2022年4月18日月曜日

円安・・・

円安です。この円安がどこまで続くのか、DZHフィナンシャルリサーチ為替情報部の和田部長に、熱く語ってもらいました。不肖わたくし丹羽が慣れない司会進行をやらせてもらっています。是非ご視聴ください。
相場の見通しというのは容易ではありません。どんなに論理的にせまっても、非論理的な占いと大きな違いがなかったりします(占いがすべて非論理的と言っているわけではありません。日本語は難しい)。それでも、為替ディーラーとして長いキャリアをお持ちの和田さんならではの、歴史考察は、いまの円安を分析するうえで、欠かすことができない視座だと思っています。

プラザ合意(1985年)前後の日米問題は貿易摩擦が最大のテーマでした。それに比べると、いまの日米の経常収支はどうでしょうか???各論に迫る余裕はなかった点として以下のことが挙げられます。バブル崩壊と不良債権による日本の銀行の国際金融からの事実上の撤退、日米半導体協議における敗戦、その他失われた30年を象徴するさまざまな要素が絡み合って、最後に東日本大震災を契機としたエネルギー問題(原発停止による化石燃料輸入増による貿易赤字の恒常化)等々。1970年代後半からのレーガノミックス時代の円安と構造が異なる背景になっています。

そうは言っても、強いアメリカ、弱い日本と決めつけるほど世界情勢は単純ではありません。また、貿易の不均衡を是正しうる変数が交易条件≒為替水準だけであるというのは間違いです。そこは冷静に見つつ、全体をご視聴いただけるとうれしいです。


2022年3月25日金曜日

イスラエルがウクライナへのスパイウエア提供を断る

小説家やジャーナリストなど、生業として物書きをしている人たちの文章というのは、どんな名作や労作であっても、物事の真実や本質よりは、敵と味方、主役と悪役など、白黒はっきりさせることで、よりわかりやすく面白く「売文」したいというバイアスが働きがちです。

私は売文家ではないですが、この点は十分自戒すべきなので、面白いけど断定的な情報には安易に飛びつかないよう、反論をなるべく探そうと心がけているつもりです。

正義の味方となったゼレンスキー大統領

ロシア対ウクライナの紛争では、ロシアによる侵攻前は40%程度だったゼレンスキー大統領への支持率が90%へと急騰したと言われています(注1)。

ロシアに対する経済制裁で合意をしている「民主主義陣営」の国々でも、ゼレンスキー大統領が、プーチン大統領率いるロシアという軍事力では敵いそうもない相手を大番狂わせで倒すかも知れない正義の味方なのだという通念が醸されています。


ロシア陣営が流すフェイクニュース(?)にもかかわらず、プーチン大統領が主導する現実の地獄絵は否定できません。しかし、ゼレンスキー大統領を、《彼の敵国に対する経済制裁とその取り纏め、そして武器輸出という経路》に限定して応援する米国指導者もまた正義の味方の味方だと言えるでしょうか???

素直にそう思ってしまう人たちは、ベトナム戦争、カンボジア紛争、イランイラク戦争、イラク戦争、アフガニスタン戦争、、、など第二次世界大戦後に限っても枚挙に暇がない、現在のウクライナ紛争と甲乙つけ難い事案を忘れてしまっている記憶力に乏しい方々でしょう。私のブログの読者にはそういうひとはひとりもいらっしゃらないはずです(注2)。

現代の不平等条約とアメリカの「勝利の方程式」

いつものように長すぎるブログとなりそうなので、あらかじめここで、投稿全体の見通しを良くするために、私の考え方の基盤をここでお伝えしておこうと思います。過去の投稿と一貫しているものです。第二次世界大戦後、国際連合が出来たり、「大国」などが核武装したりで、国際協調と核抑止力によって戦争はなくなると嘯かれてきた(日本の文科省の社会科にける学習指導要領もこれ然り)のはまったく事実と反し、実際は核武装させてもらっていない「小国」の内外で「大国」の代理戦争が繰り返されている。核拡散防止条約こそが現代の不平等条約である。核の偏在こそが、①米国がロシアを直接は叩こうとしない、②北朝鮮を野放しにせざるを得ない(一方、本当は「大量破壊兵器」を持っていなかったイラクは叩けた)理由(のひとつ)である、ということです。


