2022年1月24日月曜日

言うべきことを言わない、言われたことだけしかしない

文学としての行政処分

他山の石として、金融機関に対する行政処分(業務改善命令や業務停止命令など)の中身を熟読することは、私の日課です。

しかし、みずほ銀行に対する行政処分は、その厳しさの度合いよりは、行政処分の文書のパタンである、「事実関係→法令違反の指摘(法令へのあてはめ)→処分内容」からはみ出した、異例のものになっています。

異例と思えるのは、まずは文章が大容量であること。そして、官僚の文章(霞が関文学などとも呼ばれます)とは思えない、情念のこもったものであることです。関ヶ原の戦いのまえに、石田三成が徳川家康の悪事を書き連ねた弾劾状を諸大名に送り「是非西軍に参加してほしい」とやるわけですが、その18カ条にも及ぶとされる書状をも彷彿とさせます。ただし、石田三成は所詮官僚どまりだったわけですが。。。

「言うべきことを言わない、言われたことだけしかしない」という科白は、儲け主義の民間企業の役職員が、事なかれ主義の官僚を批判しているという文脈ならわかります(民間企業がみんな儲け主義だとか、公務員がみんな事なかれ主義だとか言っているわけでは、必ずしもありません)。言う側と言われる側が逆転していることが極めて屈辱的です。しかも、一般株主に対して責任がある上場企業ですらあるわけですから、なおさら言語道断です。

で、以上は、あくまで話の取っ掛かりであります。「言うべきことを言わない」≒「言うべきことが言えない」という企業風土では、優秀な人材は定着しないでしょうし、会社が経営不振に陥るのは時間の問題でしょうから、本来は、資本主義社会においてはみずほ銀行のような民間企業は淘汰されるはずです。しかし、国家権力となると、そう話は単純ではなさそうです。

「なぜ日本は無謀な対米対戦を決断したのか?」という話を、あらためて、2021年末にさせてもらいました。

学歴詐称の父-真珠湾「奇襲」80周年

昭和の選択・・・1941日本はなぜ開戦したのか

我々は(少なくとも私なんかは)戦後民主教育で、第二次世界大戦(終結)の意義のひとつとして、自由主義ないし民主主義の、全体主義(ファシズム)に対する勝利があげられると習ってきました。これが100%間違いだとは言いません。日本国憲法が事実上押しつけ憲法であることは間違いなさそうですが、その三つの柱は、日本の無条件降伏なくしては立てられなかったでしょう。

今日の本題はウクライナを巡っての世界大戦勃発リスク

しかし、明らかな間違いがひとつあります。例えば、スターリン政権下の当時のソ連は、ナチスドイツよりもひどいファシスト国家であったということです。

日本が、開戦前、昭和天皇もその取り巻き(例:木戸幸一)も対米開戦反対、近衛文麿も然り、東条英機ですら(※)この時点では開戦回避という考えで陸軍の下々を説得することが自分の役割であるという自覚があったわけです。よって、12月に書かせてもらったとおり、天皇に権力が集中しすぎていて、正しい考察や分析ができている有能な重臣や官吏が絶対権力者に対して「言うべきことを言えない」から間違った戦争を始めてしまう羽目になった、というのは間違いなのです。

※開戦前夜に至るまでの「軍拡」の流れ(日中戦争の推進や言論統制など)に責任はあるものの、と注釈すべきかも知れません。

戦前の日本の問題は、大日本帝国憲法や治安維持法をはじめとする非民主的な法規制のせいではなかったなどと言ったら、治安維持法の犠牲になった(ソ連共産党のスパイではない)良心の日本共産党員や反戦運動家の方々やそのご遺族からお𠮟りを受けることでしょう。申し上げたいのは、ファシズムという点で言うならば、ソ連やナチスドイツのそれらは日本とは比べ物にならない次元のものであったということと、米国にすらファシズムは存在していたということです。

米中に挟まれて極東情勢が流動化するなかで、日本としては、呑気に遠いところの話をしている場合ではないかも知れませんが、世界全体で見ると、いま一番緊張をしているのはウクライナ情勢です。

