2016年2月12日金曜日

祝30週年 ビッグマック指数と円高とロシアルーブル安

それにくらべて、七転び八起きブログは、たったの8周年にすぎません。

たまたまですが、ブログを始めた2008年仕事で大きな転機を迎えることになる2012年、そして飲食業から撤退し什器備品を二束三文で放出することになる2016年、この3回だけ、わたくしはビックマック指数を取り上げています。

たまたま夏のオリンピックの年にあたるわけですが、ブラジル経済と為替水準について触れてみようというわけでもありません。

注目する国ははたしてどこでしょうか???

たまたまにしても出来過ぎです。リーマンショック前夜、アベノミクス前夜、そして中国ショック(前夜?)に、外国為替証拠金取引(FX取引)の業界ではほとんど触れられることのない、購買力平価への思いが覚醒してしまうのです。習慣性、周期性、そしてへそ曲がりな性格が原因です。

2008年は、リーマンショックのような量的質的な規模で金融バブル(オーバーシュート)が是正されると予想できたわけでもありませんでした。加えて、金融バブルの破裂、すなわちデ・レバレッジの局面では、例外なく為替相場は購買力平価に収斂する、という予想も外れました。

ユーロ高やポンド高が修正されるという予想は当たりました。が、南アフリカランドは購買力平価に比べて割安すぎるので是正される、もっと高くなる、という予想は大いに外れました。この反省のために必要な《国際金融》についての考察はあえて封印し、《国際貿易》だけを切り口にしてみたいと思います。輸入代金を手形では支払えない(輸出国から直接間接投資を得られない、かつまたは、貿易当事国はいずれの国も外貨準備高がプラスマイナスゼロである)という前提です。

このように、《国際貿易》は自由だが《国際金融》はまったく行われないという前提がこんにちのグローバル経済のなかで非現実的であることは言うまでもありません。

しかし、あえて非現実的な前提から考察することで、常識では見えてこない面白い真実が垣間見えたりするのがまた国際経済学の醍醐味でもあります。

30週年を迎えるビックマック指数は、以下の批判に合わせて、2011年7月分から、「一人当たりGDPで修正した購買力平価」を併記するようになっていました。

「豊かになりつつある中国では、実際の為替相場が購買力平価に収斂していっている」ものの、多くの「貧しい国では、賃金が安いのだから、そのような国の通貨は購買力平価に較べて弱くてあたりまえ」という批判。それを受けて、一人あたりGDP(横軸)とビックマックの米ドル建て価格(縦軸)の、なかなか見事な相関を示しています。

一人あたりGDPを扱った2015年末のブログの通り、気になってしかたがない方も少なくないと思われるので、はたして、日本はいまどれくらいの位置(地位)にいるのか確認されたい場合には、英エコノミストの元の記事でお確かめください。

わたくしは、日本の位置(地位)と同じく、ロシア(ルーブル)のことも気になって、ロシアの位置にマウスオーバーして記事のスクリーンショットをとりました。なので、横長の長方形で、ロシアの一人あたりGDPが12,718米ドル、ロシアでのビックマックの値段が1.53米ドルと表示されるのです。

これは平均的なロシア人は、税金などを無視すると、1年間に、8000個を超えるビックマックを食することができるという意味です。平均的な日本人だと1万2000個近く。一人あたりGDPを尺度とすると最も豊かなノルウェー人は、なんと1万9000個近く・・・・

じつはわたくしがロシアを取り上げようとしたのは、ロシアが最も図示された直線(回帰直線)から下振れている、つまり誤差として見逃せないと考えたからです。

ただし、「一人あたりGDPが低すぎるわけでもない割に、ビックマックの値段が安すぎる」ロシアで、年間可食数量が意外に少ないのは、この回帰直線のY切片が大きくプラスであることが理由です。

わたくしの問題意識をくどくどと説明するために、英エコノミスト誌が用意してくれているグラフィックを活用させてもらいましょう。
この世界地図は、一人あたりGDPを考慮しないビックマック指数です。ロシア以外にも濃い赤で塗られた国々(外国旅行者にとってビックマックが安く買える国)が、南米の一部やアジアの一部に点在しています。








いっぽう次の世界地図は一人あたりGDPを考慮したもの。ロシアルーブルが、購買力平価説の観点で、大きく割安に放置されたままの通貨であり、その他の「貧しい」国々は、貧しさゆえに阻却され、色が濃い赤(上の世界地図)から薄い赤(下の世界地図)に変色(昇格)した。


ところで、わたくしが今回申し上げたいことは、購買力平価説の観点から、

ロシアルーブルに限らず割安すぎるから、長い目で見れば修正されて、上昇が期待できる通貨はいろいろあるけれど、ロシアルーブルだけは「貧しさゆえに割安に放置され続けるだろう」という言い訳が成り立たない数少ない割安通貨である

ということではありません

なぜ、一人あたりGDPが低い国、つまりおそらく賃金が低い国の通貨は、購買力平価に収斂されることなく割安に放置されなければならないのか???という議論です。

自由貿易のメリット(がある場合が存在すること)を説明するヘクシャー=オリーン=モデルでは、資本や労働などの生産要素は交易されないが(二)国間で等しい、生産関数は(二)国間で同一、であると仮定します。この仮定がふたつとも極めて非現実的だとしばしば批判されます。

現実を説明したいのか?理想を説明したいのか?これで経済モデルの評価はおおいに変わってきます。企業家や経営者が真摯に株主(しばしば自分)の利益を極大化したいと思うのなら、、、、、、資本や工場の移転はきょうのブログでは扱わないとしたものの、、、、、、貧しくとも真面目に良く働く発展途上国の労働者に技術を教えて、少ないコストで同量同質の生産販売を実現しようとするでしょう。使えない身内よりは使える他人を、こそがグローバル資本主義のモットーであるはずです。

このように賃金の裁定は、グローバル資本主義の強欲だと貶むべきではなく、フェアトレードだと尊ぶべきところです。現実には、発展途上国なりの事情、

つまり、
>戦争などによる混乱、
>インフラの欠如(最終財にかぎらず原材料や中間財を運搬するために欠かせない)
>教育の欠如
などが、理想を遠ざけます。とは言え、教育については、グローバルな企業家や経営者なら、可能な限り、まずは陳腐化したりジェネリックになった技術からでも移転しようとするでしょう。能力や技術の陳腐化を軽視して自己啓発を怠っていた先進国の中間層が、気がつけば雇用機会を失っているというのは、もはや理想ではなく現実でしょう。

ヘクシャー=オリーン=モデルは、生産要素そのものは交易されないのに「一物一価」であると仮定します。生産要素そのものが交易されてしまうと(例:工場進出、外国企業への投資、移民や出稼ぎなど)、貿易のメリット(※)を必然的または一意的に説明できなくなってしまうという事情があり、それはヒト・モノ・カネすべてが自由に動ける真のグローバル経済とは異なる前提となります。しかし、モノに比べると、ヒトやカネはそう簡単に国境を跨げるものではない(※※)というのも実感と合致します。

※労働力が不足がちな国が、労働集約的な最終財を、資本が不足がちな国から、輸入することのメリット

※※フェルドスタイン=ホリオカ・パラドックス[1980]。ただし、われらがFX取引(外国為替証拠金取引)に代表されるデリバティブ取引が活発になってきているので、資本移転に立ちはだかっている国境は以前に比べると乗り越えやすくなっているという指摘もある(金融市場のグローバル化:現状と将来展望白川方明・翁 邦雄・白塚重典日本銀行金融研究所[1997]

一人あたりGDPで調整されたビッグマック指数から、ヘクシャー=オリーン=モデルが、やっぱり非現実的だと短絡的に烙印を押すのはあまりに惜しい考察です。同時に、購買力平価が(長期的にさえ)成り立たないと諦めるのも同様です。この2つの非現実(=理想)が密接に絡んでいることこそ注目に値します。すなわち、

最終財(例:ビックマック)の一物一価が成り立つ(成り立たない)=生産要素(例:貿易当事国の労働者の賃金)が同一である(同一でない)=購買力平価が成り立つ(成り立たない)

これがきょうの仮説です。これが正しいとすると、さて、ロシアルーブルはいかに評価されるべきでしょうか?


そんなこと言ったって、原油価格の見通しがすべて、ですって?ごもっともごもっとも。




2016年2月10日水曜日

マイナス金利でも円高?欧州の銀行不安と世界経済の減速だけで説明できるのか??

マイナス「金利」とマイナス「利回り」

黒田日銀総裁がマイナス金利を発表したのが1/29(金)。ここでのマイナス金利は市中銀行の日銀預け金の一部に手数料を課すという話。日銀預け金の「金利」は、言わば、1日物金利です。一週間と少し経過し、10年物日本国債の「利回り」までマイナスになってしまいました。

1日物金利をマイナスにすることは銀行間の資金過不足の決済に使われる中央銀行預け金に限れば技術的に難しくなく、ユーロ圏やスイスなどで前例があることは、最近良く知られています。

《マイナス金利は嫌なので、銀行間の資金化不足を、現金輸送車で!》、というわけには参りません。現実的物理的に困難、というか、そのほうがコストが掛かります。

どうでも良い話ですが、わたくしは22歳から23歳のころ、しょっちゅう現金輸送車に載せて、もとい、乗せてもらっていました。

いっぽう、10年物の国債の利回りがマイナスになるというのは、国債という有価証券を持っている人が、毎年(※)受け取る利息の(ざっくり)合計金額よりも、償還損(※※)のほうが大きくなったという現象です。

(※)実際には半年ごとに・・・・・・

(※※)満期保有を前提として、額面をいくら上回って購入してしまったか?


日銀による国債購入は有益ではないが有害でもない???

現時点でのわたくしの仮説としては、

①合理的な理由で、国債をマイナス利回りで購入することができるのは、日銀だけである。

と考えています。裏返すと、

②「マイナス利回りなら手放しても構わない」というのが、日銀預け金への手数料課金を片目で睨みつつ、引き受けたり応札したりする国債を手放すかどうか判断する市中銀行の腹のうちである

ということになります。

②の理屈は、国債売却益が市中銀行にとっての割増退職金(一時的な慰労金)であるという2015年12月29日のブログで解説しました。

①の理屈も、世界の中央銀行制度の歴史のなかでも他に例を見ない巨額(対GDP比でも対発行済国債総残高でも)に膨れ上がった日銀保有国債の時価評価は、日銀自らの購入行動によって、マイナス利回りによって洗い替えされます。マイナス「金利」からは手数料収入が生まれ、マイナス「利回り」からは保有国債の評価益が生まれます。相場操縦とは言いません。日銀は実は国内上場会社のなかでもダントツに好決算を迎えられることは確かです。

いまでは、先進諸国を見渡しても、過去と較べても、最高評価の値段が付けられている国債が、現在もっとも財政状況の悪い政府によって発行されたものであるというのは、とんでもなく皮肉な現象であることを超えて、実感に合わなくはないでしょうか???