《支持率のようなものの儚(はかな)さ》を感じたのは、米国議会でのゼレンスキー大統領の演説で、9.11のテロと並べて、真珠湾攻撃が敷衍されたことの報道です。日本のネット界隈で、「不勉強だ!」「もはやウクライナを応援したくなくなった」などとざわつきました。

米国からのウクライナへの間接的な支援が強化されたのは、こうしたゼレンスキー演説が米国議会に刺さったからでは決してなくて、ウクライナ側の想定を超える善戦が、「勝てるほうに付く」、翻せば、「勝ち負けがはっきりしない外国の紛争には中立を保る」)という、第一次世界大戦(注3)以降に米国がヨーロッパを差し置いてのし上がってきた際の「勝利の方程式」を満たしたということではないか、だとすると、(その時点では日本の国会での演説は確定していなかったとは言え)米国議会用のスピーチライターが真珠湾攻撃の事例を用いたのはコスパとしては正解ではなかったのではないかと、、、

とは言え、ゼレンスキー演説への批判というのは、やや突っ込みどころが違うという感想も持ちました(注4)。やはりここで再度強調しておくべきことが、アメリカやロシア(などの国際連合の安全保障理事会の常任理事国)が核兵器を独占しているという理不尽こそ、本来はゼレンスキーが突っ込まなければならない(本当なら突っ込みたい)ところであって、しかし米国議会でそんかことは思っていも言えないから、不承不承、真珠湾攻撃と9.11というたった二つの事例で同情を、という代替戦略をとらざるをえなかったのだと忖度してあげるべきところなのでしょう。


さて、真珠湾攻撃に関しては、このブログでも繰り返し分析してきたつもりです。実は、私が元々はとある無料商材に申し込んだきっかけ(「坂本竜馬暗殺の真犯人は?」とかときどきネット広告に出てきませんか???)で、西鋭夫先生の存在を知りました。多くの意識の高い日本人がそうであるように、真珠湾攻撃もまた西鋭夫先生が戦後歴史教育における定説に切り込みたい核心部分のひとつということで大いに分析していらっしゃいます。しばしばこの商材がらみでメールマガジンを拝読させてもらっており、それらを私の独自研究のヒントをもらっております。

真珠湾攻撃そのものはほとんど扱っていませんが、「占領神話の崩壊」という著書は図書館でも借りることができる労作です。

さきほど来、日本の文科省の社会科にける学習指導要領云々と批判していますが、いまだに、高等学校レベルの歴史や政治経済分野では、第一次世界大戦と第二次世界大戦との間(世界恐慌、ナチス台頭、日中戦争などがあった時期)、米国政治では《フーヴァー大統領(共和党)は出来が悪く、ルーズベルト大統領(民主党)は出来が良い》というステレオタイプな論述がされているようです。フーヴァー研究所の書物を精力的に読み漁る西鋭夫先生の書物からは、全く異なる歴史観が迸っています。

日本人目線からだと、野に下ったフーヴァー大統領は、日本をして真珠湾を奇襲せしめたハル・ノートや経済制裁(注5)に猛反対してくれていたりだとか、終戦の年、のちのトルーマン大統領に対して、日本に無条件降伏を迫るのは間違いだ、講和に応じろ、と指図する(注6)など、特異的な存在です。

