2011年6月23日木曜日

本日のイチ押しブログ

まずは、ドイツ文学翻訳家・口承文芸評論家の池田香代子さんのブログ

政治家への幻想が霧散した 福田さんと菅さん

福田康夫元首相(≒自民党総裁)については、見事にちょうど3年前、やはり東北地方で起きた大地震の直後のわたくしのブログを参考文献として再掲させてください。二世議員、世襲政治家のなかで例外的に評価していた内容です。

人命は地球より重い

もうひとつの参考文献は、何故こうも日本だけ、過半の首相が1年前後という短命で任期(≒人気!?)を失うのか・・・その黒幕について考察したブログがこちら。

泣いた赤鬼と椿姫と小沢一郎

小沢一郎氏以上に、福田康夫氏のほうが、椿姫的な意味の犠牲者、ただ「あなたとは違うんです」と逆上した以外は、本当の辞職理由を胸中に秘めていたわけです。

イチ押しブログのもうひとつは、元岩波映画製作所のフリージャーナリスト田原総一郎氏の

「市民運動の論理」を強める菅首相の狙いは「8月の暑い日」

最後に、、、わたしは菅政権は、過去の反米政権と異なり、必ずしも短命には終わらない可能性があると考えています。日中国交正常化から第七艦隊発言や普天間基地移転問題などの外交軍事、郵貯簡保から邦銀の不良債権処理や保険分野の開放問題など金融経済、どこをとっても米国の尻尾を踏んだリーダーたちはほぼ例外なく、それも或る意味「静かに」、消されてきた我が国戦後政治史のなかで、米国自身の変調、つまり金融機関がグローバルスタンダードを押し付けられなくなってきていることや、イラン・イラク・パキスタン・アフガニスタン外交が制御不能に陥っていること、そして一番肝心のエネルギー問題では、米国=原発とも言えず、米国=石油とも言えなくなってきている点などを注目すべきです。

ただし、もしも菅首相が「地熱だけで我が国のエネルギーを100%自給させる」とでも発言したら、過去の短命政権同様、すぐに、静かに、消されるでしょう。しかし、それほどおバカではないと思います。
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2011年6月20日月曜日

江戸川橋の由来とカルパッチョの語源



生肉や生魚の料理を総称してイタリア語ではカルパッチョと言うと思い込んでいましたが、その語源が、ベネチア派の画家の名前であることを数時間前に知りました。
http://gogen-allguide.com/ka/carpaccio.html

多くのカクテルがイタリア人画家の名前を冠していますが、桃とスプマンテから造られるベッリーニも、カルパッチョ同様、ベネチア派の画家から取られており、いずれも名付け親はベネチアの有名なハリーズバーだそうです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Harry%27s_Bar_(Venice)

語源というのは実に面白いものですね。先週末土曜日のテレビ東京の「出没!アド街ック天国」は、江戸川橋がテーマでした。河川法が施行されるまでは、神田川の一部が江戸川と呼ばれていたこと。現在その名を唯一残す江戸川橋付近で、上下水道が分けられていたこと。それゆえに、その高台の椿山荘のあたりの地名が「関口」となっていること、神田上水と(同じく文京区の地名である)水道(橋)との関連などなど、たいへん勉強になりました。

さて、江戸川橋と言えば、7/25(月)開催予定のフェニックス証券第二回チャリティオペラコンサートの会場である「絵空箱」。同番組の25位で“地味に”紹介されておりました。

いま、「絵空箱」のホームページを拝見すると、中でのパフォーマンスの様子がアップされています。
絵空箱冩眞館

そして、花より団子、オペラより飲食とおっしゃる方々も大勢いらっしゃると思いますので、「絵空箱」のドリンクメニューとフードメニューを。カルパッチョやベッリーニがあるかどうか、どうぞご自身の目でご確認なさってください。

なお、7/25(月)の演目に、ベッリーニはございませんが、かわりにドニゼッティがございます。どうかお楽しみください。
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2011年6月10日金曜日

曲目ほぼ決定-第二回フェニックス証券チャリティオペラコンサート




チラシも昨日、印刷が仕上がりました。すでにチケットをお求めいただいたお客さまには、順次ご手配をさせていただきます(置きチケット+当日清算も御指示いただけます)。


さて、曲目ですが、


(前半のプログラム)

ドニゼッティ作曲「ドン・パスクワーレ」から

ノリーナのアリア「騎士はあの眼差し」

ノリーナとマラテスタの二重唱「用意は良いわ」

ドニゼッティ作曲「愛の妙薬」から

ベルコーレのアリア「昔、小粋なパリスがしたように」

アディーナとネモリーノとベルコーレの三重唱「ラララ~トラントラン」

ネモリーノのアリア「人知れぬ涙」


・・・休憩時間、「絵空箱」の素敵なバーでたっぷりとドリンクタイムを・・・


(後半のプログラム)

ヴェルディ作曲「リゴレット」から

ジルダのアリア「慕わしき御名」

リゴレットのアリア「悪魔め鬼め」

マントヴァ侯爵のアリア「女心の歌」

ヴェルディ作曲「トロヴァトーレ」から

ルナ伯爵とマンリーコとレオノーラの三重唱「夜は静まり返っている~酷いことを!」


終演後も、追加ドリンクチケットでお時間の許す限り、バータイムをお楽しみいただけます(曲目の変更はお許し下さい)。



ドリンク券800円が付いて3000円にてチケットを販売中です。残りわずかになっておりますので、ご予約はどうかお早めに。

(チケットのお申し込みはh.niwa@phxs.jp まで)
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2011年6月6日月曜日

原発全廃を決めた独メルケル首相のスピード感

対岸の火事だと放置しても良さそうなドイツで全原発一時停止が決定された頃、爆心地の我が国では浜岡原発ひとつ止めることが出来ていませんでした。反原発(わたしもそのひとり)の一部からは、菅首相のリーダーシップの欠如を指摘する声があった一方、一転して浜岡停止の勧告(命令ではなく「お願い」)に際しては、自民党や経団連から「根拠を示せ」という批判、地元自治体である御前崎の町長からは「相談がない」との恫喝がありました。

日本のリーダーは誰がやっても大変だというのは、いよいよ、国民のコンセンサスになってきていると、菅総理退陣「示唆」後の世論調査でハッキリとしてきています。

この前後、メルケル首相率いる与党は、(反原発へと政策転換したものの)地方選挙で緑の党など野党に惨敗したのに対して、我が国では統一地方選などでエネルギー政策が争点としてそれほど注目されずに民主党系は惨敗、むしろ原発推進派の首長の当選が目立ち、その究極が、昨日の青森県知事選挙でありました。

さて、ドイツと日本は、なんとなく、似ている国だという印象を持っている方々が少なくないのではないでしょうか。わたしもそのひとりでした。製造業を中心とした加工貿易立国、労働者の権利が強い終身雇用制度が残っている珍しい国であり、何と言っても、熱狂によって議会制民主主義が否定され全体主義が支持された結果、第二次世界大戦で共に闘い共に破れた「仲間」であります。

しかし、敢えて情けないと書かせていただきますが、青森県の結果は、ドイツと日本の大きな違い、地方分権の歴史がドイツは長く、日本はゼロであること、前者はそれにより統一の遅れ、植民地戦争への参加が英仏に遅れたことが、19世紀から20世紀前半の大きな不幸の原因でもあったわけですが、首都一極集中というイギリス、フランス、日本のようなことになっていない点は、反原発の草の根運動が広がりやすい要因のひとつだと思われます。

(ちなみに、どうでもよいことですが、ビール工場ひとつとっても、日本と異なり、ドイツは一極集中しておらず、地域分散、地産地消が原則である点、申し添えます)

もうひとつわたしが「珍説」として指摘したいのが、雇用制度です。前述の如く、雇用制度(≒労働法制)ではドイツと日本は何となく似ているのではなかったかと書きました。どうやらこれが最近大きく変わって来ているようです。