ウォールストリートジャーナルは、プーチンの出方次第では、ヨーロッパは1940年代以来の地上戦の舞台へと成り下がるかも知れないと報じています。

この記事、というか、長めの論稿には、面白い写真がフィーチャーされているのです。なんと、プーチンとゴルバチョフが額をくっつけてひそひそ話をしている写真です。


ゴルバチョフ元大統領とプーチン現大統領ー蜜月と批判

今年の3月で91歳になるゴルバチョフ元大統領は、現在では、権力集中へと邁進するプーチン大統領を批判するご隠居です。しかし、遡ること1991年、ゴルバチョフ氏の側近たちによる同大統領暗殺計画が企てられます。プーチンは、当時、ゴルバチョフ氏の民主化政策を助ける立場で、同氏夫妻を救出、クーデターは未遂に終わります。ゴルバチョフ大統領の政治改革は行き過ぎであり、このままでは、ソ連が崩壊してしまう、よって同大統領を失脚させなければならない、というのがこのクーデターの大義でした。

このクーデターが成功していたら、ソ連は崩壊していなかったのか?それはわかりません。事実は、クーデターは失敗したものの、ゴルバチョフ氏は大統領を辞任せざるを得なくなったというものです(この経緯は複雑)。

ウォールストリートジャーナルの記事は、ソ連崩壊は、モスクワから48.5%の人口と41%のGDP、そして米国とならぶ世界の二大国というステータスを奪ったという描写から始まります。

ゴルバチョフ氏が、ソ連という巨大組織の崩壊と自らの政治生命の終焉というリスクを賭してまで何故改革をあきらめなかったのかについては、ざっくりですが、

①自身の貧しかった少年時代に家族が体験した理不尽なスターリン粛清、

②スターリン批判を旗印としたフルシチョフ書記長の下での抜擢と昇進、そして

③昇進すればするほど身に染みたソ連共産党の「言うべきことを言わない、言われたことだけしかしない」組織風土

と読み取れます。

ところで、ロシア通ではない私には実にピンとこないのですが、ロシアはもはや一党独裁ではありません。そのなかで、現在は、プーチン大統領による事実上の独裁が進んでいるわけです。エリツィン大統領退陣後の2000年代は、ゴルバチョフ元大統領が隠居するわけもなく、社会民主主義政党を立ち上げては失敗し、という繰り返しをしていました。その間、プーチン大統領との関係は良好で、発言力のある(とは言えソ連を崩壊させたということで基本不人気であるが)好好爺として基本はプーチン大統領を支援していました。添付の写真はそんなころのもののようです。

実はスパイとしては出来が悪かったプーチン氏???

クーデターから救出してくれた恩人を一転して批判しはじめたのは2010年代からのようです。これはプーチンがロシア憲法における大統領の3選禁止規定を潜脱した(首相になったり大統領に戻った)り、選挙不正(?)をしたり、というのが元凶のようです。それでも、ウクライナ問題では、むしろ悪いのは米国でありNATO側であると一貫しています。

あらゆる戦争がそうであるように、結果的に勝ったほうも負けたほうも「義」があるわけで、われわれはだいたいは日本語か英語の報道しか見ないので、ウクライナを火薬庫として第三次世界大戦が起こるとするならば、きっと独裁者プーチンに対して誰も「言うべきことを言わない」ロシア側が悪いのだろうと考えてしまいます。

プーチンの粛清が、ゴルバチョフ大統領時代よりも前に(とは言え、スターリンほどひどくはなくてブレジネフ程度か?)逆戻りした感はあり、それがリスクであることは間違いなさそうです。

実はさきほど、ウォールストリートジャーナルの記事は、ソ連崩壊が20世紀最大の地政学上のカタストロフであるとして国民所得と人口の半分を失ったところから書かれ始めていると言いましたが、正確には、プーチンがベルリンの壁崩壊の瞬間は東ドイツにKGBのスパイとして駐在していたわけだが、スパイとしての評価は「リスクを過小評価する」出来の悪いスパイだったという記録がある、というところからはじまっています。要するにこの記事は、プーチン大統領が、もともとリスク感覚の疎い出来の悪いスパイ出で、ジョージア、アゼルバイジャン、ウクライナ(南オセチア、クリミア・・・)と紛争をしかけていくなかで、米国やNATO陣営のリアクションがそれほどでもないという経験値を積み重ねて、今日の危機に至っているのだという分析なのです。