が、なんといっても、フーバー大統領が(選挙で自らを負かせた)ルーズベルト「次期」大統領に対して、「(あなたはわたしの政策を引き継がないだろうが)ひとつだけはどうしてもお願いしたい。それは、英仏への債権の取り立ては緩めるべきだ。それこそが世界恐慌から各国経済を立ち直らせる(そして本家本元の米国経済も)抜本的な治療方法なのだから」と忠告をした(注7)が、ルーズベルト大統領はまったく聞く耳を持たなかった、という事実もこそ重大です。

繰り返しになりますが、米国は、外国同士の戦争が自分に利さない間は中立を決め込み、戦後体制がはっきりしたとき(勝ち負けがはっきりしはじめたときに)介入するというヴァンテージポイントを活かしながらのし上がってきた大国です。その鍵が、戦費調達と戦後賠償に絡む債権債務関係なのです。この視座を以って、ロシアとウクライナの紛争も見てみたいところです。

ウクライナ≒ネオナチは全くのフェイクニュースなのか???

西鋭夫先生の話を何故したかというと、このごろもまた読ませてもらっているメールマガジンのなかに、プーチンの言う「ウクライナはネオナチに牛耳られている」というのは完全なフェイクニュースでもないかも知れないという話があり、これもまた、おびただしいフェイクニュースのなかから頑張って真実を手繰り寄せなければならないと思ったからです。

ウクライナの歴史は、日本のような島国とは異なり、大陸のど真ん中の穀倉地帯ということもあって、侵略したりされたりと、戦争に明け暮れたものになっていて、ウィキペディアを読み解くのも一苦労です。第二次世界大戦の戦中と戦後に限っても非常にややこしいと感じます。ここでもまた編集合戦が繰り広げられている恐れもありますが、確かに、多数派とは言えないものの、ウクライナ人の一部は、ナチス・ドイツ側に殺戮されず、その代わりに(←ここはよくわからない)ナチス・ドイツ側に立って一緒にソビエト・ロシアを攻めるという勢力に化したようです。ただ、そういう人たちが、第二次世界大戦後もうまく生き延びて、ソ連崩壊後に経済と政治の中枢を担えたのか、また、中国での同時期の国共合作と同じで利害と打算で結びついたに過ぎなくて、骨の髄までナチズムがしみ込んだネオナチと言えるのかどうかは疑問です。米国に渡ったアイン・ランド女史やオルブライト女史(元国務長官)など、スターリニズムの否定とナチズムの否定は同根と考えるのが自然だからです。

しかしながら、ここで非常に気になる情報が今週出ていました。ニューヨークタイムズ紙によると、イスラエルは、ウクライナ(とエストニア)から買いたいと言われてきたスパイウエア「ペガサス」を同国たちには売り渡さないと決めた。一般的な理由として、過去には、売り渡した国の独裁政権が国民を監視する(携帯電話の個人情報・位置情報や通信記録の傍受)など非民主的な目的で利用濫用された事案があり、それを繰り返したくないというのもあるようです。が、今回に限っては、イスラエルがロシアとの関係を害したくないから、とされています。

インドが、中国と同様、アメリカ主導の対ロシア経済制裁に参加しないというのも個人的には驚いていました。が、何となく、第四次中東戦争の流れで、(日本と同様?)アメリカべったりの国であるという印象のあるイスラエルのかかる決然たる態度は意外ではないでしょうか???

実は、有名すぎるイスラエルのスパイ組織「モサド」のOBであるEfraim Halevy氏によれば、少なくとも見た目には「小国」であるイスラエルがその実質的な創業期である第二次世界大戦直後においては、自分たちはまずアメリカに付くべきなのか(当時の)ソ連に付くべきなのか五分五分だったと書いています。よくわかりませんが、イスラエルにべったりなのがアメリカであって逆は必ずしも真ならずということなのかも知れません(当時も今も)。

それでもやはりプーチンの言う「ウクライナ≒ネオナチ」には自らの正当化のためのフェイクニュースという臭いがぷんぷんすると言わざるを得ません。ただし、このイスラエルの態度(やそれに対するイスラエル議会でのゼレンスキー演説における苛立たしさ)からは、このフェイクニュースにも一理ありというのがうかがえます。