日本では、非正規雇用の割合が増えたことは、逆に大企業などの正規雇用された社員の既得権益を不健康にまで高め、同一労働同一賃金の必要性が今日問われているところです。

ドイツでも終身雇用が完璧に崩壊したわけではありません。が、もともと、「正社員」の解雇には、日本のような異常な制約はないようです。
http://www.jetro.go.jp/jfile/report/07000115/0908R3.pdf
詳しく書く余裕はないですが、ホワイトカラーにはホワイトカラーなりの雇用の流動性が、ブルーカラーにはブルーカラーなりの雇用の流動性が確保されているようなのです。ただし雇用改革は道半ばとの声もあります。

ドイツの雇用改革が道半ばだとしたら、日本で、大企業正社員が既得権益を保持しつつ、派遣や請負など一部だけ自由化を進めてきたのは、改革に逆行していたと言わざるを得ません。

このようなことをわたくしが考えるきっかけになったのが、土曜日夜CSで放映されていた朝日ニュースターの「ニュースに騙されるな」のなかで慶応義塾大学の金子勝教授が「東京電力の社員でも経産省の役人でも若手中心に半分くらいは『原発は良くない』と思っていると思うが、立場上言えないだけではないか」と発言していたことです。

有能な(または自身のある)ビジネスマンやテクノクラートが言いたいことを(実名で)言い、その結果、そのときの雇用主と反りがあわなくなっても或る程度簡単に新しい雇用主を探せるようになれば世の中は大きく改善するでしょう。

雇用主からすれば、クビにしやすい制度ほど、雇いやすい制度なのです。

役所にせよ大企業にせよ、或る程度の学歴がないと入れない組織というものは、かつての秀才たちを、何十年か掛けて、転職しようとしても使い物にならない社畜にしてしまうところがあり、残念なことに未だにこんなことをやっているのは、世界広といえども日本だけになりつつあるようです。

地震や津波や原発事故の被災者や犠牲者のみなさんの苦労や魂に報いるために最も大事なことは、正しいことを、立場を問わず、主張できる社会の枠組みに日本の社会を大転換することではないでしょうか。
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2011年5月27日金曜日

絵空箱-あるいは絶望と希望



わたしが好きなものは、美しい音楽と、美味しい飲み物と、すべらないFXです!

楽しい舞台、滋味溢れる食べもの、すべらないギャグも、もちろん大好きです。

実は、、、先週末、そのうちのふたつ、舞台と飲み物の道を極めた男性との素晴らしい出会いがありました。

舞台俳優の方々のなかで、その舞台の活動だけで生活できている人は殆どいないと思われます。オペラの世界もほぼ同じです。わたしが出会った方は、バーテンダーの仕事が生活の手段であり、舞台演劇が人生のやり甲斐だったのです。のちにバーテンダーの仕事は手段からやり甲斐に昇格、昼夜働いて働いて自己資金を貯められて、一級品のバーと一体化した舞台空間を江戸川橋の地に作り、ふたつの夢を同時に実現されました。

そんな独特の小空間がオープンしたのが今年の3月10日。地震の前日です。

激しい揺れは、大切なグラスやボトルを無残に砕き、また先々まで埋まっていた筈の舞台の予約も軒並みキャンセルとなりました。夢が実現したと思った矢先の悪夢で、劇場支配人 兼 バーテンダーは毎晩近所の酒場で酔いつぶれていたそうです。

絶望の背景は、それだけではありません。舞台人として、多くの同胞が食べること寝ることという最低限のこともできずにいるなかで、舞台を楽しんでもらうという緊急性のないことをやる意味を自問自答してのことでもありました。

反吐が出るまで悩みぬいた劇場支配人が決断したことは、そのバー併設小空間を、9月まで(電気代以外)無料で開放するという内容です。

その劇場支配人(兼オーナーバーテンダー)のなまえは吉野翼さん。バー併設の舞台のなまえはパフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』です。

四川大地震・岩手宮城内陸地震のチャリティ・オペラ・コンサートから2年半が経ちました。わたしは、吉野翼さんと出会い、話し込み、意気投合し、即座にフェニックス証券(テアトロ・ラ・フェニーチェ)第二回チェリティ・オペラ・コンサート開催を決めました。

フェニックス証券の社名(イタリア語ではフェニーチェ)そのものズバリ、被災地の復興を確信し、音楽を奏で、歌声を届けます。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

出演:奈良原繭里(ソプラノ=写真)、石川雄蔵(テノール)、丹羽広(バリトン)/吉田彩(ピアノ)



曲目:ドニゼッティ「愛の妙薬」と「ドン・パスクワーレ」の名場面、ヴェルディ「リゴレット」の名場面


(わたくし以外)プロの素晴らしい歌声と演奏ということだけでなく、わたしが知る限り舞台に併設された施設としては初の本格的な内容のバーでのお客さま同士の歓談のひとときも充実していただくべく、プログラム(含む休憩時間や終演後の時間の確保など)を工夫して参ります。詳しい内容は、つぎつぎとこちらのブログで更新して参りますので、どうかフォローのほうをよろしくお願い致します。




なお、フェニックス証券(テアトロ・ラ・フェニーチェ)では、10月以降に、今回の第二回チャリティ・オペラ・コンサートの出演メンバーを中心に、


☆平日の開演時刻を19:00以降の遅めにし、仕事帰りのサラリーマンやOL(←この書き方にはたいへん問題がありますが慣用句としてお許し下さい)のお客さまにお越しいただきやすくする

☆バーカウンターでお客さま同士の語らいと一級品の飲み物も余裕を以って楽しんでもらう

ために、しばしば長すぎるというオペラ公演の欠点を克服すべく、

☆一本のオペラを毎日一幕ずつ上演する


という新しいコンセプトのオペラ公演を、同じく江戸川橋の「絵空箱」を一週間借り切らせてもらい、実行する予定です。今回の7/25(月)のイベントはそのプレ企画との位置付けです。

チケット代はドリンクチケット700円を含む3000円(6月1日発売開始)と設定させていただき、諸経費を除いた全額を義援金と致します。第一回チャリティ・オペラ・コンサートとときと同様に、実施後会計報告をさせていたきます。
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2011年5月25日水曜日

ちょっと儲かった



残念ながらフェニックス証券のことではありません。

リーマンショック後、巨額の国庫負担で公的管理下となったAIGの発行株式の再上場のおはなしです。
http://online.wsj.com/article/SB10001424052702304520804576343203093719010.html?mod=WSJASIA_hps_LEFTTopWhatNews

AIGの株価は年初から4割程度下落したため、今回の売り出し価格(仮条件レンジの下限の29ドル)は、米財務省の取得減価をわずかに上回ったにとどまり、第一次売出後の政府持株比率も74%と、独立民営までにはまだいくつものステップが必要となっています。

さて、公的資金の注入と(配当と)回収による国民負担(税負担)と言えば、先月29日付の日経新聞の記事が気になっていました。

「政府が1990年代後半以降の金融危機で大手銀行や地方銀行の経営健全化のため資本注入した約12兆円の公的資金について、預金保険機構による回収の結果、今年3月末までに返済時の上乗せ分として累計約1兆5000億円の利益を得たことがわかった。」

米国のGMやクライスラー(やAIG)のように、本邦の預金保険機構も、(納税者にはプラス、公的管理前の株主にはマイナス、という意味で)ハゲタカディールで成功を収めてくれたのかと思いつつ、糠よろこびではないのか半信半疑でした。いまこの記事に検索を掛けても電子版からは消去されているようです。

http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819481E0EBE2E2E68DE0EBE2E6E0E2E3E39797EAE2E2E2 ↑リンク切れ

預金保険機構の広報を見ますと、確かに、資本注入という分野で見れば、注入額12.7兆円に対し回収額10.8兆円(残金1.9兆円)のところ取得原価との差額が1.5兆円と発表されており、記事の内容と合致しています(2011年3月11日現在)。