確かに、司馬遼太郎先生も、デビュー作にして忍者小説の決定版「梟の城」で、主人公葛籠重蔵の描写において、忍者の辞書には「まさか」という語彙があってはならない、ということを書いておられた気がします。もしかしたら「関ケ原」の島左近だったかも知れません。


2021年12月30日木曜日

コロナワクチンで長寿という統計【年末ご挨拶】

2021年(令和3年)の暮れもいよいよ押し詰まってきました。通勤電車も、緊急事態宣言下を彷彿とさせるようなガラガラです。

英エコノミスト誌のニュースレター(※1)のなかに、Daily Chartというものがあり、統計マニアのスタッフが独特の視点で(その極端なのがビッグマック指数か?)、かつビジュアル重視で、人間社会や自然界に切り込んでくれているものがあります。

今年そのなかで最も反響があったとされるのが、この棒グラフです。



表面的な結論は、ファイザー社とモデルナ社の新型コロナウィルス感染症に抗するワクチンを2回接種したグループは、それ以外に比べて、新型コロナウィルス感染症以外の死因で亡くなった人の数(100人あたり、1年あたり)が、たったの1/3程度である。

つまり、

ファイザーとモデルナのコロナワクチンは、コロナ以外の病気に罹るリスクや重症化するリスクをも抑える効果もある。

ということです。

去年もそして今年も、どちらかと言えば(?)、ワクチンに対して懐疑的な話を紹介するなどひねくれた傾向(※2)にあった当ブログと当メルマガ(本人はいたって中立公平のつもりです!)なので、ワクチンの意外なすばらしさを伝えるエピソードで年末を締めくくり、バランスを図ろう・・・

というのが本日の趣旨???

では必ずしもありません。


どの程度の効果があったのかまったく検証されなかった緊急事態宣言下の様々な措置がありました。飲食業や旅行業に携わる人々はその理不尽な被害者の典型です。

今月、また、二度ほど、真珠湾攻撃前夜の話を書きました。無謀な戦争が、決して、非民主的な専制政治の暴走ゆえ始まったわけではないという、今日ではよく知られている真実にあらためて迫ろうとしたものでした。

この反省がまったく活かされていないのが、コロナ禍での、為政者⇔マスコミ⇔世間一般大衆のトライアングルだと思います。

マスコミ=マスゴミとは思いたくないですが、視聴率狙いでコロナを煽った低級情報番組が、この英エコノミスト誌の執筆スタッフとは大違いの数理・統計センスのなさで、世間一般を欺罔している姿は、戦前の朝日新聞と何ら変わりがありません。

☀☀

「相関関係」と「因果関係」はイコールではない、というのは統計のイロハのイです。なので、英エコノミストの同記事(棒グラフからハイパーリンクしています)でも、簡潔かつ丁寧に注釈がなされています。

例えば、

①持病を抱えていてコロナワクチンの接種を控えろと医師に助言されているひとたち→まさにその持病が原因で調査対象期間中に亡くなる。

②持病は抱えていないが何らかの理由で(下記③を除く)ワクチン未接種のひとたち→調査期間中に新たな病変を自覚したが(医療機関でコロナに感染したくないという理由で)診察を先送りにし、癌など進行の早い病気で亡くなる。

③持病が理由ではなく(例えば上記※のようなワクチン陰謀論を妄信している)偏屈なリバタリアン(※3)→平均的なひとよりもリスクの高い生活習慣や行動態度(マスクなんか着けずに三密環境で馬鹿騒ぎするなど)・・・

この調査は米CDCが米国民に行った悉皆調査です。そこでは③の要因は考慮に入れられているそうです。そのために、コロナワクチンを打っていないグループには、インフルエンザワクチンすら打っていないひとは除いている(≒納得のいく限り健康維持のためにできることはちゃんとやろうというグループのなかからファイザーまたはモデルナを打ったサブグループとそうでないサブグループとにわけた)ということです。