一方で、ひとつ申し添えたいこととして、アヴァトレード・ジャパンの親会社はイスラエルですが、IT部門における協力会社の多くがウクライナにあります。そこのエンジニアの多くは、キエフから疎開して、状況厳しい中でも、リモートワークで弊社グループのシステムを支えてくれているようです。


こうなるといよいよ何が真実なのかわからないという話になりますが、そんなに物事をスパッと一刀両断にできる社会法則など存在しないと諦めれば済むことです。とにかく、一方的な情報だけに飛びついて白黒はっきりさせようとするのは愚者の営みであると自戒することが大切です。




(注1)ウクライナのレイティング社による世論調査。ゼレンスキー大統領への支持率が低かった時期でも、ウクライナの他の政党(の指導者)たちのそれらよりは高かったこと、世論調査の対象として、すでにロシアが実効支配していると言われるドンバス地域とクリミア半島は含まれていないことに留意すべきでしょう。

(注2)先週末3/18(金)深夜(というか翌日未明)のテレビ朝日「朝まで生テレビ」(録画されている方は、田原総一朗氏のMC部分だけ早送りして、興梠一郎さんや(元防衛大臣)森本敏さんなどの発言だけをひろわれることをおすすめします)で、慶応義塾大学廣瀬陽子教授ご指名の視聴者の質問への回答として「イラク戦争などアメリカが行った戦争には大義または正義があったが今回のウクライナ戦争にはそれがまったくない。そこが違う」というのがありました。この程度の有名大学に雇われている学者先生がまさか本気でそう考えていらっしゃるわけではないと思うのですが、どういう圧力が働くとそう言わざるをえないのでしょうね。

(注3)アメリカ合衆国が建国できたのは、植民地支配をしていた大英帝国との独立戦争で、フランス(大革命の直前)からの経済支援があったればこそと言われています。当時までのフランスは、まさにそのアメリカ新大陸を巡る攻防で、大英帝国と七年戦争を戦い敗れたということで、その仕返しという意図があったらしいのですが、フランスはこの独立戦争で勝ち馬に乗ったにもかかわらず、そのリスク投資への配当に与れず、財政破綻など諸説ありますが、革命によりブルボン王朝は滅びるという展開になります。一説には、このころまでの対外戦争の戦費調達においては借りたものは返すべきという通念がはっきりしていなかったとされており、これを明確にはじめてしたのが、第一次世界大戦に途中で参加したアメリカだというのです。アメリカは、ドイツが戦後賠償をまっとうできるかどうかにかかわらず、戦時中に貸し出した、イギリスやフランスなどの三国協商国への債権は絶対に放棄できないという態度を堅持し、これこそがアメリカを建建国来はじめて債権国へと押し上げ、まだアメリカにとっては「一粒で二度美味しい」機会となった第一次世界大戦の最大の契機ともなったと考えられます。

(注4)そのことは兎も角、ネット界隈での真珠湾攻撃への連鎖反応を見るに、おそらく若い世代も含めて、第一次世界大戦後のアメリカやソ連だけでなく、第二次世界大戦における日本も無謀かつ非合理的な判断で何故戦争に突入してしまったのかという真実に迫ろうというひとが着実に増えているのではないかとも思いました。

(注5)当時世界の石油の70%をアメリカが握っていた。日本は石油のほぼ100%をアメリカに頼っていた。そのなかでのアメリカの対日禁輸の対象品目として原油が加えられた(日独伊三国同盟加入時に、鉄くずが対日禁輸品目であったのに追加された)。経済制裁としては、ABCD包囲網(アメリカ、イギリス、中国、オランダ)に重畳して行われた。