しかし公的資金というのは資本注入だけではありません。金銭贈与(18.9兆円)、資産買い取り(9.8兆円)など他の巨額分野があり、前者の金銭贈与のうち10.4兆円分については国民負担が確定しているとあります。
http://www.dic.go.jp/katsudou/katsudou1-4-20101224.html

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2011年5月20日金曜日

スペインの痛み

タイトルのFT紙の記事によれば、スペインの若年失業率は、約45%だそうです。

http://www.ft.com/intl/cms/s/0/408cb194-8242-11e0-961e-00144feabdc0.html#axzz1Mf8MyXSm

我が国でも新卒採用については超がつく氷河期と言われていますが、二人に一人が失業というスペインの状況には、ユーロ圏ならではの財政金融政策の制約も背景にあるでしょう。同じような資産バブルの崩壊後にもしも日本も同じように放置されていたらスペインなどの南欧ユーロ圏と同様になっていたのかも知れません。

しかしわたしはケインズ政策が必要悪だという論者ではありません。もうひとつ、大小の違いはあるものの震災に見舞われた両国に共通するのは、過保護で歪んだ労働市場と、かつての出稼ぎの時代にはあったハングリーさの喪失による労働者の質の低下ではないかと思います。

記事の表題の
Pain in Spain drives young people’s protest
は、もちろん、ミュージカル映画マイフェアレディのなかでエリザ役のオードリー・ヘプバーンが口パクで歌った
Rain in Spain stays mainly in the plain
を踏んでいます。
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2011年5月19日木曜日

5月6日の大暴落

5月6日と言っても今年ではなくておよそ1年前のことです。バンカメが黒か白かで話題になった相場操縦なのかシステムトラブルなのか何が何だかわからない相場変動でした。ニューヨークダウが瞬時に700ポイントも乱高下した前後は現在と同じギリシャ危機の最中。外国為替証拠金(FX)取引でも大損した方、大儲けした方、双方いらっしゃったと思います。

あれから一年経って、 米SECが電子プラットフォームの欠陥に関する調査を行なう(調査対象にはナスダックを含む)と英FTが報じました。

http://www.ft.com/intl/cms/s/0/bfd0e94e-81a6-11e0-8a54-00144feabdc0.html#axzz1Mf8MyXSm

しかし、この記事の面白いところは、システムエラーの原因についてよりも、より重点的調査分野があるとしていて、それが「全ての取引参加者に同時に公平に価格配信がなされているかどうか?」という関心事であるということです。

世界の金融商品取引所は、半官半民組織から、民営化、公開会社化を経て、敵対的買収を含む合従連衡の流れでありますが、その主導権確保のために、取引サーバーのコロケーションなどのオプションメニューなどで大口取引参加者への優遇や取り込みが常識化していたなかでの、この論点の指摘が流れの変化を意味するのか?だとしたら、どのような時間軸で時計が逆回りするのか、たいへん興味を抱かされるところです。

それにしても、ここのところのFT紙は、米紙が取り上げない、金融不正やゴールドマンをしつこく追い回す記事が目立っています。
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2011年5月18日水曜日

ゴールドマンサックス、投資銀行部門の幹部人事を刷新

昨日のFTの記事です。

http://www.ft.com/intl/cms/s/0/1194c800-7fdf-11e0-b018-00144feabdc0,dwp_uuid=ffa475a0-f3ff-11dc-aaad-0000779fd2ac.html#axzz1Mf8MyXSm

この記事の前半に、いかにも英国紙らしい言い回しがありまして、「投資銀行(部門)が同社のドル箱的な地位をトレーディング部門に譲ってから長く久しいが・・・」。

そもそも投資銀行とは何かという話を、このブログでは、リーマンショック前後からしてきましたが、知る人ぞ知る事実として、われわれが何となく投資銀行と定義していた金融機関は、かなり投資銀行ではなくなってきていたのであり、またそれは日本市場だけの話ではなかった、更にはフランチャイズ構築をあきらめてトレーディング頼みで収益だけを追求するスタイルに開き直った一部欧州系銀行だけの話ですらなかったことを言いあらわしております。
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2011年5月10日火曜日

ウサギマミレ、マレニネコ





フェニックス証券が間借りしている八重洲の不二ビル1階「不忍画廊(SHINOBAZU GALLERY)」で開催中の絵画展の御案内です。http://www.shinobazu.com/exhibitions/index.htm
http://www.shinobazu.com/artists/2011usagi/index.htm
2011年5月9日(月)~28日(木)日休廊。



開催初日の昨日、画廊の横を通りがかったときは、珍しく(失礼!)賑わっていました。今回の催しは、珍しく、入場無料ではないのですが、入場料1000円は全額寄付されるとのことです。
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2011年4月27日水曜日

ニューヨークタイムズ紙の取材に応じた3人の「反原発」政治家

わたくしのブログの影響力(・・・・・)を以ってしても、浜岡原発ひとつ停止できないという現実があります(!?)。

それはさておき、今朝のニューヨークタイムズ紙オンライン版の巻頭は、「福島第一原発の事故は『原子力村』の談合体質による人災だ」という記事でした。

鍵括弧つきで『原子力村』と言いあらわされているのは、東海村や六ヶ所村などのことではもちろんなくて、電力業界、経産省(保安院を含む)、政治家で構成する不透明な談合であり、活断層の発見や過去にあった津波の高さ(で今回の3.11と同程度のものが存在したという事実)や、トラブル隠ぺいに関する長い歴史などが発見されてもそれらを無視して原発を推し進めようとしてきたパワーエリートたちの権益の源となっているものだと、同米紙は説明しています。

日系アメリカ人で元GEのエンジニアとして福島第一原発の設計に関わった人物のインタヴュー内容から始まるこの記事は、2000年に検査官の立場で原子力保安院にトラブル隠ぺいを指摘報告。ところがこれが暴露されると補修に莫大な費用が掛ることが判るや、当局はこの元エンジニアを「村」八分にし、保安院自らが直ちに調査に乗り込むべきところを、東電お手盛りの内部検査で有耶無耶にしたと説明しています。

普通選挙による民主主義が備わっているように見える日本で、この顕現化された危機に及んでも、革命などによるウルトラCがなければ、政権をとれそうな政党のなかから反原発の政策を支持選択できないカラクリの説明で、この長い記事は締めくくられています。

この記事に登場する3人の「反原発」政治家を紹介します。

日本共産党 吉井英勝氏
政党自体が反原発ですから、御自身のホームページでも明快に主張されておられます。
ただし、別件ですが、わたくしは「TPP反対!」には必ずしも賛成できません!!

自由民主党 河野太郎氏
言わずと知れた既得権益の権化の老大保守政党のなかの一匹狼。今回の彼の動きはもっと注目されるべきだと思います。ついでに、彼のお父様が新自由クラブを作ったという暴挙も今まさに再評価されるべき。ただし、所属政党は所詮自民党ですから、ブログの内容は表現に苦心が見られますorz

民主党 大島九州男氏
ニューヨークタイムズ紙によれば、彼は立正佼成会に支持されており原子力村の支持されていない(支持される必要がない)からハッキリモノが言えるのだとインタヴューで付け加えていたそうです。そして最後に、「すべては金にまつわるんですよ」と。

原文はコチラ。ちょっと長いです。
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2011年4月21日木曜日

原点に戻る-金融と原発と中国の貧富格差

わたくしがブログを始めた ちょうど3年前に、その執筆動機としていたのが、国内外のマスメディアの取り扱う内容の格差でした。

巨大地震が発生してから一ヶ月以上が経った今日、また別の意味で、情報ギャップは著しいままであると言わざるを得ません。

この記事の執筆時点で、英FT紙オンライン版が大きく取り上げている記事として、

①HSBCの新社長、大規模なリストラを計画か?