実感に合わないこと(※)を、すっきりと説明することこそが経済学の役目です。

リカードの比較生産費説が一例。生産要素の移動が行われない二国間においては、交易対象の二財とも絶対優位の国であってにせよ同国内で比較劣位の財については生産を取りやめて(絶対劣位だが)比較優位の他国から輸入したほうがお互いにメリットがある、と。


内生的貨幣供給論

「量的緩和は円安には貢献したが貨幣供給には貢献していない」という話は、わたくしのブログでもしばしば取り上げて参りました。いまのところ、マイナス金利も同様どころか、円安も一時的であったということになります。このことを、欧州の銀行不安と世界経済の減速(原油安、中東問題、中国・北朝鮮など東アジア問題)で説明しようとするブログやニュースは吐いて捨てるほどあります。へそ曲がりのわたくしのブログでは、バズーカの形や大きさにかかわらず、これまでどおり内生的貨幣供給論で説明可能だというのが結論です。

「内生的貨幣供給論」は決して難しい考え方ではないのですが、はっきり言って、言い回しが紛らわしいです。「内生的貨幣供給論」が非現実的だと批判する伝統的かつ正統派の金融理論のなかに、その紛らわしさの原因があると考えました。

もっとも、伝統的かつ正統派の金融理論が自らのそれを「外生的」と呼んでいるはずもなく、暗黙の了解として、「貨幣供給」(Money supply)が与件として外生的に決定可能だとしているわけです。つまり、

①世の中には金利さえ低ければいくらでもおカネを借りて事業を起こしたいというひとがいるものだ。なので、
②貨幣の供給量(市中銀行の預金残高)は銀行の貸出残高によって決定される。
③ここで、市中銀行は、もともと非金融民間部門から預かった預金(本源的預金)を《元手》に、中央銀行の支払準備率(≦100%)の逆数(※)まで目一杯貸出をするものである。

(※)本源的預金を初項とし(1-支払準備率)を公比とする無限級数

上記③で、中央銀行(日本銀行)の支払準備率が外生変数だ(がそれが均衡数量としての貨幣供給を独立して一意的に決定できるというは一般的には言えない)というところから、「外生的」貨幣供給呼ばわりする理由なのでしょう。

とは言え、「支払準備率」を下げたところで、市中銀行の預金は増えない、という考え方を「内生的」貨幣供給と呼ぶのもまたピンと来ません。どこから内生しているのかというと需要側からなのでそれをなぜ供給というのか素朴な疑問が湧いて来ませんか??>

このような用語の使われ方の原因は、

「モノやサービスであれば、需要と供給が価格による調節で一致したり(ワルラス均衡)、どちらか低いほうに引きづられて一致したりして(マーシャル均衡)、均衡数量となる(それは需要数量でもあり供給数量でもある)という言い方ができる」

のに対して、

「おカネについては、何故か(※)貨幣需要(Money Demand)という言い方をせずに、流動性選好(Liquidity Preference)という言い方をして、貨幣供給(Money Supply)という言い方が、需要と均衡するまえの数量を意味することもあれば、需要と均衡したあとの結果としての数量をあらわすこともあり、ひとつの用語が二通りの意味を持つゆえの紛らわしさにある。」

というのがわたくしの推測です。

それが経済学の伝統なのだからしかたがないと意識するしないにかかわらず、高校レベルの社会科でも、紛らわしい用語を経由して、前提の怪しい乗数理論を教えられているというのは、経済損失です。

高校時代に化学で規定量という用語に触れてなんでこんな言い方するんだろうなと思った記憶があって、いまウィキペディアを調べたら、やはり今日の学習指導要領ではもう使われなくなっているようです。

確かに、内生的貨幣供給論が批判対象とする外生的貨幣供給論(正統派の金融論)では、

①借入需要は金利の上がり下がりに応じて貸出能力に一致するか、または、(常に、借入需要>貸出能力なのであるから)金利によって調整不能だとしても貸出能力に一致する。

よって、
②金利という「おカネの価格」の調整機能が働くと働かざるとにかかわらず、外生的に所与とされる貸出能力(によって一意的に決定される貨幣供給)と一致する。

だから、
③貨幣供給という用語のダブルミーニングを気にする必要はないのだ、

ということになります。経済学史をちゃんと勉強せずに想像をこれ以上ふくらませるのは良くないですけど、上記(※)について、流動性選好は取引需要(国民所得に比例?)と投機的需要(金利に反比例?)の足し算だとして、貨幣需要という言い方が経済学では用いられないのは、取引需要(=借入需要?)だけを意味するのかどうかあいまいだとの配慮があったからなのかも知れません。

などなどという愚痴を聞いてもらったうえで、もういちど、《日銀による国債購入は有益ではないが有害でもない》というブログに目を通していただくと、また見えてくる景色が変わってくると思います。
日本銀行のブタ積み当座預金には意味があるのか?

2016年1月24日日曜日

今よりマシな日本社会をどう作れるか

このような良書が、ジュンク堂書店やアマゾンでは手にはいらないのは残念でなりません。

塩沢由典先生が、アベノミスクの初期段階とも言える2013年5月に書かれた本です(発行・発売=編集グループSURE、2013年7月15日初版第一刷発行)。

おそらくは、車座みたいな雰囲気のなかで、経済学を専門とはされていないものの、世の中の森羅万象について感度の高い先生の知り合いを相手に、経済学の切り口からアベノミクスを中心とする2013年初頭の経済情勢、もう少し翻っては、それまでの【長期停滞】(いわゆる失われた20年)について、口語調で語られています。先生の著書のなかではとっつきやすいものです。

しかし、、、、、、

扱われているテーマはとても重く難儀なものです。語り口が優しいからと言って、容易に理解できるわけではありません。わたくしも付箋を着けながら慎重に繰り返し読んでみました。

【塩沢由典先生と竹中平蔵先生】

驚きました。ご自身では否定されているものの、世間では市場原理主義や新自由主義の権化というレッテルを貼られている竹中平蔵先生とそれほど意見が異ならないという箇所がいっぱい出てきます。

塩沢由典先生が、伝統的な経済学に対して批判的な立場で一貫して研究活動をされてきたこと、おそらくまったく、政官界との距離感は異なることに鑑みれば、新鮮な驚きです。

ところで、竹中平蔵先生が、どんなに政官界に近いとは言え、氏が繰り返し主張する「正社員という制度そのものを廃止すべき」という雇用のあり方の見直しは、氏が一番近い自民党はもちろんのこと、労働組合を捨てきれるはずのない民主党、、、(中略)、、、共産党まで、日本の既成政党でひとつとして政策に掲げているところはありません。

せいぜい、同一労働同一賃金までであって、これ以上に踏み込んだ既得権打破を訴える政党は、ひとつもないのです。

さて、以上をプロローグとして、「今よりマシな日本社会をどう作れるか」の論点をわたくしなりに5つにまとめると、

①アベノミクスは安倍のミックスである
②1991年以降の長期停滞の要因分析
③中国という十数倍もの「賃金格差」かつまたは「労働生産性」を持つ国が日本の(自由)貿易の相手方になるかぎり、日本の中間層の賃金を下げない経済政策がありうるのか?
④高福祉高負担でも経済成長を可能としたスウェーデン・パラドックスは日本でも応用可能なのか?
⑤日本でアメリカ(のシリコンバレーやイスラエルのヘルツリア)のようなベンチャー企業群、ベンチャーキャピタリストが育てられるのか?

①は、第一期アベノミクスの最初の2本の矢「金融緩和」と「財政出動」が一貫性のある経済理論からは意味不明であるという話。まず「金融緩和」についての意味と無意味については、このブログで再三触れてきたところです。つぎに「財政出動」については開放経済かつ変動相場制では(財政出動による有効需要の増加は純輸出の減少で相殺されるので)無意味とするマンデルフレミングモデルについて触れられています。

わたくしはマンデルフレミングモデルのような中立命題っぽい議論が個人的には趣味なのですが、これが現実にいまの国際貿易や国際金融のなかで成り立つかどうかは深く議論をしなければならないでしょう。ここでは深掘りされておらず、むしろ②以下の論点こそ、この著書の真骨頂だと思っています。

②では塩沢由典さんは5つの要因を列挙しておられます。わたくしがいちばん注目したのは、日本経済いや日本社会がキャッチアップ(さえすれば成長できていた)ステージからトップランナー(にならなくては成長を続けられない)ステージに変質したという指摘です。言い換えれば「成功の罠」の問題です【p35~p37】。

なんとなく世の中全体としてバブルの崩壊(バブルを作ってしまったこと、かつまたは弾けさせてしまったこと)とその後の対処の悪さが長期停滞のダントツの原因だと思われているところがあるなかで、この指摘は目から鱗です。

【にんにくも石炭も掘れないわけではないけれど・・・・・・】

さて、いよいよ核心部分の③と④について。。。。。。

いまでも近所のスーパーに行くと、国産のにんにくが1個100円で、その隣に中国産のが10個100円で売られていたりします。

2013年に塩沢先生が同著を上梓されたころと、中国経済が崩落しはじめている現在とでは、にんにく以外の財やサービスの価格差は多かれ少なかれ縮んできていると思います。

とは言え、保護貿易や鎖国という禁じ手以外の方法で、農業やホワイトカラー中間層など、多かれ少なかれ既得権を有する労働者の賃金を守る、または増やす、なんてことができるのでしょうか?

塩沢先生はこの本の真骨頂である「サービス経済化」を提唱する【p68~】のなかで、

「日本の農業人口が60%(1920年代)から3%(2012年)に落ちたのは、農業の生産性が落ちたからではなく、むしろ非常に大きく向上したからだ。」

「製造業でも同じことが起こりつつある。。。が、日本の生産性(の向上)/賃金の高さ<<中国(や韓国)の生産性(の向上)/賃金の低さ」

「鉱(山)業の従事者の減少は、別の論理。鉱山が枯渇したから。」

サービス業以外の雇用の減少について、農業と製造業は理由が似ている(が製造業については国際競争にさらされている)。鉱業は理由が異なる。という整理です。

賃金と労働生産性の(A)時系列での変化と(B)横断面での絶対水準の国際比較が入り混じっていてやや複雑です。

【どうして賃金を上げないのか?】

塩沢由典先生は、p105で、「この20年間、日本の経済は確かに低迷しているけれど、私は労働生産性が落ちたとはけっして思っていません。むしろ上がっている。ですから、それに相応するだけ、賃金を上げるべきだし、それを上げないのは、経営者が逃げているのだと思います。」と述べます。

これは上記(A)だけからは導き出せますが、(B)との両立は難しいと思われます。

p117では「鄧小平が出てきて、改革開放ということを言い出すまでは、大々的に海外との取引をすることは少なかった。ところが突然どんどん貿易を自由化してゆく。。。。。。世界経済に占める中国という存在が大きく変わった。中国と日本では、賃金が平均で何十倍もちがっていたし、都市部の給料だって、20倍くらいちがった。いくら粗雑で仕事の仕方が悪いと言っても、文明を持った国民なんだから、それだけ賃金が違えば当然競争力は持てる」と。

ここは上記(B)から帰結する話です。

わたくしの考えは、、、、、、新自由主義と言われようと言われまいと、(A)より(B)を優先せずに、民間企業が国際競争を勝ち抜くのは不可能であるということ。ただし、ただいま多くの日系企業が中国現地生産の出口を模索するという局面にあり、実は出口がない(「工場もノウハウも全部置いてゆけ。」と命ぜられ換金できずにいる)という、標準的な資本主義国家ではありえないような理不尽に直面している経営者が多いこと。ゆえに、統計上の賃金と生産性だけから国際分業を論じるほど現実は簡単ではない(よって日本も捨てたものではない)ということを指摘しておきたいと思います。

【スウェーデン・パラドックス】
④について。塩沢由典先生は「道州制でいろいろ試してみてもよい」【p111~】で、
「ミュルダール夫妻がかいた本が基礎となって、スウェーデンの社会民主党の政策は形作られた。それが受け入れられて、スウェーデンの戦後の体制が生まれてきた。こういうのは、やはり、スウェーデンが今でも人口900万人程度の規模だから可能だったんでしょう。」

これは、わたくしの記憶が間違っていなければ、竹中平蔵先生がNHKの「日本の、これから」で年金問題を討論したときにまったく同じことを指摘されていたと思います。

人口がある程度以上大きい中央集権国家で国民負担率の高い制度を実現すると何となく動脈硬化を起こしそうなイメージはあります。しかし、塩沢由典先生が別の箇所【p92~】で述べられているように、平均的な日本人が抱いている《高福祉国家=労働者の既得権が高い制度》という思い込みを排除することこそスウェーデン・パラドックスを解き明かす鍵だと思うのです。

つまり、

「日本の場合には、企業はいったん正規雇用をすると、基本的には定年退職まで解雇しないことになっていますね。そうすると、衰退産業は、無理しても雇用を維持しなきゃいけない。。。。。。日本の終身雇用は、ある意味で社会保障の一部でした。。。。。。スウェーデンの場合、、、、、、、例えばある企業を解雇されたら二年くらいは大学に入り直すことができる。基本的には学費と生活費を出してくれる。。。。。。」

是非、七転び八起きブログの読者のみなさまには塩沢由典先生の「今よりマシな日本社会をどう作れるか」を手にとって読んでいただきたいので、これ以上の引用は避けますが、やはりわたくしはこの雇用慣行の抜本見直しを伴うセーフティネットの充実が日本の閉塞感を打破する鍵であり、1億人を超える社会でも実現不能ではないと考えています。

しかし、繰り返しになりますが、正社員制度を廃止しようという政治家はひとりも居ません。

最後の⑤のベンチャーが育たない理由も、半分は上記④の病巣で説明できると思います。ただし、それだけで、日本にグーグルやフェイスブックやアップルのような企業がどんどん産まれ育つとか、シャープや東芝がインテルみたいに生まれ変わるなどとは思っていません。正月元旦のテレビ朝日朝まで生テレビで自民党の山本一太先生が「日本にはシリコンバレーの真似は出来ない」と発言していましたが、誰も反論していませんでした。


2015年12月29日火曜日

心配御無用???1人当たりGDP OECD加盟国で20位に後退

アベノミクスに端を発する円安が最大の要因でしょうし、また、最近は使われなくなったGNP(国民総生産)と異なり、GDP(国内総生産)では海外からの配当が算入されないというところも勘案しなければなりません。

