2010年3月15日月曜日

悪貨は良貨を駆逐する(第三回)

インフレによって経済大国化したスペイン~西ヨーロッパ!?
大それたシリーズを始めると宣言したことに後悔しつつ(泣)、ようやく後半戦に突入であります(汗)。

第三回 スペインの価格革命「銀の大量輸入は国富の増大なのか?」

歴史の教科書を紐解くと、「価格革命」の背景はこのような定説で説明されています。16世紀、特にその後半・・・

①スペインが中南米に植民地を開拓⇒②先住民(インディオ)や「輸入した」黒人奴隷を強制労働させ銀を生産⇒③護送船団によりスペイン(セヴィリア)に運ばれた大量の銀が、ヨーロッパ全域に流通し、激しいインフレーション(価格革命)が発生⇔一方、額面が固定した地代や、賃金の上昇には著しい遅行性⇒④地代に依存する伝統的な封建貴族が没落⇔労働者を雇い工場を経営する新興資本家の集中に資本が蓄積(「利潤インフレ」)。

(山川出版社『詳説 世界史研究』など)

上記④の一例として、メディチ家と並ぶヨーロッパの名門貴族であるフッガー家の没落も挙げられます。 大航海時代まではヨーロッパの最大の銀山を南ドイツに抱えていたフッガー家でしたが、その生産能力が年間約3万㌔㌘程度だったのに対して、1590年代のメキシコやペルーなどからの銀の輸入量は何と27万㌔㌘という10倍近いものとなっており、価格革命の凄まじさが判るということです(ハミルトン『アメリカの財宝とスペインの価格革命』1934)。

新世界産の貴金属が、物価騰貴を通じて、スペインのみならずヨーロッパ全体の経済の拡大に貢献したという見方は確かに通説です(ウォーラーステイン『近代世界システムⅠ・Ⅱ』1981、フランク『世界資本蓄積1492~1789』1978)。しかし、現在では下記のような批判が展開されているようです。

キーワードは「使用価値」と「交換価値」
「物価騰貴は、銀の大量流入が顕著になる以前に始まっており、その主要な要因はヨーロッパの人口が農業生産量の増加を上回る速度で増加したことである。」

とか、

「(西ヨーロッパとの接触により、アジア、アフリカ、ラテンアメリカが低開発地域としてその後長く定着してしまったことは事実だとしても、)アメリカの“地金”がヨーロッパの経済発展に不可欠だったとは言えない」

通説とそれに対する批判と、どちらかが一方的に正しいとは言い切れない「価格革命」に関する論争は、現在の世界経済にとっても、大変示唆に富むものではないでしょうか。今更、マルクス経済学の「使用価値=交換価値」が成り立つ商品経済と、その例外としての労働力市場(=「剰余価値」の源=「搾取」の現場)という考え方の枠組みを持ち出したくはないのですが、アステカ文明とマヤ文明を破壊された中南米の銀山こそは、独占的で搾取的な労働現場、すなわちマルクス経済学が想定する剰余価値の発生地点として見事に洗練、精錬された事例だったと言えるでしょう。

「使用価値=交換価値」が成り立たない例外的な商品は、植民地時代では隷属的な「労働力」だったでしょうが、現在の世界経済においては、労働力よりは寧ろ、当たり前の存在になってしまった「不換紙幣」(fiat money)かも知れません。「インフレという現象に注目する」近代ヨーロッパの発展への『銀貢献』説に批判的な立場の学者も、当時は「不換紙幣」ではなかった本位通貨としての銀の蓄積が、隷属的で低開発的だった植民地エリア(今では新興国!)からの大量の富の収奪である(所得移転である)ことは事実だと言っているわけです。

逆に言えば、貴金属の本源的な価値に注目せず、通貨としての機能だけに注目した貴金属の「発行」量が、流通量が増えたからと言って、単純な貨幣数量説に従って物価が上昇するとか、単純なケインズ的貨幣錯覚に従って資本家が利潤を濡れ手に粟の如く手に入れる、という理屈を批判しているのであります。

「インフレで国家危機?」~「ここ数年はいばらの道??」~意味深長な温家宝発言
スペインの価格革命は、歴史的事実(統計の信ぴょう性)への疑いだけでなく、その解釈や理論においても、マルクス的な要素、ハイエク的な要素、ケインズ的な要素が三つ巴で対立する、とても難解ですが、歯を食いしばって議論するだけの値打のある題材であると思われます。