リーマンショック直後に買収した米国の旧ハウスホールド銀行「由来」の個人向ローンの事業や、中南米での事業が不振であることに加え、ここのところ英FT紙が精力的に報じてきた英国の金融規制の強化も泣きっ面に蜂なのだろうと考えられます。が、同業他社に比べて、経費率が悪すぎることも新社長は指摘。

何も外資系金融機関に限った話ではないのが、大企業経営の経費率を悪化させる要因として、高学歴、高知能の割に事業にあたってのパフォーマンスが優れない経費率の高い幹部社員が大量に居座ることです。

しかも、銀行における「文系」社員だけでなく、原発関連で、高学歴、高偏差値の人種が、官側、民側問わず、危機にあたっては実に役に立たっていないという現実。どうやら応用技術一般に日本の国力を支えてきたのはこのひとたちではなかったと改めて感じます。

原発と言えば、

②インドの原発建設で反対デモが激化、死者も

仏アレバ社が1兆円相当の契約を実現する寸前だったが、福島第一原発で「多重の安全装置も機能しないことが判明したというのに何故原発を進めるのか」とエンジニアや原発のエキスパートが地元住民に加わり暴徒化。

これに比べて、日本の能天気は一体どういうことかと思わせるのが、朝ツイットしたこのブログ

最後に中国関連で二つ
③中国政府、格差問題を収束させるために、税制改正を実施へ
もうひとつは米WSJ紙ですが
④中国高官「強い人民元はインフレ対策に有益かも」と公式発言
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2011年4月18日月曜日

みんなの党は本当に「みんな」の党なのか?

みんなの党のエネルギー政策がどうなっているのか、以前あまり聞いたことがなくて、ネットで検索をしてみたら、先週末になって、

電力再生アジェンダ(案)~原発ムラの利益を守るのでなく、国民を守る!~

なるものが発表されていたようでした。

表題は兎も角、なかみを読むと、同党の表向きのイメージとは真逆の切れ味の無さに愕然としてしまいます。まるで既に政権を握ってしまって「広義の原発村」の既得権益に縛られた無能な与党の歯切れの悪い釈明文にしか読めません。

有権者がみんなの党のアジェンダをわざわざ読もうとするとき、この国で仕事をし生活をしていく価値があるかどうかという高い意識で文面をチェック場合に限られるでしょう。この文章を読んでも、そもそも原発をどうするか何も書かれていません。もちろん、否定されていないのですから、結論肯定であり、みんなの党は、自民党、民主党(、そして公明党)と同様に、原発賛成派であるわけです。

残念ながら日本の有権者は、社会主義政党以外では反原発の政治家、もとい、政党を選べない状況にあります。大連立以前に、原発政策については、大政翼賛体制が出来てしまっているのです。

さて、冒頭に「広義の原発村」と書きました。電力会社、経産省(下の保安院)、メーカー、地元悪徳政治家だけでなく、米国利権や金融(特に電力会社やメーカーに大口融資を行なっているメガバンク)を含めて申し上げています。みんなの党の言う「電力再生委員会」なるものが経産省下ではなく内閣府下の置かれることの意味(金融庁も内閣府下)、債務超過認定(⇒100%減資)自体がお手盛り審査になる恐れが免れないのは当然ですが、銀行融資や電力債などの負債処理についてははっきりと書かれていないことにも注目です(読みようによっては、ペイオフ解禁後の銀行一時国有化スキームより酷いモラルハザードの恐れあり)。 誤字も目立つ威勢良いだけの原発アジェンダは、名目経済成長を過度に重視すれば、得をするのは、メガバンクや大手製造業など一部の特権階級に過ぎず、国民「みんな」ではないというトリックを映し出しています。

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2011年4月13日水曜日

反省だけなら猿でもできる。反省すら出来ない日本は猿以下なのか!?

人間の叡智には限界があります。

金融の分野で言えば、バブルが弾けるまで、それをバブルと気付かない人々が殆どである状況、、、それこそがバブルの本質だと説明するとトートロジーみたいですが、、、金融のプロとして生き残るひとは、ロスカットを早く実行することと、同じ(種類の)バブル(≒過ち)を繰り返さないことを鉄則としています。 わたくしは、前回の記事「被災地の皆さまへ心よりお見舞い申し上げます」で、

・・・原子力という砂上の楼閣に支えられた物質文明が簡単に復興するとは思えない・・・

と書きました。

「制御された核分裂」という幻想のもとに先進工業国は物質的な豊かさのバブルを享受していたに過ぎなかったと、とっさに判断出来ない「不作為犯」は、、、譬え、原子力発電所をこんなにたくさん地震と津波の国に作ってしまった過ちを見逃したとしても、、、許されない以前に情けないと言わざるを得ません。

これは、政治だけの責任でもなく、東電や日立や東芝のエリート幹部たちだけの責任でもなく、またかねてより原発を推進し過疎地域を買収したフィクサーたちの責任でもない、統一地方選という絶好の機会がありながらも、時の政権のだらしなさだけを血祭りにし、原発・放射能問題を争点にも出来ず、あれよあれよという間に、日本全国で原発推進派の首長を選んでしまっているレベルの低い有権者の責任です。

ただただ仕事を失いたくないだけの目的でテレビCMで「日本は強い国だ。力を合わせれば復興出来る」と空疎な科白を繰り返す芸能人が浅はかさに聴こえるのは、浜岡原発ひとつ止められない平和ボケと惰性を再確認するに、とても強い国だとは思えないからであります。日本は復興による豊かさを享受するに値する国でしょうか。

わたくしには、本業や家族や安全を犠牲にして、「お国」のために、福島に放射能関係の仕事に半ば強制的に送りこまれている友人が複数名居ます。かつて原発を「安全に」推進するために頑張ってきた人達が、言論の自由(≒真実の報道)を自主規制しつづけているマスゴミたちの伝えない地獄絵図を見て、「人類が核エネルギーを利用しようとしてきたのは間違いだったと一人でも多くのひとに伝えたい」と異口同音に語っています。
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2011年3月16日水曜日

被災地の皆さまへ心よりお見舞い申し上げます

東北地方太平洋沖地震では被災地の皆さまに比べては、東京駅前に事務所を構える私どもの恐怖や負担などは掠り傷以下のものであったものの、ここ数日、いろいろなことに追われ、いまようやくお見舞いのメッセージが打てる状況となりました。


業界が業界だけに、今年度は決して楽な経営環境ではありませんでしたが、眼先黒字かどうかということよりも沢山優先すべきことがあるという人生観の転換を突きつけられた今回の事象において、私どもフェニックス証券も、業界団体を通じて、些少ながら義援金を寄付させていただくことを決定しました。


一方で、石原現都知事の「天罰」発言が物議を醸し、発言者自身がお詫びしたそうです。わたしは石原氏とは政治信条はかなり異なりますが、言葉足らずな部分をちゃんと補い、悪意なく発言の意味を受け取れる環境にあれば、一理あると、被災地ではなく、東京都心の今週の生活を振り返ると、敢えて思わざるを得ません。


停電、節電、物資の不足を前提とした都市生活は、原子力という砂上の楼閣に支えられた物質文明が簡単に復興するとは思えないと考えた場合、当座の不便に留まるとは思えません。それでも、被災地での避難生活を送っておられる数多の皆さまに比べれば遥かに恵まれている首都圏の人々の多くが、大きな余震や放射能の問題は別格としつつも、「やむをえない」「これはこれでやっていける」「いままで如何に無駄な贅沢をしていたかむしろ反省している」という思いを共有しているのではないでしょうか?