☀☀☀

こうして、同記事も、「ワクチン接種は『死への免疫』ではない」、つまりワクチンが不老長寿の妙薬ではないと結語しているのです。

ところで、このブログの読者の半数以上が日本人なので(!?)、同記事の本筋ではないのですが、冒頭の右側のグラフが気になるところではないでしょうか。

米国は、日本以上に(!?)多民族国家であることから、CDCの調査も、アジア系、ヒスパニック系、白人、黒人(※4)別に集計をしてくれています。

ワクチン二回接種済みか否かにかかわらず、致死率が、アジア系<ヒスパニック系<白人<黒人となっていることが見て取れ、なんとなく、ここ二年間で、コロナに関する世界情勢から感じ取ってきたことと整合するようには見えます。

ここであらためて、「因果関係」≠「相関関係」です。

アジア系(の読者が多いこのブログ)は、血筋的というか先天的というか抗コロナの免疫が備わっているひとの割合が多いと読み取りたい気持ちはわかります。実際そのようないわゆるファクターエックス的なものはあるのかも知れません。しかし、これら4つのグループの間では、住環境、経済環境、生活習慣や文化など、感染症に影響する特徴の違いが明確にありそうです。

この点でも、謙虚な分析が必要です。

先ほど、同記事の結語を紹介しましたが、その直前のセンテンスは、

It seems all but certain that some still-invisible difference between people who get the vaccine and those who do not, rather than some unknown benefit of the jab, is to thank (or blame) for the vaccine’s correlative effects.

ワクチン接種済みの人たちとワクチン未接種の人たちとの「いまだに見えざる差異」は、ワクチンの知られざる効能というよりもむしろ、ワクチンの「相関関係的」影響のおかげ(せい)と思えてならない。


※1    The Economist TodayMonday to Friday

※2    ワクチンに限らず、なにごとも(とくに世間一般で当然のこととして受け入れられてしまっている考え方について)新鮮な懐疑の眼差しを持つことはたいせつだと考えております。ただし、これは、ワクチン陰謀論とはまったく別物であることをあらためて強調しなければならないでしょう。「ワクチン接種の世界的キャンペーンは、某IT長者による、人口削減計画が背景にある」とか「ワクチンを利用して全人類にマイクロチップを埋め込もうとしていて誰が何処にいるのかGPSで監視できるようになる」とかを、立証もせずに、デマを広める行為は、ワクチンの効果を鵜呑みにするのと同等以上の非科学的態度です。

※3    わたしはどちらかというとリバタリアンですが偏屈ではないつもりです。

※4    この分類方法が完璧なのかどうか疑問ですが、あえてこのように分類してくれていることは統計を鑑賞する側としてはとても助かります



2021年12月24日金曜日

昭和の選択・・・1941日本はなぜ開戦したのか

アヴァトレード・ジャパンの実質的親会社があるイスラエルは通常金曜日と土曜日が休息日なのです。

それで、昨日、一日早いのですが、冗談半分で「メリークリスマス」と打電しました。

要件は、来たる年2022年にじっくり取り組んでもらおうと考えていた「不正インターネットアクセス防止策」について、です。

まだ年も明けていないのに、

「出金パスワード」

「MT4/5にログインしましたか?お客様でない場合は、『いいえ』を・・・」

「MyAVA(マイページ)にログインしましたか?・・・」

などのテストを行ってくれていて、それに関する質疑応答でした。

案の定「メリークリスマス」に関しては、完全にスルーをされております。仕事はしてくれています。

イエスキリストさんにとっては、「最後の晩餐」の向かって右端のユダが裏切者だった一方、ユダヤ教徒にしてみればキリスト(教徒)は異端ということになります。

「メリークリスマス」とあいさつされてうれしいはずがありません。

こういう場合に備えて「ハッピーホリデーシーズン」という無難なあいさつがあることを知っていて、あえてメリクリと呼ぶ私はへいくゎいものです。

さて、ナチスドイツとは軍事同盟の関係にあったにもかかわらずその占領下からのユダヤ人難民を助けたとされる杉原千畝はとても有名です。

杉浦ほどではないですが、まさに日独伊三国同盟を手ずから締結した時の外相松岡洋右も、実に積極的にユダヤ人救済に動いた人物でした。しかも、彼は米国で教育を受けたキリスト教徒であったにもかかわらず、です。