時に、中国の全人代閉幕に当たって温家宝主席の挨拶で、多くのメディアが「人民元切り上げ要求を一蹴」した点を注目しています。勿論、この点についても、中国の国家戦略は何ぞやと論じる価値はあります。七転び八起きがもっと注目したいのは、会見で「もしもインフレが発生し、所得分配の不公平が重なってくれば、社会の安定に影響し、政権の足元を揺るがす事態になる」と述べた点です。デフレこそ政府や日銀の無策の結果だと多くのメディアに洗脳されている日本人にとっては妙に新鮮な響きを感じる言葉ではないでしょうか。次回は、諸説対立が明らかとなったスペインの価格革命の分析を活かして、温家宝発言を深読みして行きたいと考えております。
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2010年3月8日月曜日

悪貨は良貨を駆逐する(第二回-後編)

悪貨は良貨を駆逐する(第一回-前編)
悪貨は良貨を駆逐する(第一回-後編)
悪貨は良貨を駆逐する(第二回-前編)
週末の「人民元のドルペッグ見直し発言」(中国の中央銀行総裁)もあり、「“実勢”に合わない固定相場を押し付けることが、そんなに害があるのか?」という議論をやっておく必要を感じました。

そもそも、昨年の今頃は、ガイトナー米財務長官に「為替操作国」と名指しされた中国が、足元では、米国の台湾への武器輸出や、オバマ大統領のダライラマとの会談(これまでの大統領とも会ってはいるのだが・・・)、おまけにグーグル検閲問題など、敢えてこの米中外交の軋みの最中に、為替(操作)問題で譲歩するというのも何か裏がありそうではあります。世界中の“自称”為替評論家が、声を揃えて、中国の人民元は米ドル(や日本円)に対して“実勢”ではもっと高い筈と言っているのですが・・・

「天は二物を与えず」と言うけれど

リカードまで遡る自由貿易礼賛論(自由貿易は弱肉強食による優勝劣敗ももたらすものではない。寧ろ、保護貿易より自由貿易のほうが、お互い得だという考え方)。実はアダム=スミスはおろか、ケネーまで遡るのですが、リカードの(発展途上国に対して開国と貿易自由化を求める「慇懃無礼」な)説明の仕方がユニークなため、その喩え話が自由貿易論の元祖の如く語り継がれています。

数学と経済学の天才であったサミュエルソンですら、経済学の中で直観で判りづらい有数の箇所のひとつとして挙げた比較優位(⇔絶対優位)の話。為替(相場)の代わりに、賃金を変数として用いることで、比較優位の話を、弁護士と秘書に置き換えるというのが、判りやすい経済学の定番になっています。

裁判で勝つための「ああ言えばこう言う」能力に長けた弁護士は、事務能力も高いことは良くある話です。裁判所に提出する文書なども、自分で作ったほうが早いのに、何故秘書を雇うのでしょうか?

依頼人の弁護のために調べ物をしたり作文をしたりすることに要する時間が3時間。それに関わる雑務を処理する時間が30分だとしましょう。秘書は、前者の仕事は出来ない、または経験の乏しいパラリーガルだとして、24時間、後者は何とか1時間掛けて出来るとします。どちらも、弁護士本人がやったほうが効率的なので、この場合、弁護士には「絶対優位」という言葉が当てはまりそうな気がします。

しかし、時間に対するコスト、つまり賃金(=弁護士にとっての機会費用)に柔軟性を持たせると話は変わって来ます。弁護士が「前者(依頼人関連の頭脳労働)から得られる報酬」/「要した時間」を時給3000円だとしたら、秘書を時給1500円以下で雇える場合、その弁護士は(自分より作業効率の悪い)秘書でも良いから雇って、それによって空いた時間を頭脳労働に振り分けたほうが良いということになります。一見、「絶対優位」に見える状況が、賃金というパラメータのお陰で「比較優位」に化けるというのが自由貿易(≒国際分業)の発想の原点です。