サラリーマン社会という閉鎖的コミュニティなかでの上昇志向のためだけに、無駄なネオンがきらめく歓楽街で夜な夜な同僚や客先と飲み歩くという習慣や、正月には成田空港などから大量に海外旅行へと向かう付和雷同からは、自分個人にとっての幸せや価値観は何たるかという問題の追及を敢えて遠ざけ、見栄のためにあくせくする、変化を好まず物質文明を当然享受する資格があるものと信じ切った無防備な日本人の姿が見えます。


明治以降だけでも何度も津波で惨事を経験された三陸海岸沿岸の皆さんが、それでも自分たちは漁業で生きていくしかないという覚悟で、何度も復興を志したなかでの町や村の壊滅では、犠牲者やその家族親戚の皆さん、避難生活を送られる皆さんには当然のことながら何の罪もなく、むしろ、一極集中を奇貨とした、国内でもダントツで、世界的にも稀に見る物質的に豊かな、無駄の多い生活スタイルへの天罰だったと理解し、価値観を見つめ直す機会だとしなければ、人柱に他ならない戦後最悪規模の犠牲者の命に報えないと考えています。


謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
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2011年3月4日金曜日

久しぶりに主張します「低スプレッドに騙されるな」

かなり久しぶりに外国為替証拠金(FX)取引の話をしたいと思います。

自信を強く持ったからであります。

収益力や口座数の伸びで言うと決して目立っては来なかったフェニックス証券ですが、やはり真面目にやればこんなもんなんだという確信が改めて最近持てました。

異常な広告宣伝費を払い、異常な低スプレッドを続けて、しかも信じられない収益性を保つという単純だが巧妙なビジネスモデル・・・それは過去記事にいっぱい書いて参りました・・・が、どうやら瞬く間に、レバ規制と市場ボラ低下で馬脚をあらわしている、という話をあちこちから聞いています。

フェニックス証券のFX商品「フォレックス・ライン」はドル円のスプレッドが1銭~2銭程度で、業界最低水準ではありません。スワップ金利も決して良いとは言えません。それでもお客さまがここのところ急速に増えてきたのは、低スプレッドだけでは騙されない賢い投資家がどんどん増えてきておられるのも大きな要因だと思います。

賛否両論だったレバ規制も、まだ功罪を診断するには時間が掛りますが、見せかけだけのスプレッドで強引に新規顧客を引き摺りこんできた業者への効果は大きかったと言えるかも知れません。

しかし、それでもまだ、フェニックス証券のように、10000通貨単位で、お客さまの注文を一件一件インターバンクに繋ぐという、愚直で、薄利な、正直者FXは極々少数派なのだそうです・・・これは調査しつくしたわけではありません。

まだまだ業界の大半は、「ブローカーの利益≒お客さまの損失」という方程式なのだという説もあります。

今夜の米国雇用統計のように、相場が瞬間に大きく振れるような局面では、上記のような悪質な方程式が画面の向こうに隠れていないかどうか、良く判ることがあります。
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2011年3月2日水曜日

民主党は内紛を繰り返している場合か

これは今朝の日経の社説の題名ですが、「そんなこと言ってもしょうがないでしょ???」というのが私の感想。戦後の日本の政治史において、とにもかくにも大政党になりたい、所詮は数であると割り切った政党という点では、自民党も社会党も同様。常識的な有権者から見れば非常識的な、寄り合い所帯以外はなかったのでは。

言い換えれば、みんなの党ですら、大政党を目指しうる(ので)、目指そうとアクセルが踏まれた瞬間に、寄り合い所帯の性質がちらつかざるを得ないのではないかと案じます。

「小さな政府」を目指して大同団結、TPPを踏み絵に政界再編、、、このようなシナリオは言うは易く行なうは難しであり、多少はそのあたりに責任を以って発言しないとマスコミも馬鹿にされてしまいます。

そんななか、昨夜は、「小さな政府」やれるものならやってみろという総務省のキャリア官僚、受信料を主な収入源とする放送局(以上、電波が御専門)、画像検索で現状打開を図る大手電機メーカー、大手商社系システム会社の人間が一同に会しました。みな、大学時代の同好会の後輩たちであります。

私自身、メディア論は下手の横好き(平たく言えば単なるテレビっ子!)なので、金融の話などする暇は全くなく、数時間、メディア論に花を咲かせることができました。

結果、結論としては・・・

★地上波キー局は、一社程度は潰れてもしかたがない。

★中央官庁の人事、人材は崩壊寸前である。

★ジャスミン革命がフェイスブックで成し遂げられたというのは嘘っぱちであり、その嘘を付和雷同で報道する日本のメディアはアホだらけである。。。

などなどであります。

(おまけ)
★政権交代したが、役所の国会待機(想定問答)は変わらない。これはマニフェストを反故にしたことよりも罪が重いかも。であれば、居酒屋タクシーは復活させて欲しい。

はい、気持ちはわかります。
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2011年2月28日月曜日

必ずしも一枚岩ではないのが魅力の、みんなの党

金曜日は、いつもお世話になっている、月刊誌ファクタのお誘いで、みんなの党神奈川県選出の参議院議員 中西健治先生の勉強会にお邪魔しました。

中西先生の話で、一番嬉しかったのが、「渡辺喜美代表は『日銀に思い切った金融緩和をさせさえすれば景気は良くなる』という金融政策万能論≒日銀諸悪の根源論」を振りかざし過ぎで、これは強調しすぎないほうが良いとおもっている」という部分でした。

自民党は勿論、民主党も手をつけられなかった農協に対して改革を迫るという中西先生に、加えて年金のタブー、医療のタブーにも着手して欲しい、、、そのために日本医師会などの抵抗があるのだとすれば、みんなの党だけが良い子になっていては駄目で、自民党や民主党のなかにも少なからずいる「小さな政府」を志向する脱藩検討組を温かく迎える態度を示し、政界再編をよどみなく行なうことが重要なのではないかと、生意気な意見を述べさせていただきました。
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2011年2月23日水曜日

駄目なものを駄目という勇気に快哉

フェニックス証券と同じ業界に属し、飛ぶ鳥を落とす勢いで何かと注目を集めてきた会社のひとつが、取り扱う通貨ペアを半分以下に減らすというニュースが流れました。

そのこと以外でも、一体何が起こっているのか謎めいている会社であり、同業者として冷静かつ客観的に事態を把握してみなければと思っていたところでしたが、ただ兎に角、FX業界については大手中小を問わず、やや不健康な痩せ我慢が蔓延っていたと感じており、この勇気ある決断そのものにはエールを送りたいと思っています。

全く話が変わりますが、日本とは大きく異なる価値観という点で異彩を放ち続け、ゆえにわたくし自身かねてより眼差しを傾けてきた、ひとつはアラブ諸国、もうひとつはオセアニア、そのそれぞれで、かたや人災、かたや天災により、多くの被災者が出ていることについて、こころからお見舞い申し上げたいと思います。
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2011年2月11日金曜日

アセットクラスとキャリア形成

アセットクラスとは、同じような値動き(リスク⇔リターン)をもたらす金融資産(アセット)のグループというか範疇(カテゴリー)というか階級(クラス)のことで、具体的には、現預金を究極とする短期金融資産から債券、株式、不動産、商品(先物)・・・更には、「クラス」というニュアンスには違和感を感じますが、外国為替(FX)、貸出債権(ローン)を指すこともあり、外国為替では主要通貨(ドル、ユーロ、、、)と新興国通貨(南アランド、ブラジルレアル、、、)を「クラス」分けしたり、ローンについても正常債権と不良債権、またはシニアローン、メザニン、・・・、コーポレートローンとノンリコースローンなどとやはり同じく「クラス」分けされることもあります。

昨日、わたしがアレンジしたふたつの打ち合わせで、いずれも途中出口の見えない議論に陥り、締めくくりのキーワードとなってくれたのが「アセットクラス」でした。

打ち合わせ(その壱)は、有名銀行のローン売却責任者とハゲタカファンドの社長と超有名投信委託会社の金(ゴールド)担当者が参加。

銀行側は「ローンを売って行きたいので人材を紹介して欲しい」と。一方のファンド側は「小泉=竹中時代と異なり美味しい不良債権が出て来ず、市場が干上がっている」と嘆きます。