(注6)フーヴァー前大統領本人は、政権中枢から外れてしまっていたために、当時、マンハッタン計画を知らされていなかった。

(注7)選挙に負けたレームダックの大統領が選挙に勝った「次期」大統領に、面と向かってこのような会談(引継ぎミーティング)をする事例というのは非常に珍しいそうです(上記(注3)ハイパーリンク先の参考文献、Michael Hudson "Super Imperialism"(2nd Edition)による)。

2022年1月24日月曜日

言うべきことを言わない、言われたことだけしかしない

文学としての行政処分

他山の石として、金融機関に対する行政処分(業務改善命令や業務停止命令など)の中身を熟読することは、私の日課です。

しかし、みずほ銀行に対する行政処分は、その厳しさの度合いよりは、行政処分の文書のパタンである、「事実関係→法令違反の指摘(法令へのあてはめ)→処分内容」からはみ出した、異例のものになっています。

異例と思えるのは、まずは文章が大容量であること。そして、官僚の文章(霞が関文学などとも呼ばれます)とは思えない、情念のこもったものであることです。関ヶ原の戦いのまえに、石田三成が徳川家康の悪事を書き連ねた弾劾状を諸大名に送り「是非西軍に参加してほしい」とやるわけですが、その18カ条にも及ぶとされる書状をも彷彿とさせます。ただし、石田三成は所詮官僚どまりだったわけですが。。。

「言うべきことを言わない、言われたことだけしかしない」という科白は、儲け主義の民間企業の役職員が、事なかれ主義の官僚を批判しているという文脈ならわかります(民間企業がみんな儲け主義だとか、公務員がみんな事なかれ主義だとか言っているわけでは、必ずしもありません)。言う側と言われる側が逆転していることが極めて屈辱的です。しかも、一般株主に対して責任がある上場企業ですらあるわけですから、なおさら言語道断です。

で、以上は、あくまで話の取っ掛かりであります。「言うべきことを言わない」≒「言うべきことが言えない」という企業風土では、優秀な人材は定着しないでしょうし、会社が経営不振に陥るのは時間の問題でしょうから、本来は、資本主義社会においてはみずほ銀行のような民間企業は淘汰されるはずです。しかし、国家権力となると、そう話は単純ではなさそうです。

「なぜ日本は無謀な対米対戦を決断したのか?」という話を、あらためて、2021年末にさせてもらいました。

学歴詐称の父-真珠湾「奇襲」80周年

昭和の選択・・・1941日本はなぜ開戦したのか

我々は(少なくとも私なんかは)戦後民主教育で、第二次世界大戦(終結)の意義のひとつとして、自由主義ないし民主主義の、全体主義(ファシズム)に対する勝利があげられると習ってきました。これが100%間違いだとは言いません。日本国憲法が事実上押しつけ憲法であることは間違いなさそうですが、その三つの柱は、日本の無条件降伏なくしては立てられなかったでしょう。

今日の本題はウクライナを巡っての世界大戦勃発リスク

しかし、明らかな間違いがひとつあります。例えば、スターリン政権下の当時のソ連は、ナチスドイツよりもひどいファシスト国家であったということです。

日本が、開戦前、昭和天皇もその取り巻き(例:木戸幸一)も対米開戦反対、近衛文麿も然り、東条英機ですら(※)この時点では開戦回避という考えで陸軍の下々を説得することが自分の役割であるという自覚があったわけです。よって、12月に書かせてもらったとおり、天皇に権力が集中しすぎていて、正しい考察や分析ができている有能な重臣や官吏が絶対権力者に対して「言うべきことを言えない」から間違った戦争を始めてしまう羽目になった、というのは間違いなのです。