ベルリンの壁崩壊直後の東西ドイツ

トヨタ問題が尾を引いている今日でも、自動車(産業)はまだ日本に「比較優位」がある一方、穀物全般は米国に「比較優位」がある。。。こういう使い方は、あくまで直観であって、一見すると全産業が対国際比で見劣りするような国であっても、産業間の比較生産費に違いがあれば、交易のメリットがあるのだ、というのが前節の言い換えとなります。

まさに、ベルリンの壁崩壊直後の東ドイツこそが、そのような状況にあったのです(全ての産業で、西ドイツよりも効率が悪かった)。そこに、ドイツ統一による東ドイツ側へのメリット提供というメッセージも込めて1西独マルク=1東独マルクとやっちゃったために、東ドイツ側では旧国営企業の倒産が相次ぐなど、設備稼働率の大幅な悪化と失業率の大幅な上昇に見舞われ、経済破綻寸前まで行き、ドイツ統一の立役者であるヘルムート=コールは、東独視察時に民衆に卵を投げつけられるなど、色々なエピソードを生みました。

ここで、経済破綻を徳俵一本で救ったのは、通貨統合のやり直しではなく、また東独労働者の(最低)賃金切り下げでもなく、労働と生産技術の移動でした。効率性の高い工場が存在する西独へと東独労働者が「出稼ぎ」に行くことと、西独の民間製造業者が東独に生産拠点を設ける(移す)ことの両方が、ベルリンの壁さえ取っ払えば可能だったという当たり前の事実こそ、本来自由度を構成しなければならない、為替と労働賃金というパラメータが硬直化していても東独経済を死滅させなかった要因だったのです。

中国を“ハブ”とした通商摩擦が、果たして人民元問題として解決可能なのか、または人民元切り上げでしか解決不可能なのか?この問題を考えるとき、東西ドイツのマルク統合の事例は、またとない事例というか実験だったと言えます。与党も野党も大衆に迎合して最低賃金を云々している我が国が、人民元問題に触れずに中国と競争をしていくためには、残されたパラメータは、生産要素自体の移転(およびODAなど所得の移転(≒経済援助)の見直ししかないということです。米中ではどうでしょうか?

(参考文献)アダム=スミス『諸国民の富の性質と原因の研究』、デヴィッド=リカード『経済学および課税の原理』、竹森俊平『プログレッシブ経済学シリーズ 国際経済学』(東洋経済新報社1994年)特にp95~p100
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2010年3月5日金曜日

【おまけ】宋文洲さんとツイッター

「大」への決別、「大」の敗北

拙書「“為替力”で資産を守れ!」で対談のお相手として御参加くださいったソフトブレーン創業者の宋文洲さんが、かの田原総一郎さんとの“共著”で「中国人の金儲け、日本人の金儲け。ここが大違い」という本を上梓されました。

宋文洲さん御本人は、出版社側に押し切られた営業目的のタイトルが少々お気に召さないようですが(笑)。

今朝、配信された宋文洲さんのメルマガによると、このような内容の本です。

「売上げにこだわると必ず利益率が悪くなる。規模にこだわると必ず顧客視線が薄れる。AIG、シティバンク、GM、JAL、そしてあのトヨタでさえ。第二位の経済大国にこだわる限り産業構造の転換が難しい。」

「100年に一度の金融危機が多くの人々に反省の機会を与えてくれました。当然私も例外ではありません。3年前の自分が信じていたことの多くはすっかり変わってしまいました。その反省を込めて「より大きな会社、より大きなシェア、より大きな儲け」という「大」へのこだわりに警鐘を鳴らしたいと思っていました。」

更に、田原総一郎さんのまえがきより・・・

「中国は人口13億以上の大国、しかも歴史的な常識からすれば頭が固いはずの共産党が独裁を続ける国である。にもかかわらず、国や企業の決定に至るプロセスが恐ろしく速く、変化への対応がきわめて機敏だ。何事も後手後手に回る日本とは大違いである。」

「なぜ、日本人と中国人は、かくも違うのだろうか。そんな疑問を抱き、答を探しているとき、私は宋文洲さんと出会った。・・・ソフトブレーンは、2000年に東京証券取引所マザーズ上場、04年に東証二部上場、05年に東証一部上場と、祖国の発展を先取りする急成長ぶりだ。しかも宋さんは、一部上場を果たした翌年1月1日付で取締役会長になり、同年8月末にはそれも退いてマネージメント・アドバイザーになっている。こんな発想をする日本人経営者は、ちょっと思い当たらない。」