高く売り抜けたい銀行と、安く買いたたきたいファンドと、立場の異なるどちらにとってもパッとしない今日の日本について「やはり無理矢理でも良いからミニバブルを起こさないと」「税金や社会保障費が高過ぎて政治は一体何をしているのか」と何故か意気投合。

投信委託会社の運用担当者も、投資信託の業界そのものが実は存亡の危機にあるとの思いから、急遽打ち合わせに参加してくれたのですが、利益が相反するふたりの話を聞いていて「何処か一箇所突破口が見つかれば、すべてがグルッと動くような気がしてならないのですが・・・」とわたしに囁きました。

政治批判はわたしもしょっちゅうやりますが、政治のせいで儲からない分野もあれば逆もある筈。経済学的に言えば、市場も失敗するが、政府も失敗しますから、経済活動の結果として評価される各「アセット」の値段を歪(いびつ)にさせる点では、市場と政治は、目糞鼻糞だと思います。そして、汗水垂らして働くよりも小賢しく稼ぎたいという連中が集まる金融業界に、役割らしい役割があるとすれば、その歪(いびつ)な評価を是正すること(アービトラージ)に尽きます。

このブログの読者の皆さんの多くが賛同してくださると思われる観察結果が、日本人の特徴=「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」またその裏返しとして「青信号 みんなが立ち止まっていると 怖くてひとりでは渡れない」(こちらは超字余りですが・・・)、、、です。

この結果、現在の例でいけば、住宅ローンの評価は高過ぎる(銀行の審査が甘すぎる)、外国為替(FX)証拠金取引のキャンペーン単価が高過ぎる(取引所FXの手数料が安過ぎる)などなど、少々考えれば馬鹿馬鹿しいと思われるプライシングが横行しているのに、大手金融機関の役職員が「わかっちゃいるけど やめられない」という理由だけで破綻するまで続けてしまっているというのが、まだまだ沢山観察されます。

取引所FXのキャンペーンに関しては、大手金融機関、、、、例えば我がフェニックス証券のまん前に本店を構え、我が社の何倍もの月坪家賃と何万倍もの広告宣伝費を浪費している証券会社など、、、は、誰がどう考えても今後何世紀掛ってもキャンペーン費用を収益で取り返せるという計算が成り立たないと思われるのです。

そのような業界から潔く撤退し、全く異なるアセットクラスで事業展開するというプレーヤーがもっともっと登場しても、本来であれば可笑しくありません。

そういう業態転換が滅多に起こらないのは、大手金融機関の企業戦略や人事戦略が馬鹿馬鹿しいほど硬直的であることが大きな要因ですが、従業員側もまた、自分が事実上の徒弟制度のもとで長年嫌な思いまでして学びとり業界内なり社内なりで気持ち良く仕事が出来るまで人脈を作り上げてきたものをゼロリセットすることが嫌だということで、結果、金融分野以外の勤労者から見ると違和感があるほど範囲の狭いアセットクラスに安住しようという思いの人が圧倒的に多いこともまた一つの大きな要因だと思います。

確かに欧米の大手金融機関にもアセットクラスごとに専門化したチームが横並びになっては居ますが、グローバルには当然のように存在し、或る意味最重要な金融機能とも言えるアセットアロケーション、例えば日本株を減らしてアジアに投資をするという意思決定機能が日本の金融界にはありません。言いかえれば、マクロベット型のヘッジファンドが日本には存在しないのです。そのような機能を担えるスーパー金融マンがもし育っていたとしたら、恐らく大手銀行の取締役人事部長のようなポストに就いてしまっていたかも知れない、それが我が国の金融業界側のキャリア形成の欠陥であると思っています。

何だか随分偉そうな言い方をつづけましたが、フェニックス証券もごたぶんにもれず、昨年6月からは月間で赤字に陥り、わたしにとっても、収益面での苦労は5年振りにのしかかって来ました。が、半年で収支をトントンに回復させました。これは、フェニックス証券が非常に小ぶりの金融機関で、アセットクラスの見直し、それに必要な人事戦略の実行を、非常にスピーディーに行なっていることが最大の理由だと思います。

アセットクラスの見直し、更には業態の見直しにもつながりますが、これはまだ道半ば。2011年は、ますます明るく変わって行けそうな予感でいっぱいです。

打ち合わせ(その弐)を忘れていました。これは夜に行なわれた役職員の会。場所を提供して下さった
兜町のイタリア&中華 ベリー、そして飲み物を提供して下さった同じく兜町のブッキンに感謝、感謝。
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2011年2月3日木曜日

八百長を英語で何と言うでしょうか?

地上波のワイドショーは、エジプトのデモ隊同士の衝突と大相撲の八百長で持ち切りになっています。

チュニジアに端を発した、地中海沿岸のアラブ諸国の長期政権打倒または崩落の動きについては、半月弱ブログの更新をサボっていましたが、前回の日記のイスラムの話に、かなりの部分尽きている感じがあると思いました。

さて、大相撲の八百長。かつて同業界の野球賭博が問題になったときに、スポーツライターとして最も有名なひとり二宮清純氏がTBSの報道番組で「野球賭博は問題の端っこに過ぎない。本丸は相撲賭博ではないか?」と発言していました。

これは、真実であろうがなかろうが重大な発言ですが、当時わたくしがチェックした限り、メディアは敢えてフォローしませんでした。

野球賭博の捜査の過程で出てきた副産物、八百長は、一般常識的な罪の重さで言うと、野球賭博と相撲賭博のちょうど間ぐらいに位置するのかも知れません。

しかし、少し冷めた目で見てみますと、法律(の解釈)次第では、野球賭博そのものや相撲賭博そのものは古今東西不朽絶対の価値観として罪と言い切れない面があると言わざるを得ません。

言い換えれば、何故宝くじが国家事業として行なわれており、パチンコ屋と景品交換所の関係については国家権力が賭博罪適用の目をつぶり、株式の信用取引は制度として存在するが立会外が許されても向い呑みは許されなず、外国為替証拠金取引においては、取引所取引と店頭取引が併存するが、後者では向い呑みが堂々と行なわれつつ陰に陽に規制が強化されている等々、これらを絶対的かつ無矛盾な価値観や法解釈論で整然と説明できるだろうか、ということです。

八百長の問題に戻るならば、敢えて判りやすくするために、「悪法もまた法である」という点と「反社会的勢力(の介在)とはどういう定義か」という点を省くとすると、八百長と賭博が結びつくことで、一挙に、社会全般の大多数にとって納得できない巨悪へと事態が様変わりするということではないでしょうか。

力士同士で「負けてあげるから金をよこせ」というのは、角界の人事評価制度と給与体系に裁定が働く余地があり過ぎることが問題なのであって、制度の欠陥(8勝7敗を続けていれば降格はない、十両以上には固定給が払われるが幕下以下にはない・・・など)をなくせば、そのような馬鹿げたことはなくなるのではないでしょうか?