それは満鉄総裁時代の松岡の行動であったに過ぎないかも知れませんが、ナチスドイツとの軍事同盟締結後も、「日本は反ユダヤを採らない」「これは日本の総意である」と言明しているほどです。

先週のAVAニュースレター+社長ブログで取り上げた、80周年の真珠湾攻撃ですが、これを扱ったNHKの「昭和の選択」という2時間番組では、

ざっくり言うと(歴史に「たられば」はないと言うものの)

松岡が一蹴した「日米諒解案(野村*提案)」は、のちに最後通牒と解されるハル・ノートに比べたら格段に日本有利な内容だっただけに、

国力と兵力で格段の差がある以上、とにかく対米戦争を避けたいという共通理解をしている昭和天皇とその側近木戸幸一、陸軍海軍首脳部(含む東条英機陸軍大臣→総理大臣)としては、

《我の強い》松岡の暴走を止められなかったのは痛恨の極み(それどころか理不尽なことにそのせいでA級戦犯となっている)ということになるでしょう。

☀☀

いつのころか「失敗学」というのが流行っていましたね。

この番組(「英雄たちの選択」>「昭和の選択」)のレギュラーメンバーのひとりで脳科学者の中野信子さんは、日米交渉さなかの1941年の我が国の政策決定中枢の意思決定について、経済学用語でもあるサンクコスト(埋没費用)やプロスペクト理論を用いてコメントしていました。

これ、まさに、多くのFX(に限らないですが・・・)トレーダーが陥る心理的な罠です。

昭和史<日本史への関心は兎も角、FX教室のような意味合いでも、皆様、是非ご覧ください(NHK+などで動画配信されているようです)。

☀☀☀

おそらくヤマト政権成立以降最大級の「失敗学」について、80周年のこんにち、2時間の特別企画というのは快哉です。

ただ、どれだけ時間をとろうと、客観的で公正さを追求しようと、テレビには限界があります。

いや、テレビだけでなく、司馬遼太郎先生のような、小説家としてだけでなく、歴史家としても優れた天才の著作ですら、不特定多数を相手にわかりやすくという利益を追求すると、どうしても、歴史のストーリー(これ変な表現ですが)には、主役と悪役という構成をとってしまいがちです。

NHK>「昭和の選択」>真珠湾では、先述の松岡洋右こそが、大悪役という烙印を押されています。

しかたないとは思います。が、特に近現代史でこれをやってしまうのはあまりにアンフェアな感じもします。

大悪役を演じさせるのならば、総合的な人物像を描いてあげる必要はあろうかと。ただ、それでは2時間でも足りないということになるでしょう。

松岡が「日米諒解案(野村*提案)」を蹴ったのは、部下であるはずの野村駐米大使のスタンドプレーを詰ったからとか、自らの日独同盟締結という成果とおみやげをもってすれば、対米でもっと強気な講和が可能であると考えたからでも実はなくて、「米国の諒解案(「満州は認める」を含む)が案の全体とは思えない。米国の提案内容はもっと厳しいもののはずだ。野村は全部を自分に報告していないのではないか」ということだったようです(公文書に記録あり)。

この出展はWikipedia経由ですが、WikipediaとNHKとでは、我が強いという松岡の性格(Wikipediaによれば、それは松岡の米国武者修行中の苦労やそこで覚えたコカイン中毒などに帰せられるとの説明もあり)については共通しています。が、対米スタンスということでは、ふたつの説明はめちゃくちゃニュアンスが異なるということになります。

なので、時間があれば、松岡洋右野村吉三郎*については、Wikipediaもあわせ読まれることをおすすめいたします。


2021年12月16日木曜日

学歴詐称の父-真珠湾「奇襲」80周年

年末または年始に戦争のことをときどき書くようにしていました。

2017年の年頭、トランプ=プーチン=習近平時代に安倍内閣は「真田丸」を築けるか?という投稿をしました。

・・・国力が下がり、再び列強の狭間で生き延びるためには、軍事と外交の知恵が必要だ・・・

そのような意味で、前年人気だったNHK大河ドラマを引き合いに出して書いたものです。

ここで取り上げたのが、太平洋戦争開戦のほんの3か月前に、近衛文麿首相や東條英機首相以下、政府・統帥部関係者の前で報告した「総力戦研究所」です。長期戦では間違いなく負けるので対米開戦は避けるべきという具申を、まずは陸軍が、次いで海軍が無視して大東亜戦争に至った、と短くまとめることが出来ます。