※開戦前夜に至るまでの「軍拡」の流れ(日中戦争の推進や言論統制など)に責任はあるものの、と注釈すべきかも知れません。

戦前の日本の問題は、大日本帝国憲法や治安維持法をはじめとする非民主的な法規制のせいではなかったなどと言ったら、治安維持法の犠牲になった(ソ連共産党のスパイではない)良心の日本共産党員や反戦運動家の方々やそのご遺族からお𠮟りを受けることでしょう。申し上げたいのは、ファシズムという点で言うならば、ソ連やナチスドイツのそれらは日本とは比べ物にならない次元のものであったということと、米国にすらファシズムは存在していたということです。

米中に挟まれて極東情勢が流動化するなかで、日本としては、呑気に遠いところの話をしている場合ではないかも知れませんが、世界全体で見ると、いま一番緊張をしているのはウクライナ情勢です。

ウォールストリートジャーナルは、プーチンの出方次第では、ヨーロッパは1940年代以来の地上戦の舞台へと成り下がるかも知れないと報じています。

この記事、というか、長めの論稿には、面白い写真がフィーチャーされているのです。なんと、プーチンとゴルバチョフが額をくっつけてひそひそ話をしている写真です。


ゴルバチョフ元大統領とプーチン現大統領ー蜜月と批判

今年の3月で91歳になるゴルバチョフ元大統領は、現在では、権力集中へと邁進するプーチン大統領を批判するご隠居です。しかし、遡ること1991年、ゴルバチョフ氏の側近たちによる同大統領暗殺計画が企てられます。プーチンは、当時、ゴルバチョフ氏の民主化政策を助ける立場で、同氏夫妻を救出、クーデターは未遂に終わります。ゴルバチョフ大統領の政治改革は行き過ぎであり、このままでは、ソ連が崩壊してしまう、よって同大統領を失脚させなければならない、というのがこのクーデターの大義でした。

このクーデターが成功していたら、ソ連は崩壊していなかったのか?それはわかりません。事実は、クーデターは失敗したものの、ゴルバチョフ氏は大統領を辞任せざるを得なくなったというものです(この経緯は複雑)。

ウォールストリートジャーナルの記事は、ソ連崩壊は、モスクワから48.5%の人口と41%のGDP、そして米国とならぶ世界の二大国というステータスを奪ったという描写から始まります。

ゴルバチョフ氏が、ソ連という巨大組織の崩壊と自らの政治生命の終焉というリスクを賭してまで何故改革をあきらめなかったのかについては、ざっくりですが、

①自身の貧しかった少年時代に家族が体験した理不尽なスターリン粛清、

②スターリン批判を旗印としたフルシチョフ書記長の下での抜擢と昇進、そして

③昇進すればするほど身に染みたソ連共産党の「言うべきことを言わない、言われたことだけしかしない」組織風土

と読み取れます。

ところで、ロシア通ではない私には実にピンとこないのですが、ロシアはもはや一党独裁ではありません。そのなかで、現在は、プーチン大統領による事実上の独裁が進んでいるわけです。エリツィン大統領退陣後の2000年代は、ゴルバチョフ元大統領が隠居するわけもなく、社会民主主義政党を立ち上げては失敗し、という繰り返しをしていました。その間、プーチン大統領との関係は良好で、発言力のある(とは言えソ連を崩壊させたということで基本不人気であるが)好好爺として基本はプーチン大統領を支援していました。添付の写真はそんなころのもののようです。

実はスパイとしては出来が悪かったプーチン氏???

クーデターから救出してくれた恩人を一転して批判しはじめたのは2010年代からのようです。これはプーチンがロシア憲法における大統領の3選禁止規定を潜脱した(首相になったり大統領に戻った)り、選挙不正(?)をしたり、というのが元凶のようです。それでも、ウクライナ問題では、むしろ悪いのは米国でありNATO側であると一貫しています。

あらゆる戦争がそうであるように、結果的に勝ったほうも負けたほうも「義」があるわけで、われわれはだいたいは日本語か英語の報道しか見ないので、ウクライナを火薬庫として第三次世界大戦が起こるとするならば、きっと独裁者プーチンに対して誰も「言うべきことを言わない」ロシア側が悪いのだろうと考えてしまいます。