さはさりとて、「イスラエルや香港のような小国(?)に抜かされた」「韓国が23位と肉薄している」という事実に、感じ悪いと思われた方が少なくないことでしょう。

人口で割り算をしていないGDPで、日本が中国に追い越されたというニュースについて、わたくしは世間の大騒ぎを無視しました。

しかし、、、、、、

人口で割り算をしているGDPとなると、なんとなく大勢の人たちのあいだで、人間の幸せ度合いと比例し直結する指標なのではないかと思われがちなのは当然です。

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東京にも大阪にもホームレスはいっぱい居ますが、テルアビブやエルサレムには物乞いや掏摸(すり)がいっぱい居ます。それは先進国と言われるヨーロッパの諸都市もいっしょかも知れません。

テルアビブで、小銭の単位もわからず、バス停や行き先の名前の文字も読めず、ドキドキしながらバスを待っているわたくしは、小銭の半分くらいを乞食にあげてしまいました。バス停に並ぶイスラエル人のなかでわたくしのようにお金を乞食に渡すひとは誰一人いませんでした。

イスラエルは、何かと、日本ととは真逆の国だと言えます。。。。。。

米国の世界戦略に沿って、日本が極東で担っている(担っていた)役割と同様のそれを中東においてイスラエルが担っている(担っていた)、にもかかわらず、です。

イスラエルは核拡散防止条約に加盟しておらず、核保有について肯定も否定もしていません。いっぽう、原子力発電所はひとつもないのです。中東に位置しながら、石油が掘れない場所であるにもかかわらず、、、、、、宗教上も外交上も疎遠な隣国から石油を輸入してでも、小国ゆえ国そのものが吹き飛んでしまうような原発事故のリスクは絶対に避けなければならない、という、日本では考えられない思考回路によって、イスラエルの核戦略が導かれているようです。

ところで、アヴァトレード・ジャパンの親会社の事務所は、いまでは東京の都心では見つけることが難しいくらいの、築年数不明の雑居ビルのなかに2フロア間借りをしています。そんなところにIT企業のはしくれが事務所を開いていて大丈夫なのか???サーバはロンドンの金融センターにありますかkら大丈夫ですし、日立製作所のイスラエルの出先機関も同じ雑居ビルに入っているくらいです。

この背景には、テルアビブの郊外を含めた一部の不動産が高騰していて、良質の不動産が手に入りづらいことがあります。弊社親会社や日立製作所が入居しているオンボロオフィスビルの近くには、インフィニティ(日産)やレクサス(トヨタ)の新車ディーラーのショーケースがあったり、グーグル、アップル、3Mなど、米国を代表する企業の開発拠点があったりもします。それらの(帰属)家賃までは調査できていませんが、そこから地中海の海岸にまで広がる住宅地は、高級な部類であり、とは言え、東京の感覚だと、1~2億円の物件に見えるものが、その10倍くらいの値段で取引をされているようです。

テルアビブやその郊外のイスラエル版シリコンバレーの物価が全体として高いかと言えば、そうでもありません。外食は東京と同じくらい。テルアビブの旧市街からシリコンバレーと呼ばれるヘルツリアまでバスで1時間くらいかかりますが、日本円換算で300円くらいです。

その乗り合いバスも、金曜日(の日没から安息日がはじまるため)本数が極端に減ります。しかし金曜日だれも仕事をしていないわけではありません。ユダヤ教徒であっても、金曜日に急ぎの仕事を抱えていれば、仕事を優先します(一部の過激派などを除く)。それでも金曜日はシリコンバレーだったはずの街の雰囲気がガラッと変わり、いつ来るかわからないバスを、大勢の黒人が待っているのです。彼らの多くは、建築現場で働いています。さきほど例示したグーグルやアップルや3Mのオフィスはみんな築浅。街がいま出来つつあるという状況なのです。

地中海に夕日が沈むなかバスでテルアビブの旧市街に戻る途中、横断歩道でフラフープに興ずる少女を見かけました。いまごろイスラエルではフラフープが流行っているのか?と聞くと、信号待ちの運転手に物乞いをするのだ。以前は、もっと普通に、花売りの少年少女がいっぱいいた。イスラエル経済が上向きになって、そういう子どもたちがだいぶ減ったのだ、という回答を得ました。


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一人あたりGDPは、平均値であって、中間値でも最頻値でもありません。中間値や最頻値で見ると、豊かさの順位は大きく変わってくるでしょう。

日本を統計上追い越したイスラエルは貧富の差がより激しいことは明らか。それが一方的に良くないという意味ではありません。

わたくしは長年、日本に移民や難民(受け入り)が少ない背景として、言語の壁がおおいにあると思っていました。金融やITサービスの世界拠点になるためには、アイルランドやカナダ、オーストラリアやニュージーランドに比べると不利だ、ということになりますが、かと言ってニュージーランドが金融ITサービスのメッカになっているという話も聞きません。

イスラエルは英語が日本よりは通じますが、圧倒的にヘブライ語であって、世界でも1000万人未満の人しか喋っていない、英語、スペイン語、中国語はおろか、日本語に較べても汎用性の低い言語の壁があるわけです。この言語の壁を乗り越えてでも、雇用機会に巡り会いたいという人が各国から集まってきています。農業、化学、航空、IT(暗号化技術を含む)などの最先端分野では、ヘブライ語の壁や宗教の壁をそれほど気にせずに仕事や研究をすることができるということなのでしょう。金融とITを足して2で割ったような、アヴァトレード・グループのイスラエル拠点も(アイルランド拠点も)、意外なほど、宗教、出身国、肌の色、母国語は様々です。

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さて、アベノミクスは、円安を招いただけで、インフレをもたらすという「宿題」を果たせなかった、という論評が中心ではあります。

月刊ファクタ新春1月号 日銀「マイナス金利」確率3割

本筋から、またもや離れるようではありますが、この記事のタイトルにある「マイナス金利」に対して、現在行われているのは「ゼロ金利」ではなく「プラス金利」だったという事実をご存知でしょうか?

日銀が民間銀行から国債を買い取ります。その「純」増額たるや、アベノミクス開始以来3年間で約200兆円。

これが大きい数字なのかどうかピンとこないくらい大きい数字ですが、、、、、、

日銀準備預金(<日銀当座預金<マネタリーベース)の残高は、

2012年11月=35兆円
2015年11月=224兆円

つまり、日銀による民間銀行からの国債買い取り(民間銀行による日銀預け金の増加)は、残高としても増え方としても異様な大きさであったことがわかります。

そしてこの224兆円に対して、日銀は、年率0.1%の付利をしています。金額で言うと二千二百四十億円。凄まじい金額ですが、民間銀行の普通預金金利(現在は0.01%から0.05%。最頻値(!?)は0.02%)と比べれば大した差ではない、と銀行経営者なら思うところです。

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アベノミクスが民間銀行に与えたもの。それは国債のイールドカーブ(長短金利差)と引き換えに年利回り0.1%の預金。民間銀行はイールドカーブリスク(≒国債の価格変動リスク)を日銀に引き取ってもらったとは言え、短気調達長期運用(※)による利ざやの大半を失った。

さきほどマネタリーベースの最重要要素である日銀準備預金の残高を比較した二時点で、10年国債の利回りをざっくりくらべると、

2012年11月=0.8%前後
2015年11月=0.3%前後

です。そうすると、わたくしの上記の結論には重大な見落としがあることに気が付きます。日銀が用意した引換券には、イールドカーブリスクに加えて、国債売却益という、割増退職金のような一時金も含まれていたということです。

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これまでに利用したデータの出典は、すべて財務省と日本銀行です。ついでにもうちょっと数字を見てみましょう。わたくしが注目したいのは国債費で、そのうち過去に発行した国債の償還に充てられる費用を除いたもの(利払い費など)です。これが2015年度は10兆円を上回ります。

国債残高が天文学的数字に至るなかで、いまのところは、国債の保有主体としては、日銀がぐんぐんと存在感を増しているだけで、海外主体は微増に留まっています(医療と年金の個人負担比率を改悪せずに高齢化を放置することによって社会保障費を中心とした財政赤字が今後も増えると、「日本国債を購入しているのは日本人だけだから心配ない。日本の国家財政破綻論は破綻している」という議論も成り立たなくなりますが、いまのところはだいじょうぶです)。

そうすると、この国債利払い費10兆円というは、ほぼ純粋に日本国内の経済主体間の所得分配をいびつにしかねない厄介者だということになりそうです。

アベノミクスのビフォアアフターを問わず、銀行セクターが、大手と中小の差こそあれ、

①金融仲介機能(借り手と貸し手との出合い系のような役割)の報酬
に加えて、
②日本国債にまつわる若干インサイダー的で若干既得権益的な利潤
が上乗せされることで、経営を成り立たせてきた。

それでも、先述の準備預金0.1%=二千二百四十億円という補助金は、国債利払い費10兆円から比べると微々たるもの。

歳出の1割程度をもしめる国債利払い費は誰が受け取っているか?日銀と民間銀行と生損保等がざっくり3割ずつというのが答えです。アベノミクスのビフォアアフターで、生損保等はほぼ不変。日銀が1割から3割にシェアを増やし、民間銀行が5割から3割にシェアを減らしました。もうおわかりのように、民間銀行はシェアを減らすことで、毎年の国債利子受取収入を減らしてしまったけれど、減らす過程で、莫大な売却益を計上してきたという図式です。

わたくしたちは、なんとなく、高校や大学などで経済学と称して、日銀が民間(銀行)から国債を買い取る行為が金融緩和であってインフレをもたらすが如き屁理屈に触れてきたり、またそれを妙にわかりやすい詭弁を用いて地上波ワイドショウなどで解説する似非エコノミストに触れてきたりします。しかし、こんなものは金融緩和でもインフレ政策でもなんでもなく、補助金10兆円の受取主体が民間銀行から日銀に遷移したが、民間銀行は一時金によって慰労された、だけのことだったのです。

我が国の税負担が公平だとしても、この10兆円ファンドに参加できているかいないかでは大きな差があります。借金してでも国債を買おう、と結論づけても、借金の利払のほうが大きくては話になりません。国債利払い費10兆円の美味しさを味わうためには、どうしても中央銀行=民間銀行という特権社会の一員でないと難しい面があります。

わたくしはグローバル資本主義(!?)のなかで国家戦略を実現するために、どこの国でも銀行セクターにある程度の特権的地位を与えることが必要(悪)だと思ってもいます。軍事力が必要(悪)なのといっしょです。しかし、以上に描写した銀行セクターの不都合な事実は、英米独仏瑞などの代表的国際的金融機関が担っている国家戦略のようなものには結びつかない、単に歪なヘリコプターマネーのように見えて仕方がないのです。

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一人あたりGDPの順位だけにとらわれず、貧富の差や、本日は触れなかった貧富の逆転の可能性(モビリティ)、特権社会の存在不存在など、さまざまな切り口を加味して論ずるべきなのでしょう。

日本はかなり変化の兆しが見えてきたとは言え、まだまだ多くの人達が大企業や公務員など特権社会に所属しないと割りを食うという思いでいると思います。それもまた事実でしょう。

いっぽう、イスラエル型の社会では、先に触れた研究開発やビジネスの最先端は、一部米系大企業の出先を例外として、そのほとんどがベンチャー企業によって担われていることは注目すべきです。アングロ・アメリカン型社会は、日本型とイスラエル型の中間くらいでしょうか。

2015年7月6日月曜日

ギリシャ国民投票、財政緊縮策にNO。ユーロ下落

ナチスドイツが大戦中に強奪したギリシャ中央銀行の金塊をまだ返してもらっていない

かれこれ6年にも及ぶギリシャ債務危機を、いまどきここまでこじらせたのは、今年1月の総選挙で、首相となるアレクシス・チプラス率いる急進左派連合の緊縮財政撤回路線を国民が選んだからである。


欧州でも最悪レベルである50%の若年層失業率、年金を下ろせず休業中の銀行のATMの前で右往左往する老人たち、仕入れもできず客も来ない商店主。疲弊するギリシャの市井人は、経済危機を悪化させた政権交代を後悔している。


先週末の国民投票は、ギリシャの政治経済という時計の針を、政権交代前まで戻るための残されたチャンス。


ドイツ筆頭に債権者たちが突きつけてきた救済策を脅迫状だとして、反対投票をテレビ演説で呼びかけたアレクシス・チプラスは、気が狂っている。


債権者たちが最後通牒としている救済策の反対することは、ユーロ通貨圏からの脱退を意味する。「いや、そうではない。ユーロに残れる。国民投票でNOが多数になることで、債権者たちをもういちど交渉のテーブルにつかせることができる、いまつきつけられているギリシャにとって屈辱的な条件を改善することができるのだ」というアレクシス・チプラス首相の主張は、絵空事に過ぎない。


・・・・・・と、悪夢を見て、目覚めたギリシャ有権者の多くは、賢明かつ冷静にして、YESを投ずるだろう、、、との予想が、みごとに外れてしまいました。


先週月曜日(6月29日)は、ユーロ円が1%以上のギャップダウン(窓あき)で再開。国民投票を強行するとして揺るがないギリシャ現政権に対して、それなら債務軽減交渉のテーブルにつかないというトロイカ(含むIMF)たちとの平行線のまま、翌6月30日の債務期限を迎えることになるという最悪の事態に、外国為替市場がひらいていない週末、進展してしまったからです。


今回の国民投票(レファレンダム)も、またまた、週末の出来事。ユーロ円は、またしてもギャップダウン(窓あき)でオープン。わたくしだけでなく、多くの市場参加者が、6割を超えるNo(反対)が集まるとは予想していなかった。ユーロ下落が織り込まれていなかったということになります。


わたくしを含めた予想を外した市場参加者から見ると、ギリシャの有権者(すでに国を見捨てて海外に出稼ぎリ行っている若者や、お金持ちを除かなければならないので、あえて国民と書かずに、有権者としています)は、愚か者で怠け者で浮かれ者だと唾棄すべき存在なのでしょうか???


