアム発行(無利子どころかマイナス金利になる)にすることも出来るし、相続税の軽減策をケチれば、ディスカウント発行(事実上有利子になる)にすることも出来ます。

貧乏家系の「七転び八起き」としては、無利子国債が実は「泥船」であって、無利子国債を買った人の多くは、過去に相続税や贈与税だけでなく諸々の脱税を犯してきた可能性が低くないと推定し、税務署に現金の出所を調べさせ、様々な不正蓄財を一網打尽に暴くきっかけになるとすれば、モラルハザードのない公正な競争社会と財政再建を同時に実現できると考えますが、二世議員を中心とした我が国の世襲政治にこれを期待するのは絶対に無理でしょう。
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2009年2月6日金曜日

政府紙幣は麻薬、伊吹文明氏

まさかヘリコプターでばら撒かれるのではないでしょうが、当ブログがこのようなばら撒き政策には一貫して反対してきました。

理由は3つ。

(1)貨幣錯覚が起こりうるという想定の誤り

2008年9月26日「貨幣錯覚は幻想に過ぎない」

(2)モラルハザード(やり逃げ)の防止こそ、健全な資本主義にとって唯一無二のルールであること

2008年10月17日「モラルハザードとファイヤーウォール」


2008年9月24日「良い銀行と悪い銀行」

(3)中央銀行が金融政策の範囲を広げている現状で、この手の議論のどこに意味があるのか、冷静に受け止められていないこと

2008年12月19日「米ドルはどこまで腐敗するのか?為替介入はありやなしや?」

2008年12月11日「中央銀行とは何ぞや?」

減反政策見直しの足を引っ張る古き悪しき自民党ですが、市場原理主義への徹底批判が渦巻く中、モラルハザード政策を麻薬と喝破する政治家も少なからずいらっしゃるのもまた自民党であります。

さて、市場原理主義もどきに対して、それ見たことかと鬼の首を取ったような書籍や、規制緩和推進派だった有名経済学者が懺悔した書籍が馬鹿売れしているようです。市場原理主義(もどき)への批判は今に始まったことではなく、市場の失敗(政府の失敗も同様に深刻ですが)という経済学用語には古い歴史があります。その代表格が、「公共財」すなわち営利企業に任せておいても供給されづらい道路や公園のようなものです。

インフラとか産業基盤と言い換えても、相応の文脈において、同義語です。

ご覧のとおり、私はブロガーとして、ばら撒き政策、モラルハザード政策を断定的に否定しつづけてきました。簡単に言えば、「政府はゼロサムゲームの邪魔をするな」ということ。しかし、もちろん、物事には二面性があります。

マクロ経済は本当にゼロサムゲームなのか?「買って損をした人がいれば、売って得をした人がいる筈だから、社会全体としてはチャラだ」という自分の考えに間違いはないのか?

反論があるとすれば、こういう理屈ではないでしょうか?

マルクスの歴史観も、マルクスを批判する立場の歴史観も、いったん忘れて、人類がどうやって物質的に豊かになってきたかを思い起こしてみますと、ひとつは技術の進歩(発明や発見など)であることは明らかで、もうひとつは、

自給自足⇒物々交換⇒お金(貨幣)の流通⇒お金の貸し借り(金融=信用創造)

という経済のインフラの整備だと考えています。100年に一度の云々とは、金融が壊滅的となり、場合によってはその一歩手前の貨幣(通貨)まで怪しくなるかも、というインフラの破壊であるから、政府が乗り出さなければならない、という指摘はありうるかも知れません。

ちなみに現段階は、多くの国では、通貨危機までは至っておらず、金融(信用)の収縮が、貨幣の価値を尋常でないほど高めているというのが現状です(Cash is king)。極端な荒療治は、紙切れの価値が無限大に高まることはありえず、どこかで反転するまで放置しろというもの。しかし、当ブログをしばしばパクッている元市場原理主義者の先生方も、そこまではおっしゃらず、埋蔵金をここぞとばかりに使いましょうというご意見やら、それこそ政府紙幣云々とのご意見が聞こえてきます。

荒療治では選挙に勝てないから、麻薬でも抗生物質でも兎に角形振り構わずばら撒けという政策は、貨幣流通インフラにまでは浸食していなかった危機の程度を寧ろ高めます。

昨夜の利下げ後、一瞬健康状態を取り戻したかに見えるかつての基軸通貨国家イギリスも、そしてユーロ圏では、スペインやアイルランドも、本日のテーマ「麻薬としての政府通貨」に手を出さざるを得ない状況にあると考えられます。ばら撒き政策の技術上の問題としては、国別に中央銀行があり、国債等の買い切りオペ(マネタイゼーション)という選択肢が終始残されている日中米とは好対照です。
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