「宋さんの主張の一つは、日本あるいは日本人は「大」にこだわりすぎていないかということだ。」

タイトルに御不満の宋文洲さんの「つぶやき」

「皆さん、どう思います?。このタイトル→「中国人の金儲け、日本人の金儲け ここが大違い」。田原総一朗さんと出した本ですが、タイトルが出版社の拘り。営業しやすいという。」

この宋さんのつぶやきに対して、あるフォロワーは「品が悪い」と一言返事していましたが、七転び八起きの返事は以下の通りです。

「大(企業の終身雇用)にこだわるのは中国人との違いというよりは、いまや日本(の中途半端なホワイトカラー)だけに残された痕跡器官なのでは。とくに、公務員、金融、組立加工業のような分野で、その弊害は臨界点に達していると思います。」

一回あたりの文字数が140字までなので・・・

「 スミマセン。もうひとつ重要なのを忘れてました。記者クラブという既得権益に縋る巨大メディアも、です。 」
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2010年2月26日金曜日

悪貨は良貨を駆逐する(第二回-前編)

またしてもゴールドマン=サックスか?
何しろ、今月は1月後半からのユーロ暴落を受け継いだ一ヶ月でありました。通貨ユーロの激震の震源地は、少なくとも今のところはギリシャです。
2009年12月17日「ギリシャの悲劇」
2009年12月18日「ギリシャの悲劇-その第二幕は?」
今、何やらゴールドマン=サックスの関与が調査され始めているデリバティブを通じたギリシャの「粉飾」疑惑に対して、統一通貨の矜持を示すべくモラルハザードの恐れの高い支援に後ろ向きなのが、統一通貨の産みの親とも言えるドイツの立場であり正論です。

驚嘆に値するギリシャの言い訳
しかし、物事はそう単純ではないというのが、一昨日ツイッターでも呟きました英フィナンシャルタイムズの報道内容です。

ギリシャの副首相が「ナチスドイツが大戦中に強奪したギリシャ中央銀行の金塊をまだ返してもらっていない」と。

ユーロ通貨導入の立役者である以前に、東西ドイツの通貨をも含む統合の立役者でもある、ヘルムート=コール首相(当時)は、政治信条としては、レーガノミクスやサッチャーリズムに近い保守主義であります。現在、日本をはじめ多くの国々で、規制緩和路線の保守主義は「市場原理主義」というレッテルを張られ、評判が頗る悪いようです。

しかし、通貨統一の大前提は、各主権国家の通貨発行権(シニョレッジ)の放棄であります。文系エリートの人気就職先である各国中央銀行(?)の機能放棄という犠牲を求めてまでして、自国通貨下落競争を根絶させ、自由競争のための公平な土俵を確保するという考え方。これは、「嘘ではない」金本位制が現代資本主義社会では非現実的になってしまった以上、ぎりぎり実行可能な次善策であり、正論なのであります。

EUが「多民族国家」であることを忘れてはならない
ワルシャワ機構が自壊する中で、コール首相(当時)の主張が、英サッチャーだけでなく、むしろより一層、社会党の仏ミッテランに受け入れられ、独仏の一枚岩が東西ドイツ統合と欧州統合のエンジン部分だったというのが、極々最近まで報じられてきた「現代西洋史」でした。

ですから、昨年9月にFT紙がスクープした英国の秘密文書は、とても意外な事実の暴露であったわけです。
2009年9月10日ベルリンの壁崩壊はヒトラーの再現より酷い

ドイツの首相(Chancellor)としては、かのオットー=ビスマルクに次ぐ在任期間を誇るヘルムート=コールの政治手腕が、ギリシャ危機(はたまたPIIGS危機)の今日こそ、問われているとも言えます。次回はいよいよ、当時の実勢をまったく無視した「1東独マルク=1西独マルク」という交換ルール(但し、東独国民1人あたり4000マルクまで、それを超える部分については実勢に近い2:1という交換比率が適用されていた)を、西ドイツ政府、西ドイツ中央銀行(ブンデスバンク)の猛反対を押し切って政治決断した考え方の根拠とその影響について書いてみようと思います。
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