わたくしは、5年半ほどまえ、まだ初期段階だったギリシャ債務危機に際して、
驚嘆に値するギリシャの言い訳
として、英フィナンシャルタイムズの報道《ギリシャの副首相が「ナチスドイツが大戦中に強奪したギリシャ中央銀行の金塊をまだ返してもらっていない」との発言》を引用しました。

かたや、いま英国放送協会のホームページにはこのようなチャートが出ています。



ドイツが公的にまたは私的にかかえているギリシャ向け(不良)債権が突出しているのです。

アベノミクスでデフレ問題を解決できると信じていた日本国民には笑えないギリシャのデトロイト化

年金や公務員給与などのレガシーコストにいっこうにメスがはいらず、その一方で、ギリシャ有権者は債権者たちにNOを突きつけてもユーロ圏に留まることができると楽観し、さらには債権者にとってもギリシャのユーロ圏離脱は事実上の債権放棄になる(※)として、引き金を引けないことが、ギリシャ債務問題が6年ものあいだひきづられてきた理由です。


国や地方公共団体の債務にとって、徴税権だけが担保です。それでは、夕張市やデトロイト市はなぜ債務問題を解決できなかったのか?担税力のある市民は、緊縮財政を強いられる地域に我慢して住み続ける必要を感じないからです。


IMFやEUが、ギリシャ国民に、出稼ぎや移民を禁じて、ギリシャの徴税権が及ぶ会社や工場などで強制労働をさせることなど、できないでしょう。またそのような環境で、ギリシャが通貨発行権(シニョリッジ)を復活させてドラクマが流通したとしても、自国債務がユーロ建てで発行されている以上、ユーロとの交換比率、つまり為替相場はいちじるしく低い評価にとどまらざるを得ません。


これは第一次世界大戦後のドイツのハイパーインフレと同じような混乱をまねきます。けっきょく、国民も、ババ抜きのババのような新ドラクマを支払決済手段として容認しなくなり、(ジンバブエの自国通貨と米ドルの関係のように)、やはり流通するのはユーロだけだったということになりかねません。




しかし、それでも本来手を付けるべきは、レガシーコストそのものであり、金融政策や消費税を弄るのは本筋ではなくて、有権者対策にほかなりません。これまた為政者が確信犯でやっているところです。


有史以来はじめて直接民主制を導入し、ゆえにその制度上の欠陥をあらわにしたギリシャで、いまふたたび衆愚政治の極みが演じられています。ユーロ紙幣の在庫も払底しているし、ドラクマ紙幣の印刷機も錆びついている、ところが、金がなくても自生するオリーブの実をかじり、シュノーケルで魚を啄んでいれば、そのうちなんとかなるだろうと考えて、国民投票結果に浮かれているギリシャ国民。債権者が対抗できる手段はあいもかわらず限られている。「債務不履行のトリガーを弾いてもむしろ損失は膨らむ」と自覚する債権者側は、「ユーロを供給しない」という真綿で首を締めつづける方法を続けて、ギリシャを姨捨山にするしかないと考えていくのではないでしょうか。

2015年6月29日月曜日

ギリシャ悲劇は最終幕なのか?異次元の静けさを装う国債市場と為替市場

ギリシャ国債の三大投資家(俗称トロイカ)とされる国際通貨基金(IMF)、欧州中央銀行(ECB)、欧州連合(EU)が、仏の顔も三度までと言わんばかりに、明日6月末を以って債務不履行という憶測が広まっています。

EUが継続支援しないという報道が流れたのが、休場の週末であったこともあり、今朝の外国為替市場の再開では、1%を上回るギャップダウンが、EURJPYなどで見られました。下記チャートはEURJPYの週足です。過去の債務危機のときのように何周にもわたって大幅なユーロ下落があったのと比べると、先週から今週にかけてのユーロ相場の落ち着きは嵐の前の静けさのようでもあります(昨年11月から今年3月にかけての長期にわたるユーロ安は、テーパリング観測によるドル高が主たる要因です)。
EURJPY週足チャート アヴァMT4)
同様の現象がより顕著で不気味なのが、ギリシャ国債の利回りとクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)の推移です。


ギリシャ国債 CDS 過去5年分


ギリシャ国債 利回り 過去5年分
信用市場の落ち着き(※)、為替市場の落ち着きが不気味なほどであるのに対して、ギリシャの銀行は取り付け騒ぎとなっており、きょうからギリシャの銀行は6日間休業。ATMに並んでもひとり1日あたり60ユーロしか現金を引き出すことが出来ないとなっています。いちぶ報道では、それ以前に、ATMにユーロ紙幣が詰め込まれていないとも言われています。

わたくしのブログでギリシャについて述べてきたことをアーカイヴズから引っ張りだしてきたいと思います。

MF Globalとギリシャは根っこが同じ!?



↖↖↖今回だけはこうはならないのだと思います。




(※)ブルームバーグ社が無料で提供してくれているウエブ上の情報では10年物のジェネリックの数値しかとれていませんでしたが、残余財産分配をより的確に反映する短期債の利回りは週明け顕著に上昇しています。ギリシャ国債2年物は前週末比で12ポイントも上昇して年利33%に(価格は下落)。ギリシャ危機で世界同時株安

2015年6月19日金曜日

インディアンを皆殺しにしたアンドリュー・ジャクソン米国第七代大統領

今週のFOMC(連邦公開市場委員会)は、イエレン議長が記者会見で「年内利上げは1回のみ。雇用情勢次第」と語り、現状の金融政策を維持する内容だったことで、サプライズなしとの評価になりました。

へそ曲がりのわたくしは、FRB(米国連邦準備理事会)がその翌日発表した、一見してどうでも良いニュースに注目しました。

現在、10米ドル(本稿執筆時点で約1230円相当)札の肖像が、アレクサンダー・ハミルトン氏になっているところ、2020年から、女性が加わることが内定したそうです(WSJ)。

Alexander Hamilton to Share Image on $10 Bill With a Woman

アレクサンダー・ハミルトンというひとは、FRBの創設者であり、米国の初代財務長官だそうで、米国の歴史上の重要な女性(未定)と、横並び(?)で写ることになりそうです。

「米ドル紙幣に女性の肖像を」というのは、あまりおおっぴらに反対する人は少なそうです。問題は、紙幣の種類を増やさずに、どの男性を追い出すか???だったろうと思われます。

それは、下馬評では、アレクサンダー・ハミルトン氏ではなく、20米ドル札に描かれているアンドリュー・ジャクソンだったと言われています。

不人気投票で一番の理由は、米国第7代大統領の彼が、中央銀行制度に否定的な人物だったからとされています。

へそ曲がりののわたくしは、ジャクソン大統領に俄然興味を抱いてしまいました。

ところが、この人物のことを、ネットで調べると、日本語ウィキペディア、英語ウィキペディア、ホワイトハウスどっとゴヴ、ヒストリーどっとコム、、、、、、で、なかみがいちじるしく違うのです。

海外由来の内容なのに、ウィキペディアの英語版よりも日本語版のほうが詳しく書かれている(普通は逆)ところがあります。

それは、アメリカ原住民(いわゆるインディアン)に対する軍人としての戦い、女性や幼子も含む非戦闘員皆殺しを徹底指示していたことです。

この点は、ホワイトハウスの資料にはいっさい書かれていません。

また、黒人奴隷をたくさん雇って経済的に成功していたことは、あちこちで書かれていますが、英語版ウイキペディアでは、当時の平均的な奴隷よりも広い場所に住ませ、武器やお金、自由を与えていたと好意的に書いています。

我が国が寄らば大樹と思っている(思わざるを得ない)米国が、現在の戦争にまつわる法律や通念からかけ離れた野蛮で血なまぐさい方法によって、国を形作っていたのが、ほんの200年ほど前に過ぎないことは熟慮に値します。

しかし、スペインによるラテンアメリカ支配と同じく、天然資源と労働力を貪るために、原住民を支配するというエレガントな統治をとらずに大量虐殺し、黒人奴隷に強制労働をさせるというハードランディグな路線をとった理由とは???大統領の発言にはその言い訳もはっきりと示されています。

南北戦争とほぼ重なる時代、日本は黒船来航によって、不平等条約を結ばされこそすれ、その時点では非戦闘員を巻き込んだ皆殺しにはならなかった。ジャクソン大統領がインディアン移住法を成立させたのは、わずか22年前のことです。これはちょっと日本語訳が穏便過ぎると思われ、英語では、Indian Removal Actとなっています。

このような国の形が整っていない時代だったとは言え、当時の中央銀行(第二合衆国銀行)の存続に徹底して異を唱えた為政者が居たことは、ハイパーインフレの末に先頃自国通貨を廃止し公式通貨を米ドルへと切り替えたジンバブエをはじめ、国内銀行への取り付けがはじまっているギリシャの問題や、我が国のアベ黒田ノミクス問題への考えるヒントを与えてくれます。

米国版の樋口一葉となるのは誰か?誰か注目しているのでしょうか??

2015年6月11日木曜日

予想外だった早朝の利下げ、ニュージーランドドルの急落《セミナーご案内》

けさ、ニュージーランドの中央銀行が、政策金利を3.5%から0.5ポイント利下げし、3.25%とすることを発表しました。

予想外の利下げだったので、あさいち、ニュージーランドドルは対円などで、激しく下落しました。

スイスフランショックのときと比べたら大したことはないのに、何を大袈裟なと思われるかも知れません。

しかし、日本時間よりも3時間速く日が昇るニュージーランドで、朝方に政策決定会合が行われ、利下げ発表は、日本時間の朝7時台。流動性の薄いなかでの予想外の発表となると、通貨の急落の過程で、途中に値段がつかないという現象につながります。

もっとも、記者会見に応じたニュージーランド準備銀行総裁の発言にあるとおり、ニュージーランドドル高は持続可能な状態ではなかったとはっきり明言されています。

長い目で見てみましょう。アヴァMT4で過去のレートが取得可能なところまでさかのぼってみると、対円で見たニュージーランドドルは、40円台(超 円高域)と90円台(超 円安域)を、信じられないほど規則的に、驚くほど悠長なサイクルで、上下動していることが読み取れます。

1995年からの20年間で、超 円高域に突入したのは、2000年と2008年です。

ちょうど20年前の1995年は、それでもいまに比べると、ニュージーランドドルが割安で、だいたい60円前後をうろちょろしていました。

ここで話題ががらっと変わります。1995年というのは、日本におけるワインブームの火付け役となった田崎真也さんが世界ソムリエコンクールで日本人初の優勝に輝いた年でもあります。

ワインと言えばフランスという限られた常識がまだまだ横行していたその時代、ニュージーランドワインは質が高くてしかも割安だ。いまふうに言えば、コストパフォーマンスが高い。と目を付けていた酒屋さんや勉強家のワインテイスターも居ました。

為替の決定理論を複雑にしている理由のひとつとして、国際貿易からのアプローチと、国際金融からのアプローチが組み合わさってしまうことがあります。この点、強引に言わせてもらえば、ニュージーランドと日本の関係は、国際貿易だけに絞って論ずることがどちらかというと許されるセグメントかと思うのです。

ぶっちゃけた言い方をすると、乳製品とラム肉とワインの国際価格から、ニュージーランドドルの適正水準を評価することができるというわけです。

そこで(!!!)空席がわずか2名となりましたが、6/24(水)ニュージーランドワインセミナー(主催:アヴァトレード・ジャパン、特別協賛:乃木坂ワイン倶楽部ヴィラージュ、ジェロボーム、ADVFN)を、乃木坂ワイン倶楽部ヴィラージュにて開催いたします。

乃木坂ワイン倶楽部というくらいですから、複数の国から輸入したワインを比較試飲していただくことができます。

農家と醸造家が情熱を注ぎ生活を賭けて作り上げたワインに舌鼓を打ちながら、それでも冷酷に、はたしてどのワインがコストパフォーマンスがいいだろうかと探り当てていただきたいです。

日本では根強い人気を誇るニュージーランド(ドル)、そしてこの七転び八起きブログでも、2008年以降、何度も裏切られながら(苦笑)、ニュージーランド愛を叫んできた、その集大成、というとまったく大袈裟ですね。二度目がないみたいになってしまいますから。

お申し込みは、
support@avatrade.co.jp
まで、「ニュージーランドワインセミナー申込み」と件名にお書き添えのうえ、お願いいたします。

これまでのセミナーの様子を以下はご紹介いたします。


2015年5月29日金曜日

日本銀行のブタ積み当座預金には意味があるのか?