プーチンの粛清が、ゴルバチョフ大統領時代よりも前に(とは言え、スターリンほどひどくはなくてブレジネフ程度か?)逆戻りした感はあり、それがリスクであることは間違いなさそうです。

実はさきほど、ウォールストリートジャーナルの記事は、ソ連崩壊が20世紀最大の地政学上のカタストロフであるとして国民所得と人口の半分を失ったところから書かれ始めていると言いましたが、正確には、プーチンがベルリンの壁崩壊の瞬間は東ドイツにKGBのスパイとして駐在していたわけだが、スパイとしての評価は「リスクを過小評価する」出来の悪いスパイだったという記録がある、というところからはじまっています。要するにこの記事は、プーチン大統領が、もともとリスク感覚の疎い出来の悪いスパイ出で、ジョージア、アゼルバイジャン、ウクライナ(南オセチア、クリミア・・・)と紛争をしかけていくなかで、米国やNATO陣営のリアクションがそれほどでもないという経験値を積み重ねて、今日の危機に至っているのだという分析なのです。

確かに、司馬遼太郎先生も、デビュー作にして忍者小説の決定版「梟の城」で、主人公葛籠重蔵の描写において、忍者の辞書には「まさか」という語彙があってはならない、ということを書いておられた気がします。もしかしたら「関ケ原」の島左近だったかも知れません。


2021年12月30日木曜日

コロナワクチンで長寿という統計【年末ご挨拶】

2021年(令和3年)の暮れもいよいよ押し詰まってきました。通勤電車も、緊急事態宣言下を彷彿とさせるようなガラガラです。

英エコノミスト誌のニュースレター(※1)のなかに、Daily Chartというものがあり、統計マニアのスタッフが独特の視点で(その極端なのがビッグマック指数か?)、かつビジュアル重視で、人間社会や自然界に切り込んでくれているものがあります。

今年そのなかで最も反響があったとされるのが、この棒グラフです。



表面的な結論は、ファイザー社とモデルナ社の新型コロナウィルス感染症に抗するワクチンを2回接種したグループは、それ以外に比べて、新型コロナウィルス感染症以外の死因で亡くなった人の数(100人あたり、1年あたり)が、たったの1/3程度である。

つまり、

ファイザーとモデルナのコロナワクチンは、コロナ以外の病気に罹るリスクや重症化するリスクをも抑える効果もある。

ということです。

去年もそして今年も、どちらかと言えば(?)、ワクチンに対して懐疑的な話を紹介するなどひねくれた傾向(※2)にあった当ブログと当メルマガ(本人はいたって中立公平のつもりです!)なので、ワクチンの意外なすばらしさを伝えるエピソードで年末を締めくくり、バランスを図ろう・・・

というのが本日の趣旨???

では必ずしもありません。


どの程度の効果があったのかまったく検証されなかった緊急事態宣言下の様々な措置がありました。飲食業や旅行業に携わる人々はその理不尽な被害者の典型です。

今月、また、二度ほど、真珠湾攻撃前夜の話を書きました。無謀な戦争が、決して、非民主的な専制政治の暴走ゆえ始まったわけではないという、今日ではよく知られている真実にあらためて迫ろうとしたものでした。

この反省がまったく活かされていないのが、コロナ禍での、為政者⇔マスコミ⇔世間一般大衆のトライアングルだと思います。

マスコミ=マスゴミとは思いたくないですが、視聴率狙いでコロナを煽った低級情報番組が、この英エコノミスト誌の執筆スタッフとは大違いの数理・統計センスのなさで、世間一般を欺罔している姿は、戦前の朝日新聞と何ら変わりがありません。

☀☀

「相関関係」と「因果関係」はイコールではない、というのは統計のイロハのイです。なので、英エコノミストの同記事(棒グラフからハイパーリンクしています)でも、簡潔かつ丁寧に注釈がなされています。