野球にしたって、八百長が一切ないとは言い切れないかも知れません。しかし、ここでもう一度打ち込まれたら二軍落ちで戦力外という投手が、相手方の主力打者に「金を積むから凡退してくれ」ということは殆ど成り立たないのではないでしょうか。

反社会的勢力が胴元かどうかは別として、八百長と賭博が結びつけられていたとしたら、日本相撲協会は財産没収という事業仕分けでおしまいでしょう。もしそうでないとすれば、伝統や歴史だけを頼らず、他の格闘技との競争のなかで、事業性を高めるべく、まっとうな人事給与制度に研ぎ澄ませていく課題が執行部に突きつけられているという、だいたいそれだけのものだと思います。

さて、タイトルの八百長ですが、いつも利用しているアルク社の英辞郎によりますと、、、
a put-up fight
とか
fixed game
など、あまりエキサイティングではない訳が出てきますが、「八百長で負ける」を英語に訳する分には
lose on purpose
と極めて明瞭簡潔となっております。

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2011年1月18日火曜日

懲りもせずに外国人と宗教談話

外国人との会話で御法度の話題として、政治、人種、宗教が良くあげられますが、これまで宗教の話で随分嫌な思いをしてきた(させてきた)にもかかわらず・・・

http://phxs.blogspot.com/2009/01/blog-post_13.html
http://phxs.blogspot.com/2010/04/blog-post_09.html

またまた昨日も、懲りずに、やってしまいました。

仕事上で素晴らしい出会いがあったからです。

お会いしたのはイランご出身の恐らくわたしと同世代の男性。上智大学に留学したあと、約20年間ずっと日本でお仕事をされている方です。最初の約10年間は若年層向けの漫画などの出版物で良く知られる大手出版社(ヒント・・・ドラえ~~もん♫)の系列の小学生向け英語教室で教師をやっていらしたのですが、少子化の影響などで事業が閉鎖され、その後はフリーの翻訳と通訳で生計を立ててこられたと伺いました。

世界的にイスラム社会の存在感が高まって来ている今日この頃、アラブ語の翻訳通訳需要は増えているのかも知れませんが、イラン(の殆どとトルコなどの一部)の母国語はペルシャ語。ペルシャ語の需要だけでは生計は成り立たず、英語⇔日本語の仕事が殆どで、最近では中国語も翻訳仲間を通じて勉強していらっしゃるそうです。

日本語は実にお上手。しかし、考えてみて下さい。日本人で、生活のために、英語をブラッシュアップして、中国語も一から勉強して、英語⇔中国語の翻訳通訳の世界に敢えて飛び込もうという人が居るでしょうか?私自身を含めてそこまで勤勉かつハングリーにはとてもじゃないがなれないなと感心してしまいました。

そこまでして彼が日本に骨を埋(うず)めようと思ったひとつの背景に宗教観があるとお見受けしました。(キリスト教の多くの宗派同様)好戦的なイスラム教、、、特に原理主義革命の聖地とも言えるイランに嫌気がさしたとおっしゃっていたのです。

事実上母国を捨てた彼は、本来であれば日本で仕事を続けたかったのですが、病気のお兄さまを助けるためにお兄さまの住むアメリカに近々発たねばならないのです。考え方としてはイスラム(特に原理主義)と一線を画している彼(等)が、アメリカという国で、出身国や外見だけで差別を受けないのかどうか心配でなりませんでしたが、兎に角幸せな渡米を祈るしかありませんでした。

さて、わたしは、高校時代世界史が落第点しか取れず、日本史は選択していませんので、何ら語る資格はありませんが、キリスト教(のなかで特に偶像崇拝や拡大志向の強い主流の宗派)やイスラム教と比べて仏教が優等生の宗教と言い切れるかどうか疑問はあるという話を、彼にしました。

日本への仏教伝来は全く血生臭いものでなかったわけではないこと(蘇我氏物部氏の抗争など)、鎮護国家から鎌倉新仏教へと大衆化した筈の仏教も国家権力と時に対立し時に擦り寄り大衆を巻き込んできたこと、それに比べればキリスト教の伝来に際しては、大きな歴史的背景には大航海時代の海洋国家の利潤追求があるにせよ、布教の現場は極めて人道的であったこと。。。。

そのことについては、わたしは彼に「クアトロ・ラガッツィ - 天正少年使節と世界帝国」(若桑みどり著)をお薦めしました。

ただし、彼とわたしが同意したのは、宗教と名がつく限り、それは真善美を不断に追及する哲学であり、弱い人々の痛んだ心を癒す信仰であると同時に、その人間の弱さにつけ込むお布施を通じての集金装置でもあること。集金装置が暴力装置をも備えて拡大志向に向かう様子は、さながら独占資本が帝国主義戦争を繰り広げる姿をも彷彿とさせます。この後者の暗い側面については、中世において特に地中海地域で激しい民族間抗争を招いたキリスト教(の一部の宗派)とイスラム教(の一部の宗派)に比べると、仏教は優等生っぽかったのではないか。仏教徒の数が少ない原因とも考えられるこの点については、あまり詳しく書き過ぎると怒られるでしょうが、多神教と一神教との対立にも関係がありそうです。今日の世界宗教の多くが一神教である一方、人類の太古の宗教には森羅万象に神々が宿るという考え方が支配的だったと考えられ、日本の八百万の神というのはギリシャのオリンポスの神々と同様、多神教の典型のようですが、比較的好戦的とは言えない感じをうけます。そして仏教は日本において奇跡的な神仏習合という現象をもたらし、ひいては今日の日本人の圧倒的多数の宗教観、、、正月には神社で御神籤(おみくじ)をひき、葬祭ではお寺のお世話になり、クリスマスではなんとやら、、、という平和ボケと裏腹の生活習慣を手に入れることになったのではないか。

折しもチュニジアで大統領が亡命という事件が起きています。強いリーダーシップによって、経済成長など華々しいパフォーマンスが繰り広げられている新興国群に対して、ねじれ国会の期間が余りにも長い日本から、単純に羨望の眼差しをおくれば良いというものでもなさそうです。先日の日記の「中国に対する過大評価」も同じことです。

強過ぎるリーダーシップの下で臣民として窮屈で居られないという優秀でハングリーな外国人にとって憧れの環境を日本が提供できれば、まだまだ存在意義は失われないのではないかと考えた、昨日の出会いでした。
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2011年1月14日金曜日

ゴールドマンサックス、新たに50億ドルの損失?

今朝のフィナンシャルタイムズの臨時ニュース。

タイトルを直訳していますが、これだけでは、何というか某系列スポーツ新聞の見出しと似ています。

「新たに」と言う意味は、「今頃になって」ということ。リーマンショックの頃に発表していた関連投資損失が85億ドルだったのが、本当は135億ドルでした、と告白したものです。

更に誤解を招かないように、、、と記事に書かれていますが、、、損失項目の内訳が変わっただけで該当期間の損失額全体は変わらないとのこと。

「他の銀行も見習うべき態度である」と米SECの幹部は言いますが、今後はボルカールールの適用で自己投資の評価について誤魔化しが効きづらくなるとは言え、これまで長年いい加減な銀行決算の発表で株式市場が激しく動いてきたことへの反省は何にもないのでしょうか???

そう言えば、ボルカールールと言えば、ボルカーさんは辞めますが・・・
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2011年1月13日木曜日

人民元取引を米国で解禁-中国銀行

中国銀行と言っても、岡山市に本店を置く邦銀ではありません。

中国の国営銀行。我が国ではバンチャと呼ぶひともいます。

昨日付のウォールストリートジャーナルが「中国銀行は無制限に人民元を米国(など中国国外)で交換できるように準備している」と報じています。

中国政府が人民元(と外国通貨の)取引を中国本土に限定し特に米ドルとの間では固定相場を維持してきた状況から、これまでにも規制緩和に向けていくつかのステップは講じられてきました。

NDFによるオフショア市場での取引解禁、香港での現金通貨の取引解禁(昨年7月、ただし一日400ドルまで)、また米国(や日本など)でもHSBCはこれまでも人民元預金の受け入れを行なって来ました。

しかし、中国を代表する国営銀行そのものが、「人民元は不当に割安にコントロールされている」と舌鋒鋭く迫る米国自体で(当初は個人については一人当たり4000ドルという制約をつけるものの)取引開放に向けて取った措置は大きな意味を持つと言えます。

マスコミ的に普通に勘ぐれば、胡錦濤国家主席の訪米直前の手土産程度のものかとも推察されます。ただしこれまでの人民元「開放」のあらゆるステップは、人民元投資の欲望を常に掻き立て、人民元を確実に上昇させてきた事実があります。

わたくし的に異常に勘ぐれば、人民元の上昇を加速させても構わない深い理由に、中国の指導部が気づき始めたのではないかと思わざるを得ません。金融緩和政策の終了とはつじつまが合います。国外の投資家の手を借りて金融引き締めが行なえるということは、政策コスト(為替介入コスト)が掛らないだけでなく、沿岸部中心のバブル(だと指導部が認識しているのであれば)の出口戦略として海外勢に自国通貨を買っておいてもらうのは渡に船なのです。