ついに200兆円を超えた日銀当座預金、よって300兆円を超えたマネタリーベース。

異次元緩和の結果であるこの膨大なマネーは、何をもたらすのか?

我が国の政府支出(超)のなかで、東日本大震災以降は、復興のための公共事業は無視できない規模であり、建築資材や人件費は上昇しています。後者については飲食業の非正規雇用(労働市場の似たセグメント)の時給急上昇(求人難)へと如実に影響を与えています。
それでも、少子高齢化により、赤字国債発行による年金勘定への補填こそが、財政赤字の核心部分です。
年金保険料(ただし現役世代から。この問題は後述)のみから、年金(引退世代へ)が賄われるべきところ、不足米(たらずまい)を、財政で補う。小泉政権以降は、民間非金融部門預金と日銀券発行残高と補助貨幣流通の増分の、最大要因はこれです。
そしてこの、現預金増は、日銀が買いオペをやっていたかやっていなかったかに関わらず、結果は変わらないということです(日銀当座預金がブタ積み状態なので、市中銀行貸出による預金創造にとって、市中銀行の国債保有負担が律速因子にはなっていない=内生的貨幣供給が成り立っていた)。
しかし、買いオペが無意味だったにせよ、財政赤字によって、民間の現預金が増えたのだから、購買能力かつまたは購買意欲が高まり物価上昇を引き起こしても良いはずではないか???それこそがアベノミクス(安倍黒田のミクス)の狙いだったのではないのか??

現実はそれほどでもなく、家計も市中銀行預金をブタ積み(!?)する。それどころか、タンス預金もされている。リカード=バローの中立命題が、そこそこ効いてしまっていて、引退世代が現役世代に負担を残さないように、消費を控えているということではないでしょうか?
ところで、「貨幣(流動性)の供給」と「可処分所得(貯蓄)の提供」とはまったく意味が違います(が紛らわしいこともまた事実で、これがIS=LM分析がわかりづらい理由??)。
銀行が貸してくれた100万円の預金は内生的貨幣供給の結果ですが、可処分所得ではなく、いつかは返済しなければならないものです。同じ100万円でも、海外に出稼ぎに行った家族からの仕送りとか外国企業からの配当収入の100万円(まぎれもなく可処分所得としての現預金の増加)とは異なります。前者の債務者=預金者が個人事業主だとして、今月末この100万円で手形を割り引いてもらえないと事業を手仕舞わざるを得ないが、割り引いてもらえたら、今月の売り上げ105万円の入金予定日(来月末)まで事業が存続できる。。。100万円の貨幣供給の結果、真水(まみず)の可処分所得としての現預金の増加は、たったの5万円(マイナス手形割引料=金利)にとどまります(銀行に救ってもらったという話に聞こえますが、手形を仕入業者に裏書譲渡出来ていればそれでも事業は継続できたわけで、何も流動性の供給が銀行業によって独占されているわけではありません)。
これに対して、財政で補填されて受給した年金は、マクロ経済に興味のない全体観のない受給者ならば、あたかも自分が働いてきたご褒美で、満額真水の可処分所得のように浪費されてしまいそうです。しかし、実はそれは錯覚で(ケインジアンの言う貨幣錯覚とは意味が異なるので、「所得錯覚」とでも呼びましょうか。。。所得と流動性の履き違え)に過ぎず、浪費すべきものではない(が、将来世代のために蓄えておくには、現金のほうが良い(流動性の罠+税務対策)という選択がなされていると考えられます。

ついでに、現役世代はどうでしょうか?もしも少子化高齢化の対策で財政が介入せずに現在より更に大きな年金保険料の負担があったとしたらもっと消費は減退するでしょうか?中立命題では、そこも違いがないということになりますが、「保険料を払った分は年金として取り返せる」と信じている現役世代が大多数とは思えず、わたくしは中立命題が現役世代の消費貯蓄選択で成り立つかは疑問です。
貨幣錯覚が成り立たなければケインズ政策は無効であるように、「所得錯覚」が作用してしまうと中立命題が脅かされます。世代にまたがる負債を無視した浪費は、物価高と、将来に税金や社会保険料の徴収できなくなる(出口戦略が描けない)。雲行きが悪くなり、ある閾値を超えると、ハイパーインフレとソブリンリスクが加速するという意味で、財政赤字は発散的構造を持っている(ある閾値まではインフレ期待にとって無意味な政策。ある閾値からはインフレを発散させ取り返しがつかなくなる政策)という困った存在であるというのがわたくしの考えです。

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ここらで、いったん、まとめますと、
①年金支給額-年金保険料収入(=赤字国債)は、典型的なヘリコプターマネーだが、その赤字国債を購入した銀行から日本銀行がどれだけ買いオペするかは、ヘリコプターマネーの規模は変わらない。
②ヘリコプターマネーを拾い上げた年金生活者が、「流動性が増えただけで可処分所得が増えたわけではない」と冷静に考えている限り、消費や物価には影響を与えない。
③が、増え方がある限度を超えると「可処分所得が増えたのだと錯覚する(同世代の年金生活者が多数を占めるようになるのでは)」「となると、将来、年金保険料(または消費税率?)をあげても年金勘定の赤字を解消できなくなる(出口戦略の雲行きの悪さ)。」「ヘリコプターマネーのままで貯蓄するよりは、価値があるうちに消費したほうがまし。あるいは《もっと安定した価値貯蔵手段》に交換しておいたほうが懸命」と考えるひとが雪だるま式に増えてくる
《もっと安定した価値貯蔵手段》の候補としては、オフショアのドル(などの外貨)、金などの商品通貨、ETFやJ-REIT(のファンド・オブ・ファンズ)、一流大企業の社債などが考えられます。

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通貨とは何か?トートロジーですが、それは、コミュニティのなかで大半のひとがそれが通貨だと思って、支払ってくれる、受け取ってくれる、人気投票の結果としてのアセットクラスにほかなりません。日銀の調査統計局がマネーストックの定義として決めるものでも、主流派の偉い経済学者の先生が決めるものでもありません。
昨年来のキプロスのように、自国通貨(自国銀行の自国通貨建て預金)からビットコインなどの暗号通貨へと、決済手段の人気が瞬く間に移行することだってあるのです。

2015年4月23日木曜日

北朝鮮の核脅威が深刻だと中国が警告===チェルノブイリ29周年救援キャンペーンを前日にひかえて

けさのウォール・ストリート・ジャーナルによると、中国の核兵器に関する高官レベルの専門家が、

「北朝鮮の核兵器の生産能力は、米国の直近の推定をおおきく上回っている。すでに、20基もの核弾道ミサイルを保有しているうえに、その生産能力をもってすれば、来年にはその倍を配備できる。米国とその軍事同盟国(日本など===丹羽 註)にとって地域安全保障をおびやかすに十分である・・・」

と、米国高官との密談のなかで語ったとのことです。

北朝鮮の核脅威が深刻だと中国が警告

さて、ことしも、

チェルノブイリ子ども基金
チェルノブイリ子ども基金・文京
未来の福島こども基金

が主催する、

チェルノブイリ29周年救援キャンペーン「講演会&チャリティコンサート」

が、明日4/24(金)19:00開演 (18:30開場)

文京シビックホール 小ホール にて行われます。

チェルノブイリ子ども基金などの発起人で知られるフォトジャーナリストの広河隆一さんは、反原発(原発再稼働反対)だけでなく、天然資源の開発のために犠牲になった原住民問題を精力的にとりあげていらっしゃいます。

そのまなざしは当然、ユダヤ人入植とイスラエル建国の陰で憂き目を見てきたパレスチナ人にも注がれています。

ところで、いま、独立(!?)記念日で沸くイスラエルには、原子力発電所が一基もないという事実をご存知でしょうか???

原発再稼働賛成派の理屈として、日本は天然資源が乏しいので云々というのが定番になっています。

(ただし、それ以外の、口にしづらい理由のほうは、耳を傾ける検討課題だと思っているのです。「日本=無資源国」を言い張ることだけで、原発賛成意見を切り捨てるつもりはありません。)

それでも、日本には、水力や地熱が、たっぷりあります。イスラエル(というかパレスチナ)には水力すら地熱すらありません。それでもイスラエルは原子力発電にまったく依存していないというのは、共有するにあたいする事実だと思います。

さて、核エネルギーの「平和」利用に関する、口にしずらい理由を論ずるための準備体操として、いま日米関係はどんなことになっているのか、安倍首相訪米を直前に控えた記事が、最新号の月刊ファクタにあります。

独りよがりの「安倍訪米」

この記事の書き方が特定の立場に偏っているという懸念があるにしても、日米関係の懸案事項が、日中・日韓・日朝関係のミラーのようになっている点には、おおくの人が合意せざるを得ないでしょう。

記事にあるように、

①従軍慰安婦問題
②普天間辺野古問題
③TPP問題
④靖国神社(参拝)問題

このなかで、①からは歴史問題の全体が、②からは安保問題の全体が、③からは農協改革と労働縫製の問題がそれぞれ射程として広がっていきます。

そして、忘れてならないことは、原発再稼働についても、AIIB(アジア・インフラ投資銀行)についても、同じように、日本が単独専行できずに迷走してしまわざるを得ないのは、上記4つの問題と同根であると考えられるからです。

とくに、AIIBに関しては、メキシコ危機のあとの宮沢構想も、アジア危機のあとの新宮沢構想も、事実上米国によって叩き潰されたという歴史を思い起こす必要があります。

いっぽう、原発はどうでしょうか?

2015年4月6日月曜日

信教の自由と性的指向の自由

本題にはいるまえに、性的指向と、性的嗜好は、大きく異る概念であり、まったくの同音異義語であることに注意をしておきたいところです。

まったくの同音異義語であるふたつの概念が、まったく異なるとまで言い切らなかったのには理由があります。

性的少数者の権利がようやく認められはじめた米国やヨーロッパのいちぶに比べると、日本では、エンターテイメント業界での話題づくりとして以外は、まだまだ性的少数者は社会の片隅に押し込まれているまたは引き込んでいる状況が多く見られるようです。新興国ではもっとひどいところもあるそうです。本来まったく異なるはずの、性的少数者の性的指向が、とくにたまたま日本語では同音である性的嗜好が倒錯的であることと同じように、非道徳的だったり、非常識的だと見られているのが現状でしょう。

(ただし、サディスティックな性的嗜好を持つ人とマゾヒスティックな性的嗜好を持つ人がうまくマッチングして合意のうえで楽しんでいるプレイは、外見上は、暴行罪や傷害罪などの刑法犯罪の構成要件に該当します。これらの違法性が阻却されるべきかどうかは、尊厳死(安楽死)と同じような刑法論の重要な論点だと言えます)。

カッコ内のところにまで踏み込む時間はありません。すでに、長すぎる本来脚注であるべきものを先行させてしまいました。きょう注目すべき記事は、ウォールストリートジャーナルの、

「信教の自由を保護する州法が、企業側からも性的少数者側活動家からも猛反発をうけ、修正されることに」

‘Religious Freedom’ Measures Revamped

 わたくしは、なんだかんだ言って、日本に生まれ育って良かったなと思うのは、特定の宗教を極端に嫌忌(けんき)したり、逆に特定の教祖さまに熱狂したりすることが、わたくし自身もないというだけでなく、わたくしのまわりにもそんな感じのひとがまあまあ多いからです。なので、日本の歴史で言えば、島原の乱などを引き起こしたキリスト教弾圧についてはキリスト教徒が可愛そうだと思います。ゆえに、我が国の憲法で信教の自由が規定されているのは正義に叶っていると思ってしまいます。


