2010年7月14日水曜日

「月刊総合誌FACTAは日本振興銀行に対し不当訴訟の損害賠償請求訴訟を提起します

日本振興銀行前会長、木村剛が本日、検査忌避による銀行法違反容疑で逮捕された事態を受けて、弊誌は同行および木村、小畠晴喜取締役会議長をはじめとする同行経営陣に対し、不当訴訟による損害賠償請求訴訟(請求額約3000万円)を提起いたします。

本件の立件に1年以上先駆けて、弊誌は昨年5月号(09年4月20日発行)から4回にわたり振興銀行の内情を調査報道しました。これに対し同行は名誉を棄損されたとして、多額の損害賠償及び謝罪広告掲載を求める訴訟3件を提起しました。弊誌の言論および取材を訴訟によって封殺し、実態が露見するのを妨害しようとするとともに、弊誌報道に追随しようとした他のメディアに対しても「書いたら訴える」と威嚇する意図を持っていたことは明らかです。

先般の警視庁による家宅捜索を受けて、日本振興銀行は代理人を通じて上記3件の訴訟をすべて取り下げました。しかし、訴訟提起から1年余にわたり、弊誌は訴訟対策のために厖大な時間と少なからざる所用経費を割き、他の取材や報道にも支障を来しました。かかる不当な訴訟提起行為は、メディアの表現の自由を圧殺するものとして断じて許されるべきではありません。

捜査当局のリークによらずとも調査報道によって社会的不正を知らしめるべきだとするメディアに対し、ともすれば訴権を濫用することによって隠蔽しようとする企業や組織、さらにはそれに便乗する弁護士が増えております。裁判所もメディア叩きに迎合し、慎重かつ妥当な取材に基づく報道に対しても、厳しい判決を下す例が増えております。このままでは調査報道は萎縮するばかりだと考え、かかる現状に警鐘を鳴らすため弊誌は訴訟を提起することにいたしました。

日本振興銀行問題を他に先駆けて報道した弊誌は、検査忌避による立件は表面的かつ形式的なものにすぎないと考えます。背景には粉飾決算や特別背任等の成立の可能性を含む実態があり、捜査当局には今後ともそうした実態の捜査を進めていただきたいと考える次第です。

七転び八起きブログは、「月刊総合誌FACTA」を応援します。
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2010年7月13日火曜日

「転調」だけではなかった“妙なる調和“-モーツァルト歌劇「ドンジョヴァンニ」

きのうの記事の続きです。


関連記事
マスカーニ作曲 歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」
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プッチーニ作曲 歌劇「蝶々夫人」
http://phxs.blogspot.com/2008/12/blog-post_1910.html
ヴェルディ作曲 歌劇「イル・トロヴァトーレ」
http://phxs.blogspot.com/2008/12/blog-post_3365.html

「転調」とは違うのですが、モーツァルトは、フィガロの結婚で、妙なことをやっています。これは前例があるかどうか確かめておりません。

オーケストラ伴奏と歌とで、調性が違うのです。但し、遠い調性では不可能なので、5度違うだけ(臨時記号1個分に過ぎない)です。

問題の箇所は3幕フィナーレ
http://www.youtube.com/watch?v=hiGubCkAwu4

Eccola marcha andiamoで始まるフィガロの独唱の12小節。オペラらしくない単調なガヴォットにしか聴こえない割には、難しい箇所なのです。

したがって、オケだけ聴くと別の舞曲のように聴こえます。

場面は、ドンジョヴァンニ同様(!?)放蕩児のアルマヴィーヴァ伯爵の怒りを無視して、家来であるフィガロがスザンナとの結婚式を急ごうとし、「ほら、結婚行進曲が流れてきたじゃないっすか。皆さん、参りましょう」という場面。

夫婦関係が冷め切っているにもかかわらず嫉妬心と猜疑心だけは立派に持っている伯爵。その怒りに火がついたのは、その妻(伯爵夫人)と小姓ケルビーノとの関係を疑惑すべき証拠が、スザンナの伯父である庭師アントニオによって暴露されたからです。
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2010年7月12日月曜日

ドンジョヴァンニ~変装と転調の妙なる調和

現在でも上演されているオペラ演目のなかで、獣(けだもの)、すなわち驚愕的な肉食系の男子が主人公となる演目はモーツァルト作曲のダ・ポンテ三部作のひとつ「ドンジョヴァンニ」が最初(で最後)かも知れません。

スペインの伝説的な放蕩児(Libertine)ドンファンをイタリア語読みしたドンジョヴァンニは、その題材の奇抜さだけでなく、近現代の西洋舞台音楽の歴史の中でも、否それだけでなく、モーツァルトの短い生涯の中で星の数ほど作られたあらゆるジャンルの音楽のなかでも、ドンジョヴァンニ以前にはなかった革命的な要素がふんだんに取り入れられています。