例えば、

①持病を抱えていてコロナワクチンの接種を控えろと医師に助言されているひとたち→まさにその持病が原因で調査対象期間中に亡くなる。

②持病は抱えていないが何らかの理由で(下記③を除く)ワクチン未接種のひとたち→調査期間中に新たな病変を自覚したが(医療機関でコロナに感染したくないという理由で)診察を先送りにし、癌など進行の早い病気で亡くなる。

③持病が理由ではなく(例えば上記※のようなワクチン陰謀論を妄信している)偏屈なリバタリアン(※3)→平均的なひとよりもリスクの高い生活習慣や行動態度(マスクなんか着けずに三密環境で馬鹿騒ぎするなど)・・・

この調査は米CDCが米国民に行った悉皆調査です。そこでは③の要因は考慮に入れられているそうです。そのために、コロナワクチンを打っていないグループには、インフルエンザワクチンすら打っていないひとは除いている(≒納得のいく限り健康維持のためにできることはちゃんとやろうというグループのなかからファイザーまたはモデルナを打ったサブグループとそうでないサブグループとにわけた)ということです。

☀☀☀

こうして、同記事も、「ワクチン接種は『死への免疫』ではない」、つまりワクチンが不老長寿の妙薬ではないと結語しているのです。

ところで、このブログの読者の半数以上が日本人なので(!?)、同記事の本筋ではないのですが、冒頭の右側のグラフが気になるところではないでしょうか。

米国は、日本以上に(!?)多民族国家であることから、CDCの調査も、アジア系、ヒスパニック系、白人、黒人(※4)別に集計をしてくれています。

ワクチン二回接種済みか否かにかかわらず、致死率が、アジア系<ヒスパニック系<白人<黒人となっていることが見て取れ、なんとなく、ここ二年間で、コロナに関する世界情勢から感じ取ってきたことと整合するようには見えます。

ここであらためて、「因果関係」≠「相関関係」です。

アジア系(の読者が多いこのブログ)は、血筋的というか先天的というか抗コロナの免疫が備わっているひとの割合が多いと読み取りたい気持ちはわかります。実際そのようないわゆるファクターエックス的なものはあるのかも知れません。しかし、これら4つのグループの間では、住環境、経済環境、生活習慣や文化など、感染症に影響する特徴の違いが明確にありそうです。

この点でも、謙虚な分析が必要です。

先ほど、同記事の結語を紹介しましたが、その直前のセンテンスは、

It seems all but certain that some still-invisible difference between people who get the vaccine and those who do not, rather than some unknown benefit of the jab, is to thank (or blame) for the vaccine’s correlative effects.

ワクチン接種済みの人たちとワクチン未接種の人たちとの「いまだに見えざる差異」は、ワクチンの知られざる効能というよりもむしろ、ワクチンの「相関関係的」影響のおかげ(せい)と思えてならない。


※1    The Economist TodayMonday to Friday

※2    ワクチンに限らず、なにごとも(とくに世間一般で当然のこととして受け入れられてしまっている考え方について)新鮮な懐疑の眼差しを持つことはたいせつだと考えております。ただし、これは、ワクチン陰謀論とはまったく別物であることをあらためて強調しなければならないでしょう。「ワクチン接種の世界的キャンペーンは、某IT長者による、人口削減計画が背景にある」とか「ワクチンを利用して全人類にマイクロチップを埋め込もうとしていて誰が何処にいるのかGPSで監視できるようになる」とかを、立証もせずに、デマを広める行為は、ワクチンの効果を鵜呑みにするのと同等以上の非科学的態度です。

※3    わたしはどちらかというとリバタリアンですが偏屈ではないつもりです。

※4    この分類方法が完璧なのかどうか疑問ですが、あえてこのように分類してくれていることは統計を鑑賞する側としてはとても助かります