ところが、リンクを貼った記事で、インディアナ州とかアーカンソー州でいま喧々諤々となっているのは、同性愛や両性愛などを認めていない宗教を信仰する人が、そのような性的指向を持つひとから仕事の依頼を受けないとか、アパート経営者であれば(家賃をちゃんと、または余計に?)払うと言っているのに入居させない、さらには(おそらく企業経営者自身は熱狂的な信者ではないかもしれないが)性的指向にうるさくこだわる人口が多い州では、従業員同士の、または個人顧客とのトラブルをあらかじめ避けたいがために、そのような性的指向を持つ人達を雇用しないとか、これまであって、これを禁止する。つまり、入居差別や雇用差別は弱者いじめだと言わんばかりの犯罪とするとあっては、逆に、信教の自由をないがしろにするものではないかという話題です。

(従業員の数も個人顧客の数もいちじるしく多そうなウォルマートの本社は、記事にもあるように、アーカンソー州にあります)

「法とは何か?」「正義とは何か?」これらの定義は、ユークリッド幾何学での点や線の定義よりもさらに直感しずらく難しい問題です。わたくしの高校時代の政治経済の先生からの推薦図書うちの一冊だった岩波新書『法というものの考え方』の著者である渡辺洋三先生(1921-2006 元東京大学教授など)は、その後の同じく岩波新書『法を学ぶ』で「法とはズバリ正義である」と書いておられました。わたくしはこれでは自分の疑問の解決にならないと思って、立ち読みしていたそれを書店の本棚に戻した記憶があります。

きっと昔も今も、弁護士や法律家を目指す優秀な学生のほとんどが、「アラバマ物語」(黒人差別、冤罪)、「白い巨塔」(医療事故)などを追体験することから正義感や義憤を育ませて勉学に勤しんできたのだと思います(↖例えが古すぎてスミマセン。せめて「リーガルハイ」くらいにしておかないと・・・)。

しかし、一方的に軍配をあげ辛いふたつの正義がぶつかるときに、はたして法とは何なのかとあらためて考えてしまいます。

(戦前の世界史教育がどのようなものだったのか?もしかしたらそんなものはなかったのか??不案内で申し訳ないのですが)戦後教育のなかで、わたくしたち日本人は、立憲主義というものが、そのお手本となる大英帝国で、マグナカルタ⇒権利の請願⇒権利の章典によって、王権を制約させ、市民が勝ち取った正義であると学んできました。これは、前述の渡辺洋三先生の考え方があてはまる綺麗な例ですし、憲法第九条に代表される護憲イデオロギーの根本的な考え方とも言えます。問題は綺麗におさまらない複数の正義です。



2015年4月1日水曜日

ワインと狩猟とグローバル資本主義

いまだに、塩山や勝沼のワインは、コストパフォーマンスという指標では(※1)、自由貿易のもとでは比較優位とはまだまだ言い難く(※2)、個人の趣味ならいざ知らず、飲食店として数を仕入れるとなると、経営の屋台骨を揺るがしかねません。

いっぽう、I(アイ)ターンブームは根強く、リーマンショックや東日本大震災は寧ろその潮流の触媒になっています。人口減少と空き家問題を抱える山梨県も、ご多分に漏れず典型的なIターン先になっています。

わたくしが頻繁に訪ね、農林業関連の非営利団体やワイナリーへの水先案内人になってくれているひともそのひとりです。

(※1)コストパフォーマンスと言っても、決して客観的な指標ではありません。人の味覚なんて、蓼食う虫も好き好きなのですから。
(※2)天候、土壌、人件費どれをとっても輸入品に対抗するのが容易でない日本のワインなのに、その生産地は、むしろ、より多くの都道府県に広がっています。極端な事例として東京都(と言っても練馬区)にも及んでいます。そこまでレアアイテムだと、コスパという概念から掛け離れた3500円という値段がついてもその人気に生産が追いつかない実情があるようです。いっぽうで、まだまだ例外の部類かもしれないけれど、塩尻のメルローは国際競争力があることを付け加えたいと思います。


さて、塩山や勝沼は、わたくしが足腰を鍛えるためのベースキャンプにしている地域でもあります。自分自身への高齢化対策ではかならずしもありません。国内の単純な平均よりも高齢化が進み後継者難に陥っている猟友会への入会が念頭にあります。里山の農林業に被害を与える害獣を駆除し、それを都心のジビエブームに充当するというエコロジーでエコノミーな発想です。


塩山と勝沼を取材するたびに、この野心と発想が打ち砕かれていきます。空前のジビエブームの恩恵に、《本州の》中山間地があずかれず、都心のジビエレストランへの供給元は99%北海道である、つまり蝦夷鹿であるという事実。

これは、
①ニホンジカとエゾシカの品質の違い
②地形の違いとそれによる捕獲方法の違い

このうち、①はどうしようもないので、さておくとします。②について。本州の中山間部で害獣を駆除するには熟練した射手が、細くも生い茂った杉林(※3)の間を縫って、動く鹿を射止める必要がありますが、北海道では10ヘクタールもの平地を利用して、エゾシカの好きな餌のまわりにどんどん追い込んで行き、まとめて捕獲することが出来るらしいのです(本州の中山間地のような駆除方法がまったく行われていないわけではない)。

捕獲コストの違い
⇒スケーラビリティの発生
⇒捕獲直後の精肉(人間の食用(=商用)となるための重要な要件)を可能にするインフラとロジスティックスへの投資の採算性が向上

これすなわち《ネットワーク外部性》による《フィージビリティ》の発生への連鎖です。

しかも、北海道と本州は、いわば固定相場です 笑。どこかの山奥の中央銀行のように突然無制限介入を辞めたからと言って固定相場が崩れることもありません 爆。

(※3)山林という不動産をかつては収益していた地域の豪族が、材木の《比較優位》が失われたことで、間伐作業などに経費を掛けられなくなった。十分な太さに至らない杉林は、森の下草の光合成を蝕む。山林の保水力を蝕むことにもなるし、野生獣にとっての食べ物も不足させる。やむをえずかわりの餌をもとめて里山から人里へと「侵入」してきている。《比較優位》と書きました。戦前の林業も絶対優位はなかったかも知れませんが、戦後失われたのは工業化と行動成長による比較優位でしょう。

本州の中山間地域では、エコロジーとエコノミーを両立する好循環は生まれ得ないのか???

補助金や山林の権利関係(強制収容による国有化公有化)(←どちらも税金ですが)の話に行くところですが、ポール・クルーグマンの切り口を使うと、北海道と本州の里山の微妙とは言えない初期条件の違いをうまく乗り越えさせてあげれば、バッテリーがあがっているだけで、エンジンもガソリンも健全なクルマのように、走りだしてくれるのではないかと発想したいところです。

このブログでは、たびたび大きすぎる政府を批判してきました。いっぽう、本州の中山間地域の農業、林業、狩猟(業)にはネットワーク外部性があると指摘しました。外部性があるのであれば、公的介入は是認できます。このような分野こそTPPでは例外的にデリケートに扱われなければならないと思います。もうひとつ指摘した、里山の保水力の低下もこれあり。ネットワーク外部性を論じるまでもなく、水利には外部性があるのですから。

2015年1月26日月曜日

スイス動乱とギリシャ動乱===ユーロゾーンの行方は

先々週1月15日木曜日のスイス国立銀行(SNB)による対ユーロ相場(EURCHF≧1.20)維持のための無制限介入をもうやめますという発言。

週末のギリシャ総選挙で、財政緊縮に反対し、ユーロ圏離脱を主張する派閥をも含む野党左翼政党が、予想を上回る勢いで大勝。

背景はまったく異なるものの、人為的な固定相場制度をあきらめるべきかどうかをテーマとした政策決定に関わるという点では共通しています。

固定相場制を吟味するときに、経済学でよく出てくるのが、「国際金融のトリレンマ」という命題です。

ジレンマが2つの満たしたいことがあるときにどちらかいっぽうを究極の選択としなければならないことだとすると、トリレンマは3つの・・・・ひとつの欲求はあきらめざるをえないということです。

国際金融のトリレンマでいう、「独立国」にとっての、3つ同時に満たしたい無い物ねだりとは、

①自由な資本移動
②安定した為替相場
③独立した金融政策

アベノミクスほどわかりやすい例はなくて、②を犠牲(!?)にして、(①と)③を手に入れているということになります。ギリシャの新しい与党(連立政権)は、中核与党の内にも外にも、一枚岩でないところはあるとは言え、これまでの政権と異なり、③を取り戻すためには、②を手放してもまったく惜しいとは思わないという立場だと思います。

もっとかんたんに言うと、新しいギリシャの左翼政権は、アベノミクスを真似してみたいということなのだと思います。

いよいよ右左がわからなくなってきました!!

長期的または理想的に言えば、財政や金融のばらまき政策がその国をリッチにさせるということはないはずです。が、現実のギリシャは、2011年のユーロ危機以来、ドイツ(など)からの国債肩代わり+借り換えの引き換えに、緊縮財政を義務付けられたこともあって、あいかわらず4人に1人が失業中、若者の2人に1人が失業中、ドイツ(など)への海外出稼ぎや移民(転出が転入をうわまわる状況)、ゆえに人口減少という状況に喘いでいます。

さて、ここでわたくしの暴論です。日本もギリシャも、②安定した為替相場、なんてありがためいわくだ。ということで、自国通貨安を演出したいという欲求が(金融)政策担当者にあります。

そもそもなぜでしょうか???

円安には輸出(数量)の増加というメリットのうらはらに、輸入(価額)の増加というデメリットがあります。加工貿易を行っている平均的な企業を想定すると、円安は、売上高(または数量)の増加と仕入れコストの増加と両方に効いてくるはずです。すると効果が現れるのは、国内で(通常日本円建てで)雇用している人件費の実質値のコストセーブが出来るというところ(だけ)です。

つまり、円安政策と労働賃金の名目額をカットする政策とは実はほとんど同じなのですが、後者を押し通せる政治家や企業経営者は、なまじ民主主義の国では皆無に近いのです。

その答えが円安とブラック企業ということになります(この2つは代替的でもあるし補完的でもある)。

名目賃金を押し下げる(見直す)ことを困難ならしめている駄目押し要因として、最低賃金制度があります。

政治家は嘘をつくのが仕事です(まったく以って皮肉で申し上げていません)。アベノミクスで名目賃金があがると国民を煽っておいて実質賃金をさげたのは、まさにこの道しかなかったということでしょう。

ギリシャに戻りますと、ギリシャが甘んじた財政緊縮メニューのなかには、最低賃金の切り下げがありました。「それだったら働かないほうがまし」「それだったらドイツに出稼ぎにいくしかない」という人が多発して、積年の恨みが今回の総選挙結果をもたらしたのでしょう。

しかしこちらをごらんください。


固定相場を措くとして、域内のヒト・モノ・カネの自由な行き来を保証しているEUにおいて、ギリシャの最低賃金の引き下げはもともと不十分であったことがわかります。

不十分に妥協がなされた最低賃金制度でも、失業、移民、貧困、不満が解消されるどころか増幅したわけですから、EU、さらにそのなかの固定相場経済圏であるユーロゾーンというのは、民主主義との相性がとんでもなく悪いと言わざるをえません。

・・・なんてことをわたくしがはじめて発見したかのように得意気になろうとしていた矢先、すでに、ハーバード大学の先生でDani Rodrikという国際(政治)経済学者がだいたいそのようなことを提唱していたようです・・・

ギリシャのような政権交代につながるかどうかはなんとも言えないにしても、ギリシャ以外のユーロゾーンのあちこちの国で、ユーロ離脱を主義主張としている政党や会派が人気を強めている動きには注目です。

2015年1月17日土曜日

アヴァトレード・ジャパンは大丈夫です。が、、、スイス発「暗黒の木曜日」の閻魔帳の気になる中身

暗黒の木曜日を耐え抜いた会社はリスク管理がちゃんとしていた。
暗黒の木曜日のせいで倒産した会社はリスク管理がちゃんとしていなかった。

・・・

という単細胞的な総括は、まるで間違っています。

・・・

自分のあたまに落ちてもおかしくない雷がたまたま一緒に散策していた友人に落ちたという気分です。西行法師でなくても、運を喜ぶ余裕などなく、世を憂う気分になります。

現時点でもっともまとまった情報はこちらだと思います。

The Foreign Exchange Market’s Black Thursday: Industry Losses May Surpass $1B - See more at: http://forexmagnates.com/foreign-exchange-markets-black-thursday-industry-losses-may-surpass-1-bln/#sthash.LKnSXa2P.dpuf

自己資本のレベルに比べて巨額の損失を一瞬にして被り、営業の継続が難しくなった会社をはじめ、上から下へと順番に、FX会社ごとの損失額が記載されています(この数字は今後変わる可能性もあるとわたくしは思います)。

繰り返しになりますが、この閻魔帳だけで、損失額の大きい会社ほど、リスク管理が杜撰だったというのは間違った解釈です。

なぜか?