ヴェルディやプッチーニのオペラが好きだという人は、演奏する側にも鑑賞する側にも一杯いらっしゃいます。それに比べてモーツァルトはちょっと、、、その感じ、良く判るのですが、過去の音楽の歴史を、19世紀の絢爛豪華な舞台芸術に、さらには20世紀の映画音楽など様々な複合芸術への対応を可能にした転換点に、ドンジョヴァンニの斬新さが位置するような気がしてなりません。

そのモーツァルトの姓であるアマデウスを冠にとったクラシック番組がNHKにあります。演奏を聞かせたり、演奏家を紹介したりするという視点ではなく、クラシック好きにとってもとっつきづらいと思われてきた音楽理論に焦点を当てた番組が、公共放送から伝わってくるときに、私なんかは受信料は安過ぎると思うものなのです。

そのアマデウスで、ラヴェルのボレロを取り上げたとき、「ハ長調で単純なメロディーとリズムがひたすら繰り返されているという奇抜さで有名」だが、最後の最後(音楽用語でコーダ)で、クレッシェンドの極みでいきなりハ長調からホ長調に転調する点を挙げ「こんな斬新な転調は過去の音楽の歴史ではなかった。プロの作曲家連中からすれば、『あゝ、そんな手があったか。』『やられた。先を越された』と感じるに違いない手口だ」と楽理の専門家が喋っていました。

確かにその通りなのです。

もし、お手元にピアノとかオルガンとか鍵盤があれば是非試してみてください。まず、ド+ミ+ソの和音を弾き、続いて(長3度「平行移動」して)ミ+ソ#+シ、更に長3度平行移動して、ラ♭+ド+ミ♭、そして更に長3度平行移動すると、ちょうどオクターヴで最初のド+ミ+ソに戻ります。

なんか、普通のクラシック音楽の曲にも、それどころか馴染みのあるスタンダードジャズにもフォークソングや歌謡曲にも聞き覚えがない和音進行であると感じられると思います。宇宙遊泳をしているような、ワープしているような感覚を覚えさせられる和音進行です。

敢えて、和音進行と転調とをごっちゃにして書きますと、バッハの鍵盤曲(パルティータでもフランス組曲でもインヴェンションでも・・・)の後半部分や、モーツァルトの器楽曲の第一楽章のソナタ形式の展開部には激しい転調が続く局面がありますが、基本はひとつのフレーズに臨時記号が一つ(和音進行で言えば完全5度の上がり下がり)、多くても二つ、極々稀に三つ(完全5度を3段飛びすると、長調と短調が逆転する)、それまでです。したがって、臨時記号(シャープやフラットやナチュラル)が一度に4つ付け加えられるというのは五度圏を駆け巡るという観点からすると極めて遠い調性にぶっ飛ぶ感覚なのです。

NHKの番組アマデウスに戻ると、この前代未聞のワープな転調を発見ないし発明したのが現代作曲家の橋頭保とも言えるラヴェルだというわけです。

なるほど、言いたいのですが、何とモーツァルトはキャリアの晩年に作った渾身のドンジョヴァンニで、既にそれをやり遂げているのです。

ダ・ポンテ三部作にお約束の着せ替えシーン。これがドンジョヴァンニでは二幕初っ端にあります。家来のレポレッロに自分の貴族衣装への変装を強要し、ドンジョヴァンニの振りをしてかつて自分が裏切った女のひとりドンナエルヴィラを口説かせるという場面です。

http://www.youtube.com/watch?v=2gcFAxCU0YE

バルコニーに向かって、レポレッロに口パクさせ、「降りておいで、いとしい人よ」と歌う直前が、シャープ4つのホ長調、一小節でナチュラルが4つついて、ハ長調で甘いメロディーが奏でられます。

もう一箇所は、ドンジョヴァンニが刺殺した騎士長が石像となって再現する2幕後半。「喋れるものなら喋ってみろ。夕食に来るか?」と石像に迫るドンジョヴァンニに「ああ、お招きいただこう」と返答する場面。

http://www.youtube.com/watch?v=I96sWFb2OkM

登場の時間帯はやや短めながら存在感では他の役を圧倒する騎士長は、有名な序曲の再現部の和音進行同様、これまでモーツァルトどころか、印刷された楽譜として残されている過去の音楽にはない独自の転調のキッカケを与える重要な役割を演じているのです。

http://www.youtube.com/watch?v=oF7ocNl6nXo

この有名なシーンを含む二幕フィナーレには、同時代の有名な他の作曲家のオペラ(現在では演奏されることはない)だけでなく、自分のヒット作であるフィガロの結婚の「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」をもパクった晩餐シーンが含まれます。

http://www.youtube.com/watch?v=kPUk5BQ3yNQ

著作権という概念どころか、個性とかオリジナリティという概念すら乏しかった時代背景を考慮する必要があるのです。

ただそれにしても前例を踏襲しないリスクを何故モーツァルトは、よりによって公演(興行)予算規模の大きいオペラという分野で敢えて冒したのか。今日まで伝えられている金銭感覚のなさだけの仕業なのか。否、声楽意外の分野の方々には失礼ですが、モーツァルトはとりわけ脚本家ダ・ポンテとの邂逅以降は何よりもオペラで成功したいという気持ちが集中していたと逆に考えるべきなのだと思います。