しかし、実は、A級戦犯として処刑された東条英機(注)をも含む陸軍も、「総力戦研究所」以前ですら、米国には勝てっこない、と考えていたという事実が、いくつかの歴史書や情報で明らかにされつつあります。

今年の12月8日は真珠湾攻撃からちょうど80年ということです。12月6日が父の命日で、ちょうど三回目でした。墓参りの際に、その墓を建てる際にお世話になった石材屋さんがわたくしの従兄弟(亡父の甥)の奥様の弟ということで、わざわざ集まってくれて、父の遺品を遠路はるばる持ってきてくれたのです。

そのなかに、「高校」時代に使っていた教科書と、卒業論文が入っていました。

実は、父は生前、「自分は義務教育しか出ていない。当時で言うと尋常高等小学校(現在ではだいたい中学校に相当)卒なんだ。」と言っておりました。わたくしの結婚式でもそのように紹介していました。

(逆?)学歴詐称を、父はしていたことになります。その高校というのが、「陸軍通信学校」という名前です。

思い起こすと不可解なことがいくつもありました。父が、妙に東京の地理に詳しかったり、定年退職後ワープロを覚えたような高齢者が地元で高齢者向けにパソコン教室をやったり、家電量販店で販売員が即答できないような質問を連発したり(販売員だけでなく隣に立つわたくしも回答できなかったのですが)。

この「陸軍通信学校」に関して、いまさらながらどんな学校だったのか調べたいと思っても、何故か、ほとんど調べようがないのです。

最近、アヴァトレード・ジャパンを応援してくださっているアフィリエイト・パートナーさんで、元自衛官(幹部候補生)の聡明な若者がいらっしゃいます。この話をしたら、「陸軍通信学校は、こんにちで言うと、開成高校みたいなもんです。」「本来なら、旧制高校(ナンバースクール)を経て帝国大学へと向かう人材だが、現在の中学校を卒業したのち、家庭の事情などでその余裕がない場合に目指す最難関の教育機関のひとつだったと聞いています。」

「陸軍通信学校」≒「開成高校」という評価にはさすがに違和感があるものの、とにかく情報が手に入らず、肯定も否定もできないのです。

所在地だった神奈川県相模原市を扱った産経新聞の記事程度で、元自衛官のパートナーさんの説明と無矛盾ではあるものの、そこまで偏差値が高い「高校」だったかどうかのか調べようがありません。

もしかすると、「陸軍通信学校」の存在自体が辛うじて自衛隊のなかで現代の神話として口頭伝承はされているが、それ以外の情報は、何らかの理由で抹消されてきているのかも知れないと憶測されます。

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さて、本題はここからです。父が使っていた教科書を見ると、時期的には日独伊三国同盟が締結され、日中戦争は泥沼状態、大東亜戦争は開戦前夜という状況ですが、良く言われている言論統制や軍国主義教育というカラーは、ほとんど見当たらないのです。

数学の教科書は、「関数」が「函数」と表記されていることを除くと、現在の指導要領と大きな違いはありません。理科も然り。そして、外来語のカタカナはそのまま使われています(野球で、ストライク、ファウル、アウトが敵性用語として使えなくなった時期に被っているにもかかわらずです)。

ここで最も驚くべきことは、この教育現場が、かつての通説では、対米開戦に最も積極的だった日本陸軍のお膝元であった、にもかかわらず、です。

圧巻は、社会>地理の教科書です。

さすがに、本文では、中国大陸に関する記載が豊富で、ヨーロッパや中東への言及はほとんどないなど、偏りはあります。

が、表紙の裏の地図には、列強がそれぞれどれだけ軍艦や戦闘機を持っているかという数値(とそれに比例した大きさの船と飛行機のピクトグラム)が書かれていたのです。これを見るだけで、陸軍通信学校の生徒たちは、米国や英国(の連合軍)と戦わされることはないのだろうなとまず前提し、そこからモールス信号や暗号作成・解読技術へと学びを進めていったことが推定されるのです。