お客さまからいただいたご注文を、
①どれだけ、
②どのように、
③だれに(巨大金融機関?)対して、ヘッジ(カバー)するかということは、FX会社経営の核心部分です。同様に、
④おきゃくさまにどのような条件(商品スペック)を提示するか、
ももちろん最重要部分ですが、これは上記①②③からなりたつリスク管理方針(「リスク対リターン」のモデル)に深く依存しています。


一般的な筋論としては、ブローカーとしての忠実義務を果たすためには、上記①については、なるべく全額をヘッジすべきであり、上記②については、なるべく瞬時に(先に?後に?これも重要ですが機会をあらためましょう)ヘッジすべきなのです。そうでなければ、お客さまの損失が、ブローカーの利益となり、利害相反の関係に陥ること、逆に言うとお客さまが帳簿上の利益を計上しても、取引の相手方であるブローカーにとっては市場リスクを許容できない損失を意味し、支払不能で利益を出金できない、、、つまり、①②をちゃんとやっていない、どころか、最初からやる気がない会社は、どちらに転んでも、お客さまに利益をお返しできないという理屈になります。

(ただし↑↑↑のお話は、わたくしどものような中小ブローカーが上記③でちゃんとした銀行とお付き合いができるということが前提です。巨大銀行の為替取引不正について別途整理が必要なのですが・・・)

現時点で巨額の損失を発表し、なかには経営の中断を余儀なくされた会社の多くは、むしろ、①は非常にきっちりやっていた、②もかなりきっちりやっていた(が、惜しむらくは、お客さまへ『注文が通りました』と連絡するスピードを競いたいゆえに、「瞬時」だが「後で」ヘッジしていた)というリスク管理方針だったのではないかと憶測します。


また、原因は大きくちがうものの、2008年のリーマン・ショックとひとつ似ているのは、店頭デリバティブ契約ならではのややこしさ、、、「市場リスク」が顕現化して損失が発生したらそれすなわち損失だが、利益が発生しても負けた相手が払ってくれなかったらそれもまた損失である(=「取引先リスク」の顕現化)というところです。わかりやすく言えば、現状というのは、まだ誰がどれだけ不渡り手形を握っているかわからない。。。ババ抜きをやっていると思ったら、気づいたらジジ抜きだった、ということがわるわけであります。これが上記③のポイントです。


最後に、上記④について。今回のスイス発の暗黒の木曜日は、FXのプロのあいだでは、いつ発生するかは時間だけの問題だと言われていたことではありました。いっぽうで、そのことを知ってか知らずか、スイス国立銀行がEURCHF≧1.20を死守すべく無制限為替介入を続けるだろうと楽観的に金利差をエンジョイする市場参加者はなかなか減少しなかったのだと思われます。そうすると、お客さまが満足する流動性(高いレバレッジを含む)を供給し、お客さまが狙っているユーロ通貨とスイスフラン通貨の金利差をなるべく生のままで提供する、という条件を守っていたブローカーには、対スイスフランのユーロ暴落(ドル円相場に例えれば30円以上の変化が「非連続的に」(←ここ重要)で大損を抱えてしまうであろう潜在的アービトラージャーが集中していた可能性があります。


アヴァトレード・ジャパンが、フルヘッジ・オペレーションの会社であるにもかかわらず、財務を健全に保てたのは、ただただ、いちぶのお客さまの不満や離脱を甘じて受け入れながらも、この手の取引に対して、お客さまから見たスワップの水準やレバレッジの水準を魅力薄に変更していっていたから、かも知れません。


これだけだとすると、好判断というよりは結果論くらいに謙虚に考えるべきで、上記①~④の匙加減をちょっとでも誤ると、じぶんたちがアルパリやFXCM、IG証券や(アヴァトレードのヘッジ先のバックアップ的存在でもある)サクソバンクのようになっていてもおかしくはなかったのです。


「お客さまへの忠実義務をきっちり履行して利益相反のない運営をしてきた会社は馬鹿を見たのだ。悪貨は良貨を駆逐するが如く、世に憚る業者として利益相反でいこう!」というのが業界にとって教訓の最終形であるならば、消えていってしまった好敵手たちが浮かばれないだけでなく、店頭デリバティブ取引に明日はないでしょう。


最後に大所高所。


スイスという国の、世界の金融産業のなかに占める独特の地位や、通貨マフィアとしての立ち居振る舞い、またとりわけ今回の行動(わたくしは、ダーティーフロートならぬダーティーフィックスのサドンデスだと呼んでいます)が、世界中の通貨マフィア同士が、血を血で洗うことになりはしないかというのを真剣に心配しています。


アヴァトレード・ジャパン 代表取締役社長 丹羽広

2014年12月29日月曜日

アベノミクスとレーガノミクスと三つ子の赤字

七転び八起きブログのご購読者のみなさんの間では、ほとんど知られていないと自虐的に申し上げるのですが、わたくしがいま勤めている外国為替証拠金取引会社のアヴァトレード・ジャパンでは、アベノミクスに少しくらいは肖(あやか)りたいと思って、大盤振る舞い過ぎると評判の(←これはほんとうだと思います)、キャッシュバックキャンペーンの副(サブ)タイトルとして、

“アヴァ”ノミクスで日本を取り戻す

と言わせていただいております。

思えば入社して間もないおよそ二年ほどまえ、このキャッチコピーを意思決定するのにずいぶんと手間取り、手間取っているあいだに、もともとのアベノミクスが終わってしまいはしないかとドキドキしていたものでした。

ところがどっこい、アベノミクスというBUZZWORDは流行語大賞を連覇してしまいそうな勢いですらあります。

それは、

(農協、医療、労務などの岩盤規制改革という)三本目の矢がなかなか飛ばないからなのか?

それとも、

黒田バズーカ砲による金融緩和が、驚きをもって市場に迎えられたからか??

ついでに、

(誰のためかいまだによくわらかない)衆議院解散総選挙が、驚きをもって野党に迎えられたからか???

理由はともかく、アベノミクスという用語の寿命は、当初誰もが予測していたよりも長くなっていて、まもなく、レーガノミクスに追いついてしまうのではないかと思われます。

ここで残念なお知らせですが、レーガノミクスに追いついてしまいそうなのは、アベノミクスという用語だけではない点を指摘しないわけにはまいりません。

まずは、直近のニュースで、

家計貯蓄率、初のマイナス 貯金崩し所得上回る消費

(12/25付 日本経済新聞)


これには、お前が言うなと言いたくなりそうな「ロシアの声」というラジオメディアの追随記事がございます。


(12/28付 ロシアの声(ラジオ))

これは極端にしても、あの勤勉国だった日本が何故ここまで落ちぶれたのか!?という反応は、日本国内よりも海外でのほうがセンセーショナルだと感じられるのは、年間の経常収支が29年ぶりに赤字に陥ったことを(担当キャスターの強烈なキャラもこれありで)大げさに扱っていた英国国営放送の国際放送を彷彿とさせます

ここで年間というのは暦年であって日本の会計年度ではありません。その後は、石油価格の急落もあって、経常収支ベースでは若干の改善が見られています。ただし貿易赤字ベースではまだまだ恒常的な赤字です。詳しくはこちら。

(時事通信)

そして最後に、言うまでもなく、財政は赤字であるわけですから、今日の日本は、上から順番に言うと、

家計
貿易(+貿易外+移転)
財政

これらみっつがすべて赤字に陥ってしまっている。つまり、日米貿易摩擦の問題で、日本製の自動車がデトロイトで工場労働者に打ち壊しに遭っていたころ(プラザ合意前)の米国と同じようなマクロ指標になっているということです。

ついでですので、レーガノミックスと違う点にも触れておくと、自国通貨を引き上げる政策(レーガノミクス)と自国通貨を引き下げる政策(アベノミクス)、、、これは見た目にもわかりやすい違い、というよりは真逆であります。

もうちょっと言うと、わたくしも決してアベノミクス・ウォッチャーではないし、ほんとうは年末を締めくくるにあたって、人気のあるアベノミクスの話題よりも、その影で実は今年より重要だったと思っているロシア・ルーブルやビットコインと言った

《通貨の安定性とは何か?》

《通貨(=為替)の適正価値はどこにあるのか?》

という問題を掘り下げたかったのですが、、、そしてアベノミクスの政策担当者に直接聞けるほどの人脈もセレブリティもないのですが、、、おそらくたぶん、マクロ経済政策としては、アベノミクスは総需要政策であり、レーガノミクスは総供給政策(を意図していた)のではないかと思われるところが、見た目ではわかりづらい違いということになるでしょうか。

ところで、わたくしのブログの左上のほうにある《検索窓》に、わたくしの数学(線形代数)の恩師である塩沢由典先生のなまえを入力して検索ボタンを押していただくと、関連する過去の記事がドドドッと出て参ります。わたくしは、ほんとうにこれらは自分が過去に書いたのか信じられないほど、内容が深くて、よく書けていると自画自賛したくなるものばかりです。それだけわたくしが以前の会社ではちゃんと仕事をしていなかったことを露呈しています。それはともかく、このブログがご縁で、というのもまた、インターネットの時代、ソーシャルメディアの時代であったればこそだと微笑ましく思えるのですが、塩沢由典先生からお声がけをいただき、勉強会に参加し、きょうのブログで触れようと思って触れなかったロシア・ルーブルやビットコインを切り口とした為替決定のメカニズムについて相対市場の現場からという溝板的アプローチでプレゼンテーションをさせていただくことになりました。正月返上で勉強してみたいと思っております。

みなさまもどうぞ良いお年をお迎えください。

2014年12月9日火曜日

アベノミクスが争点だと言うけれど

まいどブログの更新のたびに、お久しぶりですという状態で、恐縮しております。ネタ切れも言い訳にならないほど、国際社会もこの国の政治も異常気象など天変地異も相場変動も多々あるなかでであります。ブログを更新していなかっただけでなく、管理すら怠っていたことで、本来コメントをいただけるような方ではない雲の上の存在の方から貴重なコメントをいただいていたことに1ヶ月も気づいていなかった、、、したがって公開していなかった、、、という事態が発覚し、愛読者のみなさまをはじめ、何かと関係のある方々全員にお詫びを申し上げたいと思います。

その雲の上の存在のコメントの主とは、わたくしが大学の一年生だったときの数学の担当教官であった経済学者の塩沢由典氏です。

これは特別なケースだとは思いますが、あたりまえのこととは言え、誰に読んでもらえるかわからない公開ブログという媒体で何を書くかということの重大さを感じます。コメントによれば、塩沢先生は中央大学を二度目の退官をなされたとおっしゃってますが、それでも何かと精力的にお仕事や研究をされているはずなので、わたくしのすべての記事をお読みになって、理論的な間違いを指摘していただくようなことはないと思っております。しかし、わたくし自身(とグーグル)が削除しない限り、この先もずっと残っていくものですから、十分に用心しなければならないと思います。

実に、わたくしのブログの特徴だと思うことがあり、もうかれこれ3ヶ月もブログを更新していないので、読者の数も減ってきているだろう、ページビューも桁違いに下がってきているだろうと思ってチェックしたところ、そこで塩沢先生のコメントが未公開コメントとしてペンディングされていることに気づいたのですけど、意外とページビューが下がっていないことを観察し、驚いてしまいました。

こんな調子ですと、以上の前置きと、年末のご挨拶だけで、きょうもまた終わってしまいそうな勢いです。

本日のお題、アベノミクスが争点だと言うけれど、、、で書こうと思っていたわけです。そこで、塩沢先生の今日の活躍ぶりをチェックさせていただかなくてはならない気分になりました。

塩沢由典先生のサイト
http://www.shiozawa.net/

このブログへのコメント(もとの記事は直前(とは言っても9月11日)のスコットランドとは何か、、、です)のなかで紹介(宣伝!?)していただいている最新刊の著書
リカード貿易問題の最終解決--国際価値論の復権

値段をご覧になって、どうかビックリしないでください!!