ところで、ウォールストリートジャーナル電子版には「あなただったら中国銀行に人民元口座を開設しますか?」という投票コーナーがあり、わたしも試してみましたが、投票結果は本日午前の時点でほぼ半々でした。
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2011年1月12日水曜日

満員御礼-印田千裕ヴァイオリンリサイタル

フェニックス証券協賛・・・と偉そうに言いますが社長個人がチケットノルマを引き受けただけのこと(爆)・・・日本を代表するヴィルトゥオーゾの旗手、ヴァイオリニスト印田千裕さんによる約2年振りのリサイタルが、先週金曜日、東京上野の東京文化会館で行なわれ、満場の聴衆を感動の渦に巻き込みました。



当日のプログラム

①幸田延 ヴァイオリンソナタ第二番(1897)(楽譜校訂:池辺晋一郎)

②バデレフスキー ヴァイオリンソナタ イ短調 作品13(1880)

③尾崎宗吉 堤琴と洋琴のための奏鳴曲 第2番(1938)(楽譜校訂:小宮多美江/印田千裕)

④寺内園生 パッション(1993)

⑤ブラームス ヴァイオリンソナタ第三番ニ短調 作品108(1888)



①は、いまや、寄席で言えばお囃子とも言える(!?)印田さんにとっての入場テーマ曲として定着しつつあると言えます。

残念なことにあまり知られていない「クラシック音楽黎明期」の日本の才能ある作曲家の埋もれた作品を発掘するというライフワーク、、、今回で言えば、③がそうですが、、、の橋頭保となった作品です。

いっぽう、④は現役の女流作曲家による作品。現代曲としての十分な複雑さや緻密さを確保しながらも、親しみやすさや「クラシック音楽にしかない官能性」をも兼ね備えた作品は、演奏家には極めて高い技術を要求するものでしたが、印田さんも、そしてピアノ伴奏の安田正昭さんもその要求に見事に応えられ、客席にいらした作曲家の寺内さんには惜しみない拍手が贈られていました。

約二年振りとなる今回のリサイタルのひとつの柱が、前述の「日本の・・・」だとすると、もうひとつは②のパデレフスキーかも知れません。極めてユニークなキャリア・・・マルチ人間・・・を持つ作曲家のことに関しては、、、是非是非ネットで検索してみてください。

リーマンショックなどを経て、この2年間でクラシック音楽を取り巻く環境は大いに変質したと言わざるを得ません。このような「かっちり」とした演奏会を開き立派なホールを満席に出来るのは、、、商業メディアに偶像化された似非タレントを除けば、、、極々わずかな本物だけに許されることだと思います。今回の聴衆のみなさんも半分はヴァイオリンを習ったか習っているか教えているかという方々だったのではないかと想像します。残り半分のクラシック音楽ファンの皆さん・・・フェニックス証券経由でチケットをお求めいただいた皆さんはコチラに属します(笑)・・・にとっては、最後の⑤で、やっと親しみのある曲が登場したという感覚をお持ちになったことでしょう。

かく言うわたしもそのひとりです(爆)。

マラソンで言えば35キロ地点を過ぎてからのブラームスの大曲が壁のような上り坂に見える筈ですが、われわれが目にし耳にしたのは胸の空くようなラストスパートとウィニングランでした。

このようなコンサートが満員になることで、日本の音楽界も捨てたものではない。音楽に真摯に取り組むことがちゃんと報われる機能がなんとか備わっていると、ほっとした週末の夜でした。

チケットをお求めいただいた大勢のみなさまに、この場をお借りして、こころから感謝申し上げます。ありがとうございました。
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2011年1月4日火曜日

2011年は何に投資をすべきでしょうか?

中国は過大評価されているのか?
読者のみなさま、あけましておめでとうございます。

七転び八起きブログとしては、3回目の謹賀新年。。。雇用の保証のない雇われ社長としては実に5年半。。。。。。こうして、ある程度、好き勝手なことが言えるのもみなさまのお陰だと改めて感謝する新年でございます。

さて、「(来年)今年はどうなりますか?」「どうすれば儲かりますか?」と、年末年始にお会いした沢山の方々から異口同音に殆ど同じ質問を受けました。

それがわかっていれば苦労はないですし、本当にわかっていれば、誰にも教えずひとりでおカネ儲けをすることでしょう(爆笑)。

どうもわからないといういい加減な前提でモノ申せば、やはり中国の評価が大きなポイントになると思います。

思えば、日清戦争から始まり日中戦争~共産党政権の誕生~文化大革命・・・そして今日の中国というふうに振り替えると、中国というのは過小評価と過大評価を極端に繰り返してきた対象のように思います。

中国人全てがとは言えませんが、多くの国民が物質文明に麻痺してしまった日本に比べると、ハングリー精神を忘れていない良質なインテリジェンスと豊富な単純労働力が中国にはある、、、という点で、中国への評価はまだまだ維持されなければならないでしょう。逆に言えば、日本は大いに反省する必要があります。

「超」がつく就職氷河期のひとつの原因は明らかに旧態依然とした日本的経営(終身雇用や年功序列など)にありますが、もうひとつは日本的経営にまったくこだわっていない例えばフェニックス証券のような会社にとって殆どの場合は偏差値に関係なく新卒採用に魅力を感じることは出来ないくらい日本語堪能な中国人が応募に来られるのです。いわんや、学生の多くが出来れば日本的経営が今後も安定しそうな大企業(そんなものは存在しないことを知らないこと自体がすでに勉強不足!!!)を嗜好しているというのですから話になりません。

比較の対象≒評価の基準を間違えてはいけない

しかし、停滞から抜け出せそうもない日本を目指す外国人の多くが経済発展最も著しいと誰もが認める中国から供給されているという皮肉には大いに注目する必要があります。

わたしは、中国のバブルというのは、単純労働力が日本に比べて遥かに安い他のアジアの国々(かつて?BRICSという言葉に置き換わるまでASEANとかNIESと言われてきた日本中国以外のアジア諸国)と比較しての過大評価だと考えています。

各階層の優秀な人材が何故経済発展の中心から経済停滞の中心へ移動したがるのか?日本人が日本自身の問題点として繰り返す少子高齢化や格差の拡大とか格差の固定化は、絶対評価としてはその通りでも、相対評価としては中国のほうがより深刻であるという点を見逃してはなりません。

昨年10月に出張した中国東北部には、ニョキニョキと乱立する高層ビルのなかに不良債権があちこちに出始めている現状、そのビルの谷間に潜んでいるように見える道教の寺院で敬虔に祈りをあげる多くの民衆などなど、日本の大手メディアが取り上げない不可解な事実を垣間見ました。

バブルにソフトランディングは有り得ない

道教とアナーキズムの原点とも言われる老荘思想とは無関係との説もありますが、太平道、五斗米道、、、太平天国、、、それにチベットなど少数民族の宗教や同じく弾圧された「法輪功」まで含めるのはやりすぎですが、、、などなどの無政府運動の大きな潮流は、中原を治めた中央集権的且つ収奪的国家権力が度を越したときに勢いを増すという中国の歴史のサイクルは今でも生きているのではないかと思われます。尖閣諸島問題などの外患を、内憂の吐け口に使い始めているという最近の傾向はどうやらこうした空気を読んでの動きではないか。金融引き締めも同じです。

しかし、米国初のITバブルも、サブプライムバブルも同じで、バブルの解消にはソフトランディングが可能かどうかというのは度々繰り返されてきた愚問だと言えます。それが何時発生するかを読む抜くことは不可能に近いですが、そのリスクを覚悟した資産運用としては何が可能か。

ひとつの答えは、現預金と個人向け国債ですが、これらは読者の皆さんの期待する答えではないでしょうから(笑)、次稿に譲りたいと思います。
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