この教科書が発行されたのは、「総力戦研究所」の日本必敗シナリオよりも遡ります。ということは、「総力戦研究所」をリクルートしたのは、すでに結論ありきであった軍執行部(あえて対米非戦論が主流であったと言います)が有能なコンサルティング会社の役割を果たすためのものであったとも推量されましょう。

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大東亜戦争開戦は帝国陸軍が非合理的な根性論に従って能動的に対米開戦を主導し次いで帝国海軍も追随した。大日本帝国憲法においては、政党政治という議会制民主主義が機能しない名ばかりの立憲君主制であったので、牽制が働かず軍部の暴走を許したことが、致命的な判断ミスの原因であり、よって予想出来ていたはずの破滅的結末へと進んだ。。。

これが、わたくしなりに、戦後教育のなかで学んだ戦前の昭和史です。実際には、中学校の歴史の授業は、このあたりの教科書の最後のほうはやれていませんでした。どうやらどこの中学校も当時はそんな感じだったようです。

わたくしは、高校時代は日本史を選択していなかったので、実は、去年、日本史のトピックスと関連させて、金・銀・銅・・・管理通貨・仮想通貨(暗号資産)を含む通貨・マネー・経済の話を投稿するに及び、いまさらながらに、高校日本史参考書の決定版と言われている山川出版社「詳説日本史研究」(2017年8月第1刷、2020年4月第3刷)を購入しました。

今年の初めから、アヴァトレード・ジャパンのコンプライアンス本部長(内部管理担当役員)として経営に参加してくれている坂根義範弁護士(東京解決工房法律事務所)は、学部こそ違えど大学の優秀な後輩で日本史に関してわたくしよりもはるかに詳しい輩です。

先日、彼と意気投合したのが、山川出版社「詳説日本史研究」の著者(どの先生が書いてどの先生が編集したかは完全には不明)の明治時代への評価があらわれている2点です。

ひとつは、「明治維新論」(P346)。「明治維新を日本版ブルジョア革命と看做す『労農派』と、逆に?絶対主義(王政復古)と看做す『講座派』という具合にマルクス主義学者の間での議論対立があったが、現在から見ると、いずれの左翼も的を射ていない」という項です。

そしてもうひとつが、「明治憲法体制の特色」(P364)なのです。曰く、「制度上、天皇が統治権の総攬者として諸々の大権を握っていたからといって、明治憲法体制を戦後マルクス主義歴史学者などが主張したように『絶対主義的本質をもつ外見的立憲制にすぎない』と看做すのは適切でない」としたうえで、「明治時代には、天皇の最高の相談相手として、『元老』が実質的に集団で天皇の代行的役割を果たしていた」のだが、「大正期以降、元老の勢力が後退するようになると、実際の政治運営においては内閣・議会・軍部などの諸勢力による権力の割拠性の弊害が進み、やがて1930年代には、天皇の名のもとに軍部などの発言力が増大し、いわゆる『天皇制の無責任の体系』が現れ」たとしています。

下線は筆者

坂根本部長とは、昭和史戦前の部は何度でも振り返る必要があるところだという話をしております。この項を書くにあたり、いわゆる幕末「開国」から何度も振り返っているところです。

「総力戦研究所」に言及した2017年からさらに時代は移り、米国はトランプからバイデンへと大統領が変わり、米中の軋みは新しいステージに入っています。日本の政策担当者が、ペリーやプチャーチンと向き合って以降、外交と軍事の両面ではどのように遊泳し、いっぽう内政面ではどのように国民を宥めてきて、こんにちに至るのか?どこはうまく行きすぎて、どこはうまく行かなさ過ぎたのか?確かに何度も振り返ってみたいところです。



(注)ちょうどこの墓参りの週末にNHKスペシャルの再放送が目に留まりました。

新・ドキュメント太平洋戦争 「1941 第1回 開戦(前編)」というタイトルで、まとめ記事の一部がこちらです。

『英米に対して三国同盟が衝撃を与えるのは必然である。いたずらに排英米運動を行うことを禁止する』

東條ら軍の指導者たちは、この時点ではアメリカとの決定的な対立を避けようとしていた。すでに陸軍は100万を超す大兵力を日中戦争に投じていた。その上、アメリカと対立する余裕はなかったのだ。