この本には、未定稿の論文「リカード貿易理論の再構成--国際価値論に寄せてII」においては未解決の課題とされていた部分も最終決着したということです。

そうでなくても、このテーマは、政治家のみならずわれわれ国民がついつい安易に口にしがちな(日本の)国際競争力という問題に、重大な影響をおよぼす議論です。

これを読まずして、TPPを語る勿れ、アベノミクスを語る勿れ、ということでしょう。

したがって、以下の数行も未定稿とさせていただくしかないのですが・・・・

わたくしは、三本目の矢を伴わないアベノミクスには両手を挙げての賛成は出来ません。

しかし、その不完全さをあげつらう野党がほぼほぼ異口同音に言う、家庭ノミクスとか、実質賃金上昇とか、中間層の復活というのは、、、鎖国政策でも採用しない限り、、、不可能であるということです。

少なくとも、「これまでの」アベノミクスの本質である財政政策と金融政策に限れは、これを緩和するか引き締めするかという選択肢のなかで、貧富の格差や中間層育成という答えを出すことは出来ません。

議論を端折りますと、塩沢先生は、賃金率(実質賃金とほぼ読み替え可能)を決定しうるのは(その国の)技術だけである、と論じておられます。

ここでいう技術は、日常会話の技術とはかなり異なることに留意しなければなりません。例えば、我が国の樵(きこり)の方々の技術は、恐らく世界のトップクラスだと思うのですが、これは日本の林業の技術(平板な言い方をすると労働生産性とか資本生産性)の高さを意味しない、むしろ現実は低い等々、です。

=====

更に、話が飛びます。

天然資源もない、安い労働力もない、農業や林業の生産効率も悪い、の無い無いづくしのなかで、1000兆円もの貯蓄があるだろう、金融資産も立派な資源(生産要素)ではないか、という意見を良く聞きます。はたして、金融資産は生産要素であるという議論は正しいでしょうか???

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2014年9月11日木曜日

スコットランドとは何か

グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国、、、俗にいうイギリス(英国)からスコットランドが独立するかどうかを問う直接投票(レファレンダム)が、たった1週間後に迫っているということで、しかもまさかの賛成派反対はが僅差になっているということで、イギリス・ポンドは暴落。今年前半は深い眠に就いていた為替相場は一転して大荒れとなっています。


スコットランドの分離独立が予想外の現実味を帯びてきたことに加え、ことしは2月から、ウクライナ(クリミア半島)情勢やイスラム国の出現など、そもそも国家とは何かということを考えさせられる事態があまりにも多発しています。

世界中のどの地域においても、民族や地域の分離独立を望む派と望まない派で対立するのは、民族自決主義という大義名分のあるなしにかかわらず、経済的利害が圧倒的な要因であることに間違いありません。日本という国は、そのような「野蛮でドロドロとした欲」とは無縁であったからこそ万世一系の天皇家のもと、臣民は仲良くやってきたというのは、まやかしの皇国史観にすぎないでしょう。

日本のことはさておいて、スコットランドにおいては、スコットランド独立国が誕生するかどうかが9月18日に決着するという単純な問題でないところが問題です。

国家の定義は難しくてある程度曖昧だということですが、現代社会においては国際連合やEUなど、国際社会を引っ張っていると自負する国々による互助会で認められるかどうかもポイントです(国連⇔パレスティナの関係)。スコットランドはEU加盟国のイギリスから分離するのだから当然にスコットランド独立国もEUに加盟できるというのが独立派の主張ですが、大陸として繋がる加盟国はだいたいどこでも民族対立を孕んでいるため、民族問題の波及を恐れる加盟国はスコットランド独立を認めないという説を反独立派は煽っているところです。

もうひとつ国家の定義で最重要のひとつである軍隊を持つことについて。スコットランド独立派=反核(≒脱原発)であるため、スコットランドの海岸線に留め置かれているイギリスの原子力潜水艦を追い出して独立軍を形成しようというのが、直接投票後の計画なのですが、それを相手方の残されたイギリス側がすんなり認めるつもりがないという点。

そして、本稿の最大の目的である「野蛮でどろどろとした欲」の部分は、北海油田の権益と、イギリス・ポンドの採用継続です。

北海油田のほうは、どちらの国の排他的経済水域から油が湧いてきているということだけですんなり決着するはずはないのでしょう。

何と言ってもややこしいのは、現実に独立したあとも、スコットランドはポンドを使い続けたいとしていて、イギリス保守党はこれを許さない姿勢であるというところです。

(スコットランド地域ではロイヤルスコットランドバンクが発券銀行の一部を担っています。。。)

実際、ロイヤルスコットランドバンク(RBS)の破綻はリーマン・ショック時に世界で最大級の規模の血税が投入された事例です。さらにさかのぼれば、スコットランドの田舎銀行にすぎなかった同行が世界最大級の規模に成長したなかで、イギリス4大銀行のひとつであったナショナル・ウエストミンスター銀行を敵対的に買収したというステップがあります。

(ただし、イギリス経済を喰い物にしてきたかに見えるロイヤルスコットランドバンク(RBS)は、公式には、スコットランドが分離独立したら、本店をロンドンに移転すると言っています???)

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今回の新しい英ポンド危機は、9月18日で決着がつかない問題であるというところだけは押さえておく必要があります。


2014年8月15日金曜日

空襲前に米軍機よりばら撒かれたチラシ

また今年も靖国参拝。それも集団的自衛権の抑圧された狂騒の残滓のなかでであります。

本当の意味でのA級戦犯は誰なのか?何なのか?という問題に予断を持たずに答えるために隠された歴史をとことん紐解くにも限界があるかも知れません。

ひとつの緒(いとぐち)として、ヒロシマ、ナガサキ、オキナワ同様、決して過去のものにはならない東京大空襲を取り上げてみたいと思います。

グーグル検索の第一位は御多分にもれずウィキペディアです。

そして、第二位には東京写真紀行というサイトが入っています。サイトの管理者さんはわたくしの知り合いではないので、紹介して良いのか、どう紹介して良いのかわかりませんが、実は、だいぶ前に、JR武蔵五日市駅から戸倉三山という長い尾根道を歩こうとして挫折したことがあり、そのときに立ち寄った史跡名刹を調べようとして大変参考になったサイトだったのです。

ウィキペディア東京写真紀行も、ある意味では残念ながら衝撃的写真を好奇心kから覗いてみたというニーズも捕まえての上位入選というところはあるのかも知れません。それでも結果的に東京大空襲の悲惨さを多くのネットサーファーに知らしめ、多くの日本人に歴史責任を考えさせるきっかけを与えているとすると、有意義過ぎるボランティアだとわたくしは思います。

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そこで、わたくしがきょう注目したいと思ったのは、両方のサイトに共通する凄惨きわまりないイメージでもテキストでもないのです。後者には指摘があって、(網羅的媒体として知られる)前者には指摘がない、表題の「空襲前に米軍機よりばら撒かれたチラシ」についてです。

東京写真紀行のほうをスクロールしていってもらうと、出てきます。

このビラを拾うと非国民として罰せられた。このビラを見た人やうわさにより、東京から離れ被害に遭遇しなかった人も多かった。

もしこれが事実だったとすると、現在のイスラエル国ガザ地区の紛争と同じ構造です。圧倒的なイスラエル軍がガザ地区のパレスチナ系非武装市民をも攻撃しており非人道的だという現象面と、非武装市民への疎開勧告をイスラエル側は出していたのにハマス側が人間の盾にすべく自らの軍事拠点周辺に留まらせたという情報とが対立しているからです。

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人々の考え方や感じ方というのは、受けてきた教育や過ごしてきた環境で大きく変わるのは、世界がひとつに繋がっているかのようにみえる今日ですら同じです。しかし、今年で70週年を迎えるカウラ事件も然り、神風特別攻撃隊も然り、そして東京大空襲の米軍による予告があったのならばですが、もうちょっと見逃せないくらいの少数派が、非国民と呼ばれようが、恥ずかしかろうが、大日本帝国の惨敗は直感的に明らかだとして、非国民な行動の輪が形成されて、戦争指導者を暗殺する等々の動きが出来なかったものか?

かような草の根が踏み潰されていたとしても、東京大空襲を傍観していた指導者や、特攻隊への志願をさせていたまたはしていたエリート兵のなかからでも、レジーム・チェンジを確信して、レジーム・チェンジ後も生活基盤を失いたくないとの私欲からでも良いから、条件付き降伏を諦めさせようという動きが出来なかったものか?様々な要因があるので、仮にそのような指導部の分裂や下克上があったとしても、それだけで、ヒロシマ、ナガサキを食い止められたとは勿論言えません。

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オキナワ密約クラスの内緒話を胸に秘めて、多くの国民から罵倒されても、サンフランシスコ講和条約や集団的自衛権を批准させていくのは、保守系政治家としては立派な仕事です。だからと言って、それだけでまだ満足せず、「東アジアの結束は許せない」とする同盟国米国からの厳命に基いて靖国に行って、米国そのものから不快感を示されるという屈辱的な役回りをしているというのでなければ、保守系政治家としては残念なほどに脳天気はお話と言わざるを得ません。

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2014年6月30日月曜日

集団的自衛権の思い出

もう30年以上も昔の話なので、正確に思い出せる自信もなく、いい加減な記憶に基づいて公に文章を書いて良いものかどうか悩ましいのですが、タイミングとしては今しかないのかなと。

実は、前回のブログ(+メルマガ)執筆からちょうど半年もサボっていることになっていて、今日あたり更新をしないと、何千ものメーリングリストが消失してしまうらしいのです。

高校生のころ、もうちょっとだけ詳しく憲法を勉強しようと思い、本屋で買うことを決めたのが、伊藤正己著「憲法入門」(有斐閣双書)でした。

入門という文字と、本の薄さと、自分のお小遣いでも買える値頃感の三要素で選んだのであって、伊藤正己先生がその後最高裁判事としてMr少数意見と評されるほど東大卒のエリート中のエリートとは思えない反骨精神を知ったのはもっと後のことでした。

その当時は、「集団的自衛権は国連憲章で保障されている」「国連憲章は日本が批准した国際法であり、国際法は憲法に優先する」「したがって日本には集団的自衛権が当然に存在し日米安保条約は合憲である」というような三段論法に違和感を覚えたものでした。

そのころの憲法議論は、冷戦下、保革逆転なるかならないかという政治情勢(政権交代とは言いません)と、どちらかと言えば革新陣営の論客が大手を振るっていたアカデミズムの影響もあり、憲法第九条の解釈の争点は、第二項の冒頭の「前項の目的を達するため」の日本語解釈みたいなところがあり、完全非武装か(専守防衛の)自衛隊なら合憲かという問題でした。

時は移り、集団的自衛権までもか、個別的自衛権どまりか、と争点がシフトしたのは皮肉では片付けられません。

ところで、米軍基地というのは世界中にどのように分布しているでしょうか???

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E8%BB%8D

一ヶ月半ほど前に、アイルランドから昼間の会社の出張者が、ドイツからは知人が来たので、この話をしてみました。結果は、日本同様に米国べったりの両国ですが、ドイツは日本以上に、というか世界一米軍の兵隊を受け入れている国であるのに対して、アイルランドは米軍機がヨーロッパに飛んでくるときに頻繁に停留する場所なのにあくまで自国の空港を貸しているだけだというのです。おそらくドイツだけがダントツの例外で、他の西側諸国は、我が国における沖縄基地負担問題のようなものは存在しないとのことでした。

アジア特に極東は、これとは全く地政学上の位置づけが異なることが想像でき、実際そうなっています(上記ウィキペディア参照)。

さて、ドイツは日本同様、第二次大戦の敗戦国ということで、在独米軍の依存(?)が高いということで、米国に集団的自衛権の行使を迫られやすいと言えるでしょうか?上述の地政学上の位置づけの違いに加えて、EUへの所属問題もありますが、現実としては米国主導のイラク戦争に対して、フランス同様、反対し、参戦しなかったことは記憶に鮮明です。

それでは、日本は、ドイツ同様、在日米軍依存の体質を変えずに、集団的自衛権を拒否できるのでしょうか?右翼のひとでも、左翼のひとでも、商売目的ではなく、純粋な政治信条に基いて政治的主張を行うのであれば、在日米軍依存を断ち切り、自国防衛を確立し、集団的自衛権受け入れによる不確かな義務と権利に翻弄されないようにするというのが正論でしょう。わかりやすく言えば、米国主導の戦争に協力していれば、米国は日本を守ってくれるという、互恵的な関係、つまり契約には担保がありません。

しかし、この潜在的な不平等条約の前に、既に顕在的な不平等条約が存在していることを忘れるわけにはいきません。しばしば平和目的であると誤解されがちな核拡散防止条約です。我が国の自衛隊が実はどんなに強いからと言っても、またそれをどんなに強化すると言っても、我が国の周囲の国々には核があり、我が国にはないというのは動かせない事実であり、平和利用という大義名分で占有していた原子力発電用のプルトニウムも含めて米国の掌上にあるわけです。

日本としては米国の核の傘の下に入っているという虚勢を張るべく、非核三原則をねじ曲げ、日米軍事同盟と核拡散防止条約には甘んずるという方法以外にはないように思えます。

そして、最も重要なことは、このように独立国家とは名ばかりの今のところ表面上は豊かな国にしてしまったこの国の指導者の多くは、開戦や敗戦、そして戦後日本の繁栄と没落を導いてきた指導者またはその子孫であるということです。

そういうオボッチャマ政治家の口々から、他に手がないのです、と土下座して説明してもらったら、われわれ市井人としても、もうちょっとスッキリするのではないかと。

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