オリジナリティへの敬意が少なかった時代の音楽は、バッハも含めて、音楽というものがより即興的なもので、言いかえれば、クラシック音楽的なものとジャズ的なものとの距離がなかった(楽譜に書きとめておかないことが当たり前の)時代だったと言われています。モーツァルトがバッハを知るようになるのは、実はキャリアの晩年だったのではないか。そこで彼はバッハ独特のフーガの技法や半音階的技法を学んだ。。。メンデルスゾーンがマタイ受難曲を再演しなければバッハは忘れ去られていたままだったと言われますが、その間、バッハは不当に低い評価をされていたというよりは、死んだ作曲家の作品を楽譜を引っ張り出して来て演奏するという習慣が当時まではそれほどなかったということだという話を、ここ最近複数の筋から聞きました。

半音階的な技法なかりせば、騎士長再現の序曲再現部分の和音進行も、不自然なく臨時記号を4つ飛ばす奇抜な転調もモノに出来なかったと考えます。

その後、この臨時記号4つの転調は、さりげなくかつ大胆に、ロッシーニやドニゼッティというイタリアオペラの基礎を作った作曲家たちによって、主として喜劇の世界で不可思議な隠し味として用いられています。

http://www.youtube.com/watch?v=J2vgQfHNWII

この点で、モーツァルトの晩年の偉業は、後の本格的イタリアオペラにとっての大いなる遺産となったと言えるのではないでしょうか。

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ねじれ国会の悪夢で、どう転んでも円安か!?

週末の参院選直前ブログで、選挙結果の場合分けを通じて、移ろいゆく民意は、民主党の大勝も大敗も望んでおらず、惜敗を経ての「民みん連立」を望んでいるのではなかろうかと分析しました。

結果は、惜敗というよりは大敗でした。万が一(?)みんなの党がごっそり与党議席に加算され、野党議席から減産されても、国民新党の非改選議席を考慮する以前に、僅かながら過半数に至らないという計算結果になります(離反、造反を考慮せず)。

日本海側を中心とする多くの一人区の結果は、民主党にとっては惜敗からは程遠い惨敗ですが、みんなの党と組んでもねじれを解消出来ないというのは、有権者にとっての惜敗なのかも知れません。

「選挙結果なんかは、翌朝のニュースで十分」という合理的な考えを敢えて捨てて、開票速報にチャンネルを回すのは、マスメディアの演出の巧みさなのか、嗜好品や博打と同じで依存症なのか、私も12時までは見ていました。数字上では≪ぎりぎり民主党とみんなの党の連立が無意味≫という最終結論が判明するまでの間も、両党の幹部は、「個別政策協議はあっても、連立は有り得ない」的表現を繰り返していた風景は、東京選挙区での共産党の小池さんとみんなの党の松田さんの激戦ぶりと相俟って視聴率の源泉だったようです。

無論、政治はハッタリと妥協の繰り返しでしょうから、一夜明けてどうなるかは予想だに出来ません。昨夜の時点では、自信満々のみん党幹部が、「自分たちの政策を丸飲みするなら」と高飛車に出るのは心情的にも判るし戦略的にも間違ってはいないのでしょう。

それにしても気になるのが、霞が関や郵政や地方分権など、民主党(すくなくとも菅首相への交代後の)と共同戦線が張れる分野が多いことを強調せずに、「根本が違う」ことを強調し、政策を呑めるかどうかの第一の試金石として日銀法改悪を真っ先に掲げるところは、単なる経済音痴なのか、改革者の仮面を被った「ばら撒き政党」という実態のせいなのか、ベンチャービジネスや外資系企業での成功者たち(の資産形成の手口)は所詮インフレ選好だからなのか、、、、、、兎に角、みんなの党を躍進させた熱狂たるは、表向き小さな政府を志向する革新政党が「中央銀行の貸借対照表を大きくしたくて堪らない」という急先鋒であるという醜い矛盾には全く気付いていないことを、この外国為替証拠金(FX)ブログとしては、指摘しておかざるを得ません。

つまり、民主党がみん党の政策を丸飲みしたとしても、円安。ねじれ国会の再現を食い止められなかったとしても、明らかに政治迷走で円安。

ということです。

勿論、政治迷走は、日本だけではありませんから、今日以降一切円高局面がないということは有り得ないでしょう。なので、慌てずにFXの準備をされたいかたら、コチラ!?

http://phxs.jp/

玄葉政調会長の『速報経過は「消費税よりも(霞が関改革や国会議員定数削減など)無駄削減を先に示せ』というのが民意だと解釈したい」という読解力センスに、一縷の望みを見た気がします。
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